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インタヴュー・ウィズ・アーバンレジェンド#4

作者: 漆原カイナ

第四節 克也~One’s journey’s end~


 克也の過去を知ったあの日から三日の時が経った。

 朝日もまだ昇りきらない頃に私はベッドで目を覚ます。

 細心の注意を払って床に降りると、私は器用に本やディスクの相間をくぐりぬけて部屋中に仕掛けられたトラップの数々を解除していく。

 実を言うと、起きた瞬間から頭がはっきりしていて目も冴えわたっていた。

 いつもなら寝ぼけてふらつく足取りも、今日に限ってはやけにしっかりしている。

 散らばった本やディスク、それに学習机の上のシャーペンはあえてそのままにしておいた。

 昨日の夜、幾重にも目覚ましをセットし終えてから、ふと片付けようと思い立った。

 でも、私は床に散らばった最初の一冊を手にした瞬間、それを床に置きなおした。

 部屋を綺麗に片付けたら、何かもう戻らない旅路に向かう前みたいな気がしたのだ。

 目覚まし時計のトラップを全て解除した私は、満を持して机上の缶ペンケースに乗った携帯電話のアラームを解除した。

 ここにきて遂に私は眠気との戦いに完全勝利を果たしたのだ。

 緊張のあまり最初は眠れなかった癖に、明日の時間割を揃えてバッグに入れる教科書を入れ替えてからベッドに入った途端、自然と眠気が押し寄せてきた。

 おかげで私は今、爽やかに目覚める事ができているのだ。

 完全勝利を果たしたとか意気込んでいた直後にも関わらず、私は自分の眠気に妙な愛着を覚えてしまって小さく吹き出した。

 間違っても大音量の音を漏らすことも無い部屋を振り返りながら、私は隣で寝ている両親を起こさないようにそっとドアをしめて一階へと降りる。

 いつも通り、鏡で肌の具合をチェックしてから顔を洗ってダイニングに向かう。

 ぐっすりと眠れたおかげで肌の調子はいつに無く好調だった。

 これがデートの時だったら――なんて考えてから、私は一人で苦笑した。

 今日、私が向かおうとしているのはデート以上に大事なことなのだから。

 ダイニングテーブルのカゴにはロールパンが入れてあった。

 何だかんだで買い物が私の役目になってから、いつも絶やさずに置いてある。

 私は結構、このパンが好きなのだ。

 味や触感は勿論、口にくわえたまま作業が出来る所がありがたい。

 早速、私はパンを一つ口にくわえたまま二階へと階段を上がっていく。

 自分の部屋に戻った私はクローゼットから制服を出すと、机上に安置していた愛用のカメラを手に取った。

 高校に入ってからずっと一緒に駆けまわってきたカメラは持っただけで妙な安心感を私に与えてくれる。

 もしかしたら一世一代の名場面を撮影することになるかもしれない。

 でも、それを持ち帰ってこれるかは正直なところ……わからないのだ。

 私が今日撮影する写真が、私とこのカメラが撮った最後の写真になるかもしれない。

 そう思うと、自然と胸中に言葉があふれてきた。

 ――ピンボケや逆光の写真ばかり撮ってごめんね……。

 プラグからケーブルを引き抜くと、カメラはインジゲータの表示を切り替える。

 バッテリのチャージは最大だ。これなら一日中だって動けるだろう。

 メモリの中身も昨日のうちに全てPCとDVDに移してある。

 撮影するには最高の状態だ。それを示すインジゲータの表示が私を励ましてくれているような気がして、思わず私は頬をほころばせながら手の中の一眼レフを胸に抱いた。

 制服に着替えて髪をとかしてから、ヘアピンで前髪を留める。

 前髪は一発で綺麗に留まった。そういう日は幸先が良く、決まって絶好調だ。

 私は小さく拳を握ってガッツポーズしてから玄関へと向かった。

 玄関で靴を履いた私は、下駄箱の上に置かれた鏡で最後にもう一度鏡で自分を確認する。

 これもいつも通りの日課というやつだった。

 ――よし、完璧!

 ドアを開けて一度振り返った私は真剣な、そして泣きそうになるのを堪えているようにも見える複雑な表情を浮かべる。

 私の両親は今日も私が普通に学校へ行ったと思うだろう。 

 まさか、これからどこに向かうかを知っている筈も無い。

 そう思うといたたまれない気持ちになった私は唇を噛みしめて、弱気になるのをぐっと堪える。

 ――真実を記録し、伝え続けるジャーナリストという存在を目指す者として。

 ――人知れず戦い続ける一人の少年を大切に想う一人の少女として。

 お父さん、お母さん……ごめんなさい。あなたたちの娘は今日、無茶をします。

 気を抜けば、声に出して伝えたい衝動や、やっぱり逃げ出したくなる衝動に駆られる。

 でも、ここで逃げたらジャーナリストという目標にも、そして克也にも正面から向き合えない気がする――だから、私は後悔したくない。

 ……それじゃ、行ってきます。 

 最後だけはいつもと変わらない言葉で締めくくって私は歩き出した。

 


