第11話「宿での夕食」
ヒカルとヒナタはグラヴィスの案内の元、階段を上り、客間の廊下に一歩踏み入れた。
ロビーと同じ絨毯が使われており、壁には薄暗い空間を照らすランプがつるされていた。中央に飾られた花瓶に入った生花は美しく咲いている。
ヒカルは花瓶に触れた。埃はついておらず、ツヤがあった。彼は花瓶に触れた指をじっと見つめた。
「汚れてねぇ」
「花瓶だけじゃないわぁ。花瓶にある水も小まめに交換しているようねぇ」
「はい」
「掃除してあるのは信じてもよさそぉ」
「……お部屋はこちらになります」
ヒナタの皮肉に、間を開けて、不快な表情を浮かべたグラヴィス。顔には出したものの客の前で文句は言えず、彼女は二人を部屋へ招き入れた。
部屋を開けた鍵はヒナタに渡された。
グラヴィスは部屋での過ごし方と注意点について、二人に一通り説明した。淡々と続いた長い会話の内容を簡潔にまとめると要点は三つだ。
一つ目は時間厳守。
この宿には客が来ることなど滅多になく、普段は受付にいた少年と生活する日常を送っている。少年の生活のリズムを崩さないため、料金は払っているとしても料理や入浴の時間は厳守。決められた時間を過ぎれば食事や入浴は出来ない。
二つ目は夜の外出禁止。
こちらはグラヴィスが夜まで宿を開けていられないからという理由だ。外出時間を過ぎた後は宿の内側もナジョ――南京錠のような道具――を使って内側からも鍵を閉め開けられないようになるそう。
三つめは詮索禁止。
どうしてグラヴィスが宿主に代わって経営しているか、その経緯を詮索しないこと。これに関しては知りたがりなヒナタが「えぇー」と不満な声をあげていた。
説明を終えたところで質問タイムに入る。ヒナタが手を挙げた。
「ロビーはきったないのに、客室の周りは掃除されてるのはどーして?」
「人買い避けです」
「なっるほどぉー。考えたわね」
「……考えたのは宿主様です。私はそれに従っているだけ」
グラヴィスが眉をひそめている。ヒナタは彼女を誘導して三つめの話を聞き出そうとしていたようだが、この先は何を尋ねられても答える気がない様子だ。ヒナタも彼女がこれ以上口を開かないと察し、「わかったぁ」と言って鍵をキャビネットの上に放り投げ上着を脱いだのちベッドに寝転んだ。
「ふかふかぁ」
ベッドの底を押し、跳ね返ってくる感触が気に入った彼女は何度も押す。相当くつろいでいる。
ヒカルは一人用のソファに腰かけた。こちらはベッドのように柔らかくはないが座り心地はいい。腰かける場所の角度や腕を置く場所の位置が絶妙だ。
天井を見上げれば屋根がある。くつろぎ、安心して眠れる場所がある。
「はぁ~」
息を吐くと同時に緊張が抜けた。体をソファに預け、ただ一点だけを見つめて何も考えずに時を過ごす。意識も薄らいでゆきヒカルはソファに腰かけた状態で眠った。
ヒカルが目を覚ましたのはグラヴィスが決めた夕食開始の時間ギリギリであった。首に負担をかける体勢で眠っていたため、寝違えてしまったようだ。左肩に頭を寄せた体勢以外は少々痛む。彼は軽く首を回したり、手を使って軽く頭を反対方向へ押すなどして痛みを和らげた。
目を覚ました時にヒナタはいなかった。彼女が投げ捨てた鍵は同じ場所に置かれており、上着だけがなくなっている。外出しているようだ。
夕食を食べに行くため、ヒカルは部屋の鍵を持った。その際にヒナタが書いていった置手紙を見つけた。
『門限ギリまで帰ってこないから、出かけるときは鍵かけてね』
「夕食までに戻ってこねぇのか」
ヒナタが夕食を取らないことを知ったヒカルは彼女に遠慮することなく部屋を出る際に鍵をかけた。鍵は胸ポケットに突っ込み、食堂へと向かう。
「綺麗だな……、なんでロビーは掃除しねぇんだろ」
掃除されている部屋、通路を見渡して思ったことを呟いた。確か、ヒナタがそのことについて質問してたな。その質問の答えは確か「人買い避け」だ。
人買いってなんだ?
ヒカルは首をかしげた。彼が暮らしていた場所では聞いたことのない単語だ。そのままヒナタに尋ねればすぐに答えは出るのだろうが、答える前に呆れられるのは目に見えていた。ヒナタやグラヴィスにとってこれは知っていなければおかしい知識の一つだから。
「う~ん」
他人に頼りたくない。でも知りたい。
となれば新聞だ。ヒカルが暮らしていた場所では宿屋に新聞があった。有料サービスの場合が多いが、後払いにするとグラヴィスに頼めば受け取れるかもしれない。
知る手段を閃き、悩みが一つ晴れたヒカルは少し歩を速めた。
「ヒカル兄ちゃんだ」
「兄ちゃんだ」
グラヴィスに言われた場所へ着き、ドアを開ければ目の前に幼い男の子と女の子がいた。
男の子の方は宿屋へ来る際に一度会っている。うなじが見える程短く刈り込んだ髪型。色は赤茶色だ。彼は髪と同色の瞳をヒカルに向けていた。表情からして活発そうな性格だと窺えた。
彼の隣にいた女の子は背まである長い赤毛を後ろで一つに三つ編みにしている。
二人は客人が珍しいらしく、ヒカルの足にしがみつきその場から動かない。
「席について」
グラヴィスの一声。彼女は桃色のエプロンを身に付けており、調理を終えた直後だった。鉄製の鍋を食卓の中央へ置いた。周りにはサラダやライスがあり食器を並べるだけの状態だ。
「俺も手伝うぜ」
腕をまくり、ヒカルはグラヴィスの傍に寄った。彼女は鍋つかみを付けた手で彼の手を指した。
「手を洗って。ついでに子供たちの手も洗わせて」
そう告げて、グラヴィスはキッチンへ消えた。ヒカルは彼女の言う通りに子供たちを連れて水場へと向かった。「手を洗えよー」と子供たちに声をかけ手を洗わせた。彼はその後に手を洗う。先に洗わなかったのは、目の前にあったものがヒカルが暮らしていた場所では考えられないほどに原始的だったからだ。
身なりを整えるための壁かけの鏡は変わらずにあったが、その場には蛇口などはなく、水が溜まっている木製のバケツと水をすくう柄杓、黄色の粉末が入った袋が置かれているだけ。
子供たちは柄杓で水をすくい、手を濡らす。それから黄色い粉を一つまみし手全体に塗った。その粉は水に触れると泡立ち、香料の香りがした。粉を全体に塗った後、柄杓で洗い流した。やり方が分かったヒカルは子供たちのやり方を真似て手を洗った。
手を洗い終えた三人は食卓へ戻る。その時には料理と食器、飲み物が揃えられていた。子供たちは決められた席に駆けてゆく。ヒカルは空いた席に座った。隣にはヒナタの分と思われる食器が置かれていた。
「ヒナタさんは?」
「出かけてる。門限までには帰るってよ。だから夕食も外で済ませるんじゃねぇかな」
「外で……」
それを聞くとグラヴィスはヒカルの席の隣に並べられていた食器を片づけた。食器を片づけて戻ってきた彼女は考え事をしていた。ヒナタの行動が気に入らなかったようだ。
ひねったタイトルが考えられません。
直感でとりあえず入れてます。
ヒカル、二日目にして屋根のある場所で食事して眠れるんですね。
良かったです。