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キャッスルヴァニア

「ありがとうございました」と遠慮がちに言ったその顔はやはり美しく、口の端から一筋の赤い液体が流れ出ている姿は耽美で、相手が男だと分かっていても胸の鼓動が高まってしまう。

 俺よりも少し年上だろうか。長身であった為、ゴミ捨て場から俺の部屋へ運んでくるのに酷く苦労した。

 男はトマトジュースを飲んでも尚、陰鬱な雰囲気を醸している。美しく整った顔には先程から感情が浮かんでいない。伏し目がちな無表情でこちらの事を見つめてきている。心臓の鼓動が早くなる。

 男の肌は白人である事を差っ引いても色白で、何だか血の気が抜けて見えた。炎天下の中倒れていた事を考えると体調が悪いと考えるのが普通だ。貧血や脱水症状であっても病院に行くに越した事は無いだろう。

「あの、タクシーとか呼びましょうか?」

 本来なら病院に連れて行くべきだと思いつつ俺が男へ確認を求めたのは、見ず知らずの者である事や外国人だから保険に加入していないだろうという事に加え、あまりにも色白な事が気になったからだ。

 死人の様な真っ白い肌、同性すらも魅了する容姿、そして口の端から垂れる赤いトマトジュース、しかもさっきは十字架の描かれたBDのパッケージを見た瞬間苦しんでいた。

 これはあれだろう。

 どう考えたってこれ、あの民間伝承やら敵国への恐怖があれこれ混ざって出来上がった、十字架を手放さない敬虔な教徒なら襲われないあの怪物だろう。

 怖いから突っ込めないけど。

「いえ、大丈夫です。トマトジュースのお陰で大分元気になりました。本当にありがとうございました」

「いえいえ」

 何でトマトジュース飲むと元気になるんですかね、という疑問を飲み込みつつ、俺は笑顔を浮かべた。窓からは強い日差しが差し込んでいるが、男は居たって平気な様子である。弱点が無いタイプか? 襲われたらひとたまりも無いぞ。とりあえず自分の部屋の中で十字架になりそうなものを再確認しておくが心許ない。

 隣の部屋に居る澄玲と希美の事を考えれば、何としてもトラブルを避けなければならない。別に二人の事を心配してる訳ではない。二人は俺より余程強いんだから、心配する必要が無い。俺が心配しているのは、ここで襲われる事になれば希美の部屋にも被害が及ぶ事だ。俺は改めて自分の部屋の惨状を見つめた。ガラスが破れ家具が壊れ衣服や小物が散乱している。俺の部屋だからまだ良い。この惨状がもしも、中学生の女の子の部屋に伝播したとしたら、考えただけでも可哀想だ。

 それから、もしもここでトラブルになれば、また何やかんや面倒な事になる。そうしたら折角澄玲が遊びに来てくれたのに台無しになる。俺の人生始めての、部屋に女の子がやって来るイベントが、別のイベントに移行してキャンセルになってしまう。それだけは避けなければならない。

「あの、それでは。僕、行かないといけないので」

 お、マジか。

 最近の俺の、取り憑かれた様な巻き込まれ体質から考えて、怪しい人物に関わった時点でまた何かに巻き込まれるかと思っていたけど。男が突然過去回想を始めたり、謎めいた言葉を残したり、化け物になって襲ってきたりという自体を覚悟していただけに、こうもあっさりと退いてくれるとは思わなかった。

 男は立ち上がると玄関へ向かって歩き出した。

「僕はヴルシュ・ラースロ。あなたの名前は? もしも僕が無事に故郷へ帰れたら、その時は十分な見返りを」

「無事に?」

 不穏な言葉に思わず聞き返して、俺はまずいと思って慌てて口を噤んだ。

 そのまま外に送り出してしまえば良いのに、相手の事情を聞いてしまった。これで相手が自分の事情なんて話し始めたら。

 ラースロさんが俺の横を通り抜ける。

「はい。僕は日本へと消えた妹を探しに来ました」

 おいおいおい、そういう回想が入りそうな話題はやめてくれ。

 振り返ると、ラースロさんもまた振り返って俺の事を見つめていた。その顔に表情は浮かんでいなかった。

「そう、あの日突然おかしな事を言って消えてしまった妹を」


 僕と妹のマルギットは二人きりで山奥の古城に暮らしていました。外に出てみたいとは思っていましたが、僕達は外の世界では迫害される身。嫌な伝承をあれこれと聞いていたので、憧れだけにとどめていました。

