後編
お読みくださりましてありがとうございます。
蛍とあかり 前編からの続きになります。
暴力的な表現があります。ご注意ください。
神社の境内で不審な男に声を掛けられた時、燈は昼間会って話した速見の言葉を思い出していた。
「花火大会客を狙って変質者やスリ、恐喝をするような輩やナンパ野郎みたいのも出る様になって……」
確かに、そう言っていた。
燈は目の前の男を怪しいと思い、少しずつ後ずさりをする。
もしかしたら、まずいかもしれない…。
こういう時の嫌な予感は的中するものだ。
思った矢先に男が素早く動き燈の腕を掴み、男の方へと引き寄せようとした。
その男の行動に、腕は掴まれたが燈は体を引き寄せられないように腕を振り回しながら抵抗する。
咄嗟であったが、何とか動けた。
しかし、男の力が強く、燈の力では掴む手を振り払えない。
焦っている隙に強く引っ張られ、大勢を崩し男の方へとかなり引っ張られてしまう。
このままではなし崩しに引きずられてしまうと思い、燈は足に力を入れて踏ん張り、これ以上引きずられないように自分の後ろへ重心を移す。
そして、掴まれている方の別の手で男の手を引き放すために、手をグーにして力いっぱい男の手の甲に打ち付けて抵抗した。
「やめて、やめろ!放せ、放せ、放してー!!誰ー―誰か来てー。」
燈は精一杯の声で叫び手を振り下ろし抵抗した。
「イテッ、痛い、煩い。お前本当に黙れ!」
男が苛立ちと焦った声を出す。
燈が大声を出すと、男は燈を引き込むのを一旦やめ、距離を一瞬で詰め首元へ素早く手を伸ばし、声を出させないように羽交い絞めにした。
男は強い力で腕を回し燈の口を覆う。
声が……声が出せない…くっ、苦しい。
さっきより踏ん張れない力の入らない体制の為、そのまま引きずられてしまう。
男は燈を神社の裏手へと連れて行こうとする。
燈は両手で腕を外そうともがき、両足で踏ん張り引きずられないように抵抗するのだが、力に差がありすぎて、全く歯が立たない。
ああ、もう無理かもしれない…そう諦めかけた時であった。
「あんた、何をやっているんだ!そこの男、燈ちゃんから離れろ!!!」
大きな怒鳴り声が辺り一帯に響いた。
目を向けると、そこには蛍の母親が立っていた。
蛍の母親は精一杯の大きな声で階段下に向かって叫んだ。
「誰か―、誰か助けて!変質者よ。助けてー!誰か来て。変質者よ、助けてー!自警団、自警団ーーー!!!」
そのなりふり構わない大声に驚いた男が、燈から手を外すと同時に強く押し退け、蛍の母親の方へと全力で駆け寄って行く。
「おばさん、危ない!!逃げてー。」
燈がそう叫んだが、男は恐怖から体が硬直し動けなくなった蛍の母親を勢いよく突き飛ばしただけで、その後は階段の方に一心不乱に向かい走り、三段飛ばしで階段を駆け下りて行った。
そこに、叫び声を聞き付けて下から階段を全力で上がってきたらしい自警団の青年が、息を切らしこちらへやってくる。
「今、叫び声が、自警団って、助けてって聞こえましたが、どうしました?何があったんですか?」
「さっき下りて行った奴よ、黒パーカー、ジーパンの男がこの娘を襲おうとしていたんです。私が声を上げたから驚いて、私を突き飛ばして逃げたんです。」
まだ地べたに座り込んでいた蛍の母親だったが、今の出来事を自警団の青年に手を振り回し必死で訴える。
「え、あ、さっきすれ違ったあの男か!?分かりました。すぐ追います。あなたたちはここに居てください。今、応援を呼びますから。」
そう言うと、自警団の青年は背中の斜めがげバックからスマホを取り出し、仲間へ連絡しながら犯人を追いかけて行った。
「おばさん、怪我無ないですか?大丈夫ですか?」
少し肩の所が破け、袖口の伸びきった服の燈が、尻もちをつき座っている蛍の母親へと心配そうに声を掛けた。
蛍の母親は燈の服を見て、嘆かわしい顔つきで気遣いの言葉を掛けた。
「ええ、少しお尻が痛むけれど、私は大丈夫よ。それより、燈ちゃんは大丈夫だった?何もされていない?怪我はないの?」
蛍の母親が燈の袖を捲り、状態を確認する。
燈の腕には、まだ薄いうっ血の跡が見られ痛々しかった。
しかし、燈は心配させまいと平然とした態度でお礼を言う。
「はい、おばさんが来てくれたので助かりました。」
「怖かったでしょう。怖かったよね。よく頑張った。」
そう言い終わらないうちに、蛍の母親は燈を優しく抱きしめた。
そして、背中をポンポンと赤子をあやすように軽く叩く。
