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図書室ピアス  作者: 羽野トラ
暖かい年
55/57

陽の当たる方へ1


 入院の日が決まり、クラスの連中には言わず病院に行く前の日まで素知らぬふりで学校生活を過ごした。僕の入った病室は二人部屋で、通常の四人、六人部屋より随分狭いつくりになっていた。だけどベッドは空いているから相部屋にはなっていないし、一人でのびのびできる。


 手術まで三日を残し、暇過ぎる病院生活をぼんやり過ごした。周りは循環器系ということでお年寄りばかりで、廊下を歩いていれば珍しいとばかりに声をかけられまくり。時たま困る質問を受けたりで、病院ってけっこう疲れる。暇は人を殺すんだよなあ……、なんてベッドの上で本を閉じて二階の窓の外、遠くを眺めた。街の並木はもう桜色。春の風がサアッと木々を揺らし花びらを散らせる。はっきりしない季節にまどろんでしまうのはここのせいもある。時間がわからなくなる、怠惰に過ごせばいつの間にか日は落ちている。それが病院だから。


 一年は三百六十五日しか無いんだ、一日一日を無益に過ごせばそれが積み重なって人生には無駄になる。

 ……タキさんごっこ。口調も内心で真似した。あの人そんなこと言いそう。

 うるさいよもう。


「心くん」

「あ、はい」


 入口に若い看護師さんが立っていた。中に入ればいいのに、と思ったら笑顔が広がりさっと横に逸れる。何だろうと考えたのは一瞬。「友達来てるよ」って言葉と同時に部屋になだれ込んだそいつらがでっかい声でそれぞれ好き勝手なことを喋くりながら詰め寄って来た。


「体調どうよー」

「つうか水くさくねえ?!」

「話しとけよなあ、せんせーに聞いてマジびびったし!」

「なあー?こらぁ」


 騒ぎ立てる人だかりの向こう、看護師さんが僕に薄く笑い病室を出て行った。


「あーあ、つうかここのナースレベルたけえ」

「わかるー、心ズリイよな」


 ああもう。人数多過ぎだ。ベッド取り囲んで上からいろんな声が降ってくるからどれに答えていいのかわからない。ごちゃごちゃに絡まる音の糸を解いてひとつずつ答えると皆を盛り込んでの会話が始まる。

 さっきまでの、花びらの散る春の薄く白んだ空気は若い熱気に押され、消える。豪快な笑い声が白く無機質な部屋の中で反射して目に見えない色味をつける。下世話な話から学校の馬鹿話。クラス替えしたばっかだってのに話を聞いてか前のクラスの連中は半分以上居てくれてた。人がいるだけでこんなに気丈になる、元気になる。単純だけど、力になるのは人からの元気が伝染すること。だから病院ってのはお見舞いなんかに行くと帰りには疲れてるんだろうな。


 馬鹿笑いに、おふざけの余韻。お見舞いの漫画本の山や菓子類。いろんなものを病室に残して行った学校の連中が消えると、上がりっぱなしだった口角は筋肉痛を起こしていたので元の表情に戻すと少し痛い。頬をほぐすと思い出し笑いでまたひきつる。

 みんななんだかんだですごくイイ奴。なんだか胸の下あたりがほこほこしてくすぐったい。予想になかった見舞い客が随分平淡な日に色と時間に有意義さをもたせてくれた。


 確かめるよう、さっきまで気にしていなかった窓の外を眺めると随分と陽は傾いている。アパートや市営住宅に隠れてオレンジの線が放射され町を包んでいた。

 あと数分もすれば陽の余韻を残し町には夜の影が迫る。

 今日も来ないのかな。なんて思うのは止めた。



 *



 ごめんな、心。お見舞い行けなくて。

今日には着くからもう少し、待っていてほしい。



 新幹線のシートに腰を落ち着け隣に荷物を置く。あと三時間もあれば駅に着くし、病院にも向かえるだろう。携帯を取り出し病院にいる後輩に連絡しようと思い、止めた。あの病棟で電源は入っていないはず。

 気を張っていたせいで肩の力が抜けるとどっと疲れが押し寄せてきた。出発すると告げたアナウンスが流れ、車体が揺れる。窓の外を横目で眺めて瞳を閉じると久しぶりに会った親父の顔がぼんやりと思い浮かぶ。

 いつ掴まるかわからない親父が、数日前に連絡をしたら奇跡的に電話に出たため空き時間を無理に押して話があると充てさせた。向こうに着いてからも微妙な時間の変動で延ばし延ばしになり帰るのが遅くなってしまった。時期を逃せばいつまでも先延ばしになってしまう。心の手術が終わった時には少しでも前進させておきかった。

 目のかたちは多分親父譲り。社員もこんなんで睨まれたら相当怖いだろうって、人事のように思っていた。ドラマだとかで目にする展開、有りがちなパターン。そんなのは、大袈裟なんかじゃなくて現実に実際あること。俺の住んでいるマンションよりも背の高い、眺望のいいビルの一室をデスクにしている。経営している海外にあるホテルから直で来ているせいか日本とは違う匂いが漂っているような気がした。親父に時間は無いから、直入でしか話せなかった。昔からこうだ、まともに語り合ったことなんてない。取り合ってくれないのではなくただ単に時間に追われる生活だったからそんなもんだろうと理解していた。幼い頃から変に物分かりが良すぎたのがいけないんだろうか、だからこんなに後になって問題が出てくる。


