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図書室ピアス  作者: 羽野トラ
リョコー
39/57

聖夜まで

「心、ちょっと!」


朝っぱらから近所中に響き渡る母さんの高い声。それを無視してカバンを引っつかみリビングを出る。シューズに片足を突っ込んでいると背後から迫ってきた母さんに肩を捕まえられた。


「何だよ?!」


振り払い悪態をついて睨むとパン、と頭を叩かれた。


「平日に泊まりはダメって言ったでしょ、土曜だけって!」

「もう高校生だし!過保護過ぎんだよ、男だし!」


ほんとは今日、一週間とちょっとぶりに会うタキさんちに泊まりたかったから。あの人なら二つ返事で頷いてくれそうだから。

問題はうちの親。持ち掛けて2秒で瞬殺。

もう片足を履き、かかとを慣らしていると忘れてた記憶が小言でぶり返す。


「だって心、あんた夜遅くなれば…」

「いつの話してんだよ」


自分でも驚くくらい低い声が出て、母さんの存在感がしゅう、と萎むのがわかった。罪悪感を覚えて、でもどうする事も出来なくて、胸が押される感覚をごまかすよう玄関を逃げるようにして僕は家を飛び出した。









放課後になるにつれて挙動不審になる僕にクラスメイトは首を捻っていたけど、陽一だけは事情を知っているので時計を気にする僕にたまにニヤニヤとした含み笑いを向けて来た(授業中振り返り、“色ボケ”と口の形をつくるので消しカスを投げてやった)。


いつも通り。うん、いつも通りだ。


二年生が戻った校内はいつもに増してざわついているし、今までと同じ光景が目に入る。だけどこの、教室から図書室までの道のり。これだけが違う。目に見えないルートが敷かれていて、その上を不可抗力で歩かされている感じ。嫌な感じじゃなくて、そうするのが自然だったから無意識が意識的に変わる、そんな感覚にぎこちなさを覚えて。


図書室前、一瞬躊躇う。

カウンターに見えたのはあの人の姿。

そうして一歩踏み出したら。


「タキさん、おかえり」


僕らがある場所に、帰ってきたのを確認して。


「ただいま」


と。


例年通り。クリスマスまで雪は降りそうにない。霜の下りた道路に、学校では自転車登校が禁止になった。二ケツできないのは残念だけど、肩を並べて帰り道を一緒にする。それだけでなんだか頬がだらしなくなる。

家に寄るか?とナチュラルに聞かれ同じ事を思ってたのかな、と(また自意識過剰かもしれない)嬉しくなった。


「へへ」

一人で笑っているとタキさんに変な顔される。

「…どうした?」


一週間ぶりだから浮かれるのを抑えられない。今日だけはきっと悪態なんてつかない、素直になれる。


「なんでもない」



きっと。



  *





「ハイこれ」


「ぶっ!」


失礼かな。お土産を手渡された瞬間思わず吹き出した。


タキさん、これ買ったの?観光客丸出しじゃん。

リアルな上海蟹の形したストラップ。蟹の甲殻にはそのまんま『上海』。他にもあるぞ、とバッグから続々と出てきたのは有名ブランドのパチモンの財布や時計。

何でこの人こんなの買ってんだ。

買おうと思えば本物くらいすぐ手に入りそうなのに。


僕の視線に気付いたのか、「記念」と笑うタキさんは本当に金持ち独特の珍しい物好きって目をしている。二人して床に座り、広げた偽ブランドの品々のクオリティの低さとアホなブランド名のネーミングセンスに腹を抱えているとさっきまでの恥ずかしい自分はどこかに吹っ飛んでいた。…のに。


携帯につけたあまりにリアルな蟹のストラップがおもしろくて俯いていじっているといつの間にか目の前からタキさんが消えていた。

というか、その張本人が近すぎて見えてなかった。包まれるみたいにして、腕の中にいたから。

後ろから感じる温もりに安定感を覚え、言葉なく身を委ねていると小さく息を吐くのが聞こえる。


「充電切れ」


首元で囁くからぞくりとした。


「あの、修学旅行どこ行ったんですか」


甘い空気が始まる予感。耐え切れなくて関係ない事を口走る。


「ん?上海って」

「そうじゃなくて何してきたんですか」

「蟹食べたりー、買い物したり、歴史的なもん見て来たよ」


そんなアバウトな。


今まで(何だかんだでベタベタだけど)こんな真っ正面にタキさんから求められたのって無い気がする。それがいいと欲した事もあるけど、いざ現実のものになると自ら恥ずかしさに耐え切れなくて逸れる方向に持っていきたくなる。

こんな空気で泊まらせてなんて言えんのか。


あまのじゃくでいい。とにかく恥ずかしくてしかたない。


「た、タキさんあの…」


これで二日後にはあんなこと…?自分から言い出したけど無理だろ。無理。


「いつか旅行行こうな」


見透かされているのか、優しい音調。止せばいいのに顔が見たくてつい振り向いてた。


振り向いたのはいいけれど、勢いが良すぎてタキさんがバランスを崩す。顔、見たかったけどやっぱ耐え切れない。勢いに乗じて床にタキさんを押し付ける。


「何してんの」


腹の上に乗っかると頭を少し持ち上げたタキさんが怪訝にしてあの狼犬の眼。


「ウィナー!」


虚勢と、わけのわからない僕の言葉を飲み込んでくれるこの人もこの人で。


「…やる気?」


にや、と笑って空気は一変。またいつも通りに始まるのは兄弟みたいなプロレスごっこ。


ふざけながら思う。

―――こんなんで、二日後大丈夫なんだろうか。


タキさんは知らない。

母さんが今朝言いかけた言葉の先を、乗り越えたと思っている僕の壁を。


結局今日はタキさんちに泊まりは無くなった。親とケンカしてきたと言ったらタキさんに諭されたから。それに今日泊まったらクリスマスに泊まりが無しになるかもしれないし。

そういうことだけを期待するわけじゃないけど。


もしかしたらあれを塗り潰せるかなって、淡い期待が調子づいて心臓近くで膨らむのを、鮮明に感じていたから。


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