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ゆっくりしていってね!!!

 侵入してきた小太りの中年男の足元へ跳ね寄ったれいむは男を見上げて言った。

「ゆっくりしていってね!!!」

 一瞬何をしているのか分からなかったが、男の足元で跳ねながらゆっくりしていってねと叫びつつ何度も男の足へ突撃して跳ね返されている様を見ると、どうやら男の侵入を阻んでいるらしい。

 それだと「ゆっくりしていってね」はまずいんじゃないかなぁと何処かのんびりと思いつつ、れいむだけには任せておけないと、俺は立ち上がって男の下へ歩んだ。

 泥棒、の様には見えない。狂人。頭のおかしい人の様だ。満面の笑みを浮かべているし、こちらに危害を加えようとしている様には見えないし、もしかしたら穏便に出て行ってもらえるかもしれない。

 出来るだけ刺激をしない様に、腰を低くする。

「あの、すみません」

 俺が話しかけた瞬間、男は足元に視線を移して、そこで飛び跳ねているれいむを蹴り飛ばした。

 れいむが声も無く蹴り飛ばされて俺の胸にぶつかる。

 瞬間的に頭に血が上った。

「ちょっとお前!」

 男に掴み寄ると、腹に嫌な感覚が走った。

 何か分からなかったが、その生温い感覚が酷くまずい事に思えて、男から距離を取って自分の腹を見下ろすと赤く染まっていた。男の手が俺に向かって差し出される。その手に握られたナイフから赤い血が滴っている。

「へ?」

 理解が出来ずに変な声が出た。一拍遅れて痛みが走る。続いて口から悲鳴が漏れた。お腹を押さえて、男から逃げようと背を向けたところ、背中を蹴られて地面に倒れた。

「もう少し抵抗してみたらどうだ? 幻獣が居るんだからよ」

 男の呆れた様な声が聞こえた。

 知るか。とにかくお腹が痛くて痛くて仕方ない。痛みと吐き気と頭痛に襲われながら、何とか男から離れようと廊下を這い進むと、背を踏まれて抑えつけられた。

「あんまりにも無様過ぎて殺し甲斐がねえな」

 じゃあ逃してくれと言いたかったが、男に踏まれて胸を圧迫され、しかも脳味噌を揺さぶる様な痛みが腹からやってくるので、ただ意味の無い呻きが意志とは関係無しに漏れていく。

 俺の背から男の足がどいた。かと思うと、俺の股間に男の蹴りが入った。気が付くと、部屋の扉に頭を打ち付けていた。腹と股間と頭からの痛みに意識が霞む。このままじゃ殺される。

 明滅する視界の中で手を這わせ部屋の扉を開けて中に転がり込んだ。

 殺される。

 背後から男の足音が聞こえてくる。辛うじて上半身を起こし振り返ると、男が変わらず笑顔を浮かべながら歩んでくる。その足元にれいむが体当たりをかましたが、男はそれをあっさりと蹴り飛ばした。れいむが俺の傍に転がった。

 揺れる視界の中で血まみれのナイフを持った男が近寄ってくる。

 嫌だ。

 死を忌避する心が湧いたものの、まともに体を動かせずどうする事も出来ない。それでも死にたくなかった。

「嫌だ、嫌だ嫌だ」

 口から泣き事が漏れた。だがそれだけ。体は動かない。逃げる事が出来ない。

 嫌だ。死にたくない。

 気がつくと自分の目から涙がこぼれていた。泣き声が漏れる。

 その時、自分の前にれいむが立ちはだかった。通常よりも体を膨らませたれいむは俺の背丈を遥かに越えて、男の視界から完全に俺の事を隠してくれた。

「健気に主人を守ろうってか。ご立派だなぁ。勝てると思っているのか?」

 守ろうとしてくれるれいむには悪いがとても勝てるとは思えない。

 だがれいむは言った。

「当たり前でしょ? 主は私の友達だから。絶対にお前なんかに殺させはしないよ」

 そう言って立ちふさがるれいむが、まるでフィクションに出てくるヒーローの様に見えた。

 それを見ただけで折れかけていた心が補強されて勇気が湧いてきた。

 立ち上がろうと力を込める。全身に痛みが走った。だが我慢出来ない程じゃない。

 身を起こしたのと時を同じくして、男がれいむに蹴りを放った。れいむは体をしぼませて小さくなると、男の蹴りが空を切る。バランスを崩してたたらを踏んだ男は、一瞬睨む様な目を見せたがすぐに笑顔になった。笑顔のまま手が振れられる程近くまで歩み寄ってくる。笑顔で、俺を見下している。男の笑顔が鼻につく。きっと相手になるなんて思っていないだろう。俺だって勝てるとは思えない。けれど友達だと言ってくれたれいむの為にも、自分を守ろうと立ちはだかってくれたれいむの為にも、諦めて死んでやる訳にはいかなかった。

