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図書室ピアス  作者: 羽野トラ
暖かい年
49/57

約束1

「心、いいよ」


「え……」


「もういいから。一人でやれる。離れて」



 心が、俺の腕から手を離しすみません、と小さな声で呟いて消えていく。カチャリと音を上げて扉が閉まるのがわかる。一人、空調の効いた部屋で俺は、積み重なっていた本の一番上のものの埃を掃った。

 心が悪いわけじゃない、さっきまで横にいた小さな体を思い浮かべると罪悪感すら沸いて来る。けれども、追いかけることはできずに俺は書庫整理のために仕事を続ける。高い棚に手を伸ばした。

611。ラベルがぼやけた頭ではどの種類だったか、上手く読み取れなくなっていた。




 *




 卒業式はあっという間に過ぎて、いよいよ僕らも新入生が入れば一つ上の学年になる。周りは三年生がいなくなったというので開放感に騒いでいたけれど、僕は喜べなかった。出席した卒業式中も、式なんか遅く終れと(かなり矛盾しているが)欠伸を噛み殺し思っていたくらいだ。

 言葉を間違えたあの時から、タキさんはそんなの思っていない――間違いじゃなかったらいいと願っていたのにそれは現実だった。誤解を生んだまま、訂正する術を知らずにずるずると過ごしていたら、それは今までの僕らと違う“何か”を作りあげていた。交わす言葉、雰囲気だとかが目には見えず徐々にずれていく。

……怖い。一日一日が過ぎる度に、タキさんは僕から離れていく気がする。



――そうじゃないんだ。


 そう、いまさら声には出せなくて、だから替わりに、僕はタキさん本気で好きなんだって伝えようと思ったから。



「タキさん」

「んー?」


 新入生が入る前に書庫を整理しよう、という先生の指示でローテーションを組んでいる人同士で日にちを割り振り書庫を手伝わされていた。蔵書が並ぶそこは、隠れ家みたいに薄暗い。電気をつけると明るくはなるけど、図書室みたいに開けた雰囲気ではない。

 今はそれが都合がいい。


「……どうしたの」

「へへ」


 本を並び替えていた腕を掴む。動きが取れなくなり、邪魔されたタキさんは本を掴んだまま僕をちらっと見下ろした。


「仕事できない」

「ごめんなさい」


 苦笑していたので、本気にはせず軽く手を離して僕も仕事に戻る。背中合わせになって蔵書を調べ、並び替えす。

 それでもやっぱり気になって、振り返ってタキさん、と呼んでみた。


「こら、何」

「これ終わったらスタバ行こー」

「終わったら、ね」

「終わんなくても」


 行きたい、と手を伸ばしたら、指が引っ込んだ。長い手が、拒絶するみたいにさっと。

 一瞬にして背中が冷えたのは、離れた手なんかじゃなく一気に伝わってきた僕への煩わしさの感情。

受容してくれると、いつも甘えていれば調子に乗っているのも気付かなかった。これじゃ好きのアプローチより図々しい奴だ。


「心、いいよ」


 タキさんが軽く僕の頭を叩く。

けれどそれはいつもの気安さや親しみとは全く違う種類で。お疲れ様、といったように用済みという意味らしかった。

「え……」

「もういいから。一人でやれる。離れて」


 ――冷たい壁がある。届かない壁。

 暗に触るなってことだ。せっかくペアになってるけど、もう意味はない。一人で仕事した方が効率いいし、仕事するために僕は今居た。そういうこと……だ。

謝ってもしょうがないのに口をつくのはごめんなさいって言葉ひとつ。

 本気で拒絶するタキさんなんて初めてで、僕は自分を買い被り過ぎていた。タキさんのそういった厳しい面は、僕に向けられることはないって信じてたんだから。


 その場に居られなくなり、言われた通りに離れ、僕は書庫を出た。黙々と作業するあの人を残すと、自分が本当に使えない奴だって思えてきて情けなくなる。

暗い表情のままどこへ行くことも出来ず、足は自然といつもの本棚――…一番奥へと向いていた。


 どうしよう……。


 床に座り込み、高い棚を背中に膝を抱えるとさっきの台詞がまたぐるぐる頭の中で廻り反響する。

嫌われた……かな。

 真摯に言ってくれたのに、「無理です」なんて。

 本意じゃないのを知ってもらうには日数の経ちすぎた出来事を掘り返さないといけない。

 もっと素直だったら言えた?説明できる?

