表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/12

メルティブラッド

「どうだ? 抗う覚悟はあるか?」

 おっぱいに抗う?

 何それ、卑猥。

 思わず顔が火照る。

 俺の表情に気が付いたのか、翔琉が眉を寄せた。

「何故、顔を赤くする」

「おっぱいとか言うからだろ!」

「は? え、いや!」

 翔琉もまた顔を赤く染めた。

「な、違う! 何だ、貴様! OPPAIを知らないのか!」

「知ってるから、恥ずかしいんだろ!」

「だから違う! OPPAIは組織の名前だ!」

 組織?

 おっぱいが?

「そう。幻獣を排除する組織の事だ。Oganization for the Preventation of Polution by Animals of Imagination の略称だと言われているが、それは当て字で、実際は創始者達の頭文字を当てたらしい。詳しくは俺も知らないが。貴様は幻獣を連れている癖に組織自体も知らないのか?」

 知らん。


 っていうか、何? もしかして真面目な話?

 幻獣排除って、何か最近聞いた気がするけど。

「マリオネットはまた別の組織、の筈だ。マリオネットは快楽殺人者が集まっていた気違い集団だが、OPPAIはもっと冷酷な──例えが適切かは分からないが、秘密警察の様なものを想像すれば良い。あるいはメン・イン・ブラックとかな。巨大で世界的なネットワーク網を持ち、静かに目標を排除していくと聞いている」

 よく分からん。イメージとしては、ホテルを燃やしたり白昼堂堂家に押し入ってくるマリオネットとは違って、夜陰に乗じて暗殺してくる様な感じだろうか。どっちにしても理不尽な脅威という意味では違いが無い。

「その組織がこの町に来ているって事?」

「ああ、その通りだ。ホテルの爆破、あれがあまりにも目立ち過ぎた」

「それにしたって昨日の今日だろう?」

「言っただろう? ネットワークが張り巡らされている。元より、ホテルの爆破を合図に昨日の夜の時点で複数の因子がこの町に入り込んだ。だとすればOPPAIが反応しない訳がない」

 おっぱいが反応?

 卑猥に思うのは俺の心が汚れているからか。

 まあ、それは良い。


 翔琉の話を聞く限り、それは相当危険な自体ではないだろうか。幻獣を排除する集団で、世界的なネットワークを持ち、暗殺に特化した奴等がこの町に入り込んでいる? それはもはや逃げ場がなく、誰が敵かも分からず、黙って殺されるしかない。

 でも、本当だろうか。

 本当にそんなネットワークを持っていたら、この町にはもっとずっと前に入り込んでいる筈だ。何せ町を歩けば幻獣使いに出会う程だ。幻獣が主体の事件に関わっているとはいえ、俺がれいむにあってから今までの間に、もう何人もの幻獣使いとあったんだから。この調子で行くと、この町の人間の半分位は幻獣使いなんじゃないかという勢いだ。

 あまりにも異常だ。少なくとも俺の田舎で幻獣の話なんか聞いた事無いし、大学に入ってからこれまでの間にも聞いた覚えが無い。テレビやネットでも、実在する脅威として扱われているのなんて見た事が無い。それなのにこの町では、コンビニに向かえば殺されかけ、家に居たら押し入られ、ホテルは爆破されるし、吸血鬼が空から落ちてくる。俺がれいむと出会う前から幻獣使い同士が争っていた様だし。もしも幻獣を狩る組織なんか居たら、絶対に気が付いていたんじゃないだろうか。

 それなのに今更この町に入り込んできた。

 あまりにも歪でおかしい。

「本当にそんな組織が居るのか?」

 口を衝いた疑問に翔琉がにやりと笑った。

「さあな」

 何だ、そりゃ。


「確かに貴様の言う事はもっともだ。影は見えれど姿は無い。見たら死ぬとまで言われ、世界中の幻獣使いに恐れられているが、都市伝説に近い存在だ」

「はぁ? じゃあ、居ないんじゃないの? 今回も噂だけとか?」

「いや」

「何? 心当たりがあるのか?」

「昨日見た」

「え?」

「昨日の夜にな、実際にOPPAIを名乗る男が幻獣とその相方を殺しているのを見た」

「は? え? マジで?」

「ああ。勿論貴様の疑問である、本当にそんな組織が存在するのかという疑問の答えにはなっていない。そいつが自称しただけだからな。だがOPPAIに所属すると嘯く実力確かな暗殺者がこの町に入り込んだのは確かだ。声を掛けて自身へ意識を集中させた後に、死角から一撃の下に葬り去ったあの手腕は、実に見事だった」

 いや、何それ。ヤバイじゃん。完全に暗殺者じゃん。

 だが、待てよ。

「お前、強い奴と戦いたいんだろ? だったらどうしてそいつと戦わなかったんだ?」

 もしかしてびびった?