燈は蛍の母親の胸に顔を埋め、母親の背中の服をギュッと強く握った。
その時の燈の体は、小さく震えていた。
蛍の母親が背中を優しく擦る。
燈の震えが治まってきた頃、
「どうしてここに?」
と、燈は蛍の母親に質問した。
花火大会へ行くことは話したが、ここへ来ることは知らせていない。
なぜここにいると判ったのかと、燈は疑問に思ったのだ。
すると、蛍の母親は不思議な事を口にした。
「ホタルが居たの。ここにはいるはずのないホタルが。ホタルがうちの門の前に浮かんでいたの。」
「ホタル??」
おばさんが仕事から帰ると、家の門の前に一匹のホタルが飛んでいたそうだ。
この地にホタルは生息していない。
蛍の父親の実家がある山ではよく見られたらしいけれど、ここ海辺の町ではありえない光景だ。
「まるで、何かを訴える様に飛んでいて。その時、ついて来いって、よく聞き慣れた声で言われたような気がして……そのホタルを追いかけてここまで来たの。そうしたら、あなたがあんな目に。」
「そう…だったんですね、ホタルを追いかけて…。」
燈は何かに気がついたのか、急に勢いよく立ち上がり周りを目を細め、見回し始めた。
まだ花火は始まっていないので、元々あった参道脇のほの暗い外灯と、今日の祭り用にと社に吊るされた提灯がいくつかあるだけの薄暗い境内を、細目で見つめる。
一通り見渡した後、その境内に向かって、燈は声を張り上げた。
「ねえ、いるんでしょ?いるなら出てきてよ。約束、果たしに来てくれたんでしょう?」
そう、ほの暗い境内に向かい、多方面に向かって叫ぶ燈を不思議そうに見つめる蛍の母親。
叫び終わり、沈黙が流れた時であった。
暗闇の中から一粒の小さな灯りが淡く光り出し、優しい光を放ちながら、こちらへと近づいてきたのだ。
「ホタル!!…………蛍?蛍なんでしょ?」
燈が震えた声でか細く呼ぶ。
その呼ばれた名前に驚き、浮かび近づく小さな光を蛍の母親は目をひん剥かせ、ホタルを凝視する。
完全に言葉を失っていた。
ホタルは燈の前まで来ると、一定の間合いで留まり浮いていた。
2人はそれをひたすら目で追った。
そして、ホタルは次第に明るさが増していき、強い光を放ち始めた。
眩しすぎて、目を開けていられない。
少しばかり光が和らぎ、目を恐る恐る開けると、そこには輪郭のボンヤリと光る蛍の姿があった。
「蛍…。」
燈は言葉に詰まる。
蛍は、話すこともなく、ただジッと燈の事を見つめていた。
駆け寄ってくる靴音がして振り返ると、先程まで地べたに座り込んでいた蛍の母親が立ち上がり、必死の形相でこちらに向かって駆けてきていた。
「蛍、蛍なの?あなた…蛍なの?もう一度、会えるなんて……嬉しい、嬉しいよ。」
その言葉に、ほのかに光る蛍が、コクンと小さく頭を縦に振り頷く。
距離を詰めた母親は蛍の顔に触れようとするのだが、手が顔をすり抜けてしまう。
母親は、自分の手を見つめた後、蛍を見上げ涙目で顔を確認する。
見つめあう蛍の視線から母親が目線を外すと、その場でしゃがみ込み両手で口を覆いポロポロと泣き始めた。
そして蛍の母親は言葉を絞り出した。
「さよならを、さよならを言えないまま、あなたは先に行ってしまった…あなたの遺体はまだ見つかっていないから、死んだって考えられなかった……蛍を失っただなんて、もう戻ってこないなんて思いたくなかった。私の大切な息子……愛しているよ。生きて帰ってきてくれるって…ずっと信じてた…の…に。」
そう言って、顔を伏せ母親は地面に崩れた。
そんな母親を蛍は見つめ、手を肩に置こうとするのだが、手はやはりスルリと体をすり抜けて掴むことは出来なかった。
母親は小刻みに震え、掌が強くにぎられ地面に押し付けていた。
蛍は、悲痛な顔をして掴めなかった自分の手のひらを強く握り絞める。
その様子を見ていた燈が蛍の母親へ近づき、彼の代わりに肩へ手を乗せる。
「おばさん、蛍を見てあげて。」
そう、燈は優しく伝えた。
蛍の母親は、その声に反応し顔を上げ、蛍を見る。
蛍は唇をギュッと噛んだ後、口角をゆっくり上げる。
唇が震える中で、“ごめんね” という口の動きをした。
声は聞こえてこない。
声が届かないことを悟った蛍は、顔の前に両手を合わせ、小さく首を曲げ頭を下げた。
そして、顔を戻し目を見つめ、ゆっくりと “ありがとう” という口の動きをした。
その姿を見た母親が、さらに大きな声を上げ泣き出し、両腕をついて地べたに伏せた。
くぐもった嗚咽が静かな境内に漏れる。
燈は母親の背中を優しく撫でた。