 男は俺の様子を観察する様に微動だにせず見つめてくる。その余裕に腹が立って、俺は思いっきり拳を振りかぶった。

「余裕ぶっこいてんじゃねえ!」

 ほとんど暴力を振るった事の無い自分が気が付くと劇場していた。渾身の拳を男へ突き出す。

 だがあっさりと男の左手に掴まれた。慌てて手を引こうとするが振りほどけない。男の右手に持ったナイフによって手首を切り裂かれた。

 あまりの痛みに脳に衝撃が走って、空気を吐き出しながら呻いて膝を折ったが、男の手が俺の手を掴んでいる為、倒れる事すら出来ない。

「ゆっくりしていってね!!!」

 さっきかられいむが男の足に体当たりを食らわせているが、男は動じる事無く直立している。

 男の掴む手が俺の傷に思いっきり触れて、再び悲鳴が漏れた。

 くそ、せめて一発でも。

 一矢報い様としたが、立ち上がる事が出来なかった。力が抜けていた。それに気がついた途端、再び弱気が心を浸して、絶望がやってきた。

 死ぬ。殺される。

 こんなところで。

 小太りの中年男が笑いながら俺の事を見下している。

 こんな奴に。

「安心してくれ」

 男の諭す様な言葉が聞こえてくる。

 まさか見逃してくれる?

 思わず期待に顔をあげると、男の笑顔が近付いてきた。その目を見て、絶望する。その愉悦に満ちた目には狂気しか宿っていない。とても助けてくれるとは思えなかった。

 その予想通り男は言った。

「ここはもう外界と隔絶している。これからお前は沢山悲鳴を上げるだろうが、それに寄せられた誰かがやってきて、更に犠牲者が増える事は無い。死ぬのはお前だけだ。だから安心してくれ」

 これから自分が何をされるのか。その恐ろしさに泣きだしたくなった。

 死にたくない。

 また涙が溢れて、体が震え始める。

 その時、その絶望を破る声が玄関から聞こえてきた。

「そうはいかねえよ!」

 千景の声だった。男が俺を離して振り返る。俺も顔を横に傾けると、怒りに満ちた表情をした千景が蛇と一緒に部屋へ入ってきた

「大丈夫か、悠人!」

 安堵でまた泣けてきた。

「悪かったな。部屋を探すのに遅れて。だがもう大丈夫だ」

 俺が後ずさりして、れいむと一緒に窓際まで寄り、立ち上がると、まるで俺と千景が男を挟撃している様な形になった。

 千景もそれに気が付いたのだろう、笑っていった。

「さてこれで二対一だ。どうする?」

 それをれいむが訂正した。

「四体一でしょ?」

 俺とれいむと千景と蛇の四人に対して、男が一人。

 実際は俺とれいむは数に入らないから、千景の言った通り二体一が正解だろう。けれど男に対してははったりになる。なんせ、幻獣というのは、普通であれば簡単に人を殺せる存在らしいから、例えどれだけ弱そうな幻獣でもはったりに、いや、ならないか。さっきから抵抗していたれいむをあっさりとあしらっていたんだし。

 とにかく新手が来た事で、男が怯んでくれれば、と期待していると、男が俯いた。

 これはいけるか、と期待した心は、くつくつとした男の笑い声で打ち砕かれる。

「四体一? 零対二の間違いだろ?」

 零?