 待ち合わせ場所は学校の近くだった。

 学校の近くとはいえ、いつもより格段に早い時間とあってか登校してくる生徒の姿はまだ見当たらない。

 銀色の市販車に寄りかかるようにして二人は私を待っていてくれた。

 一体、どれくらい早く来ていたのだろう。

 私も十分に早く来たつもりだったが、彼等の方がずっと早かっただようだ。

 それもそうだろう。私以上に彼等の方が緊張も重圧も感じている筈なのだから。

「おはよ、克也。それに鈴美」

 ここに来る途中、私は明るい顔と声を出すように決めていた。

 旅を締めくくる戦いへと赴くというのに、当の本人たちではなく私が辛気臭い雰囲気にしてしまっては元も子もない。

 軽く手を挙げて挨拶を返してくれる克也の横で相変わらずの無表情を保っていた鈴美は、私と目が合うやいなや私に歩み寄って来た。

 速くもなく遅くもない、声の抑揚と同じく平坦で等間隔の歩調。それもまた彼女らしい。

「真桜――これ――貴方に」

 彼女は私の手をゆっくり掴むと、もう一方の手で握っていたものを私の手に握らせた。

 私はそっと手を開いて中を見てから、思わず顔をほころばせた。

「私に? ありがとう!」

 鈴美が私にくれたのは鮮やかな銀色をした小さなペンダントだった。

「友達に――贈り物――そうすれば――友情の印になる――彼の知識には――そうあった」

 すっかり冷淡さの消えた克也は、鈴美を見て微笑しながら私に告げた。

「鈴美が作ったんだ。三日前から思考錯誤して何度も変形させながら、な」

「思い出――形にしておけば残る――たとえ――私達や記憶が消えても」

 あれほど明るく振舞おうとしていたというのに、不覚にも私はじんときてしまった。

 私は鈴美の手を掴むと、克也から離れた所まで引っ張っていく。

「ちょっと鈴美、こっち来て。話したい事が……あるから」

 私に手をひかれるまま歩いてくる鈴美に、声をひそめながら私は言った。

「鈴美、一時的で良いんだけど……克也との意識の接続ってシャットアウトできる?」

 恐る恐る聞いてみた私の思っていた以上に事も無げな態度で鈴美は小さく頷いた。

「お願いして良いかな? ちょっと、二人だけの秘密にしたいから」

 私が頼みこんでからものの数秒と経たないうちに鈴美は小さく口を開いて平坦に言う。

「言われた通り――意識の接続――切った――今は――彼に聞こえない」

 頼み込んでおいて何だが、この段になって急にあることに私は気付いた。

 心配になった私ははっとなって声を上げ、焦りもあらわに鈴美に聞く。

「あ……! 意識の接続切ったら、喋れないんじゃあ……」

「大丈夫――感知する所だけを切った――身体の一部は彼の身体にある――それに――今の彼は万全――だから――私の姿や言葉に――関する知識は得られる」

 それを聞いて私はほっと胸をなでおろした。

 ここでまた銀色の玉になられでもしたら大変な所だった。

「克也のことは旅が終わってから、改めてはっきりさせようよ、ね?」

 私は照れ隠しに普段はやりもしないせいで不慣れなウインクしてみせる。

 自分でも遠回しすぎるかと思ったけど、鈴美はちゃんと察してくれたようだ。

「彼には貴方が必要――だから――私の代わりに――彼をお願い――相棒として――頼む」

 私とは対照的に淡々と告げた鈴美の声は相変わらず自分の事なのに他人事のようだ。

「ちょっと……それってこれから鈴美がいなくなるみたいじゃない……そんなのダメだからね! 克也のことは全てが済んだら二人で正々堂々と勝負するんだから!」

 私はおもむろに、いつもしているペンダントを外すと鈴美の手に握らせた。

「鈴美にもコレ! さっきのペンダントのお礼と……全部終わってから改めて決めるから、それまで克也へ抜け駆けするのはナシっていう約束の印!」

 鈴美に貰ったペンダントとは比べると地味に思えてしまうけど、私のお気に入りのアクセサリはシルバーのプレートをチェーンで提げたシンプルなものだ。

 アクセサリーショップに設置されていた機械で好きな言葉を刻印出来るサービスの為に作られただけあって、プレート自体は無地で無味乾燥だ。

 貰ったお小遣いを貯めて買う時に「ペンは剣よりも強し」の言葉を英文で刻印する為に、わざわざ前日に辞書で調べてから行ったという思い出付きの品でもある。

 私は鈴美の胸元からうなじにかけてペンダントをつけてあげた。

 やっぱり似合う。自分で言うのも何だけど、地味なアクセサリーなのに鈴美がつけると可愛く見えてしまうから不思議だった。やっぱり、本人の素材が良いからだろうか。

「思い出は形に残しておけば大丈夫――なんでしょ?」

 私は再び不慣れなウインクをしてみせると、鈴美は彼女らしく微かに頷いた。

 ちなみに、鈴美が作ってくれたペンダントは魚の形をしていた。

 細かい細工がされた小さな魚の意匠がまた可愛く、学校にでもつけて行けば話題になることは間違い無いだろう。

 彼女が思い出と言っただけあって、やっぱり見た感じは熱帯魚だった。

 色は銀色だからわからないけど、もしかしてモデルになった魚は原色なのかも。

 私は苦笑しながら少し離れた所で待つ克也を見た。

 きっと、ペンダントがこの形になったのは彼のせいなのだ。

 ま、チョウチンアンコウの形にならなかっただけ良しとしよう。

「ね、鈴美。私にもつけて」

 私は苦笑を微笑に直すと、鈴美に熱帯魚のペンダントを差し出した。

 微かな首肯の後で、私の後ろに回った鈴美の手つきはぎこちない。

 彼女は細い鎖をつなぎ合わせるのに手間取っているようだった。

 きっと、アクセサリをつけたことない克也にはその知識がないのだろう。

 でも、慣れないながらもつけようとしてくれる鈴美が妙に微笑ましかった。

「さっきのこと……女の子と女の子の約束だよ」

 微笑む私に向けて小さく頷いた鈴美の顔は、気のせいか笑っていたように見えた。



 タンデムシートに私が跨ったのを確認して克也はエンジンをスタートさせた。

 鈴美は既にバイクの姿へと変化して私たちをその背に乗せている。

 私は克也の身体に両手を回すと、しっかりと彼につかまった。

 豪快なエグゾーストとともに発進したバイクは瞬く間に加速していく。

 すぐ近くの景色の中に見えていた学校はみるみるうちに遠ざかり、小さくなっていく。

 私たちは戻ってこなければならないのだ。

 まだ、この学校でやりのことしたことは沢山あるのだから。

 私は勿論、克也にも――。

「そういえば、さっき二人で何を話してたんだ?」

 ずっと気になっていたのか、克也はバイクが走りだしてから間もなくすると聞いてきた。

「私たちが話してたこと? それはね――」 

 私は含みを持たせたように笑った後で、わざとらしく間を溜めてから言った。

「それはね――秘密。女の子同士の話を男の子が詮索するもんじゃありません!」

 今頃、克也は意表を突かれたような顔をしているのに違いないだろう。

「はぁ……そういうもんか?」

「そういうもんです。ね、鈴美?」

 私は自分が跨るバイクに向かって話しかけた。気のせいかエンジン音が相槌に聞こえる。

 私は再び含みを持たせたように笑いながら彼の疑問に即答する。

