ケンカ
またこの人はそうやって。
バカみたいな事真剣になってやったり、かと思えばぐらっと心を揺らがせたり。
「心」
「はい」
タキさんちでまったりお家デート中(ってのは形だけだ、二人共別のことをしてる)名前を呼ばれ、顔を上げる。
真剣な表情をつくるタキさん。神妙な面持ち、なにかあったんだろうかと真面目に返した僕がバカだった。
「軽くでいいからしてみてくれないか」
「何をですか?」
主語が無いので聞き返すと眉間に皺をつくり、不意うちにタキさんは僕の思考を破壊させた。
それはもう、呆気なく陥落。
なんだかんだで結局タキさんに振り回されるこんな自分がホント嫌だ。
タキさんは表情を変えずにさも当たり前のように。
「キス」
新聞紙取って、と同じ軽さで。
僕は固まってしまった。
この人は何がしたいんだろう。
ムードなんてこの人相手じゃ無いに等しいってお泊りの時に痛感してしまったんだけどさ、だけどこのタイミングで何。
しかも『してみて』って、僕にさせんのかよ。
「やですよ」
軽く流すとわざとらしくため息をつくこの人に軽く苛立つ。
「愛がないね」
「タキさんこそ」
売り言葉に買い言葉。
どっちが喧嘩を売ってるのかは判断がつかないけど、段々と空気が険悪になってきた。つい喧嘩腰になる僕が今までこういう風にならなかったのはタキさんが大人で、(認めたくないけど)軽く僕をいなしてくれたから。
だけど今日に限って二人共少し余裕がなくて。
原因もあやふやなままに嫌なムードにもつれていた。
*
空気が悪い。
なんでだ。
心は黙り込んでしまい、俺もリビングに心を残して寝室にコートを取りに部屋を出た。
きっかけは些細で、俺が心にああいう事を言ったから。
…って、恋人なんだから当たり前の行為だろ?
俺の彼氏は意地っ張りで、そして照れ屋で。
だから不意打ちに提案してみれば恥ずかしがる姿が見れるかな、なんて思ったから言い出してみれば。
本気で嫌な顔された。
ひどくないか?
彼氏だろ?
俺だって心が思ってる程大人じゃないんだよ。気分の波でひどく思考が短絡的になるし、八つ当たりだってする。
今だってそうだ。心の反応が不満だからって自分から空気を澱ませてるんだから。
だけど、冷静にはなれないよ。
いいじゃんか。
これを持ち出すのは卑怯だけどさ、告白したのは心だよ?
俺だって好きだもん、そんなら思い合ってるじゃん。もう少し形にしようよ。
照れるのが見たかった、そんだけなのに。
心を残して部屋を出る。
下りのボタンを押しエレベーター前で階数を知らせるランプを見ていた。とんとんと足を鳴らして待つ。
ここは十九階、エレベーターが停まっているのは二十四階。上から降りてくる階数、あと五階。
――いいじゃないか別に。
ランプが移る。あと四階
素直じゃないのも悪態つくのも受け入れてるけど。
三階
もうちょっとさ、甘やかした分だけ甘えて欲しいつうか
二階
って、恋愛に見返りを求めちゃいけないんだっけ?
じゃあ何か、俺が悪いのか
一階――ポン、と軽い機械音。到着、もやもやした気分のままエレベーターに一歩踏み出して乗り込んだ。
「ま、待って!」
扉が閉まるぎりぎりのところで体を滑り込ませ、どん、と俺に突っ込んで来たのはやっぱり。
「危ないだろ」
肩を掴み心の顔を覗き込む。
「エレベーターがちゃんと人を感知するとは限らないんだぞ、腕とか巻き込まれる事だってあるんだからな」
ああ、自分で言って力抜けてきた。だって隙間に体が挟まって死んだ人だっているんだ。そんなの怖いだろ。
心は小言を呟く俺にきょとんとしている。
エレベーターの扉が閉まり、誰かが押したのか下降を始めた。
少し間があり、気まずそうな目の前の人に気付く。
ああそうか、俺たち喧嘩中だった。
「で?」
駆け込んできたんだ、言うことがあるんだろう。
「で?って何」
不機嫌な心の態度に一転、また険悪ムードが漂い始める箱の中。
見下ろせば、俺のキツイ顔のせいなのか心が泣きそうになっていて、それでもしっかり睨み返してきた。
潤んだ瞳にじわじわ罪悪感が沸いてきて、(勝負をしてるわけじゃないが)負けそうになる。
「くそ…」
やっぱりその顔はずるい。
片手でエレベーターのボタンを全押ししてスピードを止めた。『閉』を右手で押し続け左手で心を引き寄せる。微妙な抵抗を無視して胸の中に収めた。
背中を撫でると大人しくなり、もぞもぞと身動きしながら悪態をつく。
「ずるい」
「は?」
お互い苛々してるのに身を寄せ合ってる。変。
「いつも僕ばっか追いかけてる。タキさんはいっつも受け身だ、ちゅーだって今のだって」
「はあ」
「そういうのアンタからしないのになんで全部僕がしなきゃなんないんだよ」
「し、心」
「タイミングおかしいし、ムードとかもう無くていいけど…!でもしたいならタキさんがやればいいだろ」
なんか…これは完璧俺が悪い感じだ。いや、実際悪いんだけど。
そうだよな、うん。
泊まりで学習したはずなんだ、俺はムードとかそういう雰囲気が読めなくて鈍い。付き合ってる実感みたいなのはほとんど心がきっかけをくれてる。
キスして、なんてのも心からしたらあんなに軽いのはふざけてると思われたかもしれない。
照れる顔が見たかっただけなんて尚更怒るだろう。
徐々に申し訳なくなってきて、波が引くように心への高ぶりも冷めた。
『閉』ボタンを離して右手がフリーになる。
「ごめんなさい」
「う…」
謝って顔を覗き込むと目尻に涙が溜まっていた。零れる前に親指の腹で拭ってやる。
心は泣きやすい。
というかほとんど俺の鈍感さに泣かせてる。
「顔上げて」
心がほんの少し顔を上向きにしてくれたので、ちょっとだけ屈んでキスする。
気持ちよくて軽く啄んでいると心の背中側ににある扉が開いた。一階についたのか。
まずいな、と思いつつも止められない。
小さく切れ切れに息を吐く心なんてそうそう見れたもんじゃない。勿体ない。
上唇をはみながら心の耳ごしにじろりと目をやると買い物袋を持ったお隣りさんが目を見開いて立っていた。
少しの間口を離して心にバレないように軽く会釈。
お隣りさんは固まったまま乗って来なかったので『閉』に手を伸ばす。
十九階のボタンを押して、部屋までまた上昇させた。