 生活は決して悪くないですよ。近隣の村の人達は良くしてくれますから、食べ物や着る物には困りません。電化製品だってあります。ネットだって繋がっていますし。そんな訳で、僕達は何不自由無く、古城の中でひっそりと仲睦まじく暮らしていたのです。

 それが崩れ始めたのが一年前。妹が突然呪文を口走り、頻りに外の世界へと行きたいと言う様になりました。

 コムケ。ヘタレーケ。ビーエル。意味は分かりません。

 部屋の中で熱狂した様に叫ぶ妹の姿が正気とは思えませんでした。あれは、呪い。誰だかは分からないですが、私達が私達というだけで忌み嫌う者は居る。そいつ等がきっと妹を呪いにかけたのです。

 狂った様に外へと出たがる妹を宥めつつ、必死で糸口を探したのですが、結局、妹は夏の祭典が始まるという言葉を残して消えてしまいました。一体それがどんな恐ろしい儀式なのかは分かりませんが、妹に危険が迫っているのは間違い無い。

 僕は絶対にそれを止めなくちゃいけないんです。


 だから回想を止めろって言ってんだろ。

 そういう背景を知っちゃったら手伝わざるを得ないだろ!

「そんな顔をしないで下さい。これは僕と妹の問題ですし。それに大丈夫。きっと妹は無事で」

 だからそういう事を言われたら、完全に助けるフラグが立っちゃうだろ! っていうかもう立ってるよ! 絶対! もう助けたくて仕方ないもん!

 現実離れした美形が無表情で泣き出しそうな声を出すなんていう光景、現実で初めてみたが、ここまでの威力だとは思わなかった。話を聞いただけなのに、その美しさの所為で悲劇性が増し、危うく涙が出かけた。もしも見捨ててしまったら、一生この光景を夢に見て罪悪感に苛まれそうだ。

「それじゃあ、僕は行きます」

 ラースロさんが歩き出したので、思わずその肩を掴む。

「当てなんてあるんですか? 今の話を聞いたら、妹さんの手掛かりは日本に来た位でしょう?」

「いえ、妹が予約したホテルの名前も分かっています」

 そうなのか。なら見つけるのはそんなに難しくないのかもしれない。

「けれど昨日爆破されてしまいました」

 おい、それって。

「妹が爆発位で死ぬとは思いません。その点については心配していませんが、結局行方は分からなくなってしまって」

 そう言って、ラースロさんは項垂れる。絵になる光景だ。胸が苦しくなった。俺が悪い訳じゃないのに、なんだか申し訳無くなる。

 手掛かりが無い。

 その上、奇妙な呪文を唱えて姿を消した。

 確かにまずい状況だ。とても無事で居るとは思えない。何とか助けてあげたいが、そんなやばい事件を、一般人の俺がどうするとも──

「ねえ、主。どうして難しい顔してるの?」

 目の前にはラースロさんが居るというのにれいむがぴょこんと跳ねて俺の肩に乗った。

 もしもラースロさんが幻獣を見る事が出来たら。

 恐る恐るラースロさんを見ると、案の定驚いた表情でれいむを見つめていた。

 そりゃそうだろうな。ラースロさん自身が明らかに幻獣の類だろうし。

 あまり自分が幻獣を連れているとは知られたくなかったが、こうなったら仕方が無い。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。俺は水上悠人で、こいつが相棒のれいむ」

