トラウマ
「指輪物語はね、ヒッピーのバイブルだったんだよ」
「ふーん」
「それで、理由わかる?自然のままっていうのと流れを見ると相入れない話に見えるけど…、心?」
タキさんの豆知識を今理解できるだけの思考は僕には無い。
僕の膝の上にあるのはそんな小難しい話とは程遠い本。
「まーた絵本かぁ」
そう、ここ三日僕の中で絵本フリークが到来している。
図書室の蔵書はさすがに数少ない。
子供のころに親が買ってくれたという、ためにためた絵本の山が屋根裏にあったのを見つけ、読み始めたところハマってしまったのだ。子供の頃に読むのと、今の年になってから読むのじゃ感覚が全然違うらしい。意味の深さに感動してしまった。
「俺最近そーゆーので感動したのは星の王子様くらいだな」
「定番ですね」
タキさんは絵本を読みあさる僕にムッとした表情を浮かべていた。
僕の家でのおうちデートって初めてだ。タキさんが不機嫌そうなのは僕が絵本に夢中で相手をしないからとか、そんなんじゃない。
この人は、絵本に偏見があるんだ。
うーん、本の趣味は一緒なんだけどな。
「うぅタキさん重い」
背中にタキさんがのしかかってきた。
止めてください、アンタ筋肉あるんだから重いんだよ。
「いーじゃん心ー相手しろ、絵本ばっか読んでんなよ」
またこの人は心にも無い事を。
「タキさんだって僕いんのに本読んでるじゃん」
ページをめくるとごつ、と後頭部に石頭の当たる音。骨に響く。
そうしてタキさんは、恐る恐るというように理解不能な言葉を吐いた。
「心、絵本は怖いんだぞ」
いわゆるトラウマ、精神的外傷。
大袈裟だな、と僕が感じたのをタキさんは察知したみたいで肩口から回した腕を僕の首周りで絡めて語り出した。
「俺がちっちゃいころな」
「はい」
タキさんが小さなころなんて、想像しただけでおかしい。
だって赤ちゃんの時も幼稚園児の時も体は子供のまんまで目つきはきっと今みたいに悪いんだろうなって、それ以外の姿が思い浮かばないんだ。
「笑ってるだろ」
「いえ」
ニヤニヤ笑う僕に体をくっつけたままタキさんは言葉を震わせて語り出した。
「…五才くらいのときな、寝る前に絵本を読んでもらってたんだ。大量に家にあったから日替わりで選んでたんだよ、で俺はなんとなく表紙がカッコイイなあってその絵本を選んだんだ」
タキさんは本当に嫌そう。段々声色が単調になってきた。
そっか、だからくっついてきたんだ。力、抜けちゃうから。
「…あれは、子供の読むもんじゃない」
「重…」
のしかかってくるタキさんからの圧力が強くなる。仕返しにと僕はタキさんからその絵本の情報を聞き出した。
大体検討がついたその絵本は確か僕の家にもあった筈。
だからタキさんがこんなに人の痛みに過敏に反応するのも何となく頷いてしまう。
題名は忘れたけど、モンゴルか中国の民話だったと思う。記憶にあった主人公は弁髪だったから。
冒険ものなんだけど、一々リアルなんだ。怪鳥にさらわれる村の娘たちを助けにいく若者の話。
鮮やかな色使いで鳥に喰われる残酷なシーンを描いていた、さりげなく絵の隅にある髑髏が一層不気味さを際立たせていた。さりげないってのが重要、子供心に想像力を掻き立てられて恐ろしかった。
最後には若者は怪鳥を倒すのと引き換えに怪鳥の血を浴びて、目が見えなくなって死ぬ、そんな話。闘いのシーンは視神経なんかも描かれていた気がする。
「あれで俺は力が抜けるようになったんだよ」
うう…と呻くタキさんには悪いけど、ちっちゃいタキさんが絵本を読んで怯えてる姿はかなりカワイイと思う。
「絵本ていうのは安全に見せかけて強烈なんだ。ガラス越しにいると思っていた猛獣が実は壁なんかなくて目の前にいたってくらい危険なんだ」
耳の裏でぶつぶつ絵本危険論を称えるこの人に心底呆れて、そんで愛おしくなる。
だって、その絵本は僕も読んでるのに。一概に包んでしまう短絡さがとてつもなく子供ぽくて。
「タキさん」
「ん?」
「一緒にこれ読もう」
これなら気に入ってくれるはず。
だってなんか僕ら。
「青くんと黄色ちゃんみたい」
「何が?」
「レオ・レオーニの」
答えになってないよと小突かれて、そんで1ページ目をもっかい開く。