「すぐに姿を消して追えなかったからだ」

 俺の内心を見透かした様に、翔琉が心外した様子で眉を顰める。まあ確かに、相手が暗殺者やら忍者だとすれば、捉えるのも難しそうだ。


 そしてそんな存在がこの町に居るのだとすれば、くだらない事で相争っている場合ではないだろう。

「それで、マリオネットのボスを倒すなんて意地の張り合いを止めて、共闘してその暗殺者を撃退しようって事か?」

 翔琉が重重しく頷いた。かと思うと、突然首を勢い良く横に振り始めた。

 違うの?

 そういう流れだった気がするけど。

「勘違いするなよ! 俺は別に、相対せば、あいつ位訳無く倒せる! だが貴様の方は強さこそ確かな割に、戦場に身を置く心構えがなっていない様だったからな。貴様は俺のライバルだ。こんなところで死んでもらっては困る」

 どうやら入り込んだ暗殺者等一人で倒せると言いたいらしい。

 別に良いけどさ。

 本当かね。

 びびってたんじゃないの?

 怒らせそうだから言わないけど。

「分かった分かった。あんたは強いよ。心配してくれてありがとな」

「心配した訳では無い! 敵に塩を送るだけだ!」

 何だ、こいつ。

 まあ、良いや。とにかくマリオネットのボスを見つけ出すなんていう馬鹿げた殺し合いをしなくて済むのなら。安堵の溜息を吐くと、翔琉が嘲笑ってきた。

「余裕そうだが、本当に大丈夫かな? あのナイフ使いは相当やるぞ」

 ナイフ使いの暗殺者。王道だな。その分、強さが千差万別で、最強キャラとしても、雑魚キャラとしても描かれる。あまりにも色色な姿に描かれるかイメージしづらい。危険は危険なんだろうが、存在を証明するのは翔琉の話だけだし、雲を掴む様な話だ。実際に狙われたら恐怖で動けなくなるんだろうけど。いや、気付く前に殺されるか。

「忠告どうも」

「ふん」

 翔琉が鼻を鳴らしてそっぽを向いた。あくまで慣れ合うつもりは無いという事か。まあ、良いけどさ。


「悠人!」

 不意に遠くから名前を呼ばれた。声のした方角を見ると、ユニに乗った澄玲が居て、あっという間に俺の前までやって来た。

「良かった! さらわれちゃったから心配してたんだけど、無事だったんだ」

「何とか、撃退出来て」

「そうなんだ! 凄い!」

 いや、指を交差させただけなんですけどね。

「あれ、そっちの人って」

 澄玲の顔が翔琉へと向いた。見ると、翔琉がはっとした様子で目をあちこちに彷徨わせ、顔を赤く染めていた。澄玲と目が合ったから恥ずかしがっているのだろう。それを馬鹿にしたりはしない。澄玲の美しさを前にすれば仕方の無い事ではある。ちなみに俺は大学の授業で初めて澄玲を見た時、授業の終わりまで意識が飛んでいた。

「もしかして悠人と一緒にヴァンパイアハンターをやっつけたの?」

 翔琉は必死な様子で首を横に振って澄玲の言葉を否定すると、ありったけの力を込めた様子で首を俺に向けて捻じ曲げた。

「とにかく! 伝えたぞ! 気を付けろ! さらばだ!」

 そう言ってビルの淵まで走ってから飛び降りた。

 おいおい。

 慌ててビルの淵へ駆け寄り下を覗きこむと、翔琉の姿は消えていた。

 流石に何の策も無く無闇に飛び降りたとは思えないけど、大丈夫か?