 俺も千景も理解が出来ずに訝しむ。

 すると男は大きく笑い声を上げながら言った。

「お前等は敵ですらないんだよ!」

 その瞬間、男の背後に包帯をぐるぐるに巻いた四足歩行の幻獣が現れた。小汚い包帯に巻かれた四足歩行の幻獣は、その包帯の下にある胡乱な目で俺を見つめてきた。

 それを見た瞬間、俺の頭の中に警鐘が響く。その目が酷く恐ろしいものに思えた。禍禍しい印象を全身からも発散している。相手を見て力量を計るなんて出来ないが、それでも手を出してはいけない生き物だと直感する。

 思わず助けを求める様に千景を見ると、千景にとってもその幻獣は分の悪い相手なのだろう、緊張した面持ちでその幻獣を睨んでいた。

 男が勝ち誇った様に狂った笑い声を上げる。

 その笑いに、俺の体が恐怖で震え始めた。

「何を笑ってるの?」

 足元のれいむがそう呟いた。男の狂笑が響く中でも、その平坦な声は良く響いた。

「何を言おうと四体二で、こっちに数の分がある事は変わらないんだよ?」

 男の笑いが鎮まった。男の体がこちらに向く。笑顔のままだが、何処か不機嫌さをにじませていた。

「勝てるつもりか?」

「勿論!」

 れいむが叫んで、何故か俺に体当りしてきた。

「え?」

 バランスを崩して倒れる。だが倒れる前に体を膨らませたれいむが潜り込んだので、俺はれいむの頭の上に乗った。ふかふかと柔らかかった。

「千景!」

 れいむが更に叫ぶ。

 千景が驚いた様な顔をしていた。更に男も慌てた様に背後の千景を振り返る。

 れいむの叫びが続く。

「作戦通りで!」

 作戦? 何それ?

 疑問に思ったが、千景は分かった様で、にっと笑った。

「良いぜ! 同時に行くぞ!」

 まさか二人で飛びかかるつもりか?

 到底敵うとは思えない。だがそれ以外に方法が無いのも確かだった。れいむが体をたわませる。千景と蛇も身を沈めて、一気に動き出せる態勢を取った。

 そうして千景が叫んだ。

「行くぞ!」

 その瞬間、千景と蛇が飛び出した。れいむもたわませた体を伸び上がらせる。だが何故か後ろに下へと飛び跳ねた。

 背後にはガラス窓。

 当然俺は窓ガラスとれいむに押しつぶされる。柔らかい感触で全身を包まれた。

 何が起こっているのか分からない。

 窓ガラスの割れる甲高い破裂音。

 遠心力で振り回されて慌ててれいむにしがみつく。ガラス片が降りかかってきた。恐怖に支配されて必死の思いで、れいむにしがみついていると、冷たい風が吹き荒れた。

 驚いて辺りを見回すと、星が瞬いていた。

 え?

 外?

 急に重力が消失する。俺の住むマンションが一気に伸び上がる。

 俺、落ちてる?

 どうやら窓ガラスを破って外に飛び出た俺は今現在落下中。このままじゃやばいと怖気が全身を駆け巡った時、凄まじい力でれいむに押し付けられて、反動で跳ね出され、コンクリートの道路に打ち付けられた。

 立ち上がると、マンションの傍の道路の上だった。

 逃げられた?

 実感が湧かずに居ると、千景が言った。

「逃げるぞ!」

 蛇の尻尾が俺とれいむを捕らえられ、そのまま蛇の背に乗せられる。蛇が凄まじい速さで道路をかけ始めた。蛇行するので、振り落とされそうになり、慌ててしがみついたが、つるつるとしていて滑りそうになる。

「振り落とされんなよ!」

 とにかく必死でしがみついていると、千景が舌打ちした。

「やっぱり追いかけてきやがるか」

「まさか、さっきの男が?」

「他に誰が居るんだよ。さっき屋根の間に男の影が見えた。どうやら屋根を飛びついでいるみたいだな」

 その光景を想像すると、物凄く怖かった。そんなのが俺達を殺そうと追ってきている。

「悔しいが、あの男が零対二って言った通り、あの幻獣を見た感じ、とても敵いそうもねえし」

「やっぱり強いの、あいつ?」

「そりゃあな。俺も相手の力量が計れる達人じゃないけどよ、明らかにやばそうだったろ、あのミイラ」

 確かに何か物凄く禍禍しい印象だった。

「幻獣を連れて日の浅い俺等みたいなのじゃ敵わねえよ、絶対」

「日の浅い? 千景も?」

「まだ一月も経ってねえ。つー訳で、ホテルに戻ろう」

「そうだよね。この速さならホテルまで逃げきれるし」

「残念だけど、俺のへびおは体力が無いんだよ」

「へびお?」

「こいつの名前」

 そう言って千景が蛇の体を叩いた。

 へびお?

