第1話「投げ入れられた少年」
ローテスハール革命の公開を始めました。
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一面木々と草が生えている。初々しい若葉が生えた木、枝と葉の間から照らされる太陽を浴びようと木々に絡みつく蔓。地面から上へ上へと伸びてゆく野草たち。
木々から育った木の実を収穫し食す小さな動物たちの鳴き声、風でこすれあう葉の音が聞こえ、人々が安らぎを求めるためにやってくるような、ここ一帯の森は静寂という言葉がふさわしい場所だった。
その静寂が破られたのは突然だった。
上空から大きなものが降ってきたのだ。それは枝をへし折り、重力に従って地面に落ちて行った。静寂であった空間は、多くの枝が折れ、その物音に驚いた小動物が甲高い鳴き声を上げてその場から逃げてゆき一瞬にして消え去った。
「い……、ってぇ!」
上空から降ってきたのは人間だった。
暗い赤みの襟の立った綿製のシャツを鎖骨が見えるまで前を大きく開け、その鎖骨からは白い襟ぐりのない下着を見せている。厚みのある藍色の塗料で染めたズボンを履き、靴は足を覆う上層部を合皮、底の部分を弾力性がある素材で覆っているものを履いていた。性別は男であり、身に付けている服装と地面に落ちた痛みで上げた声の低さが判断の決め手だ。
彼は体中に走った痛みを「いってぇ」と叫ぶことで和らげながら地面に手をつき上身を起こし、ひざを曲げて隣にあった木の幹を支え立ち上がった。
「うっ」
立ち上がり、地面に体を打ち付けた痛みが全身に伝わった後、全身が宙に浮くような浮遊感が湧いてきた。空から降ってくる前に起こった出来事のせいで地面が揺れているわけでもないのに、足場がぐらぐらと揺れているように感じる。彼は気持ちの悪い浮遊感を少しでも和らげるために瞳を閉じて視界を遮り、その場にひざから崩れ落ちた。
しばらく身動きをとらずに体勢を保ち続けていたが、浮遊感はおさまることなく逆に吐き気を感じた。彼はその気分を少しでも良いほうへ向けるためにその場で吐き出した。
「はぁ、はぁ」
吐き出した後、彼は荒い呼吸をした。
吸って吐いて、吸って吐いて。
目の前には胃液が散乱している。
(そういや、まだ昼飯食べてねぇ)
吐き出してからまだ昼食を食べていないことを思い出した。胃の中に入れた朝食はすでに消化されていたみたいだ。
「どこだ、ここ……」
胃液を吐き出したことで浮遊感は良くなり、自分が落ちた地点について自分の頭で考えることが出来た。彼はまず地面を見た。まだ自分が宙に浮いているのではないかと脳裏によぎったからだ。足が地についていることを知っていても、その場で足踏みをしてしまう。足踏みをした際に聞こえる足音から自分が地面にいると感じることが出来た。
次に自分が落ちた地点、周りについて見る。
彼の眼には雑草や木々が生えた森が映った。
「俺、なんでここにいんだ?」
彼はもう一度その場に立ち上がった。
「はぁ」
息を深く吐いたのち、額に手を当てて首を横に何度も振った。その際にくせ毛と頭頂部にある触角のような黒い髪が首を振る方向に合わせて揺れた。
「あー、気持ちわり。体もいってぇしよ、最悪だぜ」
ぶつぶつ自分の体調について悪態をついた。幹を支えにしたまま立っていた彼は次第にめまいや吐き気が良好になってきた。先へ歩き進めるまで回復したと判断した彼は足を前へ出した。
今自分がいる場所が森であることを把握した彼は手を日差し避けにしながら木々の間から見える景色を覗くように空を見上げた。
雲が少なく青い空。天気は快晴だ。日は明るく天候は崩れない。知らない道を歩くにはいい天気だ。
「天気だけはいいなぁ」
彼は空を見上げながら、自分の置かれている状況と重ねてぼやいた。天気はいいが、今の自分の状況は最悪だ。上空から見知らぬ森へ落ちた結果背中を強打。痛みが和らぎ森の中を歩いてみようと立ち上がれば浮遊感と吐き気、立ち眩みが襲いかかる。行動を起こすまでに時間を食ってしまった。
「……まずは」
やること。
見知らぬ森に放り込まれた自分がやること。
「飯だぁぁぁ」
人気のない森で彼は自分の欲求をありのままに叫んだ。
「腹減った腹減ったはらへったぁぁぁ」