「行っちゃったね。何だったんだろう?」

「何か、OPPAIの忠告を」

「はぁ?」

 澄玲が目を吊り上げて口を大きく開けた凄まじい形相で俺を見た。見たこと無い表情に、突然どうしたんだろうと思い、はっとして首を横に振ったが、遅かった。

「変態! 馬鹿じゃないの!」

 いや全くその通りなんだけど違う。馬鹿なのはその組織の名前をつけた奴で俺は悪くない。慌てて翔琉の言っていた説明をそのまま伝えたが、澄玲は尚も訝しげな表情をしている。

「何それ、聞いた事無いんだけど」

 え? でも翔琉は世界中の幻獣使いにとっての脅威だって。

「幻獣の世界の事は、大井さんが教えてくれたけど、そんな事言ってなかった」

「いや、でも……大井さんが知らなかっただけじゃないの?」

 恐る恐る言ってみたのだが、地雷を踏み抜いていた。

「大井さんはずっと幻獣の世界を渡り歩いていて何でも知っているの! そんな組織無いよ! 絶対!」

 どうだろう。眉唾な組織ではあるけれど、大井さんが澄玲にOPPAIの事を伝えなかった理由は、例えば澄玲を怖がらせない為だとか、考えれば幾らだってある。

 とはいえ、怒ってしまった今、何を言っても火に油を注ぎそうだし、とりあえず謝るだけ謝ってこの場を治める事にした。別に、翔琉が居ると言っていただけで、俺だって半信半疑だし。


 俺が謝った事で、澄玲は一先ず怒りを収めてくれた。まだ気分は害している様で声に刺が残っているものの、ビルの下を見下ろしてから振り返った表情は柔らかい。

「じゃあ、行こう」

 え? 何処に?

「何処って、下に。いつまでもここに居る訳にはいかないでしょ? それとも永遠にここに居る?」

 声の刺が大きくなったので、俺は慌てて首を横に振った。良い天気で、ひなたぼっこをするには良い場所だけれど、流石に永遠には居たくない。澄玲がユニに飛び乗って下に降りようとするので、俺も後に続こうとする。だが足が前に出なかった。

 俺、どうやってここから降りれば良いんだ?

 れいむに空を飛ぶ機能なんて無いぞ?

 いや、あるのか?

 あのまりさみたいに、膨らんで風船みたいに。

「出来るかもしれないけど、下に降りるまで主の握力保つ?」

 保たない。

 断言出来る。途中で落ちる。

 でも上に乗れば。

「多分だけど、上に乗ったら潰れて浮かないんじゃない? 下を掴んで風船みたいな形になっていないと浮かない気がするよ」

 そうなの? そもそもどうやって浮くのか分からないけど、空気よりも軽い気体で膨らんでいるなら、形がどうなったって上に向く力はあんまり変わらない気がするけど。

「馬鹿だね、主は。形が大事なんだよ」

「そうっすか」

 別にそれは良いけど、じゃあどうやって降りれば良いんだよ。


「悠人! どうしたの?」

 ユニに乗って空に浮かんだ澄玲に、俺は何とか笑顔を返した。何となく、降りれなくて困っている事は知られたくない。が、あっさりと澄玲の下のユニが言った。

「もしかして降りる方法が無いんじゃないの?」

 すると澄玲が驚いた顔をした。

「本当? 大丈夫?」

「乗せて上げる?」

 そう言ったユニが救世主に見えた。

「え、でも」

 ところが澄玲は難色を示す。

 何で?

 俺には降りる手段が無い。ユニに乗れないとこの屋上で干からびて死ぬ事になる。

 そこを何とかと頼もうとしたが、そこで澄玲が難色を示す理由に思い当たった。

 あ、そうか、俺と一緒に乗りたくないからか。そりゃそうだ。俺だって俺なんかと乗りたくない。

 一緒に乗れないなら別別でも良いから乗せてくれないだろうか。ユニが一回澄玲を下に降ろして、それからもう一回ここまで来てくれれば良いんだけど。でも澄玲とユニにとっては余計な手間だろうし、それを俺から言うのははばかられる。


 どうしたものかと困り切って澄玲を見ると、澄玲が恥ずかしそうに顔を赤らめていた。

「ユニって、その、エッチしてない人しか乗せられないから」

「え? うん」

「だから、他の人を乗せられなくて」

「何で?」

 思わず聞くと、澄玲が顔を益益赤くして体を縮こまらせた。

「だから、その、普通、みんな、悠人だってエッチってしてるんでしょ?」

 突拍子もない澄玲の言葉に、俺は何も考えずに間髪入れずに応えてしまった。

「俺、した事無いけど?」

「え?」

 澄玲が驚いた顔をする。

 うん。

 本当。


 本当だよ。

 本当だけど。

 あの。

 ちょっと殺してもらって良いっすか?

 うわあああ!

 殺せ。

 殺してくれ。

 何で好きな人に向かって童貞宣言しちまったんだ。

 死にたい死にたい。

 澄玲に軽蔑されたかもしれないと、恐る恐る顔色を窺うと、予想と違って安堵の表情でユニと話し合っていた。

「良かった。これで殺、じゃなくて気絶させなくても降ろせるね」

「ああ、無闇に頭部を強打しなくて済んだな」

 あの、何か怖い事言ってません?

