12.とある酔っ払い男の盗み聞き
とある酔っ払いが、とある港街のとある酒場で意識胡乱にカウンター席に突っ伏していた。この酒場は酔っ払いにとって行きつけの店でとても治安が良いとは言えない場所である。それでも彼が無防備にしていられるのは、自分は小汚く、彼が金を持っていないことは周知の事実であり、絡むことさえも馬鹿馬鹿しいと裏町の人間たちも知っているからだ。
しかし、この他人から見て何のために生きているのか分からないような男にも酒とアヘン以外の娯楽があった。それはこの酒場で悪党どもがする密談を盗み聞きすることである。盗み聞きをすることで、この酔っ払いは悪党どもの下衆な思惑を聞いて楽しみ、自分はしょうもない人間だがこいつらよりはマシな人間だと自分を慰める。
昔の生業のせいか男はどんなに酒とアヘンで意識が酩酊していても周囲の人間の話し声が聞こえていて、それはこの酒場の店主さえ知らないことだった。
そして酔っ払いがいつもの様に、今日はどんな下衆な話が聞けるだろうと思いながら他の客を待っていると、怪しい客が店内に入って来た。みなそれぞれに顔を隠していること以外に共通点はない、異様な集団だ。その集団は酔っ払いのすぐ後ろのテーブル席に座る。店員が注文をききにいくと、包帯を巻いた男が適当な酒を人数分注文した。そして、店員が去っていくと、仮面の男が話し出した。
「おい、知っているか?レオ王子とグレース皇女の仲は良好だそうだ。全くおめでたいねえ」
レオ王子はこの国の王子で、グレース皇女は隣国の皇帝の娘である。
酔っ払いは馴染みのある名前をきいて、思わず息をのんだ。
「王国と帝国にとってはね」
フードコートを目深に被っている者が素っ気なく返事をした。多分女の声だ。
「黙ってみているわけにはいかないな」
「ああ、当然だ。」
恰好に似合わず、騎士のようなてきぱきとした返事をする者もいるので酔っ払いは少し驚いたが、騎士の中にも落ちぶれる者はいるさ、と心の中で苦笑した。
「グレース皇女が13歳になる年、王立学園に留学してくるまでに何とか二人の仲を裂くようなことを起こさねば」
「ああ、そうだな。」
「簡単なことだろう、両国はつい最近まで戦ばかりしていたではないか。」
「帝国にとってそれは、前王朝の話しだ。今の皇帝はあの国らしからぬ穏健派の皇帝でこの国の先代と現王がやつの皇帝位の簒奪を後押ししたんだ!!」
どんっ、とテーブルを叩いたのは仮面の男だろう。声を荒げてはいるが決して大きな声ではない。それでも不思議と、酔っ払いは心臓を氷の手で撫でられているような嫌な感覚に陥っていた。こんな酒場での話だ。王だの皇帝だのと大それた登場人物ばかり出て来るが、与太話に違いないと自分に言い聞かせた。
「気を高ぶらせるな。俺が思うにお子様たちの仲を引き裂くなんて簡単だ。うちにはこいつがいるからな。」
「やめろ、触るな。」
布と布が擦れる音が聞こえた。女は尻でも触られた様で、男の手を引っ叩いた。
叩かれた男は手をさすりながら女に言った。
「もう少しやつらが多感な時期になったら、噂でも流してやればいい。両国の不安を煽るような事をな?」
そして男は一息入れて酒を飲む。その様子に仮面の男はイライラして仮面に指をコツコツさせている。
「そんな中でお前が王子たちの心の隙を突けば、容易に関係を悪化させることができると思うね。」
「そ、そんな簡単にいきますかねえ?」
「できるさ」
包帯の男は不敵に笑った。
「お前たち、作戦は頭に入っているだろうな?」
フードの女が睨みつけるように答える。
「誰に偉そうに言ってやがる!てめえこそ、しくじるんじゃねえぞ!」
女が乱暴にそういうと同時に店の扉が勢いよく開かれる。
「おい店主!店の酒をありったけだしな!」
その声と共にぞろぞろと男たちが店に入って来る。それをみるなり怪しい男たち卓に金を置き店から出ていった。
酔っ払いはそれを確認した後、よろよろと立ち上がる。
「おい、兄ちゃん大丈夫かよ?顔も真っ青で汗もびしょびしょだぜ。」
「よせよ、どうせアヘンをやり過ぎたんだろうぜ」
そんな男たちの会話を無視して酔っ払い男は店から飛び出す。
「あんなことをきいてしまった俺はどうすればいいんだ...」
そしてすぐにその場に座りこみ、情けなく頭を抱えたのだった。