4 潮風
四
「絶蔵主」
聞き覚えのある声に、絶蔵主は振り返った。そこには一人の武士がいた。深めに被った笠の下で、穏やかな笑顔がこちらを見ている。絶蔵主は驚いて駆け寄った。
「小倉さま」
「絶蔵主―――いや、もう清兵衛であったな」
小倉政実は気さくに笑い、絶蔵主の肩をぽんと叩いた。一回り以上若い絶蔵主を朋友として遇するこの男は、土佐の国政の最高責任者「奉行」の一つ下、仕置役の地位にある重臣である。
「人目につきます」
絶蔵主は山内の殿の怒りを買い、国を逐われてゆく身なのだ。
「なに。ほれこの通り、きちんと身をやつしておる。野中どのも来たがっておったがの。さすがによしておけと言うたのよ」
おっとりとした笑顔のまま、事も無げに小倉は言う。
衣服を替えて笠を被ったぐらいで、土佐の国第二の重臣が人目につかないはずがないではないか。感激しながらも苦笑するしかない。野中とは野中良継といい、奉行として国政を切り盛りしている実質的な国政の最高責任者だ。号を兼山という。
絶蔵主はかれらと、湘南が言った「南学」の勉強会で出会った。
小倉は、海へ眼差しを投げた。
「土佐の海と、名残を惜しんでおったか」
「はい」
絶蔵主も海を見た。
「湘南和尚は、お前にこれを見せたいと仰ったそうだな」
小倉は懐かしげに眼を細めた。
「実に、よい方であった」
はい、と絶蔵主は頷く。
湘南宗化は、絶蔵主と共に土佐へ下った一年後の夏、この地で病を得て死んだ。五十二歳の早すぎる死であった。かれ自身も予想外であっただろう。
土佐へ伴った責任感のためか、最期まで絶蔵主を気に掛けていた。
『京へ戻りたいか』
亡くなる一月ほど前、湘南は絶蔵主ひとりを室へ呼んでそう尋ねた。床に伏すことが増え、かれの身体の衰えは、既に周囲の知るところとなっていた。文机の前に座した姿は相変わらず端然としていたが、声には疲れた息が混じっていた。
『今なら、わしの力で戻してやれる』
いえ、と小さく答えると、湘南は削げた頬にかすかな笑みを浮かべた。
『今少し、時があると思うておった』
すまぬな、と手を握られて、危うく落涙しそうになった。
率直に言って、学問においても仏道修行においても、かれから導かれたという思いはない。師の方もそのつもりはなかったに違いない。湘南は暴れ馬のような弟子を矯めようとも、枷をはめようともせず、ただ土佐の広大な空の下に解き放った。他の寺僧たちが寺の日課を怠りがちな絶蔵主に不満を抱き、あれこれ言い騒いでも一切耳を貸さなかった。
かれは京で約束したとおり、南学の勉強会に絶蔵主を紹介した。それは在野の学者、谷時中を招いて行われていたもので、野中や小倉たち土佐の重臣も集まり、皆で儒学の書を取り寄せては読んでいた。禅書を学ぶ中で培われた絶蔵主の漢籍の読解力はずいぶん重宝された。そしてほどなく儒学の知識と理解においても以前からの参加者たちに追いつき、みるみる彼らの水準を超えた。豪快で磊落な野中も、老練で温厚な小倉も、土佐の重臣という身分を意識する様子もなく、二十歳前の若者を語るに足る者、朋友として親しく接した。山内氏は元々播磨や近江を治めていた大名であり、土佐を治めてまだ二代目だ。野中も小倉も代々の土佐人ではない。むしろ言葉も気質も上方の風を残し、また同じ武家の生まれでもあったから、訛りもきつく粗暴な吸江寺の僧たちよりもよほど肌合いが近かった。
知己、というものを、初めて得たと思った。
彼らと過ごす絶蔵主は、まさに水を得た魚であった。勉強会の日や、そうでなくても新しい書が手に入ったという知らせを聞けば、日々の勤めもそこそこに寺を抜け、彼らの許へ走った。
湘南宗化は、それをも許した。
死の床で、湘南は絶蔵主の事を皆に頼んで言った。
『絶蔵主―――あれは傲岸な男だから、なかなかに腹の立つこともあろうが、あれを連れてきたわしに免じて、どうか皆で引き立て、これまで通り見守ってやって欲しい。寺に何冊かある本で、あれが望むものがあれば譲ってやってくれ。書を読むことにかけては、わしを含めてここにおる誰にも劣らぬ男だ。決して無駄になることはない』
その臨終の時でさえ、絶蔵主は寺にいなかった。師の容態を気にかけはしたが、死病に侵された師が弱ってゆく間、ずっと寺にあって意に染まぬ勤めに粛々と取り組む殊勝さはなかった。いつものように寺を抜けて城下の勉強会に参加し、夏の永い日も落ちた頃に戻った絶蔵主は、そのまま坊に向かおうとして、飛び出してきた若僧に物も言わずに頬を撲りつけられた。師の遺言を聞かされ、地に蹲り獣のように声を絞って泣いた。
思えば感謝の気持ちさえ、きちんと伝えたことはなかった。傲岸不遜な忘恩の徒―――その場で寺を放逐されても文句は言えないほどの不肖の弟子であった。
