8.きっとこの想いは
エリナーが母オリビアの元に戻ってきた頃には、もう夕方になっていた。エリナーは憲兵の胸倉を掴んでいるオリビアを見つけ、大急ぎで母親の元に駆け寄った。
「お母さま!」
「エリー!」
オリビアはエリナーにすぐに気づく。最初は安心したような顔だったがすぐに世にも恐ろしい顔に変化していったので、エリナーは思わず後ずさりしたが後ろにいた憲兵の足にぶつかった。
「お嬢ちゃん、何逃げようとしているんだ。」
憲兵は呆れ顔でこちらをみている。そしてエリナーを抱き上げて、オリビエの目の前に降ろす。抱き上げた直後、小声で「お前の母ちゃんはおっかない。」と言われた。エリナーを地べたに降ろした後、憲兵はすっとオリビアの後ろに下がる。他にも数人の憲兵がオリビアの後ろにいてヤレヤレという顔でこちらを見ている。
「もうっ、どこに行っていたの?すごく心配したのよ!」
「ごめんなさい。」
エリナーは自分の母親が憲兵を従えている様な光景が面白いと思ったが、ここで笑うともっと怒られると思い、悲しそうな表情を貫いた。こんなに長い説教は初めてだ。しかしエリナーは心配させてしまったことに罪悪感を抱えつつも、他の事を考えてしまう。
それは、魔法で空を飛んだことや、美しく小さな王子様とお姫様を探す冒険をしたことだ。それに、可愛らしい少年に出会ったことも。
シェンは私を母の元へ送ってくれた後すぐにどこかへ行ってしまった。出会ったばかりの男の子なのに、どうしてかすごく別れがたかった。でも、別れ際に約束することはできた。
「シェン!また会えるかな?」
「君が魔導士になるなら、きっと会えるよ!」
「よかった!」
「今日は僕に付き合ってくれてありがとう。さようなら!」
シェンは別れの言葉と共に、魔法で去っていった。後から考えてみると、約束とも言えないような会話だったと思う。エリナーは近い将来、どうしてちゃんとシェンに詳しい身元を聞かなかったのか後悔するが、すぐに「王立学院に進学すればいいことだわ!」と前向きに考え、でもやっぱり、を繰り返す事になる。
「エリナー・バイロン!」
「はい!」
「お母様がこんなにも怒っているというのに、どうしてさっきから上の空なのかしら!?」
「お母さまとはぐれているあいだにね!冒険をしてきたの!」
「やっぱりお母様の話しを全然聞いてないじゃないの!」
エリナーは母親の説教を長引かせてしまった。日が暮れてしまう頃になってようやく憲兵の一人がオリビアに声を掛けた。
「奥様、もう暗いですし、そろそろ帰った家に帰った方が、、、」
オリビアは自分が話しをしている時に邪魔をしてくるとは何事かと言わんばかりの形相で憲兵の方を振り向く。憲兵は思わず「ひぃっ」と小さく声を上げた。本当に母は何をしたのだろうと、エリナーは思った。
「あら、本当。お父様たちが心配しているわ。きっと。」
エリナーはこれでもかというくらいに頭をぶんぶん縦に振って同意の意志を表した。
オリビアはエリナーの前でしゃがみ抱きしめる。
「エリナー。本当に、心配させないで頂戴。」
母の泣きそうな声を聞いて、エリナーも泣いてしまう。どれだけ母親に心配を掛けたのかようやく実感したのだ。
「お母さまぁ、本当にごめんなさい。」
オリビアはエリナーの謝罪を受け入れて、さらに強くエリナーを抱きしめる。
そんな親子の感動的なシーンを見守る憲兵たちは複雑な心境であった。ある者は俺も久しぶりに母親に会いたいなあと想い、ある者は自分の娘や妻を想う。思い浮かべる人はそれぞれだったが、同時に全員に共通しているのは「ようやく帰ってくれるのかあ。」である。
エリナーの母、オリビアは普段はおっとりしているが生家も嫁いだ先も軍人の家である。いざとなれば夫や子供を励まさなければならない立場にあり、実を言えば気性が激しい一面もある女性なのだ。