 何だかんだで克也が納得してくれた気配がしたので、私もつねづね気になっていたことを聞いてみることにした。

「今度は私の番。いいよね?」

 私の申し出に克也は即座に頷いた。

「克也の鎧とかバイクってどうしてあの形なの? それに掛け声とかも気になるし」

 答えてくれる克也の声は過去を語る時特有の懐かしさと哀しみが入り混じったあの声だ。

「ああ――それはな。俺と智久が昔好きだったヒーローのものなんだ」

 やっぱり克也にもそういうテレビ番組に夢中になった時期があったんだ。

 私は克也への親近感がまた一つ増した気がして、思わずクスリと笑いをもらした。

「笑うなよ。二人組のヒーローでさ、普段はどつき合ってる癖に――相棒がピンチになると絶対に助けに現れて、二人の必殺技を合わせてどんな強い怪人も倒すんだ」

 私が笑いを漏らしたせいで恥ずかしかったのか、克也はいくらか照れた様子で語る。

 克也がまるで話がいつまでも尽きることのないように沢山、楽しげに語るのは、楽しかった頃の思い出の一つだからなのだろう。

 私は微笑ましくなると同時に、少し寂しい思いが込み上げてくるのを感じていた。

「強さとかカッコよさとかは勿論、俺たちは二人の絆に憧れてたんだろうな。最高の相棒っていう関係に自分たちもなりたくて――だから、よく真似してたよ」

 うん。小さくそう呟いて頷いた私は、唐突に克也が言った最後の一言で再び笑いを漏らしてしまった。

 ヒーローの真似? 克也が? 今からするととても考えられない。

「だから笑うなって。もう昔の話だ。でも、あの頃も二人して鈴美に笑われてたな――」

「ごめん。ちょっと笑いのツボに入っちゃって。だって昔は真似でも今の克也は――」

 ――真似じゃなくて本物のヒーローだもんね。そう言おうとして私は慌てて口を噤む。

 流石に、こんな恥ずかしいことは本人に向かって言えやしない。

 心の中だけで呟いて、私が忍び笑いした時だった。

 バッグの中に入れていた携帯電話がアップテンポのメロディを鳴らす。

 ランダム再生で出てきたこの間の曲を妙に気に入ってしまった私は、早速ウェブからダウンロードした変換ソフトでメールの着信音にしてしまったのだ。

「真桜、その曲……?」

 意外にも克也が喰いついてきた。何やら知っているような口ぶりだけど――?

「え、まさか克也もこの曲を知ってたりするの?」

「ああ。俺も昔そのアニメのファンだった」

「そうなの? じゃあ、最終回がどうなったか知ってる?」

 克也は思い出すのも造作ないと言わんばかりに即答した。

「勿論。最終回まで含めて全部見たからな。主人公の工作員が――」

 淀みない口調で克也が語りだした瞬間、私は咄嗟に声を重ねて彼の言葉を遮った。

「ごめん! やっぱり言わなくていいわ。帰ったら自分でビデオ借りて見るから」

 自分から聞いておいてこんなことを言ったのに克也は特に気を悪くした風も無く、ただ一言、そうか。と呟いたきりだった。ふぅ……良かった良かった。

 それにしても……ヒーローに憧れて真似したり、着信音を聞いただけでどのアニメの曲だか解ったりするあたり、もしかすると克也の趣味はそっちの方面なのかもしれない。

 実は今度、報道部の部誌を製本する為に漫研の部屋と機材を借りる約束を取り付けてあるのだ。

 間借りしに行った時にでも、私にCDを貸してくれた子と克也を会わせてみよう。

 ひょっとすると、存外に話が合うのかもしれない。

 無事に帰る目的がまた一つ増えたことに私は密かな喜びを感じながら、克也の身体に回した手に力を込める。

 私たちが他愛も無い雑談をしているうちに、周囲の風景は私の見慣れないものへとどんどん変わって行く。

 やがて私の全く知らない風景へと完全に変わり果てた頃には一つの街に入っていた。

 ここが克也の育った街にして、彼の旅の出発点。

 全てが始まった場所であり、この旅の終着点でもある所へと私たちはやってきたのだ。

 この街に入ってから私たちは無言だった。

 ここから先は克也の戦いなのだ。

 私はただ黙ってそれを見守る、もとい見届けるだけ。

 その為に私は彼と一緒にここまで来たのだから。

 市街地の広い道路を抜けて、バイクは奥へと続く細い道を入って行く。

 その先に広がっていた住宅街の中を一瞬たりとも迷わずに克也はハンドルを切っていく。

 やっぱり、どれだけ離れてても故郷なのね……。

 私は胸中で呟くと同時に、あることにも気付いた。

 彼はこれからこの街に関する最後の思い出を消すことになる。

 他ならぬこの街の中で、自分の手によって――。

 気がつけば私はまたも克也の身体に回した手に力を込めていた。

 少しきついくらいに巻いた腕は克也を抱きしめるようだ。

 克也を少しでも支えてあげられたら――。

 これから向かえる旅の終わりの結果がどうれあれ、何かを失う克也を支えてあげたい。   

 私がいくらそう思っても、克也の支えにはならないかもしれない。

 でも、私は克也の身体を抱きしめずにはいられなかった。

 


 住宅街の中を進んだバイクはやがて、少しばかり急な坂を上る。

 高台の頂きへと続くその坂を上って行くにつれて、街の風景が一望できるくらいに広く私の視界に広がっていく。

 坂を全て上りきった先には一つの公園があった。

 もっとも、入口が工事用現場に置かれている黄色と黒の警戒色でペイントされた金属製のつい立てで塞がれているせいで、昼下がりだというのに子供の一人もいない。

 つい立ての前にバイクを止めた克也は万感の思いを込めた一歩を踏み出すように、路面へと足をつけた。

 車高の高いバイクから降りる私を気遣ってくれたのか、彼は私に手を差し出してくれる。

 彼の手をとった私を降ろしてから、克也はつい立ての合間に手を差し入れると力任せにこじ開けるようにして引き開けた。

 封鎖されてからずっと放置されていたのだろう。老朽化されていたつい立ての接合部は、さほど力を入れた様子も無いのにあっけなく千切れて役目を終えた。

 公園の中に私たちが足を踏み入れようとした時、背後で小さな足音が聞こえた。

 振り返った私と克也の前に静かに立つ鈴美は微塵も動かない目で、開いたつい立ての向こうにある公園を見据えている。

「私も――行く」

 ただ静かな声でそう告げると、鈴美は私たちの横へと並び立った。

 入口の書かれていた警告の文言によれば、事故で破損して以来、修理されていない遊具が放置されているという理由で危険な為、立ち入り禁止であるというものであった。

 克也に続いて中に入った私はその文言は半分本当で半分嘘だったことを理解した。

 文言の通り、遊具やベンチは総じて壊れたまま放置されている。

 ただ、その風景は事故で壊れた言われて信じるにはいささか無理があるようにも思える。

 公園の中に設置された何から何までもが破壊された様は総じて、故意にやったと明確に見て取れる破壊のされ方をしていた。

 それも、到底普通の人間がやったようなものではない。

 圧倒的な力を持って暴れまわった何か、もとい誰かがこの公園を完膚なきまでに破壊したのだ。

 かつてどんな遊具だったのかもわからないくらいに原形を留めていない残骸の横を通り、打ち捨てられた廃材の上を跨ぎ、そして、破片を踏みならしながら歩いた私たちは公園の奥へと辿りついた。

