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図書室ピアス  作者: 羽野トラ
暖かい年
54/57

時期3


「タキさん服どうも」

「いーえ、てか裾引きずってたよね」

「うっさい」


 今度こそ、家に帰る時。駅のホームでサヨナラ。駅まで送ってくれて、いちいち体を気遣かってくれて。タキさんは優し過ぎて時々心配になる。


「じゃ」

「じゃ。明日学校で」

「うん」


 毎日会ってるのにね。変な感じだ。ぷしゅ、と扉が閉まってちっちゃく手を振ってバイバイ。タキさんが後ろにちっちゃくなっていく。汚れたホームに消えていく。

 それが無性にきゅっと背中の筋や背筋を締め付けて。

 別れの時ってこんなかんじなのか、好きな人がどんどん遠くにいって手の届かない場所に消えてく――って、どうしてこんなのばっか考えるんだろう。一緒にいる時は普段と変わらない日常を過ごしてるし、幸せ、なのに。


 暗くなるのは止めよう。

今そんなの考えたって仕方ないじゃないか。これから楽しいことはいっぱいあるんだ。

夏はタキさんの誕生日とか、文化祭とか……いっぱい。そんな季節の行事を寂しく感じるのは。



「ただいまー」

「お帰り。もう、あれだけ平日外泊禁止って言ってるのに」

 家に帰ると母さんがぶつぶつ小言を呟く。とにかく謝って、なんとか機嫌を取り部屋着に着替えた。夜になるとさっそく母さんがオヤジに告げ口。食卓につきながら二人から小言だ。

 けれども、オヤジが「泊めてもらってばかりだと悪いからタキくんにも今度泊まりに来てもらいなさい」なんて言うので気が抜けた。母さんは説教になっていないと呆れていた。

 うちの親はなんとなく気付いてるんじゃないかなーと感づきながら飯を食う。オヤジなんかちょっとオカシイから養子にしようか、なんて言いそうだ。わかんないけど。けど……、拒絶はされないかなあ、なんて。

 打ち明ける気はないけど、ちょっと理想。


 こういうぬるま湯に浸かる幸せもアリなんじゃないかなって、この時はそう思っていた。

 変化ってのはいつも急と見せ掛けて、その片鱗は日常のそこらに散らばっている。それを知らないふりでやり過ごしてきた見返りや、結果としてついて回るのは予期していても少し苦しい。


 二日後の病院には行かなかった。

 もしかしたらという不安があって、現実逃避した。そうして週を一つまたぎ、親にそれがばれた当日。無理矢理連れていかれたその日に、知らないふりでは済まされないということを嫌でもわかったんだ。



「心」

 母さんが運転しながら、ぼーっと赤信号を眺める僕に呼びかける。

「先生には連絡しておくから。友達にも言っときなさいね」

「うん」

 親子間だと驚きはなかった。最近ちょっと……って話をしたら検査になり、カテーテル検査で不安のかたちは見事に現実になっていた。不安っていうのは、病気に対して(ってのは勿論あるにしても)より周りがどう変わるかが予想出来ないから抱くんだと実感する。なんて言い出せばいいんだろう? 入院するんだって、ダチには言い出しづらい。先生が説明してくれるかな。うん、そうしよう。あいつらうるさいから大騒ぎするはずだ。

「……先輩には言うんでしょ?」

 ぎくり、とする。母さんが友達とは分けてタキさんを指すから。空気が心なしか固まったのもそこに意味があるからなんだ。触れないように、気まずいのを無視するみたいに間を持たせてうん、と頷いた。




 何事も無いように午前を過ごす。教室で騒ぐクラスメイトや、それを見守るように差し込む春のひかり。ぼんやり自分の机でおとなしくていると陽一に惚気を聞かされて。チャイムの音が時間を追い立てるみたいで音源を落としたくなる。時間の流れなんて空か体内時計でわかれば充分だ。

 昼になると食堂やパンを買いにクラスの連中は飛び出して行く。

 弁当を持ち教室を出て、僕は三年生の教室がある向かいの塔に向かった。あの人のクラスに行くのは初めてだ。それと、やっぱ上学年って緊張する。廊下を歩いてるだけで視線にビビるんだから今の最高学年はすごい。馬鹿校ってのもあるにしろ三年になりたてのこの人たち、雰囲気が……。