 そういえば捕まえた千景をユニで運んでいた。あの時は気絶させたから載せられたのか。


 結局俺が童貞であるという事実を澄玲がどうとったのかは分からなかったが、とりあえず俺はユニに乗せてもらえる事になった。ユニが俺の前に座ったので、恐る恐る乗せてもらう。澄玲に渡された手綱を握ると、ユニがふわりと浮かぶ様に淵から飛び出し、次の瞬間急降下が始まった。だが落下する感覚は全く無い。ただ風景だけが流れて行く。下を見ると、民家やアパートの並んだ路地が網目に走っている。人通りはほとんど無い。どんどん地面が近づき、下界がはっきりと見えて、真下に人影が見えた。その人影を見た瞬間、俺は恐怖を覚えて手綱を強く握りしめた。

 先程襲ってきたヴァンパイアハンターが満身創痍の様子で路地に立っている。そうしてそれに対する様に、男性が立っていた。その両手にはナイフ。明らかにヴァンパイアハンターを襲おうとしていた。ナイフを得物とした男。さっき翔琉が語っていた幻獣狩りの暗殺者と重なる。どうなるのかと目を見張ったが、視界は流れ、アパートの屋根に隠れて見えなくなる。ヴァンパイアハンター達の対峙していた路地のすぐ隣に伸びる路地へ降り立つとユニが消えた。

 俺は即座に澄玲の手を掴んで、路地の外へ向かって走り出した。すぐ近くにさっきのヴァンパイアハンターと暗殺者と思しき人間が居る。一秒だってこの知覚に居たくない。家に囲まれた日の当たらない細い路地の向こうには、車が行き交う大通りが見える。人通りの多い場所まで出れば、きっと下手な事は出来無い筈。

「どうしたの? 痛い!」

 澄玲の言葉に止まりそうになる自分を抑えて、俺は必死で大通りへ向かって走る。大通りへ出られたら謝れば良い。今はとにかく身の安全を図らなければならない。痛みと怒りと疑問を口にし続ける澄玲を引っ張りながら俺は懸命に大通りへ走る。もう少しで大通りに出られる。そう希望を持った瞬間、背後から澄玲のものではない声が聞こえた。


「どうもどうも。お待ちくださいな」

 ぞっとして立ち止まった。

 立ち止まらないという選択肢が無かった。

 背後から掛けられたのは平静な声音だったのに、何故かこのまま進めばさっきのナイフでばらばらにされてしまうという確信があった。

 振り返らなくてもさっきの男の声だとはっきり分かる。

 俺は澄玲の手を掴んだまま、傍の壁に立てかけられていた何かの蓋だったと思われる鉄板を手にして振り返る。想像した通り、さっきヴァンパイアハンターと向い合っていた男が笑顔で立っていた。

「いやいや、まさかこんな所に人が居るとは。さっきまで人の気配は感じなかったのですが、どうしてどうして、一体何処から来たのでしょうか」

 男は何処にでも居そうな人相で、優しそうな笑顔を浮かべた姿は危険そうには見えなかった。もしかしたら意外に大丈夫な人かも。

「うんうん、どうやらあなた達だけの様ですね。良かった良かった」

 男は何か納得した様子で深く頷いて、眼鏡のつるを押し上げて眼鏡の位置を直した。その手に持ったナイフを見て、俺は俺自身の思考に戦慄する。一瞬前まで、本当に男が安全かもしれないと思ってしまっていた。町中で両手にナイフを持っている異常者なのに、何故か警戒心が解けてしまっていた。

 にっと男が笑う。

「いやはやどうして、中中に警戒心がお強い」


 と、男が右手を微かに上げる。何となくそれがナイフを投擲する予備動作に思えて急いで鉄板を前に構えた。男が笑いながらナイフを持った手を振るう。耳障りな金属音と共に、鉄板を持った手に衝撃が走った。鉄板をナイフで防いだのだと分かる。安堵したのも束の間、鉄板を持った二の腕に熱を感じた。どうしたのだろうとぼんやり右腕を見ると、ナイフが突き立っていた。何でだか分からない。確かにナイフを防いだと思ったのに。

 からりと地面から音がした。見下ろすとナイフが落ちていた。地面に落ちたナイフと右腕に刺さったナイフ。もしかしてナイフを二本投げたのか。男を見ると、さっきまで持っていた両手のナイフが消えている。