「ゆっくりしていってね!!!」

 れいむが喋った途端、ラースロさんの目が更に見開かれた。驚いた様だ。幻獣なんて見慣れていそうな種族だと思っていたけど。

 ラースロさんの指がれいむを示す。

「それは? 生きているんですか?」

「幻獣です。知らないんですか?」

「えっと、はい。すみません。何分田舎なもので。生まれて初めて見ました。そんな生き物が居るんですね」

 田舎とか関係無いと思うけど。と考えて、ふと気になった。幻獣って一般に何処まで認知されているんだろう。少なくとも日本では殆ど知られていないと思うけれど。

「主、主」

「ん?」

「本題に戻すけど」

「何だっけ?」

 れいむが俺の頬に体当たりをかましてきた。

「馬鹿なの? 死ぬの? 妹の話でしょ?」

 ああ、そういえばそうだった。

 気の毒な話だ。助けてあげたいが、俺達にはどうする事も。

「居場所分かるよね、主」

「は?」

「何処に行けば会えるのか分かるでしょ?」

 そんな、まさか。

 れいむに聞き返そうとしたが、その前にぐっと襟首を掴まれた。

「何処ですか? 何処に居るんですか?」

 ラースロさんに掴み上げられ咳き込みつつ、俺は必死で首を横に振った。

 会った事も無いのに分かる訳が無い。

「会った事が無くたって分かるでしょ」

「そんなの無理だろ。呪われた相手の行き先なんて」

 本人か呪った相手しか分かり様が無い。

「何、寝惚けた事を言っているの、主。消えたのは呪われた所為じゃないよ」

「え? でも呪文を」

 コムケとか何とか。

 そんな事を熱狂しながら口走って、最後には姿を消しただなんて呪い以外の何だって言うんだ?

 ラースロさんも同意する。

「あれは呪いとしか思えません。コムケだとか、ヘタレーケだとか、ビーエルだとか、とにかく理解出来無い言葉を熱でもあるみたいな様子でぶつぶつと呟いていたのです。私はそれなりの数の言語を操れると自負していますが、あんな言葉聞いた事が無い。間違い無く呪文です。きっと呪いの為の」

 正しくラースロさんの言う通りだ。そんな訳の分からない言葉が呪文でなくてなんなのだろう。

「コミケ、ヘタレ受け、BL」

 え?

「きっと、コミケ、ヘタレ受け、BLって言ってたんだよ」

「いや」

 え?

 それって。

 でもそれじゃあ、夏の祭典て。

 いや、あり得ないだろ、そんなオチ。

「夏コミは一ヶ月先だろ?」

「今年の夏はいつも以上にBL有りの即売会が多いんだよ。メインのも夏コミまでに三つあるからね。これから夏コミまでずっとお祭り状態だよ」

 へー、そうなんだ。

 アホか!

「じゃあ、何か? その妹さんは同人誌を買いに日本に来たって言いたいのか?」

「多分ね。ねえ、ラースロ。マルギットはここ一年、何か変な物買ってなかった? 不自然に本が沢山送られてきたとか」

「え? いえ。一年前からクレジットカードを。あ、そういえば、あれもおかしくなったのと同じ時期だ。あ、すみません。えー、一年前から妹が自分のクレジットカードを作ってオンラインショッピング? を利用して居たので、実際何を買ったのか、僕は良く分かりません。ただ偶に配達屋さんが来て、僕が出ようとすると、妹が鬼気迫る勢いで僕を止めて、自分で応対していました」

 それってやっぱり。

「ああ、そう言えば、一度だけ妹が居なくて僕が荷物を受け取った事があったのですか。でも変な物ではありませんでしたよ? 確か、ペンタブ? 知っていますか? パソコンで絵を書く道具らしいのですが」

 書く方にまで?

 どっぷり過ぎるよ。確定だよ。

 何だか力が抜けた。

 大げさな話だから怖がっていたのが馬鹿みたいだ。

 まあ、ある意味では、呪いに匹敵する程の深い業かもしれないけど。

 俺は溜息を吐くと未だに襟首を掴むラースロの手を握りしめた。

「ラースロさん、多分俺達手伝えると思います。きっと妹さんと会わせて上げられます」

 会場によっては広くて苦労するかもしれないが、ラースロの妹さんという事は外国人でしかも美人なのだろう。目立つから見つかり易い筈だ。

 ラースロさんが驚きに目を見開き、そうして涙を浮かべ始めた。その感極まった様子を見て、俺も嬉しくなると同時に、なんだか下らない結末なのにそんなに感謝されて申し訳無くなる。

 とにかく大した話じゃなくて良かった。これで一件落着だ。

 安堵した俺は不意に疑念を覚えて、ラースロさんとの出会いを思い出した。

 空から落ちてきて気を失っていたラースロさん。

 おかしくないだろうか。

 やおい本を買いに来た妹を追ってきただけなのに、どうしてそんなに疲弊していたのだろう。仮にも人人から恐れられてきた存在が、炎天下如きで貧血になろうだろうか。日光だって大丈夫なのに。