 威圧感に萎縮し、タキさんの教室の前で知った顔を見付けてようやくホッとできた。


「間宮さん!」


 廊下で友達にヘッドロックをかけてふざけている間宮さんを見付けて呼び掛けると、お、と顔を上げて間宮さんが友達を放り出し近付いて来てくれた。


「心じゃん。何、タキ?」

「あ、はい!」

「いーねえ、アイだ。でもあんま三年とこ来ねえ方がいいかも。待ってな、呼んできてやるよ」

「ありがとうございます」


 間宮さんいてよかった…。ほっと胸を撫で下ろし、ストラップがわりのエクステ(前につけたものらしい)がついた気持ち悪い携帯を振り回しタキさんを呼びに行った先輩に普段にない有り難みを感じる。いなくなった途端にまた見られてるって緊張。うわ、間宮さんの友達がこっち来るよ…。


「なあ、二年?」

 来た。うわわ、苦手なタイプ。いや、タキさんも間宮さんもコワモテだから言えたギリないんだけど。

「は、はい」

「マジか。髪これ染めてんの?」

 近い近い。摘まないで下さい。

 普段はただの茶色だけど光の加減でかなり明るく見える時がある。染めてるって勘違いがあったら調子こいてるんだと思われるんだ。

「地毛です」

「は?なに聞こえな…」

 ああ絡まれてるんだ。後輩イコールパシリ?調子乗るな?とにかくやり過ごして時間潰そうって壁に追いやられて考えていたら明るく、呆れた調子の間宮さんの声がする。

「止めとけよ?」

苦笑した間宮さんが三年生の肩ごしに見える。助けろよって思ったけど、その後ろに教室から出て来るタキさんが見えたので安心した。

「おう、間宮。これお前の後輩だろ、ちゃんと教育しと……」

 低い声が恍惚としている彼を遮る。

「それ、俺の後輩だから」

 ああ?とガンをたれてゆっくり振り返るその人が硬直するので逆にびっくりする。多分慣れ過ぎたんだ。

「タキ」

 誰かわかった瞬間に困惑した表情を浮かべる。間宮さんと目が合うと、肩を竦める仕草をした。

「離れてくれないか」

 僕が感じる以上に過度にこの人は対処しようとするので困る。今だってそんな怖い顔しなくてもいいのに。普通の喋り方に対してトーンが合っていない。

「あ、ああ」

 来な、と呼ばれて三年からようやく解放。隣に並び、コンビニ袋を持ったタキさんが早足に行こうとするので後を追う。軽く間宮さんに会釈すると何に対してなのか「ガンバ」と返って来た。


「タキさんそんな怒んなくてもいいのにさあー、毎回」


 回転椅子でぐるぐる回りながらぼやくと仕方ないだろ、とムッとしたように吐かれる。回転を止められ、テーブルの上の弁当に向き直った。

 三年生塔から離れた多目的スペースとして作られた小部屋は、主に三年生の進路指導場所として使われているけど、今の時期は誰も使用していないし生徒指導室が近いせいで生徒が寄り付かない。

 過保護だよ、とまた文句を垂れると、心配かけるからじゃん、と保護者面される。


「でも珍しいね。つうか初めてだ、一緒に学校でお昼食べるの」


 この誘いは、きっとタキさんが思ってるみたいに僕の好意からの行動じゃない。期待を持ったこの人には申し訳ない。それでも、二の足を踏んでちゃ言い出せないしタイミングなんていつ流れるかわからないってこの前の誤解を生んだお泊りで経験済み。


「あ…違うんです。話すことがあって」

「え?」


 このテに関して最近過敏になっている。話すこと、と持ち出して相場はたいていよくない事と決まっているから。

タキさん、タキさんが今想像してるのとは全然違うんだ。お知らせってことだから。勿体振るとその分予告の重みがのしかかるので間を持たせずに、深刻な調子は全く出さずに軽く告げた。


「入院するんです。手術するんで、それ言いたくて」

「手術?……って」

 ああ、駄目だ。心配性には変わりない。先程の不安の種と取って代わって揺らがせる。

「おおげさにしないで下さいよ?入院まだだし」

「あ……はい」

 苦笑すると意を汲んだのか、タキさんが心配する言葉を抑えて頷く。それを封切りにして、僕は今までちゃんと口にしていなかった病気のことをタキさんに話す。心臓が悪いのはなんとなく感ずかれてたらしい。

