第9話「新しい服」
青年はヒカルと話すのをやめ、仕事に戻った。
青年はヒカルの体に合った服と下着を見繕い、それを彼に身に着けるように指示した。
下着のほうは買い上げということで試着室の外ではヒナタが会計を始めていた。「服は丈夫で最高の物をよろしくぅ」と彼女が指示していたところから、今手に持っている黒いシャツと青の上着は高価なもののようだ。
「……俺、一文無しなのになぁ」
なるべく外の話は聞かないようにしながらヒカルは与えられた服を身に付けてゆく。細かく部位を測っていたこともあり下着のサイズはぴったりだ。次に男性用の黒のタイツと短パンを身に付けた。タイツのほうは厚みがあり、よく伸びた。実際履いてみると風を通さず暖かい。短パンのほうも見た目より伸縮性があり、これらの生地は何を使っているのだろうと関心が湧いた。
「おぉー、サイズぴったし」
その場で足踏みをした、とても動きやすい。
次は黒い長そでのシャツを着た。タイツと同様の生地を使っているらしく肌触りがよく薄地であるというのに保温性が良かったが、袖が長い。最後に襟付きの青い上着を羽織った。こちらも袖が長く、手が隠れてしまった。全体的に緩く、好きになれなかった。
「ヒナタ―いるかー?」
「いるわよぉ」
試着室の外にいるヒナタにシャツと上着の寸法が合わないことを言った。彼女は清算中の青年に頼み、明日の出発までにヒカルの寸法に仕立てるように注文をした。
「だとするとぉ、下着は今買うとして、服は上下一緒に取りに来たほうがいいわねぇ」
「よし、元の服に……、あれ?」
足元に散らばっているはずの服がない。気のせいかと思い、周辺を探してもやはりない。
「頑丈ねぇ。固い生地なのに思ったよりも伸びるしぃ。いらなくなるから私用に仕立ててもらおうっと」
「おい、人の服を勝手に仕立てようとしてんじゃねぇよ」
上着を脱ぐ直前にヒナタの呟きを聞いたヒカルは試着室から顔だけを出した。試着室の外ではヒカルが着ていた衣服を奪い、ズボンをつまみながらウェスト部分を伸ばしている。
「えぇ~。だってこの生地今までにみたことない、珍しい生地なんだものぉ。ねぇ」
「そうですね……。塗料も見たことがありません」
「これ仕立てたら切れた生地が出てくるわよねぇ。それから同じような物を作ったら売れるわよぉ」
「ヒナタさん、是非仕立てさせてください」
「これも明日の朝までよろしくねぇ」
「ちょ、待て、当事者放っておいて話進めてんじゃねぇ」
この調子だとパンツ一丁で町の外を歩くことになる。目の前で話を勝手に薦めてゆく青年とヒナタの会話に割り込み、ズボンの所有者としてヒカルは主張した。ヒナタは一旦青年と目配せをした後、ヒカルに片目を閉じ、微笑んだ。
「寝間着に使うようなズボン買ってあげるからぁー」
「そちらはサービスでお付けいたしますっ」
満面の笑みを浮かべた二人にフォローをされ、何を言ってもだめだと察したヒカルは少し前まで履いていたズボンを手放すことになった。
新製品、金儲けのチャンスと目を輝かせている青年はヒカルにゆったりとした、足に負担をかけないズボンを渡した。
「あれ、気に入ってたのになぁ……」
ヒナタに買ってもらった衣服から着替える間、ヒカルは泣き言を呟いていた。
一方、ヒナタのほうは別の試着室でヒカルのズボンを履き「思った通りいい素材だわぁ~」と称賛していた。
ヒナタの着替えが終わると、ヒカルのズボンは彼女の寸法に仮止めされていた。
「あぁ、俺のジーパンがぁ」
ヒカルは肩を落とした。ヒカルとは対照的に、ヒナタは上機嫌。鼻歌交じりでズボンの完成を楽しみにしていた。
「いいじゃないのぉ」
「お前はいいだろ。俺のズボン貰うんだから」
「生地が最高だし。今まで色々な服屋を見てきたけどぉ、あんな生地見たことないわぁ」
「でもあれ、俺が履いたやつだぞ。洗うと縮むし、履いてゆくごとに持ち主のビミョーな伸びがあって居心地悪いんじゃねぇのか」
