Battle of FOX
今作は本来は連載物でした。ですので大量に伏線張ってますが殆ど回収してないのは仕様です。ご了承ください。
彼、高橋秋矢は、基本的に不幸少年だった。
例えば何もないところで躓いて転んだり、凄い形相したチワワに本気で追いかけられたり、友人が隣県にまで悪名を轟かす不良だったり、マンホールの蓋が突然外れて中に落っこちたり……。特にひどいのは銀行強盗にたった一人の人質として見初められて三日間程銀行に立てこもったこともある。
こんなものは氷山の一角よりもさらに小さなもので、秋矢の不幸は基本的に365日のうち360日は発動している。今まで死ななかったことが不思議で仕方がないというのは彼自身の談。
あまりに理不尽過ぎる不運。しかし秋矢にそれをどうこうする力も知恵も無く、いつものように神社に足繁く通って神様に必死に縋ることしか出来ないのであった。
秋矢は長い石段をようやく登り終え、神社の境内をゆっくりと見渡した。彼がこの街に十七年住んでいながらつい先程まで知らなかったそこは、それなりの規模を持っていながら人の気配が全く無く、小屋程の社は凝った作りながらボロボロで何年も手入れされていないようだった。
「おかしいな。この町の神社は全部廻ったと思ったんだけど……」
と、そこまでひとりごちて、秋矢は苦笑いを洩らす。
「その廻った先々に全部運気回復を願ったなんて笑い話にしかならないなぁ……」
そうこぼしながらポケットの中を探り、鈍い銀に輝く硬貨を取り出した。それが新五百円玉ではなく旧五百円玉だったことに少し感動し、そのまま惜しげもなく賽銭箱に投げ込んだ。
「どうか、どうか僕の運気を回復してください……」
手を合わせ、頭を垂れて切に、切に願う。気休めなのは秋矢自身分かっているが、こうでもしないとやっていられなかった。
秋矢はたっぷり十分程呪いに近い願いを神様にぶつけて、ようやく顔を上げた。
「さて、と。帰ろうかな」
彼は妙にすっきりした気分で社に背を向け、
「ん?」
誰かに呼ばれたような気がしてもう一度社の方へと振り返り、思わず息を止めた。
そこに美女が佇んでいた。
その女性がどこから来たのかとか、いつの間に後ろに回っていたのかとか、この町にこんな美女がいるなんて聞いたことが無いとか、全ての疑問を吹き飛ばして、ただ美しいという感動だけが秋矢の心を満たす。
腰まで真っ直ぐ伸びる艶やかな黒髪、雪のように白い肌、吸い込まれそうな漆黒の瞳がはまっている吊り気味の目、筋の通った小さめの鼻、ふっくらとした柔らかそうな唇。それらのパーツの一つ一つ全てが美しい。いや、美しいなんて言葉では失礼であるようにさえ感じられる。
と、秋矢は忘れていた呼吸を再開した。同時に顔が赤く染まる。未だに視線を美女から離せない秋矢は赤いままの顔でぎこちなく微笑む。美女も秋矢に微笑みを返して、
「妾の封印を解いてくれたのはそなたであろう。礼を言う」
そう、鈴が鳴るような凛とした声で言い、優雅な仕草で頭を垂れた。
反則だ、と秋矢は本気でそう思った。この世の美しいもの全てがこの女性の前では霞んでしまいそうだと。
そして、秋矢は彼女の言葉に一つの引っかかりを感じて問いかける。
「封……印?」
「とぼけるのかぇ? 妾の封印を解ける程の霊力を持っておるのじゃ。高名な陰陽師とお見受けしたが?」
「霊力? 陰陽師? それは何のこと?」
あまり耳にしない単語に秋矢は顔をしかめる。女性は少し目を見開いた。
「そなたは陰陽師ではないのか?」
「そういう大層なものになった覚えはないけど……」
「それは本当か?」
女性は睨むように秋矢の瞳をじっと覗き込み、やがて小さくため息をついた。
「嘘は……無いようじゃな。にわかには信じがたいが……。まぁよい。妾の封印を解いたことには変わらないからの。そなたの望み、叶えてやろうぞ」
そう言って、秋矢に歩み寄る女性。思わず半歩後ずさる秋矢。
彼女はきょとんと目を丸くして立ち止まり、いきなり声を上げて笑い出した。