 今付き合っている人がいること、だから更正なんてしない、それは絶対だって。

心が言った言葉のひとつひとつが頭の奥には残っていたけど、親父の顔を見たら遠くへと薄らいでいた。感情をすっぱ抜かれるように感じるのは親子間だからなのか。

俺は甘いんだと、決意したことを言葉にすれば現実を味わってきた親父を目の前にひどく足場がふらついているような気がした。


「どういうことかわかってるのか」

怒っている様子でもない。説教や文句を押し込めて零れた言葉に間を置かずに返した。

「わかってる」

「そこまでして、後のことは考えているのか」

「……後って」

 もしも、と言い立ち上がり目線の高さを同じくらいにした親父に父親的な表情を垣間見て不思議な気分になった。

「ここで縁を切って。一人で生きていくとなったら。その、相手と別れたとしたら後はお前になにが残る?」

「……なにか、残んなきゃいけないのか」

 結果としていつかついて回ったとしても黙って自然に任せたまま離れた方が後悔するに決まっている。

「リスクが大きい」

「何言ってんだ」

 親父にいらつくのは、なんでも結果主義で、人間においても同じ事を投影させるからだ。経営者だからなのか、無駄やリスクを許そうとしない考え方が性に合わなかった。

「……高校のうちは許してやる」

 なんでそんなのをアンタに決められなきゃいけないんだ。構ってこなかったくせに今更過ぎるだろ。

腹がずくずく疼いて、熱い塊を胸の方にまで浮かび上がらせた。

吐き出した形は、親父が「もしも」と仮定したそれだった。


「認めてくれないなら俺は縁切ってもいい」


 揺らぐ足場はさらに振動を起こして留まるのを難しくしていた。溜めていた考えは、口にすると単に突っ走った安易な響きに変わる。まるで現実味のなくなった言葉は一直線に向いた病院にいる彼への意識と逆らい重みを消す。

上手いことば選びができない。ストレートな表現は親父には通じない。


 *



 揺れ動く窓の外をずっと眺めていた。

悩むのは好きじゃないのに。だからずっと一人の方が楽だと思っていた。


手術が終わったら療養しないといけない。俺のことで手を煩わせたり悩ませることが心にとって本当にいいことなんだろうか。

俺が一人で先走っているだけなのか。

 「相手を連れてこい」と話した親父に真剣味の無い現状じゃ断れるはずはなく、かさ張る心への荷物はただ重い。細い体に負担をかけて、心は先にのみ込んだ俺達の静かな終わりを妨げてあがくのは、彼のために本当にいいのだろうか。

あの人はよく泣くけれど、芯はおれよりずっとしっかりしている。金に無頓着なおれと違いちゃんと現実を見ている。付き合うのは今年一年間だけと告げた時もあんなに遠くを眺めていた。

 奥底を引きずり出せば心も俺と同じようになるだろうか。抱きしめるとすっぽり落ち着く体を抱いた時。情に引きずり出されてなのかあの時見せた表情は俺と同じ気持ちだと言っていたように別れることなんて望んでいない。

卑怯かな。気付かれないように追い込んだら、言い出したのは自分なのにって、悩みそう。

 苦しくさせたくないよ。

でも、見えない場所で泣かれるのはもっときつい。乗り越える山に心臓破りの坂がなければ心は着いて来れる?


 頭を窓硝子にくっつけて、ずっと遠くを眺めていた。




 *



 夕方過ぎ、街に帰ると桜の花びらが肌寒い風に乗って散っていた。青い若葉がちらほら目につき、対比を為していた。あまり綺麗とは言い難い、元は白かったんだろう建物はくすんで所々灰色になっている。総合病院の案内板を眺めて心のいる病棟を探した。携帯の電源をエレベーターの中でオフにして手土産を入れた袋を再度握る。新幹線の中で眠ったからだろうか、頭がぼんやりする。リノウムの床のタイルを低空飛行の気分でなぞり、病室のプレートを横目にしていく。彼の名前を見つけ、視界が鮮明になった。

 ……本当に入院したんだ。そう実感せざるを得なくて、間を空けてしまった自分に腹が立ち。扉を横に引いて部屋を見渡し、彼が一瞬どこにいるかわからなかった。


 タキさん


 丸みのある声が頭の中で響いて、おれを呼ぶ。僅かに胸が上下しているのではっとした。体の芯が圧縮した缶みたいに潰れた。

 心が、息をしてないのかと思ったんだ。神経がとがり過ぎている、ちゃんと見たらわかるのに。ただ寝てるだけだって。

 腹にバスタオルを乗せ、脇に腕を投げ出して寝息を立てている。パイプ椅子を引き寄せて座り、一回り小さな手を握って血の流れるのを確かめた。気が抜けて、前屈姿勢になってベッドに頭を預けると開いた窓から肌寒い空気が流れてくる。閉めなきゃ、と頭の端で思いつつも途端に安心したせいか瞼が重くなる。握った左手が離れるのが嫌で、下敷きにして本格的な睡魔に流された。

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