「そんなこと言っても仕立てますぅー」
「チッ」
ヒカルは舌打ちした。
あのズボンは働いて初めて買った、有名な銘柄の高価な物だ。数回履きようやく密着感が出てきたというのに、手放すことになるなんて。
「ん、ちょっと待て」
「どうしたのぉ」
「独り言」に反応したヒナタを彼女の前に手の平を出すことで止めた。
ヒカルはヒナタと服屋の青年との会話を思い出した。あそこでは自分のズボンを見て「他では見たことのない生地」と言っていた。
見たことのない生地。
ヒカルが暮らしていた場所ではそれがありふれている。銘柄の付いた値が張る物から、工場で大量生産された安価なものまで。全国、ヒカルの世界ではどこの服屋にでも売っている品。服屋にさえ行けば手に入る品なのだ。
しかし、ヒナタはこう言っていた。
―― 今まで色々な服屋を見てきたけどぉ、あんな生地見たことないわぁ ――、と。
ヒナタが言っていた”色々”はドゥーゴ村だけではなく他の場所のことも指しているだろう。何軒回っても見つからないとうヒナタの言い方に引っかかったのだ。
(俺の知っている場所では……、ないんじゃねぇか?)
ヒナタと行動を共にしてから、ヒカルが暮らしていた場所じゃないのではと察してはいた。だが、昨日まではどこか遠くへ飛ばされたのだと解釈できる程度の範囲だった。
知らない生き物に襲われ、知らない果実を食した。
知らないのは自分に知識がないだけ、ヒナタが見た目とは相まって森の知識があるからだと。
しかし、ズボンの件は避けられない。これを知らないというのはヒカルの暮らしていた場所では非常識だ。
(ヒナタはドゥーゴ村って言ったな)
村の名前を再確認する。異国の小さな村に詳しくない彼は頭に浮かんだ可能性を否定した。
まだ、まだここは俺が暮らしている場所。
「難しい顔してるわねぇ」
ヒナタは考え事をしているヒカルの顔を覗き込んだ。不意に現れたヒナタの顔に彼は声をあげて驚いた。
「おどかすなよ」
「会ってからそんな顔するの初めてだしぃ」
「だな」
ヒナタの前で考え事をするのが初めてなのだ。こんな顔を見せるのが初めてなのは当然だろう。前から考え込んでいると先ほどの彼女のように心配がられたことが多々ある。
いつもの行動や言動からどんな時でも笑顔でいるのが常だと思われていることが多いからなのだろう。
心配されるようなことを言われるといつもは「俺だって悩むときはあるぜ」など茶化す相手に怒ったりするのだが、今回はしなかった。
「もしかしてぇ、まだズボンのこと根に持ってるぅ?」
「……いんや。これも動きやすいし」
歩いてみれば買ってもらった短パンやタイツ同様、移動に向いている品だ。問題があるとすれば、ヒカルが着ている襟付きのシャツとの相性が悪いこと。
ズボンのゆったりとしたデザインのせいで全体に締まりがなくなった。元々ヒナタが奪ったズボンのようなものを好んで履いていたので、上も自然とそれに合う服装になっていた。一日だけの辛抱と思ってしぶしぶ履いているものの、新しい服を仕立ててもらったらすぐに寝間着に降格する。
「かっこ悪いわよねぇ」
ヒナタの評価もヒカルと同じだった。
「明日までの辛抱だ。でなきゃ、パンツ一丁で村を歩かなきゃいけねぇし」
「そしたら一気に村の注目の的ねぇ」
「白い目でな。ぜってぇ変態のレッテル張られる……」
「そうなったら……、離れて見守ってあげるぅ」
「ひでぇっ」
からかわれたヒカルは会話の通りの出来事を想像してしまい、涙が出かかった。そんな彼の泣きそうな顔にヒナタは大笑い。終いには腹を抱えていた。
ようやく「異世界」というキーワードをにおわせることが出来ました。
あらすじで読者の皆様はあらかた分かってると思いますが、ヒカルはまだ分かっていないので、彼が気付くまで暖かい目でお付き合いください。
次回、お楽しみに。