 ここに来るまでに見かけた滑り台や木馬と違ってまだ比較的原形をとどめた遊具がそこにはあった。 

 ひしゃげた太めの鉄パイプや叩き折られた木の板は破損してはいるものの、間違い無くそれはブランコに違いない。

 首を垂れるように折れ曲がったものから、叩き折られたまま地面に突き立った鉄パイプは当時の塗装がまだ残っているせいで妙にカラフルだ。

 まるで一部の評論家にしか価値の解らないオブジェのようになったブランコの中心には真新しい花束が置かれている。

 淡い水色の包装紙に包まれた純白の切り花の傍には一人の少年が立っていた。

 私が克也の家にあった写真立てで見たあの少年に他ならない。

 克也が相棒と呼んだ親友にして、彼の全てを奪った仇敵――智久がそこにいた。

 そして、その隣には一人の少女が彼に付き添うように佇んでいた。

 黒いTシャツにブルージーンズという格好に加えて足元はスニーカー、頭にはTシャツと同色の野球帽までかぶっている。

 長い黒髪が女性的な可愛さを生み出しているものの、服装の影響で随分とボーイッシュな印象を受ける少女だった。

 きっと、今も生きてればカッコいいお姉さんになってただろうな。そんな風に私は思う。

 智久の隣に立つ少女の顔を私が見間違える筈も無かった。

 かつて克也たちが恋した女の子であり、今の彼を相棒として支え続ける少女。

 服装こそ違えど、紛う事無き鈴美の姿が智久の傍らにある。

 克也は智久の姿を認めると一歩前へと進み出た。

 鈴美もそれに続くようにして、克也と並び立つ位置を保ったまま歩き出す。

 先に口を開いたのは智久だった。

「よう。久しぶりだな、克也」

「ああ。本当に久しぶりだな。こうして会うまでに随分と時間がかかっちまった」

 克也の口調は心を鎧い、縛っていた時のものでもなければ、私に向けて穏やかに微笑み、語りかけてくれるようになった後のものでもない。

 おそらく、私も知らない本当の克也の喋り方で彼は智久と言葉を交わしていた。

「智久、やっぱりお前は相変わらずだな」

「何言ってんだよ。お前だって趣味は相変わらずじゃないか、克也」

 克也と智久の二人は互いが連れている“鈴美”を見ながら冗談めかした口調で言う。

「思い出すよな。お前がカメラ持ってきて、この公園で鈴美の写真を撮りまくったっけ」

「白ペンキ塗りたての石壁がスタジオの背景板にみたいだ、とか言い出したのはお前だろ」

「そうだったそうだった。そこ以外にもベンチとか滑り台で色々なポーズを取ってもらったよな」

 智久は自分が語る思い出に浸るように、破壊された遊具の残骸を順繰りに見回していく。

 それだけ見れば、世界への深い絶望と憎しみに囚われた破壊者などとは到底思えない。

 克也に向けて雑談の水でも向けるように智久は切り出した。

「しっかし、俺たちは気が合うクセに女の好みだけは全然合わえのはどうしてだろうな?」

「本当だよ。気が合ってんだがどうだか解らない。てんでバラバラっつーか、真逆だろ」

 再び二人は互いの“鈴美”を複雑な表情で見てから、雑談するような気安さで口を開く。

 こうしていると、今まさに二人が互いの命と信念をかけて戦いを始めようとしているなどと誰が思うだろうか。

「毎回毎回、俺らにあれやこれやと注文されても嫌な顔なんてしないで、その日その日で服を決めて来てくれたよな。可愛いのが好きなお前とボーイッシュ好きの俺……本当に逆だぜ」

