欲しいもの4
「心、大丈夫か」
男の襟首を掴んだままタキさんが僕を見る。瞳が爛々としていて、ビー玉に入る筋みたいなアイスブルーの波がちらりと光っていた。
「だ、大丈夫だから…はなして」
そのままにしておけば、タキさんが犯罪者になりそうな気がして。
「わかった」
ぱ、とタキさんが襟首が手を離して開放すると、上擦った声を上げて男が逃げて行こうとした。
した…ってのはタキさんに腕を掴まれ逃げられなくなったから。
「今度」
「な…、ヒッ」
タキさんが高圧的にガンをつけると、それだけでそいつの身が竦み上がるのがわかった。
「“今度”が、あったら折るだけじゃすまねえから」
“折る”の主語が無いのが尚恐怖を煽る。謝れ、とタキさんが低く怒鳴りつけ、言われたままに僕に向かい「すみませんでした…」と力無く頭を下げると「謝って済むと思ってんのか」と今度は無茶苦茶な事を言うやくざなタキさん。
警察に突き出す、と言うのを僕が止め(情けなかったからだ)そうしてふに落ちないといったようにタキさんはそいつの背中を殴ってようやく開放した。
「心、ホントに大丈夫?」
険しい表情のまま、だけどなんとなく雰囲気は柔らかないつものタキさんに戻っていて我にかえる。
そのギャップが怖くて、思わず後ずさる。膝裏にベンチの角があたり、力が抜けてかくんと座り込んだ。
「や…」
「心?」
「やだ」
カツアゲで忘れてたけど、そうだよ、ここに来たのはタキさんにあの人がキスしてたのを見てしまったからで、だからカツアゲにあって、なのに助けてくれたのはタキさんで、僕が呼んだその人で。
わけ、わかんない。
「もう…いやだ」
なんでいるんだよ。
知らないふりして、僕以外の人いるくせに。
そんな、心配したってカオいらない。
「別れる…」
そんな言葉が自分でも知らないうちに口をついて出た。地面を見つめるとマフラーの繊維が肌に刺さった。
「は?心」
「嘘つき」
別れたいは、本心じゃなくて。
嘘つき、はよくわかんなかった。
*
いざその人を目の前にしたら停まってしまいそうだった心臓はちゃんと正常な脈に戻ってるし、今も悲鳴は上げてるけどさっきよりかはキツくない。
違うのは心臓じゃなく今度は喉と肺が痛みを訴えたってこと。呼吸ができなくなりかけてた。
沈黙だけで時間を埋めていた。
前方からは戸惑いが伝わってきて、僕がヒク、としゃくりあげるのを抑えようとすれば肩だけが大袈裟に揺れて恥ずかしく、悔しくなる。涙の量はたいしたことないのにやたら胸が苦しくて気管支がぎすぎすした。
「心、俺わかんないんだけど、どうした?」
地面に膝をつけてタキさんが僕の腕を掴む。きっと今この人を直視すれば宥めるように優しい顔してるんだろうな。
僕が何も知らないと思って。
「怖かったか?」
違う。子供みたいに扱うな馬鹿。
あんたのせいだ。
「別れるって、なんで?」
言わなきゃわかんないのかよ。言わせんのかよ。
僕に。
別れたくないのに。
僕が知らないとでも思っているタキさんが物凄くムカつく。そうだ言ってやる、そんで驚いた顔を見てやるんだ。
最後の腹いせに。
「用事あるって言ったくせにマンションいるし、他のヤツ部屋に入れてた。キスしてた。嘘つき、タキさん嘘つき」
言葉を選ぶと涙と共に詰まって伝えられそうになかったので口だけ動かすと、信じられないくらい早口になって、言いたいことが言えた。
終わりだ、と絶望的になりながらも見納めにタキさんのびっくりした顔を見てやろうと顔を上げたら、なぜだかタキさんは困ってるんだか微妙に笑ってんだか変な顔をしていた。
そうしてハア、と盛大なため息を漏らし、別れの予告かとビビる僕の手を握り「おいで」とゆっくりベンチから引き上げた。
嫌だって言うのに力強く握った手を離してくれなくて、初めて人前で手を繋いで道路を渡りタキさんちのマンションに引っ張られてく。女の人に会わせるならさっさと振ってくれた方がいいのに。そんな辛い別れ方したくないのに。
逃がさないと、エレベーターの中でもタキさんはまるで僕が今まで拒否した分も合わせてのように、しっかり大きな手で僕の指の隙間を埋めるように包んでいた。