「ふふふっ。なんじゃ、妾が怖いのかぇ?」
「あ……」
秋矢は自分自身の臆病さに恥入って思わず視線を下へと向けた。と、今まで一度も女性から目をそらしていなかったことに今更ながら気付く。
女性は小さく二三度頷いた。
「よいよい。人間だけでなく生き物は等しく臆病じゃ。その程度のことで責め立てたりはせん」
女性はゆっくりとした足取りで秋矢に歩み寄る。今度は後ずさることは無い。
たっぷりと時間をかけて秋矢の目と鼻の先に至った女性は秋矢の顎に手を当て、くいと顔を持ち上げた。女性の漆黒の瞳に怯んで秋矢は思わず視線をそらしそうになるが、なんとか堪える。女性は秋矢の顔をまじまじと見つめて満足そうに微笑んだ。
「ふむ。よく見ればなかなかよい面構えをしておるの」
「え、あ……」
秋矢は女性の顔を見つめたまま赤面した。女性は笑みを深める。
「妾は早弥という。そなたは?」
「ぼ、僕? 僕は秋矢……」
「そうか。では秋矢よ。そなたの不幸の元を絶ってやろうぞ」
女性、早弥は秋矢の顎を持ち上げていた右手を、唐突に秋矢の胸元に突っ込んだ。秋矢は慌てて早弥から飛び退いて叫ぶ。
「な、何するのさ!?」
秋矢の顔は耳まで真っ赤に染まりきっている。早弥は無言で握っていた右手を開いた。そこにはお守りがちょこんとのっていた。それは秋矢にとって見覚えのあるもの。産まれた時から肌身離さず持っていた護身のお守り、両親の形見だった。
早弥はそのお守りを憎々しげに睨み付ける。
「これが、そなたの不幸の元じゃ。……いや、そなたの運と霊力を根こそぎ吸い取っていた、という方が正しいのじゃが」
「……え? でも、それは僕の両親の形見で……」
「それは酷い親がいたものじゃな」
早弥は険しい表情のまま鋭い視線を秋矢に向けた。
「このお守りは妖怪殺しもしくは陰陽師封じと言ってな、強大な霊力や妖力を封じ込める為の霊具じゃ。そなたの才能を隠蔽し、更には不幸さえ押し付ける。これの何処がお守りと言えよう?」
「返して!」
秋矢は早弥からお守りを奪うように取り返して、両手で包んで胸に寄せた。
「それでも、それでもこれが僕の両親の遺品には変わりないよ」
「………そうか。なれば……」
早弥はお守りを包んだ秋矢の手の上に、繊細な右手を重ねる。それがぼう、と光り出した。秋矢は驚いて身を引こうとしたが、その体はまるで金縛りに遭ったかのように脳からの命令に答えようとしない。
秋矢にとって永遠とも感じられる時間が過ぎ、といっても実際には五分と経っていないが、やがて早弥の手から放たれる光は収まり、彼女は手を引いた。同時に秋矢の体も時間を取り戻したかのようにふらりと揺れた。
「なにを、したの?」
「そのお守りとやらの妖怪殺しの力を消したのじゃ。その他には手を加えておらん。霊具としては塵ほどの価値に成り下がったが、形見としての価値は失われていないであろ」
早弥は得意気に胸を張った。
「これでそなたを襲う不条理な不幸は無くなるであろ。ただ、運命によるそれは避けようもないが」
「……有り難う」
何だか聞き捨てならないことを秋矢は聞いた気がしたが、先ずはお礼を述べた。
早弥は秋矢の不満には気付かなかったのか、満足げに微笑む。
「うむ。では、妾は休むとしよう。久しぶりの外でな、些か疲れた」
「え……うん」
「どうした? 妾と別れるのが寂しいのかぇ?」
「い、いや! そんなんじゃないよ!」
図星だったのか、秋矢は今までで一番顔を赤くして、哀れなほどに狼狽している。
「そうかそうか。其れ程に妾が恋しいか」
早弥は悪戯っぽく笑みを深めた。
「心配せずともここに来ればいつでも妾に逢えよう。しかし今日は……」
「下賎な妖怪よ! ここは貴様のいるべきところではない! この地の守護者の末、橘八重が成敗してくれる!!」
艶やかな黒髪を風になびかせ、勇ましく神社の境内に上がって来た人物は、
「や、八重? いきなりどうしたの!?」
秋矢の幼なじみで、古い歴史を持つ剣術道場の師範家、橘家の二十六代当主である八重だった。