「あいつは一生懸命服を選んできたって解ってるのに、いつも俺かお前のどっちかは必ずダメ出しするんだもんな……ったく、今思えばマジでフザケた男達だったよ、俺らはさ」

 二人は同時に思い出の世界から帰ってきたことを語る目で、互いを見据え合った。

「楽しかったよなぁ……克也」

「ああ。本当に楽しかった……今でもはっきり覚えてる」

 智久は涙を今にも涙を流しそうな顔で克也へと問いかける。

「戻れないんだな……」

「戻れやしないさ……」

 同じく今にも泣きだしそうな顔で答える克也へ智久は更に問いかけていく。

「最後にもう一度だけ聞くよ……克也、また俺と一緒にやってくれないか?」

「俺が何て言うか解ってるクセに聞くなよ。あの頃……相棒同士ってヤツは以心伝心が肝心なんて言ってたのはお前だろ?」

「そうだな。ならお前にも解るだろう――俺はこの世界ってヤツが憎くてもうどうしようもない。それこそ、自分でも……もう、どうにもできない――だから……」

「……終わりにするか?」

「……終わりにしようぜ」

 たった今、二人の間で決別の言葉は静かに、そして確かに紡がれた。

 それを合図にしたかのように二人の“鈴美”が二人の前へと歩み出る。

 まるで、各々の相棒を守る為に立ちはだかるかのように。

 克也と鈴美、そして智久と鈴美。二組の間にはほんの数メートしか距離はない。

 だが、その距離は世界中のどこよりも遠く離れているように感じられてならなかった。

「来い――相棒!」

「来い――相棒!」

 申し合わせる合図も無い。だが、二人は全くの同時に気迫に満ちた声を放った。

 轟音と共に残ったつい立てや遊具の残骸を蹴散らして、克也の愛機が駆けつける。

 その姿は既に銀色の一角獣のそれに変化し、凄まじい馬力と速度で智久に襲いかかった。

 銀色の一角が智久を貫こうと迫る瞬間、横合いから現れた漆黒の影がそれを払う。

 そればかりか銀色の一角獣を正面から押し戻すと、智久の前で停止した。 

 漆黒の影は智久を守り、敵を威嚇するようにエグゾーストを唸らせる。

 それは、最初に私が克也に助けられた時に見た光景と瓜二つなほどに酷似していた。

 克也の愛機が銀色の鬣を持つ跳ね馬だとしたら、智久の愛機は漆黒の毛皮を持つ猛牛。

 鈍く黒光りする装甲は頑強さは無論のこと、それを纏ってすら俊足を失わないほどの計り知れないパワーも同時に見せつけている。

 槍を思わせる一本の角を額に抱く克也の愛機に対し、こちらは鎌を思わせる湾曲した日本の角が前部から屹立していた。

 そして、それ以外はまるで鏡に映したように二人の愛機は酷似していた。

 雄叫びの如しエグゾーストでたける二体の獣は威嚇しあうように角を向けあったかと思うと、騎手を乗せないまま同時にロケットスタートを切る。

 正面からぶつかり合う鋼鉄の獣と獣。

 二体はくんずほぐれつしながら、角と角を何度も打ち鳴らして火花を散らす。

 両者とも互いの相棒の前で戦っていたが、幾度目かの激突の後にどちらからともなく戦場を移すべく首の向きを変えた。

 相棒の戦い――それの邪魔をさせるわけにはいかない。

 その一点において意思の一致した二体の獣は克也たちから離れた場所まで一気に疾走すると、再び戦いを始める。

 気にする余裕が無いのか、はたまた全幅の信頼があるのか。

 克也と智久は一斉に視線を愛機から離し、対峙する相手へと戻す。

「キャスト・イット・アップ!」

「キャスト・イット・アップ!」

 魂の全てを込めたような気迫が辺りを震わせ、またも重なる二人の声。

 二人の前で各々の相棒が彼等に力を与える存在へと変化していく。

 克也の前に立つ可憐な鈴美は銀色の霧に――。

 智久の前に立つボーイッシュな鈴美は漆黒の霧に――。

 二人は同時に地を蹴って走りだすと、それぞれ彼女たちが変化した霧がへと向けて走る。

 雄叫びをあげながら霧に飛び込んだ二人は、自らの姿が鎧を纏ったものに変化するのも待たずに拳を振り上げる。

 霧から飛び出した瞬間にして鎧が完成した瞬間、二人は正面から拳と拳をぶつけ合った。

 正面から渾身の力を宿して互いを打ち合う銀色の拳と漆黒の拳。

 二つは甲高い音を立てながら、互いをしりぞけ合う。

 克也の鎧が銀色の一角鬼なのに対し、智久の鎧は黒色の双角鬼というべき姿だった。

 やはり色と角の本数を覗けば二人の姿はほぼ同じ様相を呈している。

 あたかも、鏡に向かった一人の人間を見ているようだ。

 もはや言葉を交わす事も、相手の攻撃を避けるか防ぐかするのも忘れたようにただひたすら二人は殴り合う。

 世界中に存在する武具の何よりも強力な鎧を纏い、その姿で拳を繰り出さなければ――。

 或いは互いの命を賭けて、哀しみの中に殺意を込めて相手を睨みさえしなければ――。

 この戦いは、親友同士がついやってしまったただの喧嘩で終われたかもしれない。

 きっと……終わってみれば互いに笑い合い、時が流れていつか昔の日々をを懐古する時が来れば苦笑と共に語る事の出来た思い出になったかもしれない。

 でも、もうそうなる可能性は永遠に訪れない。

「何故だ! 何故解ってくれない! どうして俺の邪魔をする! この世界はどこまでも不公平なんだ! だから、俺は“種”という形でチャンスを与えた――なのにッ!」

 自らを取り巻く世界へ際限なく広がる憎しみと怒りを、眼前の克也というたった一点に結集させるように智久は絶叫する。 

 絶叫と共に放った漆黒の拳が空を裂いて唸りを上げ、銀色の胸板を強かに叩く。

「あれはチャンスなんだ! 不公平に虐げられ、ただ泣くしかなかった奴が……そんな奴が虐げる側に回る為のかけがえのないチャンスだったんだッ!」

 胸板に打撃をくらってたたらを踏む克也の顔面に智久の拳が横滑りの軌道で迫る。

 咄嗟に持ち上げた右腕のガードも間に合わず、克也の顔面をフックが襲う。

「なのに! お前は俺がせっかく授けた“種”を全てダメにしたッ!」

 怒りと憎しみに衝き動かされるまま、智久は猛攻をひたすらに繰り返す。

「なら……お前の言う不公平に虐げられた奴というのは……そいつとは何も関係なく普通に生きて、普通の幸せを大切にしている人を傷つけても良いっていうのかよッ!」

 打撃を受けるままだった克也は裂帛の気合と共に蹴りを繰り出す。

 砲弾の如く速さで迸る蹴りは銀色の軌跡を引き、まるで突き刺さるかのようだ。

「お前の蒔いた“種”に呑まれた人達は……傷つけなくてもいい人まで傷つけた……。時には自分の意思ではどうにも出来ずに――無関係な人だけじゃない……お前が勝手な理屈で“種”を授けられた人も同じように傷ついたんだッ! お前こそどうして解らないッ!」

 漆黒の胴当てに炸裂した蹴りは、智久が放つ拳の嵐を中断させるのを強いるほどの威力があったようだ。

 思わずひるんだ智久に向かって克也は一気に距離を詰めると、肩を叩き込むようにして突進を敢行する。

「お前のせいで泣かなくてもいい人が泣いた! 傷つかなくていい人が傷ついた! ……汚さなくていい手が汚されたッ! そして……何人もの人が背負わなくていいものまで背負わされたんだッ!」

 体当たりの勢いそのままに克也はひじ打ちを叩き込む。

 克也が先程のお返しとばかりに狙ったのは相手の胸部。

 漆黒の胸当てに銀色の光が直撃し、甲高い大音響と共に二人の距離が離れる。

 世界全てへの絶望と憎しみ故、どこにでもある平穏の破壊者となってしまった少年。

 そして、親友への友情故に自らの心を殺して彼を追い続けた少年。

 遂に訪れた二人の因縁に決着をつける戦いは終わる事を知らないかのように続く。

 私は自分の瞳はもちろん、先程から取り出していたカメラのファインダー越しにもその一部始終を見ていた。

 もう……止めてよ……。これ以上は……見てられない……。

 私の中の弱気がさっきから幾度となく声を上げている。

 そればかりか、少しでも気を抜けば私の身体を乗っ取って瞳を逸らさせようとする。

 今、私は目を逸らしてはいけないのだ……何があっても、絶対に。

 ――“時には目を逸らしたいことも目の当たりにしなければならない”

 かつて克也が私に言ったように、その時が今まさに来ているのだから。

 彼を少しでも支えられたら――誰に知られることも無く戦って来た克也の重荷を少しでも手伝えたらと思うのなら、この戦いを私自身の目と耳で記憶する他にないのだ。

 私は克也や鈴美のように戦うことは出来ない。

 だから――私は私に出来る事をする。

 克也の戦いを全て知り、理解することで、彼がその戦いの結果何をしたとしても受け入れよう。

 そして、受け入れた上で彼の帰ってくる場所になろう。

 それが――彼の本当の姿や過去、そして旅の目的を知ってしまった私の義務なんだ。

「克也……だからお前は何も解っていないんだ! 不公平に虐げられた人間は、虐げられなかった人間を妬み、奴等の自分と同じく理不尽と不条理のどん底に叩き落とす権利がある! それが……俺のような底辺を舐めた人間に残された最後の手段なんだよッ!」