 そうやってあがくことが出来ないのは、今になり掘り返して“無理な理由”というものをタキさんの前に引きずり出すのにまだ、怖れがあったからだ。いつかは言わなくちゃいけないんだろうけど、あと一年、別れの予告をして付き合うのはどうにもいたたまれない。

 言い出すのは遠ければ遠いほどいいって思ってたのは逃げてるだけなんだろうか。


 仕事が終わったらどんな顔をして会おう。

 あの部屋を出てきて、手伝えないで、こんな場所でぐずぐずしてる。

 惨めになりまた俯いていたら、久々に聞く耳に通る声に呼ばれたので慌てて目尻に溜まってきたものを拭った。


「しーんくーん」


 体がギシギシに軋んで、ぎこちなく顔を上げた。多分――すごく情けない顔をしてる。カッコワル…。


「間宮さん…」

「どしたの、スゲエ面」

「……ッ!」


 慌てて腕で顔を隠したらニヤニヤしながら間宮さんが隣に腰を下ろしてきた。ほっといてほしいので腰をずらして距離を取る。


「タキとなんかあった?」

「なんもないす!」

「なんで体育会系……」


だって、今のことだけ聞いたら馬鹿みたいじゃんか。ちょっかい出したら仕事ができないからって注意された。そんなんで暗くなってる。バカらしいって。


「やっぱオレにしとく?」

「やです」

「そんなにあいつがいい?」

「ほっといて下さい…」


 連投のような質問に膝を引き寄せて顔を埋め盾をつくる。

これ以上弱いとこ、見られたくない。

あんまし人に弱いとこさらけ出すのは慣れてないし嫌なんだ。


 意図的に作った沈黙は、上手く運んだつもりでも先輩からしたら全然違うらしい。どうしてなんだろう、たった一年違うだけなのに学校の枠組みでの一学年ってこんなに大きな余裕の差になる。


「謝ってくればー?溝あんならオレ付け込んじゃうよ」

明るい口調が、胸をざらつかせる。つい素っ気なくなるのはしょうもなくて。

「間宮さんには無理」

「こうして隣にいんのに?心泣いてんのにタキ今いねえじゃんな。なんでだろーな?」


 ちくちく細かな場所を刺す間宮さんの言葉にカッと頭に血が上るけど、情けない顔で何も言えそうにはなく。喉の奥はすくんでいたので、僕はやっぱり無言で膝を抱えたままでいた。


「アイツ、どこがいいのよ。人と関わんねえし取っ付きにくいじゃん」


 ――優しいじゃんか。凄く。


「なあ、いつまでもそうしてんなら奪っていー?」


 何を?と疑問に持つ前に肩には間宮さんの指が食い込んでいた。バランスの悪い姿勢だったので容易に捕らえられてしまう。


「オレグズグズしてる奴嫌いなんだけど」

「え間宮さ…」


 硬直してる間に頬を間宮さんの指が撫でていく。途端にざわざわとする背筋。意味ありげな接触が堪らなく嫌だ。タキさんが触れる時はこんな熱い情が篭ったものじゃなく家族みたいな柔らかなあったかさだから。


「止め…」


 悔しい。なんでこんなに非力なのか。

 押しのけようと腕を突き出すのに、間宮さんは余裕そうにして顔を近付けてくる。


「やだって…!」


 鼻先スレスレで、半泣きになっていたらすっと腕の力が抜けた。


「ジョーダン、オレ無理矢理やる趣味ねえし」


 ハ、と息を吐き力が抜けるまで間があった。口元に孤を描くその人の手が肩を叩き、離れる。


「早く仲直りしてよ。八つ当たりされんのオレなんだから」


 腰を上げた間宮さんを見上げるのはできなくて、言葉がわりに軽く会釈をして僕は回り続ける思考の渦にいた。

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