秋矢が一度だけ見せてもらったことがある橘家の家宝である名刀、鬼哭丸。全長240cm、刀身150cmの斬馬刀が八重の手に握られている。
八重は秋矢の隣、早弥に鋭い視線を投げつけながら、
「秋矢! どうしてここに居るかは問わないわ。兎に角そいつから離れなさい!」
そう叫んだ。秋矢は早弥と八重の顔に何度か視線をさまよわせ、戸惑いながらも早弥から距離を取った。八重は厳しい表情を少し和らげる。
八重を見定めるように睨みつけていた早弥は、ふん、と鼻を鳴らす。
「妾を下賎とは。なんと見る目のないことよの。孤高にして高貴なる妾の気品が分からぬとは、さて、どちらが下賎なのか……」
早弥はこれ見よがしに息をついた。八重など取るに足らないとでも言うように。
八重は刀を中段に構え、不敵に笑う。
「妖怪の分際で口だけは回るようね。その口、最後まで閉じずにいられるかしら?」
早弥は無造作に立ったまま、鼻で笑う。
「自称橘の末よ。格の違いを見せつけてやろうぞ」
「自称じゃないっ! わたしは正真正銘の橘よ!!」
激昂。それと共に八重は飛び出した。
早弥は笑みを浮かべたまま八重の突進を甘んじて迎える。
一閃。
文字通り銀光にしか見えないその筋は早弥の首筋に吸い込まれ、しかし白磁の肌に触れる寸前で停止した。八重は驚愕に目を見開き、早弥は口元の笑みをいっそう深める。刀は早弥の右手の人差し指と親指に挟まれて止まったのだ。
「ふむ。なかなか悪くない太刀筋をしているが、妾に当てるには些か遅いのう」
早弥は刀を放し二歩、八重から距離をとった。
「ほれ、もう一度打ち込んでみよ。妾を滅するのが使命なのであろ?」
「くっ!」
八重は表情を歪め、次なる剣撃を放つ。それは銀の軌跡を残し理想的な弧を描いて、早弥の脳天に直下する。が、またもやいとも簡単に銀閃は鈍色に戻された。
早弥は笑みを益々深め、八重は益々表情を歪めていく。
一閃、二閃、三閃、四閃五閃六閃七八九………。無数に刀が翻り、その悉くが柔らかく受け止められる。
狂ったように乱舞する銀光。
優雅に舞う白磁の指先。
二つは相反するようでいて溶け合い、一つの高度な演舞へと昇華されてゆく。
秋矢は止めにはいることも忘れ、殺気が濃厚に漂う美しい舞に魅入っていた。いや、魅せられていた。その呼吸さえ忘れてしまう程に。
「くっ……!」
何合目かの打ち合いの後。八重は舌打ちと共にバックステップで早弥から距離をとる。その額からは玉の汗が流れ落ち、肩は酸素を求めて激しく上下していた。
対する早弥は対峙する前のまま、悠然と佇んでいた。そこに疲労の色は微塵もない。
早弥は拍子抜けだとでもいうようにこれ見よがしにため息をついた。
「もう終わりかぇ? 妾は本気どころか半分の力も出していないぞ?」
「くそっ……、この……化け物め……」
八重は刀で体を支えながら、ぎり、と歯を軋ませる。
「まったく、誉め言葉よの」
そう言って小さく笑む。いつもと同じその笑みが、秋矢には自嘲気味なものに見えた。
早弥は息を一つついて、その顔から笑みを消し去る。
「さて、頃合いも良いことだし、そろそろ決着と行こうではないか。……まさか今までのが全力とは言うまい?」
八重は少しも整ってない息もそのままに刀を肩に担ぐようにして構える。
「……さっきわたしに攻撃しなかったこと、後悔させてやるわよ」
二人の間の空気は急速に密度を増し、離れているところにいる秋矢さえ押しつぶさんとしている。
秋矢は直感的に悟った。今二人を止めなければ大変なことになる、と。
「二人とも、やめ……」
「八百万の神々、炎を司る神々よ。我、橘八重にその御力を貸し与えたまへ!」
秋矢の制止に覆い被さる形で八重の祝詞が空気を震わせた。八重の担ぐ刀から炎が上がる。否、刀に炎がまとわりついた。炎は生き物のように刀の上を這いまわり、時折鎌首をもたげる。
早弥は楽しそうに口元を歪め、無防備な体勢からゆるい構えを取った。