 一言一言を聞くたびに心が壊れそうになるほどの強烈で強大な悪意が周囲の空気と私の心身を震わせていく。

 それでも私は歯を食いしばって耐えながら目を見開いた。

 もう、瞬きするのすらもどかしい。

 莫大な悪意と共に放たれる膨大な量の打撃が克也を完膚なきまでに打ちのめしていく。

 まるで悪意が湧けば湧くほどに力が増しているのかと思うほど智久の攻撃は激しく、そして強くなっていく。

 重く頑強な鎧が地面を打つ音があたり一面に響き渡った。

 渾身の気合いと共に全身全霊の悪意を込めて智久の放った右腕の正拳突き。

 それを正面からくらって後方へと派手に吹っ飛んだ克也は、遂に地へと叩き伏せられた。

 姿の殆どが酷似した二人の戦いは何もかもが互角なように見えた。

 しかし、時が経ってみればその差は歴然。

 銀色の鎧を纏う克也と漆黒の鎧を纏う智久の間には大きな力の差があるのは明白だった。

 キミが過去の重たさに耐えられない時は私が手伝うから……。

 でも、キミ自身にしか背負えないのなら……その時は私がキミをずっと待つ。

 過去を背負うのも苦にならない現在いまにも過去を背負ってでも見たいと思う未来あしたにもなるから……。

 私を全力で守ってくれるように、私はキミの帰る場所を全力で守る……! だから――。

 お願い……立って! 克也っ!

 私は心の中で慟哭しながら何度も絶叫した。

 それが届いたのか、克也がゆっくりと、しかし確かな所作で身体を起こす。

「真桜……もしつらいなら目を伏せても良い。でも……もし、できることならお前にだけは見届けてほしい――そして、記憶の片隅でも良い……俺のことを忘れないでくれ」

 克也は私の方を静かに向き直ると、一言一言に心を込めるように囁いた。

 一角鬼の仮面にはめられた翡翠の瞳ごしだったが、私には確信があった。

 今、克也は時折見せる癖の通りに、私の瞳を覗きこむように見ているに違いない。

「止めてよ……それじゃ……キミがまるで……!」

 私の言葉を最後まで言わせまいとするかのように、克也は世界中に響き渡るような声になけなしの魂を注ぎ込んだ。

「来い――相棒! 悪いが……最後まで付き合ってもらうぞ!」

 彼等とは別に繰り広げられていたもう一つの戦い、それを中断して銀色の一角獣は克也の元へと全力疾走で駆けつける。

 まるで重力が消え失せたかと錯覚するほどの軽やかな動きで跳躍した克也は駆けつけた相棒の背に寸分違わぬタイミングで跨る。

 智久も同様に超人的な跳躍で後方への放物線軌道を描いて上昇する。 

 相棒の意思を手に取るように見抜いているのか、鋼鉄の双角獣もその巨大な体躯に漆黒の双角鬼を乗せる。

 愛機のハンドルを握り潰さんばかりに掴んだまま両者は距離を挟んで睨み合う。

 永久に続くかと思われた睨み合いの末、エグゾーストの咆哮を上げて二体の獣は飛び出した。

 スロットルは両者ともに最大。一瞬にしてトップスピードまで加速した二体の獣が泊ることも曲がることもなく、ただ一直線に疾駆する。

 このまま激突すればどちらもただでは済まないだろう。そして、それこそが――。

 克也……私……そんなの嫌だよッ! 

 堪え切れなくなった私の瞳を濡らした涙が頬を伝う。

 どうしてこんな時に……。私は涙を流す自分への怒りを感じていた。

 今こそ何よりも見届けなくてはいけない瞬間なのに……涙のせいでぼやけてしまっては見届けることも、それを記憶に刻むことも出来ないではないか。

 人馬一体となった銀色の輝きが、自らの命もろとも智久を砕こうと迫る。

 その瞬間、私はもちろん克也すらも予想だにしなかった出来事が起こったのだった――。

 超高速で疾走する車体から無数の銀光――鎖が生まれ出る。

 まるで生い茂る草のように伸びあがった鎖の束は克也の身体に巻きついた。

「相棒……何の、つもりだ……!」

 驚きのあまり鈍る口を動かし、やっとのことで克也がそれだけを問いかけた時には彼の身体は宙を舞っている。

 克也の身体を持ち上げた無数の鎖はたった一つの意思に従うように統率された動きで、漆黒の人馬に激突する直前の車体から彼を放り投げたのだ。

 ――私の代わりに――彼をお願い。

 最後の戦いに臨む前に鈴美が私に言った言葉が脳裏によみがえる。

 鈴美……キミは最初からそのつもりで……。そんなの、あんまりだよ……!

 彼女の真意に気付いた私と克也が見つめる先で、銀色の一角獣は最後の力を爆発させるように更なる加速を見せる。

 そして、時を同じくして立ちこめた臭気が私の鼻をついた。

 ……この匂いは……! まさか……ダメだよ、鈴美っ! お願いだからやめてっ……!

