或る少年の
ぱしっ。
乾いた音が、私を一人きりであるという事実で押し潰そうとする。この感覚にはもう何度も世話になった。もう随分昔のことなのだが。
今から五年ほど前、どこかの国の偉い人(私はテレビを見ないので、彼の声を聞いたことはなかったのだが。)がもう冬にさしかかるというのに汗をだらだらと流しながら言ったらしい。
「世界はもう何年ももたない。ついにこの世界は終焉を迎える。」と。
彼の話を聞いてみると、世界の均衡が崩れて時が止まると言うのだ。
最初に出た言葉はただ一言、「はぁ?」だった気がする。これとしか言い様がなかった。次に出たのは、「有り得ない。」これを思うのも当たり前だ。
終末を知った人々の変化は恐ろしい程だった。宣告からその翌日までは、現実的な欲望を叶えることに必死になって無法地帯の住人になる者が多かった。次いで怪しい言葉を騙るカルト宗教の教祖になりたがる人……信じれば救われるのならば、私たちが信じた何事もない明日はなんだったのだろう。
小説や漫画によく出てくる世界の終末が、私の目の前で歯を剥き出しにしてゲラゲラと笑っているようだった。そして、彼らを見ていると思うことといえば、終末を起こすのは人間自身だということのみだ。汚らわしい。
宣告から数ヶ月後、科学企業は終末を予期していたかのように言った。
「叶えたかったことを、夢の中で全て叶えてみませんか。」
終末を嘆いた人々は、救世主が現れたという風の顔をして次々と夢に堕ちていった。老若男女関係なく、その夢を知った人はほぼ全てだ。その日からずっと、私は一人だ。
私に願い事はなかった。ただ生きたかった。夢の中で叶えるものもないし、眠ったまま死ぬなんてたまったもんじゃない。ただ、今生きている事実が欲しかった。だから、他の人々のようにカプセルに入るのはごめんだった。
踏まれてぐちゃぐちゃになったのを嘆く人もいない花の墓を作ってみたり、無人になったコンビニの商品を食べてみたり……。
縛るもののない世界は、確かに心地よかった。
だが日が経つにつれて、平気だろうと思っていたはずの孤独に押しつぶされそうになっていた。海の向こうに見える観測所にはきっと誰かいるだろう、この街を出たらもしかすれば……などと、誰かを求めるばかりになってしまっていた。
ある日、私は自分の終末を考えてみた。意地を張ってカプセルに入ることを拒んだ私を。夢も無いまま、ただ生きることだけを望んだ私を。孤独を甘く見ていた私を。
今、その答えが出た。
私は寒さで丸まっていた身体を精一杯に伸ばし、壁に打ちつけ続けていたボールを手に戻すこともなく懐かしい家に戻ったのだ。もう頭の中には一つの事しかない。
こんな世界で生きていても無駄でしかないならば!
ここでみんな、終わりにしてしまえばよいのだ。
私は……いや、僕は、夢に堕ちて生死すら判らない母親のカプセルの電源を切った。それから、家にある僕が持てるものの中で一番重いものを用意した。もう生きているかも死んでいるかも判らない奴をわざわざ生かすものか!
僕を縛るものはあの日から一つもないのだ。友達の家を訪れる気分でふらりと見知らぬ家に入って、電源を切る。それから機械ごとぶち壊す。なんて簡単なことだろうか!
僕はもう自由なのだ。たとえ終末の日が来ようとも……その時には、もうやることは決まっているのだ。世界ごと自分が止まるなんて、そんなのごめんだ。