トビウオとプリンス(卅と一夜の短篇第10回)
プリンスは生きとし生けるものが好きだ
病勝ちの父は九重の奥に暮らしている
その分跡継ぎのプリンスに周囲の期待が掛けられている
赤子の頃からそう育てられているので
プリンスは自分の将来に疑問を持った経験はない
国の歴史や帝王学を学び、軍での地位も持っている
それでも動物が好きで、昆虫が好きで、観察をしていると時間を忘れた
別邸から浜辺を散策していて、見たことのない海老を見付けた
プリンスが学者に鑑定を依頼すると、海老は新種であると確認された
未知の世界の拡がりにプリンスは興奮を感じた
しかし、プリンスは学究の道を許されない
生まれながらに生き方が定められている
プリンスは二十歳を目前にして外遊の機会を得た
初めて国の外に出る そのことに若者らしく胸が震えた
プリンスは大きな船に乗って、海原に出た
プリンスは甲板に出て海を眺めて飽くことがなかった
どこまでも続く世界 海も空も果てが見えない
果てがあるのは人の心か しきたりか
国の南端と言われる海を行く時、トビウオが泳ぎ、跳ねるのが見えた
甲板にトビウオが落ちてきた
「吉兆ですよ」とお付きの者がプリンスに上啓した
プリンスは喜んだ
この旅の幸先がよい そして我が国の民にさちあれ
我が国に災いの起きぬようあれ
祈りの次にプリンスは早速トビウオの鰭を観察しはじめた
祈りはいつもかなしい
プリンスが旅から戻れば父の病篤く、都に大災害が起こった
プリンスは狙撃され、弾が顔前をかすめた
父がお隠れになり、後を継いだ
跡継ぎの男児がなかなか生まれず、側妃を勧められた
しかし側妃だった祖母の日陰の人生と妃への想いから拒んだ
――アトヲツグナラ弟ガイル
好きな生物研究をしようとすると批判を受けた
君子に相応しくないように噂され、弟を推す声が上がった
若い君子は老臣から敬して遠ざけられている
それを面に出さず、争い事を避けるよう臣下に常に言い聞かせていた
世界中を巻き込む大きな戦乱があり、国は大きな打撃を受けて敗けた
君子としての責任を問われたが、位を退かなった
国が立ち直りつつある中、かつてプリンスの頃のトビウオを思い出した
これからこの国が進む誰も知らぬ海よ
今こそ民にさいわいあれ 安寧よとこしえなれ
昭和天皇の御製から思い付いきましたが、完全なわたしの想像の産物であり、昭和天皇の実像とは関係ありません。近現代史について未だ定見を持っておりません。昭和天皇には弟宮が三人、お子は内親王が四人続いた後、昭和八年に今上天皇がご誕生。『殿様生物学の系譜』(『科学朝日』編 朝日選書)を一部参考にしました。