 私の懇願も虚しく、銀色の一角獣は無色の液体を撒き散らしながら漆黒の猛牛と正面から角を突き合わせた。

 音速にすら届こうかというほどまでに加速された角と角がしのぎを削った瞬間、巻き起こった火花が種火となって起きた大爆発と共に火柱が上がる。

 天まで達そうかという長大な火柱に漆黒の人馬は呑まれていく。

 激突と爆発、二重の衝撃によって遥かな距離を吹っ飛ばされた銀色の一角獣へと克也は歩み寄った。

 同じく私も弾かれたように歩み寄ると、私は目の当たりにした光景に絶句した。

 要所要所の部品は脱落し、銀色の一角獣の体躯はあちこちが破損している。

 無事な部分など何も無いとすら思えるような手負いの一角獣は霧への変化を始めた。

 もう殆ど力が残っていないのか、部品一つ一つをじょじょに霧に変えながら、やっとのことで身体を横たえた鈴美の姿に実体化する。

「相棒……どうしてこんなこと……?」

 鈴美はいつも以上に途切れ途切れの声で答えた。

 声だけではなく、身体にも力が入っていないようで倒れたままで克也を見上げる瞳は今にも瞼が落ちてきそうだ。

「最高の相棒は――一方がピンチになれば――絶対に助ける――貴方の知識に――そうあった」

 克也は鈴美の身体をそっと持ち上げると、自らの胸に抱き寄せた。

「それが貴方の目的は――この旅を終わらせること――貴方の目的を果たすこと――それが私の目的――知性を借りた私が見つけた――私の目的――だから」

 いつになく鈴美は多弁だ。まるで心残りを何一つしまいと言わんばかりに。

 彼女の細い身体が折れそうなほどに克也は強く抱きしめる。

 だが、二人に心残りの無い別れを告げるのすら許さないとでも言うように、怨嗟に満ちた声が私たちの背後から響き渡った。

「鈴美……! どうしてお前も解ってくれない……!」

 燃え盛る火柱の中からゆっくりと歩み出た智久は鎧が吹き飛んだせいか、既に生身の姿をしていた。

 智久の“鈴美”は激突されたのに加えて自分のガソリンにも引火したのか、智久の後方で大破したまま転がっている。

 動きそうな気配は今のところは無いが、まだわからない。

 一歩一歩近づいてくる智久の姿が近くなったことで、細部を目の当たりにすることになた私は彼の姿に言葉を失った。

 身体中の至る所に傷がや焼けただれた痕があるのは勿論、右腕は肩口から丸々吹き飛んだのか消失しており、銀色の一角に貫かれたと思しき大穴が腹部に穿たれている。

 爆発や破片で身体中に刻まれた数多の傷は驚くべき速さで、溶けたような流体状の金属によって塞がれていく。

 焼けただれた後は漆黒の流体が覆ったかと思うと、次の瞬間には金属の質感を持った新たな漆黒の皮膚が生まれている。

 更には、肩口から泉のように吹き出した漆黒の流体が腕ほどの長さで固まると、吹き飛んだ右腕までもが瞬時に再生を遂げた。

「嘘……」

 絶望に押しつぶされそうな心で、私はただそう呟くしかなかった。

 こんな不死身の相手に克也は一体どうすればいいというのだ。

 だが、私とは違って克也は微塵も臆した風も無く彼に対峙する。

「そっちも限界みたいだな。生憎、俺もそろそろヤバイ……もう終わらせようぜ、親友」

 克也が口にした“限界”という言葉に何かを感じた私は咄嗟に智久の姿を見た。

 彼の言う通り、いかに再生したとは言え、まだ身体中のいたるところを黒色の流体で貼り合わせるように無理矢理繋ぎ合わせている状態だった。

 しかも、身体のパーツを繋ぐ役目を担う流体は傷口を再生する黒色のカサブタと共に、智久が一歩前に進む度に剥離して地面へと落ちる。

 そして、剥がれた流体は地面に着いた途端に赤錆色に変化して朽ち果てていく。

「真桜――私を――克也の――所――へ」

 鈴美が落ち行く瞼を必死で抑えながら、消え入りそうな声で私に呟いた。

 彼女の言葉に何かを感じた私は迷わず彼女に肩を貸して立ち上がる。

 もうほとんど密度が無いのだろう。彼女の身体は見た目からは想像もつかないほど軽い。

「これを――貴方の――旅を――終わらせて」

 私に半ば抱きかかえられながら鈴美は克也に手を差し出した。

 差し出したその手の上に銀色の霧が集まる。

 その出所は、他ならぬ彼女自身の身体だった。

 もう既に彼女には一角獣の姿になるだけの力は残されていないようだった。

 だからせめて、彼を運んであげられないまでも、最後の武器を託すだけは――。

 鈴美は言葉こそ無いものの、そう声高に言っているような気がしてならない。

 やがて銀色の霧も出なくなると、集まった霧はゆっくりと最後の形を取り始める。

 槍の穂先だけを取ったような銀の杭――幾度となく自分が姿を変えた銀色の一角獣の角だけを握りしめながら、鈴美はそっとそれを克也に差し出した。

 自分の託した最後の武器を克也が受け取ったのを見届けると、鈴美の身体は人型を失い、銀色の砂になってその場に崩れる。

 まだ微かに寄り集まっているそれは、銀色と言う色彩も相まって砂と言うよりは雪のようだ。

 銀色の仮面の下で克也がどんな顔しているのかは、私には解らない。

 だけど、銀色の雪を見つめるように下を向く克也は泣いているように思えた。

 克也は顔を上げると、銀色の一角を握りしめて智久へと走り寄る。

「智久ぁっ!」

 咆哮のような絶叫を上げて振りかぶった一角を克也は一分の迷いも見せずに、智久の胸へと突き立てた。

 だが、それと同時に智久も再生したばかりの右手で克也を正面から殴り飛ばす。

 信じられないことに、殆ど生身も同然の智久は鎧を纏った克也を拳で吹き飛ばしたのだ。

 克也の一撃は確かに智久へと届いた……だが、浅い!

