ペア
「心ー、なんかキテる」
少しビビりの入っているクラスメイトが僕を呼び、教室の入口を目の端でやった。入口近くの席の人達はそそくさと微妙にそこに空白を作り距離を取っている。
その光景に笑いを堪えるのが必死なのは、きっと僕だけなはず。
「お前呼んでだって、ごめんな、裏切るわけじゃねえからな」
「はいはい」
必死こいてるクラスメイトの肩を軽く笑いながら叩き、僕は席を立つ。
あの人が教室に来るなんて初めてだなあ、なんてぼんやり思いながら。
「タキさん」
扉の入口に背中を預けるその人は
僕の彼氏。
「よう心」
扉にもたせた体を軽く気怠げに起こすその振る舞いは、何て事ないのにこの人がやるとどうにも“待たせるな”と怒っているみたいだ。
豪快な欠伸を吐き出す様子は獣みたい。または“(よく無い感じで)早く用事を済ませたい”と苛立っているみたい。
本当の理由は、全然違うんだけど。
「タキさんまた夜まで本読んでたんだ」
「うん、3時半だよ?寝たの。スゲーねみー」
これが、僕の、彼氏。
ふわあ、ともう一つ、そのコワモテから欠伸を吐き出すこの人は。
「あ、そうだ心トコ来たのはさ、これ」
腰パンしたズボンのポケットから、四角く(ちゃんと角と角が合ってる)折り畳んだ紙をタキさんは取り出し僕に渡した。
「今月の当番表」
委員会の、か。
担当になっている曜日を欄から捜すと、それは直ぐに見つかった。プラス、目の前に立つこの人の名前もセットで。
「センセーに言ってまた当番一緒にしてもらったから。ホラ先月だけなんかペア離されたじゃん?」
見上げるとニヒヒ、と悪そうな笑い方をするタキさんに僕らに注目していたクラスメイト達が一気に教室で凍結した気がする。
僕にとっちゃこの人の笑顔全部が可愛いんだけど。
衆人は無視。
それで…担当をペアにした事を知らせに、わざわざこの一年生塔まで?
タキさん、いっつも腰重いくせして。照れ隠しに意味の無い事を言ってみる。
「タキさん、ペアにしたの、センセー脅してないよね」
「まさか」
肩をすくめて「ちゃんとお願いしましたよ」とにこやかに。
タキさん、それきっとセンセーをビビらせてるんだよ
「ね、先々月だもんね」
「え?」
「ん心にコクら…ッんぐ!」
タキさんが何を言わんとしてるのか瞬時に察知して、頬っぺたを慌てて両側からつねって黙らせた。
こんな場所でこの人は何言ってんだ…!
「ひん、いはい…」
ぎりぎりと頬っぺへの指の力をこめてタキさんを睨む。ハスキー犬みたいな瞳が潤み始めたので睨んだまますぐに離した。
少し赤くなった頬っぺたがかわいそうなんだけど、可愛い頬の色付き方だから嬉しくなる。
教室の入口近くの奴の視線を痛いくらい感じる。きっとタキさんみたいなのが、僕にやられっぱなしで何にも言わないままだから驚いてるんだな。
「ペアなんだよ?」
タキさんが頬をつねった後の間を踏み越えて、問うように呟き僕の手首を掴む。骨っぽい手が僕を引き寄せ、教室のラインを越えさせ廊下へと引きずり出す。
タキさんに連れられ、廊下の吹き抜け部分に着く。一年生塔から離れたそこは、特別教室もあまり無いため二年生の姿も見掛けない。
「心。俺とペア、嬉しくないの?」
タキさんの瞳が真っ直ぐ僕を貫く。僕がタキさんとペアになった事に反応しなかったからかな。怒ってる様子はまるで無いけれど、眼力が…すごい。
「う、ガン見しないで。」
「言ってよ。つーか言・え・よ」
じり、と近付くタキさんに手摺りに置いた手を握られる。指先から伝わる熱に浮かされる。
正直な気持ちを伝えるのは…僕も言いたいんだ。照れ臭いだけ。
タキさんの小さく織り込んだ愛情と不安を含む威圧感に圧されて逃げ出したくなるのを堪え、僕は告げる。
「…嬉しい、です」
「ホントに?」
「うん…タキさんと仕事するの、一緒になれて嬉しい…デス」
どんどん顔が自然に俯いていく。
「あのさ心、先々月はペアで仕事したでしょ?付き合い始めた月。で、先月は違ったんだよ?だから俺今月は絶対心とペアになりたくてセンセーのとこまで行ったんだから」
「嬉し…ってば、もう」
手摺りの上で繋いだ手が熱い。タキさんの言葉が恥ずかし過ぎる。
“絶対”って、絶対って…!
手摺りの上に重なった手を振り払おうとしたらタキさんにぐい、と腕から脱臼するくらいの力で引き寄せられた。
「人前で言ったのは悪かったからさ、も、ちょっと嬉しそうにして?」
「は、…はい」
顔近い、近いよタキさん。ぎらっとしたハスキー犬の目でそんなに見つめないでよ。
「頬っぺも痛い」
「…ごめんなさい」
目を合わせるなんて出来なくて、顔を逸らすと顎を掴まれタキさんへと真っすぐ向かい合わされた。
頬をすっと撫でられ、肌が粟立つ。
え、何?何?
顔近い、タキさん真剣な顔してる。
ああこれって…まさか。
あ。
「えい」
「…ひゃに」
タキさんは…タキさんだ。
「お返し」
破顔させて僕の頬っぺたをのばすタキさん。
自分の勘違いが恥ずかしすぎて一気に体の芯が熱くなる。タキさんは僕が身構えた事に気付いていたんだろう、ほくそ笑んでいた。
長い昼休みが終わる。
スピーカーから鐘の音が響く中、そっと体を離すタキさんが呟いたのを僕は聞き逃さなかった。
「ずっと仕事一緒にやろ」
返事は鐘の音に掻き消し、わかってます、と。