しばらく母親の背中をさすった後、燈は蛍に顔を向け話し始めた。
「ありがとう、来てくれて。私との約束を守ってくれたんだね。私、夢を叶えたよ。教師になったの。」
精一杯に笑った顔で蛍に向けて話す。
「私がここを離れる時に蛍とした約束、覚えていたんだね。社会人一年目の花火大会の日にこの神社に来て、花火を見ながら夢を叶えた報告をする約束。ダメでも頑張ったって褒め合う約束。守ってくれたんだね…来てくれたんだね…あれから、私、凄く頑張ったんだよ。離れていても、蛍も頑張ってるって、一緒に頑張ってるって思っていたから、私は頑張れたんだよ。」
蛍は目を細め強く頷く。
「でも、あの事故をニュースで知って、蛍の名前がテロップで流れて…。」
燈は、これ以降の言葉が出せなかった。
私も、おばさんと同じだ。
蛍が事故で亡くなっているって認めたくなかったのだと…今さら気づいた。
あの事故とは、蛍の通っていた海洋高等学校の遠海洋演習での水難事故である。
思いがけない天候不良で高波に数名の実習生が攫われた。
それを助けようと救助に向かった教員も命を落としている。
その後の大規模な捜索で、実習生数人と教員の遺体は発見されたのだが、蛍だけは未だに見つかっていないのだ。
燈が話している間も、蛍は穏やかな眼差しで微笑んでいる。
そんな彼を見て、燈は少しばかり腹が立ち皮肉を言いたくなった。
「本来ならば、今日は蛍と久しぶりに会って、楽しくおしゃべりするはずだったのに。久しぶりだね、都会は慣れたか?、海はやっぱり最高だなって、あなたが嬉しそうに笑って、船の操縦士になれたぞって憎たらしいほどに爽やかな笑顔を向けてきて、得意げな顔で聞かされるはずだったのに……楽しくお喋り出来る筈だったのに……何で、何で私を置いて行くのよ。一人で勝手に、遠くへ行かないでよ!」
その言葉に蛍の表情が困ったように歪んだ。
その表情を見た燈は、慌てて訂正した。
「ご、ごめん。蛍を困らせたかった訳ではないのよ。私が蛍を失って、凄く寂しいって思っていることを知って欲しかったの。それを分かってほしかった…大丈夫、生きるよ。私は生き続けるから。」
蛍は、真っすぐ燈の目を見て強く頷いた。
「私があなたの分まで前を向いて、生き抜いてやるから。」
そう燈が強い口調で言い放つと、蛍は、嬉しそうに口角をあげ白い歯を見せた。
燈は蛍の母親からそっと手を離し立ち上がる。
「私が、今日ここへ来たのは、気持ちに決着をつけたかったからなの。約束のこの地で声に出して言ってやれば、スッキリするかと思ってきたんだけど。」
そう言うと燈は、蛍に近づき真正面に立ち強く見つめた。
「本人を前にして言えるなんて、緊張する……せーの、私、諸星燈は、大島蛍の事がずっと好きだった。小学生の時から今までずっと、ずっとずーっと好きだったの。フフッ、告白届いたかしら?良かった言えた。これで悔いはないわ、アハハッ。」
そう燈は言い終えると、蛍から視線を外し、少し俯き加減で苦笑いをする。
その時、花火大会の始まるアナウンスが聞こえてきた。
「花火、始まるようね。」
そう顔を上げ燈が呟いた時、ヒューという花火の打ちあがっていく音がした。
次の瞬間、ドーンという大きな音と共に夜空に広がる大輪の花が見事に咲いた。
その時である。
夜空に大きな花が咲くのと同時に、届かなくても燈に聞こえて欲しい言葉を、蛍はありったけの心を込めて言い放っていた。
「俺も!!」
先程までのやり取りで、燈には蛍の声が自分には届かないことは分かっていた。
分かっていた…そう分かっているのだが、蛍の声が聞こえたような気がした。
聞き覚えのある、少し癖のある声色で、短い言葉が、耳元でハッキリと聞こえたような…。
夜空いっばいに光放つ花火をバックに立っていたので、燈の位置からでは蛍の表情や口ものは、暗い影になって見えなかった。
それは自分の都合の良いようにとらえた聞き間違えであったかもしれない。
だが、それでもいいとさえ思いたい。
だって蛍が、嬉しそうに微笑んでいるのが見えるから…。
次の花火が打ちあがるまでの間の薄暗い境内、近くで向き合っている蛍の表情が彼の放たれる光により、今は燈にも見えている。
蛍は首に掌を当て、耳まで真っ赤になった顔を腕で隠すようにしており、照れたように私をチラチラ見ては、嬉しそうに微笑むのだ。
それを見てしまった私は、先程の幻聴を良いように捉えるしかないだろう。
フフッと思わず笑い声が漏れる。
さあ、初恋の決着は着いた。
私達は前へ未来へ進むのだ!