 タキさんの前で時々胸を痛めていたのは血が逆流するから。そうしてその理由。僧帽弁閉鎖不全。今まではおとなしく様子を見ていたけど、これから形成術をすることと、それには時期が大切なこと。今がそうなんだって。いつかはきっと、と思ってたし、僕なんかより症状が重い人は沢山いるんだから、僕が辛いと思うのは止めて欲しい。そんなことを一つずつ説明した。

 構えて聞く姿勢の先輩は力が抜けたのか時々顔をしかめていた。この人は血とか痛いの、苦手なんだ。テレビ番組で医療のドキュメンタリーなんかやった日には僕がわざとチャンネルを変えずにいると「やめてくれ…」と弱々しく目を背ける。

「タキさん、力抜けた?」

 今もそうだ。ネタは自分なのに、自分だからこそ、タキさんが苦しそうにするのが堪らなく面白い。

「抜けたのもあるけど心配じゃん。そういうの早く言いなよ、ってこら何笑ってんだよ自分のことだろ」

「だって、あはは」

 タキさんが笑う僕を怪訝そうにする。まるでタキさんが手術するみたいだ。

「病室とか…詳しいことわかったら後でメールするから。入院しちゃったらあんま使えなくなるけど」

 僕の行く循環器系の病棟はペースメーカーをつけている人も多いので一階の指定フロアまで下りないと携帯が使用できない。

「うん……う、あー緊張してきた」

 力の抜けたはずの手で頭を掻きむしる先輩は子供が産まれるのを待つ父親みたいだ。

「あああ、入院すんのにやっちゃったよ…」

 それで、素面で言わなくていいことまで持ち出す。落ち込んでるしさ。

「いいですよ一々言わなくて。ね、仮死状態ですよ、か・し。僕一回し…ッ」

 タキさんをからかうのに適当に言ってみたけどそういうの言うな、って先輩がほんとに怒った顔して頬を掴むので止めた。(というか喋れなかった)ふざけ過ぎた。それでちょっと落ち込んでたら、何考えてんだかいきなし僕の胸の上に手を置く。

「何してんですか」

「心音聞いとこうと思って」

 タキさんが、座高の違いで大きく頭を下げ、耳を心臓があるだろう位置にあてる。人がいないからいいものの、学校で何してるんだろう。図書室でも同じことは言えるわけだけど。普段は蘊蓄垂れるくせに、安直な行動パターンはいつも同じ。だけど目をつむって音源を探そうとするこの人を見下ろしていればなんだか胸から体全体に流れる血があったまっていく。


「あ、見つけた」


 嬉しそうに漏らして、耳を済ますタキさん。皮膚を通してあたたかな血が、制服ごしに僕まで伝わってきた。人に触られるのは好きじゃないのにこの人相手に落ち着くのは血流と鼓動が共鳴するからなのかな、なんて。人間は細胞で恋するらしいから。


「ここに子供いるみたいだな」

「そうですね」


 今のやり取りを指して、零れる微笑。顔を上げたタキさんは哀しいような、困ったような顔で口元だけはゆるやかに孤を描かせていた。タキさん?と、呼ぶと頭に手の平が乗る。丸テーブルを左横にタキさんと向かい合うと正体のわからない、例えるなら春のぬるい風のような視界の白む空気が漂った。


「キスしていい?」


 頭から手の重みが消える。はにかむでもなく、真面目でもなく。ジュース買って、とねだる子供のような軽さで尋ねる。表面ではそう、裏側にはいろいろ混ぜ込んで。


「だめ」


 くるっと椅子を半回転させ丸テーブルに向かう。開けた窓から肌ざむく、やわらかな風が吹き込んでくる。しいんとした廊下に抜けると、ただのさみしい空気に変わる。


「今はだめ。心臓、とまる前に」


 そうしたら、頑張れる気がするんだ。無意識にでも体が覚えてくれる気がする。手術前にという意味が伝わったのかどうか。

 立ち上がり、ぎい、と椅子が軋んだ音。背中から触れるか触れないか弱く抱きしめられ。そのくらいで停まるわけないのにって心ん中で言った。

 春の訪れはごまかしようがなく。穏やかな空気を嫌いにはなれなくて、僕はそれを受け入れる。 

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