 いや、そんな人のセンスをどうこう言いたくは無いけど。

「何とかあいつを引き離して電車に乗れば」

「え? 電車? でもそんな人混みに入ったら、あいつが他の人を襲うかも」

「幻獣は見えない人間には手出しできないんだよ。するとどうなる? あいつは駅構内でナイフを振り回す、常識的な犯罪者になる。警官が来れば、ナイフ一本持った男位、捕まえてくれるだろ、多分。つまり人が沢山居る場所に逃げればあいつは下手に動けない」

 希望が見えてきて、俺は安堵の息を吐いた。

「くそ、やっぱり移動しながらだと、人払いの精度が落ちるな」

 ふと顔をあげると、道の先に人が見えた。

「ここからは走って行くぞ。飛び降りろ」

 蛇が急停止する。その勢いに負けて俺は放り出され、地面を転がった。

「あ、悪い」

 駆け寄ってきた千景に手を上げて大丈夫な事を伝え、一緒に走りだす。すぐに道を突き当たり、そこを曲がると駅が見えた。青に変わった交差点を渡って、人混みを縫いながら駅の構内を駆け、電光掲示板を見ると丁度電車がやって来る時間だった。

「よし! 最高のタイミングだぜ、悠人!」

 千景の叫びに人々の視線が集まるが、恥ずかしいとは言っていられない。目当ての路線へ駆け下りると、線路の先に列車が見えた。もう間もなく入ってくる。

「最後尾に行くぞ」

「分かった」

 階段を下る前は沢山の人が居たのに、プラットホームには不思議な程人がまばらだった。

 プラットホームの淵ぎりぎりを走っていると、電車が傍を駆け抜けて大きな風が吹いた。

 やがて電車が軋み声を上げながら止まり、扉が開く。列車の最後尾に辿り着いて、プラットホームを確認すると男の姿は何処にも無かった。

 沢山の乗客が降車していく。全員が降りるのを待って乗り込むと、車内には誰も居なかった。今は丁度帰りのラッシュの時間帯。普通であれば人が居ないなんて事はありえない。連結部の扉を見ると、隣の車両には沢山の人が乗っている。

「全部千景がやったの?」

「おう、人払いした」

「へびおが?」

「当然」

 へびお凄いな。

 その有能さに驚いていると、扉が閉まった。どうやら男は追ってこれなかったらしい。

「撒けたようだな」

「良かった」

「一応、仲間に連絡取っておくわ」

 そう言って千景が端末を取り出して何処かへ電話を掛けだした。

 車内には線路を踏みしめる、たたんたたんという規則正しい音だけが鳴っている。ゆっくりとした時間が流れて、ようやく人心地ついた。座席に座ると、一気に疲労がやってきた。

「ゆっくりしていってね!!!」

 れいむが俺の隣の席に乗ってそう言った。思わず笑いが込み上げてきた。

「そうだな。ようやくゆっくり出来たな。死ぬかと思った」

 するとれいむが自信満々に言った。

「駄目だね、主。もっとゆっくりしないと。れいむはいつだってゆっくりしてるよ。ゆっくりしなかったら、ゆっくりじゃなくなっちゃうからね。ゆっくりしてないれいむなんて、ただの博麗霊夢だよ」