彼は空腹を訴えた。もちろん小動物や植物相手では助けや返事は帰ってこなかった。一回叫んだだけで、腹からグゥゥと音が鳴った。
周りに食べられそうなものはないか。彼は歩きながら木々の枝に果実が実っていないか探す。すると、彼の手が届く範囲に外側が橙色のひし形の果物を見つけた。空腹の彼はすぐにその木の実をもぎ、シャツで皮の部分の汚れを軽くふき取り皮ごと口にした。
一口。
口にして、咀嚼すること数秒。彼は顔をしかめその果物を無理やり飲み込んだ。果実が自分の予想した、好みの味ではなかったのだ。
「にがっ、しぶっ」
先ほど口にした果実の味を忘れようと数回せき込んだ。口直しに良い果実がないか探した。果実が実っていない木々は早足で通り過ぎ、実っている木は丹念に食べられそうなものを探したりと、森の散策に一定の規則が生まれてきた。
次に彼が見つけたのはしずく型の赤い木の実。
「……」
最初の失敗もあってか、今度は慎重だった。木の実をもぎ取る。一口で食べられるほど小さく、皮の色は彼がよく食べていた気候が寒いときに旬である果実のような色をしていた。
彼はその果実を指先で潰した。少しの力を加えただけで果実は潰れ、果汁が滴る。
「んー」
潰した果物は野に捨て、果実が噛み砕けることが分かると次は手についた果汁を凝視した。
「食べれっかなぁ……」
まずは匂いを嗅ぐ。臭みも香りもなく無臭。嗅覚ではこの果実は食べられる。
最後はこの果汁を舐めるだけ。食べられるのなら頭上になっている木の実を根こそぎもぎ取る。ひし形の果物のように食べられないなら空腹のまま他の木の実を探す。
「……」
ひし形の果物は渋く食べられたものではなかった。もしかしたらこの果物もそういう味なのではないかという先入観があり躊躇してしまう。自分の指とにらみ合いを続けていても腹が減るばかり。もう、この木の実が食べられるか食べられないか決めてしまおう。
ペロッ
意を決して指を舐めた。口を閉じて果汁を味わう。味が分かるまで彼は顔をしかめていた。
「…甘い」
舐めた結果甘味を感じた。食感も軽く指で潰せたので噛みきれる柔らかさ。
「よっしゃっ、食える」
このしずく型の木の実は食べられると判断した後の行動は早かった。手の届く範囲に生えているものはすべてもぎ取り口の中へ放り込んだ。中には酸っぱいものもあり眉をしかめる場面もあったが、食べられる範囲の味だった。
手に届く範囲にあったしずく型の木の実はあっという間になくなり、食べた証拠にヘタが彼の足元に散乱していた。それらを食べた彼の空腹は紛れ、腹の音が鳴ることは夜までなさそうだ。
「腹はもうだいじょぶそうだし……」
森を抜けよう、人を探そうという意欲が出てきた。どこに行っても同じような木々と雑草が生えており、人が通ったような道はない。
「闇雲に歩いても迷うな。ここはこれで道を決めるとするかぁ」
けもの道が見つけられない彼は、杖にするのに丁度よい腰ほどの高さがある太い木の棒を拾い先端を地に付けた。木の棒を地面に垂直に置き安定したところで、支えていた手を離した。支えを失った木の棒は地面に倒れた。それは彼から見て東の方向を指した。
「あっちだな」
木の棒が向いたほうを見る。どの方向も同じく、けもの道のない森の中なのだから運に頼るしかない。空を見上げる限り日が暮れるまで時間はある。それまではがむしゃらに人に出会えることを信じて歩こう。
彼は草をかき分け木の棒が導いた方向へ一直線に道を切り開いた。拾った木の棒は杖として使っている。
ガサガサッ
歩いていると、彼は草をかき分けて歩いている物音を聞いた。今まで見かけてきた小動物や昆虫などとは違う。自分と同じく草をかき分けている。
もしかして、人?
森の中に放り投げられた彼にとって、その物音は希望だった。人が森の中にいるかもしれない、その人に会えば森の外へ出られる。この機会は逃せない。彼はその物音の方向へ走った。
「おっとぉっ」
夢中で走っていたため、木の根に足を引っ掛け、前から飛び込むように勢いよく転んだ。幸い目の前に尖ったものや固いものはなく、先に進むことに支障はない。足のひざを軽く擦りむいただけで済んだ。
「くっそ……、今日は落ちるし転ぶしついてねぇ」
起き上がるために顔を上げた。
「な……」
彼の前方に黒い鬣を生やした中型犬ぐらいの大きさの動物がいた。