エリナーを見失ってからすぐにオリビアは憲兵の元へ行き娘が迷子になってしまったと通報した。しかし最初の頃、憲兵たちはオリビアに聞く耳を持たなかった。自国の王子と他国の姫が行方不明になったという情報が都中の憲兵に降りてきていたからである。憲兵たちはオリビアに対し詳しい事は説明しなかったが、兎に角今は有事であり迷子の娘を探している場合ではないと言って来た。それを聞いたオリビアはエリナーが追いかけて行った少年の言葉を思い出す。
『レオ王子と皇国の姫君を探しているんだよ。』
憲兵の態度を見るに少年の言葉に確信を得たオリビアは、ただ情に訴えるだけでは目の前のボンクラ男達が動かないと思い作戦を変更した。
「ちょっと貴方たち?王家の騎士団が殿下を探しているのよ?彼らに任せるのが一番じゃなくて?」
「どうしてそれを!」
そう、オリビアは彼らが内密にしているつもりであろう情報をちらつかせ、騒ぎ立てることにしたのだ。
「それとも、あなた方は国内で最強と謳われる騎士たちを信用していないというのかしらね?やはり、憲兵隊と獅子の牙の仲が険悪であるというのは本当の事みたい。これを王家の方々が知ったらどう思われるかしら?」
「王家の方々だと?貴女に何ができると、、、」
「貴女は平民の出なのかしらね、社交界での噂話はあっという間に広がるという事をご存じない?」
「もしもうちの娘に何かあったら!憲兵隊の末端までもが王家の騎士たちを愚弄していたと噂を流しますからね!それからとんでもない役立たずだという事も!」
オリビアが物凄い剣幕で憲兵たちに詰め寄ると、憲兵たちは後ずさりをする。
すると、オリビアは後ろから誰かが近づいてくる気配を感じた。
「何を揉めている?」
「貴方、その胸の証は彼らの上司ね?」
「そうだが、何か問題でも?」
「問題しかないわよ!私の大事な娘が迷子になったのに、貴方の部下たちは全く探す気がないのよ!貴方たち憲兵でしょう!都の治安を守るのがあなた方のお仕事じゃないの?」
「なるほど、これは失礼しました。」
憲兵たちのまとめ役が来てようやく彼らはオリビアの娘を探し始めた。しかし、オリビアに言わせれば彼らは全く役に立たず、エリナーを連れて帰ってこない。我慢も限界に達したオリビアは、エリナーが戻ってくるまでの時間、ずっと憲兵たちを脅したり、貶したりしていたので、憲兵達は心の底からこの貴族のご婦人が帰ってくれるのが嬉しくてたまらないのである。
「さあ、帰りましょう。」
オリビアはそういってエリナーに手を差し出す。エリナーはその手を握り、母に続いて馬車へと向かう。
「エリナー様、ご無事で何よりでございます。」
古くから顔見知りの御者にも心配を掛けてしまっていたようだ。
「ジョン、あなたにも沢山迷惑を掛けてしまって、本当にごめんなさい。」
ジョンは困った様な笑顔でオリビアとエリナーの為に馬車の扉を開けてくれた。そしてオリビアが馬車に乗り込んだ後はエリナーを抱き上げて馬車に乗せてくれる。
「それでは、出発いたしますのでお二人ともお気をつけ下さい。」
馬車が動き出すと、オリビアはエリナーにどんな冒険をしてきたのかきいてくれた。エリナーは母が自分のした冒険について聞いてくれた事が嬉しくて、今日あった出来事を全てオリビアに話した。
「それでね、私はやっぱり、、、ふあぁぁ」
「外も暗いし、眠いのね。」
オリビアはそう言ってエリナーの頭を撫でる。エリナーは撫でられると余計に眠くなっちゃう、と思いながら話を続けようとする。
「おべんきょぉ、、、まどーし、、、」
そこまで言ってエリナーは完全に眠ってしまった。オリビアはそんなエリナーの頭を自分の膝にそっとのせる。
「楽しい夢を沢山みてね、私の可愛いエリー。」
オリビアは愛しの末娘が悪夢をみないよう、額にキスをした。