蛍が花火の打ちあがる空を指さし、歯を見せて笑う。
私もその空を見上げる。
次の瞬間、とても大きな花火が夜空に打ちあがった。
そして、彼の姿は消えていた。
***
その後、燈は花火の打ちあがる中、急いで境内を見回し必死で探したのだが、蛍の姿もホタルの姿も、形跡は何一つ残っていなかった。
境内には、腰を砕いた蛍の母親が尻もちをついたまま、唯ボーッと宙を眺めて座っているだけであった。
燈は蛍の母親のもとへ向かい、近づき腰を低くして声を掛けた。
「おばさん、大丈夫ですか?」
蛍の母親は、声を掛けられ我に返る。
「ええ、大丈夫。」
そう言うと、蛍の母親はよろめきながら立ち上がった。
しっかり立ち上がると、話し始める。
「蛍はもう…行ってしまったのね。」
と燈に寂しげな声で尋ねてきた。
「はい、今度こそ永遠にサヨウナラです。でも空から見ていてくれているはずです。」
そう燈は力強くハッキリと言いきり、口をキュッと閉じる。
2人は夜空に上がる煌びやかな花火をただ静かに見上げた。
そこに、自警団や警察の人達が駆け付けてきた。
蛍の泣いて目の腫れた顔や燈の服装の乱れから、心配す言葉を掛けられる。
そして、燈を襲った犯人はすでに捕まえたと知らされた。
その後、警察へ事件の説明をしなければならない為、場所を移動した。
説明を終えると2人は無言で帰宅した。
そして、交代でお風呂に入り、蛍の話もしないまま2人は泥のように眠りについた。
翌朝、燈は思いがけないほどスッキリとした気持ちで目が覚め、顔を洗い居間へと向かう。
近づくに連れ、朝ごはんのいい匂いが漂ってくる。
「おはようございます。」
居間に入り、元気に蛍の母親に挨拶をした。
「おはよう、燈ちゃん。さあ、座って朝食よ。」
「はい。」
ちゃぶ台に座り手を合わせ、いただきますの挨拶をする。
「いただきます。」
「はい、沢山召し上がれ。」
そう蛍の母親が言い終えると、2人は共に食べ始める。
「おばさん、蛍の分の食事を用意するのは、やめたんですね。」
「ええ、いつまでも未練がましく用意していたら、あの息子が天国に行けなくなっちゃいそうだから。引き留めるなクソババアって叱られそうだから。私達も、もう前へ進まなくちゃね。」
「ええ、ええそうですね。私は蛍よりもずっといい男を捕まえて幸せになってみせます。」
「あら、うちの子よりもイイ男はそうそういないから。頑張ってね、燈ちゃん。」
「おばさ~ん。」
楽しそうに未来への会話を続ける気合の入った2人がそこに居た。
楽しい会話の聞こえてくる家の緑生い茂る明るい庭に、早朝だと言うのに一粒のホタルの光が瞬く。
その光はまるで彼女たちの会話に交じり笑っているかのように点滅しながら浮上を始め、屋根を越え空高く昇って行くのっであった。
おしまい。
これにて完結です。
最後まで読んでくださり誠にありがとうございました。