 嫌な予感が加速する。

 何かまだ聞いていない事がある気がする。

 本当に妹は即売会へやって来ただけなのだろうか。

 もしかして俺はとんでもない思い違いをしているのではないだろうか。

 背筋に悪寒を覚えた。

 まるで背後から見られている様な気分。

 錯覚だとは分かっているが、俺は思わず振り返る。

 が、そこに錯覚ではない脅威が居た。

 黒い布を顔に巻いた黒装束の男がベランダに立っていた。

 一瞬思考が停止している間に、俺はラースロさんに横へ投げ飛ばされた。そのまま壁に激突し、痛みに咳き込みながら身を起こすとラースロさんと黒装束が睨み合っていた。

 男が何か語ると、ラースロさんが苦しげな声を出して言い返す。異国の言葉なの何を言っているのかは聞き取れない。

 その時、頭に何かが乗っかる感触があった。見なくともれいむだと分かる。ファミコン音源の様な電子音が鳴り、同時に黒装束とラースロさんの会話が聞き取れる様になっていた。

「どうして僕を追う?」

 黒装束の中から掠れた笑いが零れ出る。

「何故? 何故と聞くか」

「そうだ。どうして僕を追う。僕は人に恨まれる様な事をした覚えは無い」

 黒装束の奥から再び笑いが漏れる。それがどんどんと大きくなる。

「本気で言っているのか? 自分が何者なのか知らない訳が無いだろう? 俺はヴァンパイアハンター。お前は忌まわしきヴァンパイア。それ以上の理由は無い!」

 黒装束の嫌悪が混じった言葉を叩きつけられたラースロさんは突然俺に顔を向けた。ずっと無表情だった顔に明らかな恐怖が浮かんでいた。

 え? 何? 俺、何か関係あるの?

「もしかして主がラースロの事を売ったって思っているのかもよ? 匿う振りして留めておいて仲間を呼んだみたいな」

 はぁ?

 いやいやいやいやいや。

「違うよ? 俺、その黒装束の事なんか全く知らないからね?」

 するとラースロさんが諦めた様な優しい笑みを浮かべた。

「分かっているよ。あなたがそんな事をする人じゃ無い事位見れば分かる」

「一応言っておくけど、そいつの仲間でも無いよ?」

「分かっている」

 じゃあ、何でさっき怖がる様な顔をしたんだ?

 訝しんでいると、ラースロさんが言った。

「怖い、ですよね?」

「え?」

「僕がヴァンパイアだって分かって、怖いですよね」

 黒装束の哄笑が被る。

「当たり前だ! お前みたいな化け物が人間の世界に溶け込めると思うな!」

「分かっているさ! 散々聞かされてきた。僕達が嫌われているって。でも、どうして、僕達は何もしていないのに」

 あの、お二人でヒートアップしているところ悪いんですけど。

 ラースロさんが苦しげに胸を掻き抱く。

「ごめんなさい、黙っていて。騙すつもりは無かったんです。ただ僕の正体を知れば嫌われると思ったら言えなくて」

 俺も自己紹介で人間ですとは言わなかったけど。

「ははは、知らなかったのか? それはそうだろう。こいつが化け物だと知っていれば」

 ラースロさんも黒装束も勝手に盛り上がっているが、正直俺は全くついていけてない。っていうか、何か不穏な雰囲気だけどまさか俺の部屋で戦おうなんて考えているんじゃないだろうな。さっきから黒装束がラースロさんの事を挑発しているがこれ以上はやめて欲しい。暴れだしたら、今度こそ俺の部屋が吹っ飛ぶぞ。

「さあ、こいつに現実を教えてやってくれ。ヴァンパイアという種が人間の世界ではどういう目で見られるかを」

「あの、ちょっと黙ってくれません?」

 あまりにも鬱陶しいので思わず言ってしまった。怒らせるかと怖くなったが、自分に怒りが向くよりは、これ以上喋られて、ラースロさんが暴れたり、傷付いたりする事の方が嫌だ。というより、黒装束がうざい。何か勝手に俺がヴァンパイアを怖がっていると勘違いしているが、そういう他人の感情を汲み取った気になって勘違いしている奴は大嫌いだ。

 ラースロさんを見ると、驚いた顔で俺の事を見つめていた。黒装束が来てから随分表情が豊かになっている。

「あのラースロさん、俺はそういうの気にしないんで」

 ラースロさんに向けて言ったのだが、横から黒装束が口を挟んでくる。

「馬鹿を言え! そいつはヴァンパイアだぞ!」

「だから?」

 黙れよ、ホント。

「だからって……強がりか? そいつはヴァンパイアだぞ?」

「だから?」

 いや、本当に。

 特定の宗教やら地域に住んでいたり、あるいは迷信深い人とかならともかく、現代日本の学生でヴァンパイアを怖がる存在が居るだろうか。ヴァンパイアという有名な種族は今や創作の世界に溢れかえり、良い者から悪い者まで様様に描かれてきた。迷信と寓意に彩られた、侵食する恐怖なんていうゴシックホラー、殆ど見ない。今の日本でヴァンパイアなんて、はっきり言って特殊な能力が使える人間と大差無い。

