3 新天地へ
三
『土佐の海を見せてやろう』
絶蔵主は港に立ち、潮風に吹かれながら、目の前に広がる大海原と蒼穹を眺めている。
湘南さま。
六年前、あなたはそう仰った。どこまでも広い海と、その果てで出会う高い空。それをお前に見せてやろうと。正直その場では特に感想もなく、むしろ童子に珍しいものを見せてやろうと誘い出すような口調が癇に障ったことを覚えている。どう言葉で取り繕おうと、要は逐われてゆくのだ。そんな腹立ちを押さえつけながら、ろくに返事もせず、ただ黙って相手の顔を見返していた。
翌朝、よく晴れた空の下、湘南と三人の僧と共に、四年間を過ごした妙心寺を発った。一人は得度したばかりの少年で、後の二人は湘南同様、吸江寺から京へ出て来ていた中年の僧であった。伏見で寺や土佐屋敷に挨拶に回ってから、そこで山内家家中の武士二人を加えて、日没と共に淀川を下る船に乗った。長さ五十尺ほどの乗合船で、二十人ほどが同乗した。月や星を眺めながら緩やかな流れを下り、明朝に商都大坂に入った。早朝にも関わらず商人たちが忙しく行き交う大都市の賑わいを垣間見て、大量の荷を積んだ大船に乗って土佐へと向かった。潮の具合にもよるが、順調にいけば五日もあれば着くと聞かされ、さすがに少し安堵した。陸路だと一月は優にかかるのだという。
そして、初めて海を見た。
春の海は、最初穏やかに凪いでいた。太陽は朝夕の水平線を染め、夜には月と満天の星が望めた。潮風は爽やかに、波音は穏やかに、絶え間なく寄せ来たってはこの身を包んだ。やがて紀伊水道を抜けて外海に出ると、海原はその表情を変えた。白波立つ大海のその下に、底知れぬ深さと渦巻く巨きな力の存在を感じた。恐怖とも好奇心ともつかぬ感情がこみ上げて、潮風に吹かれながら長い時間甲板にいた。蒼穹は相変わらず抜けるように高く、どこまでも広かった。
湘南は特に用を言いつけるでもなく、挨拶以外にはほとんど言葉も交わさなかった。朝夕の勤めもない。掃除も作業もない。腹が減ればあてがわれた握り飯や漬け物を好きに食った。せめて座禅ぐらいはしようと試みたが、心が動いてそれどころではなかった。
無心に書を読んでいる時以外、こんな解放感は長く忘れていた。
やがて到着した吸江寺は、浦戸湾を見下ろす高台にあった。季節は夏に向かおうとしていた。柔らかな若い芽の鮮やかな緑と紺碧の空、強い陽射しにきらめく海が眩しかった。