 そう気が付いたのと同時に、ナイフの刺さった右の腕に凄まじい痛みが走った。吐きそうになって思わず身を捩る。物凄く痛い。

「悠人!」

 倒れてしまいたかったが、澄玲の心配する様な声を聞いて、俺は何とか踏みとどまった。俺はともかく澄玲だけは何とか逃さないと。

 見れば男の手には再びナイフが握られていた。これ以上、ここに立っていたってナイフに狙われるだけだ。一か八かでも逃げなくちゃいけない。

 俺は澄玲の手を引っ張ると男に背を向けて走り出した。澄玲も心得て走りだす。何とか澄玲にナイフが当たらない様に右を走る澄玲の背に鉄板を翳す。そうして二人でひた走る。

「ユニ!」

 大通りはもう少しだ。そこへ抜けられれば、暗殺者も目立つ事はしないだろう。背後から金属を弾く音が聞こえた。続けて馬の嘶きが響き渡る。見なくとも、ユニがナイフを弾いたのだと分かった。行ける。ユニが背中を守っていてくれるながらこのまま。


 怖気が走る。

 何故か分からないが凄まじい恐怖を覚えて後を見ると、男がナイフを持った両手を垂れ下げて揺らめいていた。

「しかもしかも幻獣使いであったとは。これは正に行幸至極」

 そして姿が消えた。

 瞬きの合間に、視界の右隅に何かの影が見えた。

 思考がありえない位に回転し、その意味を理解する。

 恐らく男が飛び掛かってきている。きっと右に飛んで、民家の壁を蹴ってこちらへと向かってくる。俺の動体視力では消えた様に見える位に速く。だとすれば逃げられないし避けられない。だったら。

 俺は鉄板で男を迎撃する為に、立ち止まって背後を振り向こうとした。右側へ鉄板を向けようとしている途中、突如左側から突き出されたナイフが鉄板を突き破った。凄まじい衝撃が二度やって来た。気が付くと、壁に寄りかかっていた。

 視界が揺らいで、思考が霞んでいる。

 多分、男は凄まじい瞬発力で、右と思わせておいて左から急襲してきた。普通なら右に向かって防御して、左からの攻撃にやられるのだろうが、俺の身体能力が男の予想を遥かに下回り、俺がのろのろと振り向こうとしていたところ、偶偶手に持った鉄板で男の騙し討を防げた。多分。それで吹き飛ばされて、壁に激突した。多分。良く分からないが。上手く考えがまとまらない。とにかく自分が生きているという事だけは分かった。足も動く。気が付くと走っていた。呆けた様子で立っている澄玲の手を取って大通りへ走る。もう少し。まだもう少し。もう少しだというのに果てしなく遠くに思える。もうすぐだけれど、男から逃げられる程すぐじゃない。


「待て! やらせはしない!」

 ユニの声と共に蹄の音。男を止めようとしているのだろう。

 その瞬間、足の力が抜けて転んだ。いつの間にか足にナイフが突き立っていた。背後を見ると、ナイフを持った男が俺に狙いを定めている。

 俺に引き摺られた所為で澄玲も俺の傍に倒れている。

 思わずそれを抱き締め叫んだ。

「ユニ! 俺を吹っ飛ばせ!」

 ユニは心得た様子で俺へ向かって駆けて来た。

 だが男の方が遥かに速くナイフを持った腕を振るう。

 ユニは間に合わない。

 ナイフが俺に。

 刹那、俺の前に大きく体を膨らませてれいむが現れ、男もユニも見えなくなった。れいむはナイフが突き立ち絶命したのだろう、すぐさまファミコン音源の様な電子音楽が鳴って消えた。開けた視界に目前まで迫ったユニが映る。急いで澄玲を庇って抱き締めると、ユニに突き上げられて吹っ飛ばされた。

 地面に落ちて、衝撃で肺腑から空気が吐き出される。あたりを見回すと、大通りの車道。ユニにふっ飛ばしてもらったお陰で路地から出られた。ここは大通り。人目の付く場所であれば男だって無茶は出来無い。

 助かったと体の力を抜くと、急ブレーキを掛けながらも目前まで迫ったタクシーが目に入った。クラクションが鳴ったと思った瞬間、衝撃が走った。

 気が付くと、車道に立っていた。傍に立つ澄玲が心配そうに俺の顔を覗きこんでいる。目の前にタクシーが止まっていた。ボンネットに手を突いて運転席を見ると、運転手が青ざめた顔をしている。無理もないなと自然に笑みが溢れてくる。何か知らないが、自分が交通事故にあった事が酷く面白かった。


 そのままタクシーの横手に回り、後部のドアを開けて澄玲を引っ張りながら乗り込む。さっきまで居た路地の入り口を見たが男の姿は見えない。追ってきていない様子だが、油断は出来無い。とにかくこの場から逃げるのが一番だ。

「おい、お客さん、大丈夫か?」

 俺達が後部座席に乗り込むと、運転手がそう言った。

 思わず笑いそうになる。

 大丈夫か?