 俺からすればヴァンパイアが怖くないなんて当たり前の事なのだが、やはり文化や価値観の問題だからか、黒装束やラースロさんは明らかに疑心の目を俺に向けてきた。嘘を疑っているというよりは、正気を疑っている様な目だ。

「あの、悠人さん、良いんです。僕は、分かっています。みんなに化け物だって呼ばれるのは。覚悟しています」

 俺は何だかもう面倒臭くなって、ラースロさんの傍へ歩み寄る。後退ろうとするラースロさんの手を握り、真正面から覗き込む。

「本当に、怖くありません。まだ少ししか話して無いけど、それでも悪いヴァンパイアじゃないっていう事は分かる。だから怯えないで下さい。今の日本で、ヴァンパイアを恐れる人なんて居ませんから、マジで」

 俺は少しでも、自分の気持ちが伝わる様に、思いっきり手を握りしめる。

 ラースロさんの目が揺れる。

「本当に?」

「はい」

 ラースロさんの目を見つめ続けていると、一瞬、ラースロさんの目が逸れたものの、何か決意の篭った目を向けてきた。

「じゃあ、あの……もし良かったら」

 何だろう?

 ラースロさんがそこまで変な要求をするとは思えないが、気持ち的には何でもする所存だ。

 妹さんを見つけるのだって手伝う。

 血を分けたって良い。

 あそこで突っ立っている勘違い野郎に一泡吹かせる為なら何でもしよう。

「僕と友達になってくれませんか」

「勿論」

 俺が間髪入れずに頷くと、ラースロさんの目から涙が溢れ出した。

 そこまで?

 俺なんかと友達になるなんて事でそこまで喜んでくれるのか。

 何だか俺まで涙が出そうになった。

 俺の人生の中で、ここまで誰かに必要とされた事があっただろうか。

 ありがとうと言って抱きついてきた体は俺より背が高いし、きっと力だって俺の数倍強いんだろうけど、どうしてだろうとても脆く思えた。何だか守らなくてはいけないという感情が溢れてきて、思わずラースロさんを抱きしめ返す。安心したのか、ラースロさんの腕の力が緩む。何とか落ち着いたのかなとこちらも安堵したが、それをぶち壊す様に黒装束が呟いた。

「理解出来無ぇ」

 黒装束がこちらを睨んでいる。

 その目には敵意が満ちていた。

「おい、ヴァンパイア! 勘違いするなよ! そいつがいかれているだけだ。人間は手前等なんて認めねぇ!」

 ラースロさんは俺の腕の中で身動ぎして黒装束へ振り返り、はっきりと言った。

「それでも良い。少しでも分かってくれる人が居るなら、僕はそれで良い」

 ラースロさんが俺の腕に触れる。俺が腕の力を緩めると、ラースロさんは抜けだして、黒装束へと一歩歩みだした。

「悠人さん、下がっていて下さい。危ないですから」

 あ、戦う気ですか。

 出来れば部屋を壊さない様に。

 いや、良いけど。どうせぐちゃぐちゃになってるし、もっと壊れる位なんて事無い。

 それはそれとして、不思議なのは黒装束の様子だ。襲いに来た割に、いざラースロさんが戦おうとすると明らかに怖がっている。さっきまで執拗にラースロさんを詰っていたのといい、いまいち何がしたいのか分からない。

「精神攻撃は基本だよ、主」

 そういう事なの? それにしたって精神攻撃に比重を起き過ぎな気がするけど。

 すると背後から答えが返ってきた。

「ヴァンパイアの戦闘力は精神状態に大きく左右されるんだよ」

 振り返ると希美と澄玲が立っていた。危険かもしれないから希美の部屋で待っている様に言っておいたのに。

「あのね、隣から言い合う様な声が聞こえたら助けに来るに決まっているでしょ! そもそも最初から危険そうな状況だったのに、何で私達と別行動を取ろうとするの?」

 澄玲に怒鳴られる。危険そうだったから遠ざけたかった。澄玲を危険な目に合わせたくない、とは恥ずかしくて言えない。

「外国語は分かんなかったけどさ、こいつが悪党なんでしょ? いかにもって格好じゃん?」

 澄玲の横では希美が唇を舐めている。物凄く好戦的な表情をしている。怖い。

 だが頼もしい。

 結局、二人の方が俺よりずっと強いというのが紛れもない事実。敵はただでさえラースロさんにびびっているんだから、そこへ更に二人の戦力が加われば勝てない道理は無い。

 出来れば、部屋がぶっ壊れてほしくはないし、穏便に事を収めたいけど。黒装束へ視線を戻すと、布の上からでも分かる程の強い笑みを浮かべていた。

 何だ?

