欲しいもの2
*
「も…いやだ、別れる…」
「は?心?」
ベンチに座って目の端を擦りながら僕はそんな言葉を吐き出した。
巻いたマフラーに顔を埋めて表情が崩れたのを見せないようにする。ちくちくウールがささってきて、それが妙に涙腺を刺激するもんだから、僕はずっと俯きっぱなしにならなくちゃいけなくなった。
「心…」
困った声、ムカつく。
なだめるように頭の上におりてきた手を気配で感じて顔を上げずに振り払う。
「嘘つき」
声ではねつけてタキさんを全身で拒否した。
こんなの、初めてだ。
――なんで、こうなったんだろう。
遡るのは一時間前のこと。
――暇だなあ、なんて。
土曜日、タキさんちにお泊りが無くなったのでスケジュールが丸々空いてしまった。タキさんちに泊まる名目は病院に近いからってことなのでいつも通り病院に行くのは変わらない。かかりつけのお医者さんと診察室でぼんやりと世間話をして、午前はなんてことなく過ごして家路を行く。土曜のお泊りはまだ四回くらいだけど、すでに習慣化されてたらしくなんだか物足りない気持ちになる。
このごろは変わりやすい天気なのに今日に限ってはすごく気持ちのいい日。
だからこそかな、のんびり過ぎる時間がつまらなすぎた。
電話もメールも僕は嫌だ。携帯の意味が無いんだけど、会わなきゃ意味ない気がして。
中背の木が並ぶ大きな公園の前はきれいに舗装された通り。タキさんちのマンションの真ん前。帰り道はこっちを通ってバス停に向かう。
暇つぶしに心の中でISRAELを繰り返す。四分をエンドレスで流すと随分と時間が潰れる気がして。
それでも、サビを忘れたから歌は途中で途切れてしまったんだけど。
ぴたっと停止したのはゆるい僕の歌声と低いJohn Carishiの音が重なって、曲調が変わったとき。
「…タキさん?」
何の気無しにタキさんが住むバカでかいマンションに目をやった。
ほんと、なんも思わずにさ。
そうしたら道路の向かい側にいるんだもんあの人。
おかしいじゃん、用事あるって言ってたのに。
誰かが家に来るからダメって、そういう意味で用事がある――そんなとこかと思い直そうとしたのはあの人の笑顔に崩された。
だって、入口に立ってたタキさんの目の前にキレーな女の人が車から降りて現れて…そんでいきなり…キス、した。タキさんに。
頬っぺに、だけど。
見ちゃって、それでその映像に頭が真っ白になって、僕の脚は棒のように硬くなりしばらくその場に立ちつくしていた。
タキさんは慣れたようにあまり表情を変えず、少しだけ困ったように微笑んで、女の人の肩を叩き中に入ろうと促してるみたいにしてた。
なんで、なんで?
用事ってこれ?おかしいじゃん、なんでキスしてんだよなんでタキさん笑ってんだよ。
僕はあの世界にいない。タキさんの向ける笑顔は僕にじゃない、二人だけの世界だ。
それが堪らなく苦しくてイライラして、ぎゅうぎゅう音をあげて心臓が締まってく。
きっとあの女の人とあの部屋で仲良く過ごすんだ。
僕が座ってたタキさんの隣にいて、あの人がコーヒーを煎れて運んできてくれてるかも。
あ…そうだ、素っ気ないの、これなんだ。
新しいヒト、できたから。
「う…」
ばくん、と心臓が絞られるんじゃなく急に脈拍が上がるのを感じた。
心音早過ぎだ。
なんか、イタイ。
胸のあたり、服の皺を掻き寄せて僕はその場にうずくまりそうになるのを堪えた。ゆっくり歩幅を広げ、一旦体も頭も休めようとタキさん達から目を無理矢理背けて隣の大きな公園に僕は移動し、のろのろベンチに座った。
「な…で」
つい最近まで仲良くやってたのに。
何がいけなかったんだろ。僕が男だからかな、タキさんはそんなの気にしないって言ったけど…女のヒトのがいいに決まってる。
さっきのヒトだってすらっとしてて露出度高めの服が厭味じゃなく似合ってて。タキさんに釣り合うようなカッコイイ女のひとだ。
嘘つき。
僕じゃもう駄目になったんならはっきりそう言えばいいのに。
部屋連れ込んで何してんだよ。
笑顔、僕に見せてくれなかったのに。無表情で断ったのに、あの人には笑ってるなんて。