二人は視線で牽制し合う。早弥はいつ来るのかと悠然とした笑みを浮かべ、八重は必殺の一瞬を逃すまいと目を光らせている。
一瞬にして永遠の均衡。殺し合う者達だけが棲める刹那の世界。
二人にもう声は届かない、そう悟った秋矢は二人の間に割って立つべく走り出し、あらん限りの声を絞り出す。
「二人とも! 冷静になって!」
と、それに気付いて視線を秋矢の方に逸らし声を荒げたのは、
「近づくでない!」
早弥だった。
その一瞬。ささいな、しかし致命的な隙。それを八重が見逃すはずもなく、ぎりぎりと溜めに溜めた力を一気に解放しーー、
「え?」
それと、秋矢が早弥と八重の間に踊りこんだのは同時だった。
八重は秋矢の存在に今更気付いたらしく、大きく目を見開いていた。しかし、八重が出来るのはただ驚くことだけ。
必殺のタイミングで振り下ろされた一撃は最早八重のコントロール下から逃れて、その主の意向を無視した刀は無機質に秋矢を斬り臥せるべく唸りを上げる。
八重が絶望し秋矢が理解出来ず二人が動けない中、いち早く動いたのは早弥だった。
「この痴れ者が!」
激昂。同時にその姿が一瞬でかき消え、八重の正面に忽然と出現。左腕を掲げ、そのまま腕で凶刃を受け止めた。
ぱっと飛び散る鮮やかな朱。
驚愕に目を見開くばかりで全く動けない八重。
早弥は緩慢な動作で右手を握り締め、
「自分の得物を思い通りに操れぬなど言語道断。修行しなおすのじゃな」
それを八重の鳩尾に叩き込んだ。
「あぐ………」
八重は小さくうめき声を漏らし、力無く地に臥した。
「や、八重っ!?」
一拍置いて、ようやく事態を把握しかけた秋矢は慌てて八重を抱き起こし左右に激しく揺すった。
「八重っ! 八重っ!!」
「安心するがよい。気絶しておるだけじゃ」
早弥はそう言ってきびすを返す。
「そやつには、もうここに来ないよう言っておけ。妾はしばらくここに住むゆえ、困ったことがあったなら訪ねてくれば良い」
秋矢はさっと頭を上げ、早弥を呼び止める。
「待って! 早弥も怪我してるじゃないか! 僕の家で手当てを……」
「こんなものかすり傷のようなもの。心配は無用じゃ」
有無を言わさぬ口調。強い拒絶を感じた秋矢は押し黙ることしか出来ない。早弥は首だけ振り返り困ったように微笑んだ。
「封印から覚めたばかりで妾も疲れておるのだ。今日は一人にしてくりゃれ」
「疲れてるなら尚更、僕の家で休みなよ。家には僕以外人はいないから」
秋矢は静かに、しかし頑なに言葉を紡いだ。
暫し、二人は睨むでもなく見つめ合うでもなく互いの瞳を覗き込む。先程の戦闘の押しつぶすような沈黙と違い、染み込むような静粛が辺りを覆っていた。
早弥は目を閉じふっと笑う。
「………見掛けによらず頑固なのじゃな、秋矢は」
「じゃあ」
「うむ。そなたの家に行ってやろう。但し、居心地が悪かったなら直ぐにここに戻るぞぇ?」
「うん! 宜しく、早弥!」
秋矢は自然に右手を差し出す。早弥は少し戸惑ったように逡巡し、おずおずとそれを握った。
「宜しくたのむ」
どちらからともなく二人は笑い出す。秋矢は染まった頬をごまかすように八重の方に向き直り、その体をよろけながら背負った。
「さぁ、帰ろうか。僕たちの家に」
「ふふ、気が早いことよの。妾はまだそなたの家に住むと決まった訳でもないのにのぅ」
早弥は声を殺しながら、しかし隠すことなく、いつまでも愉快そうに笑っていた。
タイトルは仮題です。というわけで読者の皆様にタイトルを募集します。奮って書き込みお願いします。
以下、恒例の愚痴コーナー
前書きでも書きましたが、今回の作品は連載物のつもりで書いてました、当初は。
しかし、友人に言われたんです。
「イマイチ」
と。
ぶっちゃけ心の中で泣きました。分かってても、分かってても面と向かって言われるのはこたえます。ツライ。
というわけで今回の愚痴は終了です。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。そしてすみませんでした。