 大丈夫かって、あんた、今の俺が大丈夫に見えるのか?

 全身血まみれで、しかもあんたのタクシーに轢かれて、今にも死にそうだっていうのに大丈夫だって思うのか?

 しかもお客さんだって? あんたは人を轢いておいてその上金まで取ろうとするのか? 普通、自発的に病院へ連れて行こうって思うんじゃないの?

 色色物申したかったが、そんな事をしている気力は無い。

「良いから出して下さい」

 俺が辛うじてそう呟くと、運転手は恐怖の表情を浮かべて背筋を伸ばし、震える手でハンドルを握りしめ、そのままタクシーを発進させた。何処へ向かっているかは分からないが、まあ、良い。とりあえずこの場を離れられれば。


「あ、ユニ」

 澄玲が呟いたので見ると、澄玲の手の上にペンダントが載っかっていた。

「あの男は何処かに行った。追ってきては無いと思う。諦めた様子で、良いや標的じゃないし、と呟いていたから」

 追ってはこないのか。なら安全だ。

「それより、悠人君の傷を治そう」

「うん」

 澄玲がペンダントを首に掛けた後、俺の腕に手を当てた。感覚が消えていく。治療しているのかな? 気が付くと、全身の痛みが消えていた。

「とりあえず痛み止め。この車の中じゃあまり派手に治せないから、何処か人目の無い場所へ」

 俺は頷いて、運転手に声を掛けた。

「すみません。ここで止めて下さい」

「は?」

 唇が紫色に鬱血した運転手が運転中だというのに後ろに座る俺へ振り返った。

「ここで止めて下さい」

「いや、だが」

「止めて下さい。警察に連絡しますよ?」

 訳が分からないといった様子だったが、俺の脅しを聞いた途端に運転手は体を震わせて、道端へタクシーを止めた。運転手が何か言うのを無視して、ドアを開けて外へ出る。無賃乗車になってしまったが、流石にお金を払う必要は無いだろう。示談金代わりという事で。


 足腰に上手く力が入らないので、澄玲に連れられながら、人気の無い裏路地に入る。立っていられなくなって丁度良くあった物陰にぶっ倒れると、電子音楽が鳴ってれいむが落ちてきた。

「主、大丈夫?」

「大丈夫に見える?」

 れいむが俺の腹に乗っかって、何だか仄かに光りだした。もしかして回復してくれているのか? 澄玲も俺の傷に手を翳している。回復魔法の有り難さに感動しつつ、傷口に目をやった。みるみる傷が塞がっている。傷口の肉が生きているかの様に蠢きながら肥大して俺の傷を覆っていく。グロ過ぎて吐きそうになり、思わず目を逸らした。

 しばらくすると澄玲が翳していた手を離して立ち上がった。傷が完全に塞がったのだろうか。立ち上がろうとしたものの、れいむがまだ腹の上に載っかっている。

「れいむ、どいて」

「主、もうちょっと待ってて」

 どうしたんだろうと思って待っていると、血に汚れ、破れていた衣服まで直っていった。れいむが俺の腹から飛び退いて、自慢げな顔をする。かなり万能の能力じゃないだろうか。これからは壊れた電化製品とかも直してもらえるかも。丁度、調子の悪くなっている乾燥機の事を思い出す。立ち上がると肩にれいむが乗って小声で囁いてきた。


「主、チャンスなんだからちゃんと身だしなみを整えてよね」

「は? チャンス?」

 チャンスって何だ?

 何となく澄玲を見て、れいむの言葉を理解し、顔が火照る。

 そういう事か。

 確かに、今は澄玲と二人きり。

 これはもうデートと言っても過言では無い。いや過言だけど、俺からすれば一般人のデートに匹敵する行為だ。

 つい今の今まで殺されかけていたのにこんな事を考えるなんておかしいだろうか。

 確かに今の俺はやばい状況に置かれている。色色な奴等に襲われて、死にそうな大怪我をして、いつ死ぬのか分からない。でも、俺には自分の死なんて想像出来無いし、傍のれいむを見ると全てが冗談に思えた、はっきりとした危機感が全然湧かない。とりあえず撃退したし、傷も治ったし良いやと思えてしまう。理屈で考えれば物凄くやばい状況であるのに。

 そもそも思い悩んだって仕方がない。

 だってやばい状況は向こうから勝手にやってくるんだから、俺にはどうしようもない。

 そんな中、俺は何をすれば良い?