 どうしてこの状況で笑いなんかが出てくるんだ?

 あまりの不可解さに警戒が一気に引き上がり、息を飲む。

 まさか勝てると思っているのか? 戦う気か?

 その疑念の答えとして、黒装束がゆっくりと手を伸ばし、俺達へと向けてきた。

 攻撃!

 体が強張った瞬間、全身に圧迫感を覚えた。体を凄まじい力で締め付けられ、そのまま引きずられた。見ると俺の体に幾重もの鎖が巻きつけられている。

 肺が圧迫されて上手く息が出来無い。

 何とか振り解こうと体に力を込めるが、鎖には尋常じゃない力が込められていて、体を動かす事すら出来無い。

 黒装束の下へと引きずられ、掴み上げられる。鎖の力が強くなり、全身に激痛が走る。続いて喉の辺りに焼きつく様な痛み。刃物を当てられたと認識した時には、黒装束に捉えられていた。

 喉の痛みが灼熱と共に何度も何度も脳髄へと駆け登り、その度に俺の口から無意識に呻き声が漏れる。

 死ぬ。

 痛みと恐怖で眩暈が起こる。

 ぐるぐると揺れる視界の中で、痛みと声が頭に響く。

「さて、お分かりの様に人質を取った。殺す気は無いぜ? お前が大人しく殺されればな?」

「悠人!」

「そっちのガキも動くな。俺はヴァンパイアハンターだ。ヴァンパイアさえ殺せれば、人質は返してやるよ。さあ、どうするヴァンパイア? お友達を見捨てるのかい?」

 ああ。

 俺の目がそれを捉えた。

 途端に恐怖が込み上げてくる。

 気付け。

 悪い事は言わない。あれに気付いて、俺を開放してくれ。

 あそこで、両手を合わせて、俺に謝る様な姿勢を取っている希美に気が付いてくれ。

 どう見ても、人質を見捨てる気だぞ。

 黒装束が気がつく前に、希美がごめんと頭を下げた。

「正義は悪に屈しちゃいけないんだ。例え人質をとられても」

 ほら、やっぱり。

 思わず叫びそうになって、刃物が喉に食い込み、激痛が走る。

「何だ、お前。人質を見捨てる気か?」

 黒装束の言葉を希美が肯定する。その瞬間、再び俺の喉に刃物が食い込んだ。痛みで涙が溢れてくる。澄玲とラースロが何か叫んでいるが、痛みの所為で聞き取れない。

「ふん、ガキ一人で何が出来る。が、油断はしない方が良いか?」

 黒装束がぶつぶつと呟きながら、何かを取り出して、上へ掲げた。

「分かるか、これが?」

 黒装束が俄に興奮した声を上げる。

「分からんだろうなぁ。これはな、ヴァンパイアの血だ!」

 ヴァンパイアの血? そんな物をどうする気だ?

「簡単だよ。これを人体に取り込めば、一時的にヴァンパイアの力を手に入れられるのさ」

 ヴァンパイアの力を?