「いやただの生首だろ」

 博麗霊夢を名乗るのは少しおこがましいと思う。

「っていうか、いつだってゆっくりって、流石にさっきの状況でゆっくりは」

 そこまで言って、自分が腹を刺され手首を切られた事を思い出した。慌てて怪我をした場所を見ると、服が血で滲んでいるものの、傷は塞がっていた。

「これ」

 れいむが塞いでくれたのかと尋ねようとすると、千景が答えた。

「ああ、へびおが塞いだ」

「あ、そうなんだ。ありがとう、へびお」

 いつの間にかへびおは姿を消していたが、きっと千景の近くに居るだろうと、お礼を言う。

 すると千景が言った。

「どういたしましてだってさ」

 どうやらへびおは千景としか意思の疎通が出来ない様だ。

「仲間と連絡取れたの?」

 千景が首を横に振る。

「いや、何か誰も出ねぇ。とりあえずメッセージは残しといたけど、迎えは望み薄。まあ、でも、ホテルまでならそこまで距離は無いし大丈夫だろ」

「確かに」

 れいむの隣に、千景が腰を下ろす。

「お前さっきの啖呵は格好良かったぞ」

 するとれいむが得意気に答えた。

「まあね。強すぎちゃってごめんね」

「別に強くはねえだろ」

 千景が笑う。

 そう言えばれいむは俺の事を守ろうとしてくれたんだ。

「れいむ、ありがとな。本当に。助けてくれて」

「良いって事よ。主は一緒に地球を救った友達だからね」

「うん」

 千景も俺を助けてくれた。

「千景も、ありがとう」

 すると千景が気恥ずかしそうに手を振った。

「気にすんなよ。こんなの礼を言われる内に入らねえし」

 れいむも千景もへびおも俺を助けてくれた。

 だけど俺は何にも役立ってない。それが何だか情けなかった。

 筋トレでもしようかなと思っていると、突然列車の連結部の扉が開く音がした。人払いされているはずの車両に。

 まさかあの男が。

 そう考えて、俺達が席を立ち上がると、入ってきたのは全く別の、俺達より少し年下位の女の子だった。女の子は立ち上がった俺達には目もくれずに傍の優先席に座って、のんびりとした様子で外を眺めだす。

 どうやら普通の乗客の様だ。へびおが人払いしている筈じゃ。

 困惑していると、千景が囁いてきた。

「偶に効かない奴が居るんだ。要は幻獣が見える奴。ゆっくりを隠しておいた方が良いぜ」

 その言葉が終わる前に、れいむは小さくなる。

「敵、かな?」

「分かんねえけど、襲ってくる感じはねえよな。もしかしたら空いてるから入ってきただけかも知れねえし。幻獣を連れてないなら関係無いし。幻獣使いだとしても、敵じゃないなら……とりあえず事を荒立てずに無視した方が良いんじゃねえか?」

「そうだね」

 何だか不気味だが、何もしてこない以上、やっぱり無視が一番だ。

 俺と千景はその女の子から目を離し、同時に溜息を吐く。

「とにかく駅に着いたら速攻ホテルに戻ろう。で、男の事を伝えて、倒してもらう」

「分かった」

 もう一度ちらりと女の子を見る。襲ってくる様子は無い。他の仲間が来る気配も無い。だが例えばもしさっき襲ってきた男が、殺人鬼仲間に連絡をして、今その仲間であるあの女の子が俺達を逃がさない為に次の駅に到着するまで監視している、という事も考えられなくは無い。嫌な事を考えればどんどんと嫌な事が頭の中に浮かんでくる。

 万全を期す為に小声でれいむに声をかける。

「れいむ、俺の肩の上に乗っといて。駅に着いたら走るから」

「分かってるよ、主」

 そう言って、れいむが俺の肩の上に飛び乗った。

 とにかく次の駅に着いたら全力で駆けて、殺人鬼達を振り切る。

 そう覚悟を決める。

 たたんたたんと電車の音が鳴っている。

 もう少ししたら着くはずだ。

 拳を握る。

 たたんたたんと電車の音が響いている。

 絶対に生き残る。

 そう決意する。

 その決意を固める為に、息を吐く。

 その瞬間、頭の後ろから、だん、と窓を叩く大きな音が鳴った。

 思考が凍りつく。

 単に偶然物が飛んできて当たったとは考えられなかった。

 まるで誰かが外から窓を叩いた様な音だ。

 男の追跡はまだ振り切れていない?

 そんな恐ろしい思考が湧いてくる。

 いや、でも走っている電車に。

 いや、でも、あの恐ろしい男ならもしかしたら。

 恐怖と否定が交互に湧いた。背後の気配が気になって仕方が無い。確かめたいが、もしそこに、本当に男が居たら。

 胸の心臓が暴れて痛い。振り返るのが恐ろしい。けれど分からない事が苦しくて仕方ない。振り返って真実を確かめなければ胸が張り裂けそうだった。

 立ち上がって窓を見る千景の驚愕した表情が全てを物語っているが、それでもそうであってほしくないと願う心は、まだ分からないと叫んでいる。

 俺は恐る恐る後ろを振り返る。少しずつ夜の闇が見え出して、段段と景色が大きくなる。もしも背後に男が居たら。それが堪らなく恐ろしいが、もう振り返る動作は止まらない。首だけでは振り返りきれなくて、体を捻る。

 真後ろを見る。

 窓に男の顔と両手がへばりついていた。

 悲鳴が漏れて、座席の上から転げ落ちる。

 窓には押し潰れた男の顔がある。それは目をじろりと動かして、俺と千景を見つめ、それからにっと思いっきり笑った。

 同時に窓が割れ、笑顔の男が列車の中に入ってくる。

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