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この世界の存在理由。それは法則。
神が法則を利用してこの世界を作ったと私は考えます。
じゃあその法則とは何ぞやって話になりますが、一つ言えることは法則は最初から存在していたということ。で、神と法則の関係。法則が神を作ったとも言えますが、私の解釈では法則に人格性はない。つまり何かを作ることはない。だとしたら神は自然発生したと考えるのが自然です。しかし、それも法則によってそうなったのではという意見も出そうですね。だとしたらこう考えましょう。自然発生と法則は違うもの。相容れないものとして捉えるべきです。
で、そう考えると最初から法則があるのだから、無は存在しないなとなりそうですが、そうとも限りません。私は消滅も何もない世界も存在すると考えます。人間は寝ている時何も感じません。つまり寝ている時は無の世界を体感していると言えます。でもここで矛盾が生じます。「君の論理なら有なはずなのに、なぜ無の世界があるというのかね?」と。
そこで、私は独自の見解を主張します。”矛盾は真理”という見解です。
私は今まで考えてきて、こういう矛盾に何度もぶち当たりました。そうなるたびに考えることが嫌になり、「なぜ分からないのだろう?」とずっと思ってきました。ですが、矛盾が真理と考えれば、全てが丸く収まります。でその理論から行くと、有の世界も無の世界もどっちも存在しうると言えるのです。
さて、本題に戻りましょうか。なぜ何もないのではなく何かがあるのか?
結論はこうです。
何もない世界もあるし、何かある世界もある。
で、ある世界は神が法則を利用し、作ったと。
私のこの結論が皆さまの知的好奇心を埋めてくれたのなら幸いです。
もうちょっと話を続けます。
無限後退について、法則のことを考えると始まりはないとも言えます。法則は最初からあり、ある意味ではそれを始まりと捉えることも出来ます。つまり法則が最初からあると捉えればこの問題も解決するわけです。法則もこの世界の真理です。で、その法則はどこから来たの? と問う人に言いたいのですが、私は法則を始まりだとも捉えてません。神が始まりです。でこの世界の始まりは神が法則を利用して作ったところからです。
仮にその法則まで無限後退しようとするなら、この世界の存在意義まで問われてしまうことになります。
この世界の存在意義は神と法則が持たせたと考えてもいいでしょうね。神と法則がなければこの世界の存在自体ありえなかったというわけです。
私の主張は以上です。
欠陥があれば、コメント欄で受け付けます。
「追記」
神と法則の関係について。
神が法則を利用してこの世界を作ったと私は主張しましたが、神と法則の関係についてもう少し補足します。よく神は全能か? という哲学的話題がありますが、私はどちらの立場も取りません。というかどちらの立場でもあると言えます。で、私の見解ですが、神ですら法則には抗えないと言えます。法則=論理として捉えてもいいかもしれません。神ですら論理には逆らえないのです。そういう意味では法則が神の神だとも言えます。