 怖がって家の中に閉じこもる?

 否。

 俺のするべき事は、今を楽しむ事だ。

 いつ死ぬのか分からないのなら、目の前にある幸せを少しでも噛み締められる様に、全力で邁進するんだ。

 そして今、れいむの言う通り、絶好のチャンス。女の子と、それも気になっていた女の子と二人きりで居る。これ以上の幸せが何処にある。

「悠人、大丈夫?」

「うん。何とも無い」

 澄玲が軽く息を吐いて微笑んだ。可愛い。

「良かった。怖かったね、さっきの。何だったんだろう。悠人の言っていた奴等なのかな? 何か、この町、最近おかしいよ」

「うん、そうだね。とりあえず行こうか」

 悩む様子の澄玲も可愛い。

 勿論俺に好意なんて無いだろうし、デートなんて言ったら嫌われるだろう。

 だけど俺は安い男。澄玲と一緒に居られるだけで幸せを感じられるし、何処かのお店にでも入ってお茶でもすれば、それは完全にデートだと思える。

「またさっきの奴がそこらに居るかも。あんまり歩き回ったら」

「そうだね。じゃあ、何処かで軽くお茶でも」

 良し、行くぞ。

 上手く出来るか分からないけど、澄玲と楽しい時間を過ごすんだ。

 大通りの方は雑居ビル等が立ち並んでいて、あまりお店は無い。なので裏路地を進んで反対側へ進んでいく。近くに中学校があり、もう少し先へ行くと高校があるので、それなりにお店もある筈だけど。

 果たしてしばらく歩くと広い道に出た。繁華街という程では無いが、それなりに店が立ち並んでいる。

 さて、どのお店が良いのだろうかと歩きながら辺りを見渡していくが、正直何処に入れば良いのか分からない。普段友達とはチェーン店のファミレス位にしか入らない俺に、センスを求めたって仕方が無い。

「あ」

 澄玲が不意に声を上げた。

 見ると視線が目の前の建物に注がれている。

 そこは古めかしい西洋建築の屋敷で、一見するとお金持ちが住んでいそうだが、BROCKENと書かれた看板が出ているのを見るとお店なのだろう。今居る通りで一番良さそうなお店でさっきから視界には入っていたが意識的に選択肢から除外していた。

 だって高そうだから。

 如何にも高級そうな感じで、コーヒー一杯千円なんてざらに取りそうな感じがする。はっきり言って入りたくない。俺一人だったら絶対に、近寄る事すらしていない。

 だが澄玲の目がこの店へと注がれている。

 だとすれば何を躊躇う事がある。

 一応澄玲に見えない様に財布の中身を確認すると二万円あった。

 行けるか?

 流石にちょっとお茶を飲むだけで、二万が吹き飛ぶ店なんてそうそう無いと思うけど。

 いや、ここで引き下がる訳には行かない。この一戦に俺の興廃が懸かっている。

「じゃあ、ここにしようか」

 俺がそう言って入ろうとすると、澄玲が驚いて声を上げた。流石に俺がこのお店を選択するとは思っていなかったのだろう。きっとこのお店入りたいけど高そうだし、と遠慮していたに違いない。正に好機。俺の甲斐性を示す絶好の好機。

「ちょっと待って、悠人!」

 天は大事を行わんとする者に試練を与えると聞く。

 神の与うる試練は必ず耐えられる様に配慮されていると聞く。

 今正に俺の目の前には試練が待ち構えている。だが決して乗り越えられない試練ではない。そしてこの試練を乗り越えられた先には澄玲との楽しい時間が約束されている。

 いずくんぞ試練を恐れ眼前の幸福を得ん。

 入り口の取っ手に手を掛けようとした時、丁度中から店員さんと思しき姿の女性が現れた。俺と鉢合わせて驚いた様子だったものの、すぐさま笑顔になっていらっしゃいませと中へ招いてくれた。

 入ると、広いエントランスがあり、階上ではエプロンドレスを着たメイドらしき女性が一人、絵画の額縁を掃除していて、俺達に気が付くといらっしゃいませと言いながら深深と頭を下げてきた。