 疑問が頭に浮かぶが、断続的にやってくる痛みで上手く考えられない。

 黒装束の自信あり気な語気からするとこの状況をひっくり返せる秘策なのだろう。

 せめて人質である自分が逃げ出ないと、益益不利になる。そう思うのだが暴れても鎖はびくともせずに抜け出せない。

 不意に黒装束から呻きが漏れた。

 どうしたのかと思う間に、黒装束の呻きが次第に哄笑へと変わっていく。どうやら血を取り込んだらしい。

「ははは! どうだ! この溢れる力! 今なら神を敵に回しても勝てそうだ!」

 何か俺の背後で黒装束の肉体がぼごぼごと泡立つ様な音を立てている。変身している様だが、ちょっと待て。

 気付け。

 敵の前で変身が成功するのはお話の中だけだ。

 あそこで、今にも飛びかかろうと目をぎらぎらさせている希美は、そんなフェア精神、絶対に持っていない。

 案の定、希美の姿が消え、瞬いた時には目の前まで迫っていた。

 次の瞬間、凄まじい力で背後へと引っ張られ、気が付くとマンションの外に投げ出されていた。

 多分、黒装束が希美にマンションの外まで殴り飛ばされたのだろう。黒装束が鎖を手放さなかった為に、俺までマンションの外に投げ出されたのだ。背後から液体を吐き出す音が聞こえる。黒装束が血でも吐いているんだろう。いつの間にか鎖が解けて自由になっていた。ようやく逃げ出すチャンスだがあいにくとここは空の上だ。

 いきなり肩を掴まれ、上へと引き上げられる。見上げると、黒装束が血を吐きながら俺の事を掴み、背中に生えた蝙蝠の翼で空を飛んでいた。頻りに漏れ出る呟きから察するに、どうやら混乱の局地に達している様で、肉体を強化したにも関わらず、女子中学生に殴り飛ばされたという悪夢の様な現状の把握に努めている。

 黒装束が逃げる様にマンションから離れていく。俺は何とか逃げ出そうと頭を巡らせたが、逃げようにも助けを呼ぼうにも空の上。地面は遥か下で、霊夢をクッションにしても助からないかもしれない。一か八かで試すには怖すぎる。どうすれば良いのか分からない。とにかく機会を待って、逃げないと。

 黒装束は相も変わらず、殴られた事が信じられない様子で、あり得ないとか、今日はお腹が痛かったとか、これは夢なんだと呟きながら空を飛んでいる。流石にそれは混乱し過ぎだろう。もしかしてヴァンパイアになると精神的に脆くなるのか? だとすれば精神が強さに直結する癖に酷い副作用だ。

 何にせよ、俺はどうする事も出来ず、黒装束も俺に何もせずに、空の上を飛び続け、やがて爆破されたホテルのある隣駅周辺に辿り着いた。この辺りでは最も栄えている区画で、背の高いビルも沢山ある。これはチャンスかもしれない。男は遥か上空を飛んでいて下手に逃げたら遥か下の地面にダイブする事になるが、飛んでいるのと同じ位の高さを誇るビルを通過するタイミングで黒装束から開放されれば逃げ出せる。

 問題はどうやって黒装束を撃退するか。

 ヴァンパイアが相手ならその弱点を突くのが常道だ。ヴァンパイアの弱点て何だ? 日光はさっきから平気そうだ。だとすればやはり十字架か? でも十字架なんて持ってないし。

 悩んでいると、れいむが言った。

「指を交差させれば良いんじゃない?」

 そんなんで良いのか? っていうか声に出したら黒装束に聞こえちゃうだろ。

「ふん、俺を倒そうってか?」

 ほらやっぱり!

「あいにくだが、信仰無き十字架では真の弱点に成り得ない。苦しくはなるかもしれないがその程度だ。だから大人しくしていろ。まだ利用価値があるからな。生かしておいてやる」

 余裕振りやがって。

 だが十字架を使おうにも俺には信仰なんて無いし。

「やるだけやってみたら?」

 いや、本当、敵に聞こえてるんだから。

「やってみろ、どうせ効かん」

 くそ。

 歯噛みしながら下を見ると、丁度良い高さに、ビルの屋上が見えた。これなら着地しても骨折位ですむかもしれない。れいむをクッションにすれば無傷でいけそうだ。

 一か八か、黒装束もやってみろって言ってるし、とりあえず試すだけなら、怒られないよね?

 俺は恐る恐る指を交差させて掲げた。

「十字架を作ったぞ! 見ろ!」

「だから、信仰が無ければ」

 黒装束の呆れた声に、れいむの抑揚の無い声が被さる。

「でも私達、キャラメイクする時、プリーストの信仰値十八固定だよ」

「ぐわあああ!」

 ええ?

 黒装束が凄まじい絶叫を上げる。俺の体が宙に投げ出される。そのままビルの屋上へと落ちていき、すんでのところでれいむがクッションになってくれた。れいむの上で一度跳ね、屋上のコンクリートに投げ出された俺は何よりも先にれいむを掴みあげた。

「何? 今の何?」

「何が?」

「いや、キャラメイクがどうとか。何で、あいつ苦しみだしたの?」

「だからウィズやる時、プリーストは信仰値十八にするでしょ?」

「まあね。効率は良くないって聞くけど、そうしちゃうね」

「うん、主ならそうすると信じていたよ」

 有名なCRPG、初代ウィザードリィではキャラメイク時の能力値の上限が十八になっている。プリーストは信仰値が重要なので、俺はとりあえず上限までボーナスポイントを割り振っているが。

 だから何だ?