湘南亡き後の吸江寺では、針の筵に座らされているかのごとき日々だった。だが生来の負けん気で、以前にも増して昂然と顔を上げ、信じるままに突き進んだ。
湘南さま。
傲岸な男とあなたは言った。誰も、わたし自身もそれを否定は致しますまい。それでもこの傲岸な男も、それなりにあなたに恩義を感じ、この土佐の地で、仏の教えを究め、そこに踏みとどまろうと努力はしたのです。儒仏道、三教の一致を唱える論は古くからあった。道教はともかくとしても、儒学も仏教も、二つの教えはいずれも根は一つなのだと、そう信じようとし、そう論じた書を求めて読みあさってもみた。自らを納得させようと文章を書きもした。
だが朱子の書は、はっきりと、仏教は誤りだと述べていた。二つの教えは氷炭のごとく相容れないと。そして学べば学ぶほど、儒が正で、仏は邪だと、絶蔵主の確信は強まっていった。
師の死から五年。絶蔵主は、ついに仏教を棄てることを決めた。
還俗を申し出た絶蔵主に対し、吸江寺は勿論、山内の殿―――一豊の甥にあたる忠義も激怒した。即刻寺を出て、土佐を立ち退けと命じられた。正式に得度し、寺に属する僧の勝手な還俗は許されることではない。まして湘南は山内家の養い子だ。先代の山内の殿は湘南を愛し、吸江寺を与えて復興させたのであり、絶蔵主はかれが守り続けた弟子だ。いかなる処分も覚悟の上での還俗であった。
だが国主の怒りを受け追放に処された身に、朋友たちの手は温かかった。そして迅速だった。小倉から秘かに文を受けとった絶蔵主は、指示されるままに市中に匿われ、旅費としては多すぎるほどの支度金を与えられた。今から乗る船も、かれに指示された便だ。
絶蔵主を匿った小倉は、翌日の夜にはすぐに自ら姿を見せた。
「よう決心した」
大きな掌を両肩に置き、小倉は真っ直ぐに絶蔵主を見つめて言った。
「この後のことは心配するな。決して、お前を埋もれさせはせぬ」
熱を帯びた口調だった。
「野中どのが、在京の者をお前に入門させるつもりで人を選んでおる。勿論束脩は収めさせるが、人を置き、教えるとなるとそれなりの邸が必要となろう。書も揃えねばならん。頃合いを見て人を送るゆえ、その者とよう相談してくれ。遠慮はいらぬ」
「小倉さま」
菓子でも買い与えるかのような簡単さに、慌てるべきなのか苦笑するべきなのか判らない。
「まだ弟子を持つ身ではありませぬ。金子を頂戴した上、これ以上甘える訳には参りません」
「甘えると? 何を言うておる。わしがいつお前を甘やかした」
小倉は大仰に眉を上げ、それから真面目な口調で言った。
「わしはお前に大変なことを託しておるのだ。この世に聖賢の教えを広めるという大仕事ぞ。我々は土佐一国で満足しておる訳にはゆかぬ。京にも江戸にも、日の本の隅々まで、正しい学問を広めねばならん。それが出来る男は、清兵衛、お前だけぞ」
託されたものの重みに、絶蔵主はぞくりと身を震わせた。武者震いというものであろう。
「わしは信じておる。この土佐から、世を変える大学者が出るのだ。何とも心躍る話ではないか」
小倉は心底愉快そうに笑う。
朋友には信―――
父子には親愛を、君臣には義を、夫婦には礼儀を、年長者には敬意を、そして朋友には信頼を。老いた者を労り、朋友には信頼され、年少者からは慕われる。それこそが人の幸いでありあるべき世の姿だと、儒の学はそう教える。両親にも姉たちにも、もう、これからは会いたいという気持ちに執着だと蓋をする必要もない。欲するとおりに大切にすればよいのだ。
人々が親愛と信義をもって交わる俗世間こそ、絶蔵主が生きる場所であった。
湘南さま。
あなたはわたしを見いだし、この広い地へ、南学へ導いて下さった。
わたしは、仏門を去ります。あなたの世界の教えを、わたしは信じることが出来ませんでした。否むしろ、これから闘っていかねばならない、異端であるとさえ思っています。あなたがおられた世界の、わたしは敵となるでしょう。
ですが―――あなたから頂いたものは生涯忘れません。
湘南さま。
京へ戻ったら、一度だけ、墓前に手を合わせに参ります。それが、最後です。
湘南の墓は、妙心寺にあった。あの場所とも、絶蔵主は訣別する。永遠に。
「清兵衛」
朗らかな声で、友が絶蔵主を呼ぶ。
「そろそろ船が出る。達者でな。風は上々じゃ、よい旅を」
「小倉さまもお元気で。野中さまや谷先生、皆さまにどうぞよろしくお伝え下さい」
おう、と小倉は短く言った。絶蔵主は踵を返す。潮風が吹いて、未だ僧形の絶蔵主の黒い袂を膨らませる。風を一杯に受ける、真っ白な帆のように。
帰るのだ、京へ。大仕事が自分を待っている。全てが新しく始まるのだ。
逸る心を胸に、絶蔵主は駆けだした。風はその背を抜け、秋の真っ青な空へと吸い込まれていった。
【了】