 それに見惚れていたが、案内してくれている店員さんが料金の説明をし始めたので、慌てて意識を戻す。

 どうやら客室とダイニングルームが選べるらしい。客室は貸し切り、ダイニングルームはテーブル席が並んでいるんだとか。どちらにしようかなと迷う。そりゃあ、二人っきりになれる客室の方が良い。しかし澄玲からすれば個室で俺と二人っきりになるのは怖いかもしれない。でもここで個室を選ばないというのもへたれな感じがするし、人が沢山居るよりは静かな場所の方が落ち着くだろうし。でも静かな個室で二人っきりになったら間が持たない気もするし。

 と、あれこれ考えていたら、店員さんがとんでも無い事を言った。

「客室のチャージ料は千円になります」

 チャージ料?

 チャージ料とかあんの?

 しかも千円?

 千円って学食のカレー四食分なんですけど?

「あの、ダイニングルームの方は?」

「チャージ料は掛かりません」

 どうする?

 少なくとも俺の金銭感覚から言えば、チャージ料千円なんてふざけている。そんなのに千円使う位ならうまい棒百本買った方がマシだ。だが隣には澄玲が居る。もし俺がここで、「あ、チャージ料掛かるんですか? ならダイニングでお願いします!」と言おうものなら軽蔑の目を向けられるに違いない。

 けれど千円。しかも個室ではさっき上げた問題も起こり得る。

 どうする?

 どうすれば良い?

「ダイニングルームで」

 悩む俺を余所に、澄玲がはっきりと言った。

 もしかして気を遣ってくれたのかと感動しながら澄玲を見ると、その表情はまるで戦場にでも向かう様な顔をしていた。何処か悲壮な、けれど決意に満ちた、闘志溢れる表情だ。

 何でそんな顔してるんですか?

 そう聞く事すら憚られる真剣な表情。

 何か怒らせてしまっただろうかと緊張しながら店員さんの後をついていく。

 案内されてダイニングルームへ入ると、中は閑散としていた。平日昼間とはいえ、幾らなんでも人が少ない。それだけ値段が高いのだろうか?

 中に居たのは女性が一人だけだ。

 その女性の横顔を見て思わず声を上げた。

 その異国の美しい顔立ちには見覚えがあった。

 ヴァンパイアであるラースロさんに良く似ていた。

 けれどその横顔はラースロさんと違ってはっきりと女性のものだと分かる。

 考えるまでもなく、ラースロさんの妹、マルギットに違いない。

 まさか、こんな所に居たとは。

 慌ててラースロさんを呼ぼうとスマホを取り出したが、連絡先を交換していなかった。だったら直接引き合わせるしかない。

 俺がマルギットさんに近付くと、マルギットさんも俺に気が付いて顔を上げた。近くでみると益益美しく、引きこまれそうになる。

「マルギットさんですか?」

 聞くまでも無いけど。

 マルギットさんがぱっと顔を明るくした。

 俺がラースロさんの知り合いだと気が付いたのか? 名乗る前に、名前を呼んだのが功を奏したのかもしれない。

 俺がマルギットさんの言葉を待っていると、恋に落ちそうになる様な可憐な笑顔を浮かべたマルギットさんは、上手な日本語で語りだした。

「私は北岳が富士山に劣等感を持っているは違うと思います」

 ?

「自分よりも優れている存在が近くに居ると嫌だという感情は分かります。しかし北岳が富士山に悪い感情を持っていないと思います。何故なら現在世界中で自然が無くなっていますので、自然はMisattribution of arousal、お互いを好きになると思います。そして富士山は世界中で一番高い山ではありません。外の世界に行けば、富士山は負けてしまいました。その時、北岳は悲しいと感じる富士山を慰めます」

 ?

「更に富士山はゴミが沢山あると私は知りました。富士山は沢山の人人によって汚されていると私は知りました。そして富士山は汚れる事を悲しんでいます。北岳は富士山を綺麗にして慰めます。すると富士山は沢山北岳を好きになります。北岳は自分の事を優れたと感じます。北岳は富士山が好きではありません。北岳は、富士山に愛される自分の事が好きなのです。北岳は自分の事を、富士山の事を本当は愛していないと考えていますが、事実は北岳も富士山を愛しています」

 ?

「だから私は北岳×富士山、病み北岳が尽くし攻め、女王様富士山は傷心の後に誘い受け、そうなると考えます」

 ?

 ?

「あなたはどう思いますか?」

 ?

 ?

 ?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