「信仰において、他人の信仰を高める事も重要なんだよ。私達は多くの聖職者の信仰心を最大限に高めてきた。これに勝る信仰は無いよ」

 止めろ!

 ちゃんと信仰している人達に怒られる!

「でも……ゲームのキャラクターじゃん」

「実際効いてたでしょ」

 そう言われると、そうなんだけど。

 本当にそんなんで?

 そんなんで良いのか、ヴァンパイア。

 信仰を穢しているという意味では、ある意味らしいのかもしれないけど。

 空を見上げると、黒装束が煙を上げながら逃げ出していた。

 うわー、本当に効いてるよ。

「何だ、あいつは」

「うわ!」

 突然声を掛けて振り返ると、そこに翔琉が立っていた。

 思わず後ずさると、翔琉が笑う。

「成程。マリオネットのボスを探してそこ等の幻獣を狩っている訳か」

「いや、違う」

「じゃあ、何をしていたんだ?」

 何、と言われると、何て答えれば良いのか分からない。強いて言うなら誘拐されていたのか?

 俺が悩んでいると、翔琉が首を横に振った。

「まあ、良い。丁度話があったんだ。魔理沙」

 翔琉の合図と共に口を膨らませた魔理沙が突然現れ、口からビームを吐き出した。ビームの通った先を見ると、さっきまで空を飛んでいた黒装束が消えていた。

 何したの? まさか殺したんじゃ。

 俺の不安を他所に、翔琉が魔理沙を手に収めて、一瞬前の事等気にした様子も無く飄飄と言った。

「話というのは他でも無い。俺とお前の勝負の事だ」

 マリオネットのボスを先に倒した方が勝ち。負けたら死ぬ、といういかれた勝負の事か。

「何だ? 止めるか?」

 俺が挑発してみると、あろう事か翔琉が頷いた。

「ああ、一時休戦といきたい」

 は?

「勝手だろうと思うかもしれないが」

 本当だよ!

 勝手に命を賭けた勝負をふっかけて、その次の日にやっぱり止めよう?

 何なの? 何処の王様?

 心中にはそんな怒りが満ち溢れていたが、俺はそれを表に出さなかった。何よりも、命を賭した勝負なんていう馬鹿げたものを止めるチャンスを棒に振りたくない。翔琉の心境の変化は良く分からなかったが、とりあえず止めてくれるというのなら下手に刺激する理由は無い。

「良いだろう。そもそもそんな勝負やりたくなかったんだ」

「くくく、つれない事を言う」

 くくくつれない事を言う、じゃねえよ!

 激昂しそうになるのを必死で抑えていると、息が荒くなった。

「しかしどういう心変わりだ? 俺としては願ってもないが。何かあったのか?」

「ああ、起こったのさ。まずい事がな」

 まずい事?

 傍若無人なこいつをして、まずい事って、それ相当やばい事なんじゃ。

「この町に外から様様な勢力が流入し始めている事は知っているな?」

 え? そうなの?

「今仕留めた奴もその一人だろう。理由も目的も違う種種雑多な勢力がこの町に集い始めている」

 その勢力っていうのは、勿論穏便な人達じゃないんですね。分かります。

「俺としてはそういった混沌は望むところだが、あいつ等が来てしまったらそうも言っていられない」

「あいつ等?」

「知っているだろう? 全ての幻獣使いにとっての敵。あいつ等をまず真っ先に潰す必要がある」

 何だ?

 俺達の敵?

 何なんだそいつ等。

「流石のお前でも、もしかしたら怖気付くかもしれないと思うから一応確認しておこう」

 翔琉が挑発する様な目付きで俺を見た。

 俺は思わず生唾を飲み込む。

 恐ろしく不穏な話題だ。

 幻獣使い全ての敵。

 種種雑多な勢力の中で、別格の危険度を持つ勢力。

 それは一体?

「OPPAIに抗う勇気はあるか?」

 俺は翔琉の言葉を聞いてからしばらくその言葉を理解しようと努め、結局理解出来なかった。

「え?」

「ん?」

「え?」

 おっぱいは好きだけど?

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