 鈴美が一角を作り出したように、智久もまた漆黒の流体を練り上げて鎌の如し角を作る。 それを握りしめた智久は胸に一角が突き立ったまま、克也へと歩み寄った。 

 倒れたまま動けない克也に鎌の如し角を智久が振り下ろす瞬間、私は目を疑った。

 先程の突撃で壊れた銀色の一角獣の部品や鎖の切れ端が一斉に動き出し、互いを繋げてその身の形を変えて鎖となる。

 周囲に散らばっていた破片が全て鎖となり、明確な意思をもって動いたそれは四方八方から智久の身体を縛り上げた。

 だが、それも長くは持ちそうにない。

 憤怒の呻き声と共に腕を動かす智久の周囲で悲鳴にも似た金属音を上げる鎖は今にも千切れてしまいそうだ。

「立って……立って克也っ! 終わらせるんでしょう……キミの旅をっ!」

 声の限り叫ぶ私の前で克也はゆっくりと起き上がる。

 それに応えるように全ての鎖が融合した後に再び変化して、何と……鈴美の姿になった。

「鈴美……どうしてお前はいつも克也の方を……! なぜ……俺の気持ちを……!」

「同じ顔と同じ名前――だけど――私は貴方の恋した――鈴美じゃない」

 鈴美は後ろから手をまわして押さえこんだ智久に向かって決然と言い放った。

「私は――克也の相棒――それ以外の――誰でも無い」

 智久の身体にしがみつくようにして必死に押さえつけながら鈴美は克也に目線を送る。

 克也が目線でそれに答えた瞬間、鈴美は遠く離れていても見えるほどに大きく頷いた。

「うあああああああああああああああああっ!」

 最後の力を振り絞った鈴美に報いるように、克也も命を最後の一滴まで込めたような雄叫びを上げると共に飛び蹴りを放つ。

 克也の蹴りは狙い過たずに智久の胸に突き立った銀色の一角へと炸裂し、彼とその背後にいる鈴美を深々と貫いた。

 今度こそ本当に智久は力尽きたのか、胸の傷が再生することも無く倒れ込む。

 智久は意思の光の消え行く目で克也を見上げながら、途切れ途切れに口を開いた。

「克也……お前とだったらどこまででも行ける気がしてたよ。本当だぜ……? なぁ……もし次にまた会ったらその時は……また一緒に雑誌……作ってくれるか?」

 役目を全うしたように鎧が霧へとかえり、生身になった克也は智久へと向き直る。

「当たり前だろ。じゃ、またな――親友」

「ありがとよ……親友。……またな」

 二人とも昔に戻ったような顔で別れの挨拶を済ませた直後、智久は悪意の消えた顔で安心したように穏やかな表情を浮かべる。

 その安らかな表情を最後に、智久の身体は赤錆色の砂になって跡形も無く消えた。

「鈴美……っ!」 

 智久との別れを終え、しゃがみ込んだ克也に抱きかかえられながら、鈴美は最後にぎこちなく微笑んだ。

 私と克也の気持ちも虚しく、今度こそ本当に銀色の雪となって崩れる。

「智久だけじゃない……俺は……またこの手で鈴美を……」

 とめどなく溢れる涙を拭おうともせず、克也は自責と哀しみに満ちた声で慟哭する。

 克也が銀色の雪を拾い集めるも、鈴美の欠片だったものはすぐに彼の手からこぼれ落ちてしまう。

 しかし、何度手からこぼれ落ちても拾い続ける克也を見ていた私も気がつけばしゃがみ込んで銀色の雪に手を伸ばしていた。

 以前、私を逃がしてくれた際に流体状になりかけた彼女の手を握った時のことを思い出す。

 硬いようにも柔らかいようにも、冷たいようにも温かいようにも感じる不思議な感触。

 感情が無いように見えて友達思いで、ちょっぴり天然ボケな所がある彼女の姿をもう見れないのかと思った途端に私の手から力が抜けていく。

 こぼれないように掴まなければいけないと頭では解っている筈なのに、どれだけ握っても力の入らない自分の手がもどかしい。

 赤錆びた色にもならず、綺麗な銀色のまま残ってくれていることが私にとってせめてもの救いだった。

 そう感じた時、私の心にとある疑問、もとい違和感が降って湧いたように生まれる。

 “ミーティア”がその命を終える時は赤錆びた色へと変わり、砂のように朽ち果てる筈だ。

 だが、鈴美だった欠片はまだ銀色をしている。

 それだけではない。銀色の雪は雪に似ていると言っても粉雪ではなく、どちらかと言えばぼたん雪に近い気もするのだ。

 まさか……まだ、鈴美は完全に死んだわけじゃない――。

 私は傍らで銀色の雪を集める克也に、私はその突飛な思いつきを語る。

「……真桜、俺も認めたくはない……だが、鈴美はもうこの世界のどこにもいない……」

 力無く嘆く彼の手からこぼれる銀色の雪を見ながら私は気持ちを奮い立たせる。

 自分の大切な人である“鈴美”を二度も自分の手で失うようなことは絶対に克也にさせてはならない。

 ……せめて一目だけでもこの銀色の雪が彼女の姿になってくれるだけでもいい。

 このまま銀色の雪が何の形も取らないまま消えていくのは私だって嫌なのだ。

 鈴美とは全てが終わった後で克也のことを改めて決めると約束したのだから。

 何かに衝き動かされるように私は再び銀色の雪を拾い集める。 

 その時だった、私は掴もうとした塊の中に何かがあるのを偶然見つけたのだ。

 雪と同じく銀色をしていたその何かを、埋もれた中から摘み上げた私はそれの正体が何であるかを理解した。

 シンプルなプレートに格言が刻印されたペンダント――私が鈴美と交換したものだ。

 この瞬間、私の心に引っ掛かっていた違和感が一瞬にして希望へと変わった。

「克也! この世界にたった一つだけ……まだ鈴美がいる場所があるよ!」

 眼前にばかり目が行ってすっかり見落としていた。灯台もと暗しとはまさにこのことだ。

 これではジャーナリストとして恥ずかしいけど、今はそれを感じている場合じゃない。

 私はブラウスの第二ボタンを急いで外すと、自分の首元を覗き込む。

 あった……! やはり、私の思った通りに鈴美はそこにいたのだ。

 うなじに手をやった私は急いでペンダントのチェーンを外すと、克也に差し出す。

 私の手には、今もしっかりと形を留めたままの熱帯魚を模したペンダントが乗っていた。

「真桜……! まだ間に合うかもしれない、それを貸してくれ!」

 克也は私の手からペンダントを受け取ってから、いつか私にやって見せたようにポケットから画鋲を取り出す。

 今回は手の平に突き刺した画鋲を力任せに動かして傷口を押し広げると、鈴美のペンダントを傷口に重ねるように置いてから、力強く拳を握りこんだ。

 それから拳を握り続けたまま、克也は無言だった。

 ややあって、心配そうに見つめる私に向けて克也は安堵の微笑みを浮かべる。

「良かった……まだ鈴美は消えていなかった。これでもう、大丈夫だ」

 ゆっくりと開かれた彼の手の平に開いた傷口は、画鋲で刺した時こそ赤い血で濡れていたものの、今はもう銀色の血でカサブタのように覆われていた。

 克也の言葉と笑みで鈴美の無事が理解出来た私はホッと胸を撫で下ろす。

 色々なことがあったが、ここに克也の旅が終わりを向かえたのだ。

 克也は安堵と哀しみが入り混じった複雑な表情で遠い目をしている。

 今はそっとしておこう。そして、彼が自分の中で決着をつけたらこう言うのだ。

「克也、帰ろう――私たちの街へ」



 教室の中に机と椅子を並べるのは同じでも、テーブルクロスの有無だけでかなり印象が変わるという事実を私は昨日と今日の三日間で実感していた。

 克也が旅を終えてからのことはめまぐるしく過ぎて行った。

 私は文化祭での展示に向けて報道部の原稿を執筆する為に連日ラップトップPCの前に座ってキーを叩き続けた結果、何とか本番当日に間に合わせることに成功。

 早い段階で測量や備品の計上などを終わらせておき、それ以降の準備はクラスのみんなにも協力してもらうという建前でクラスメイトたちに任せ、私は報道部の準備にかかる。

 そんな私の機転……もとい詭弁も功を奏し、一時はどうなることかと思ったけど、結果的に言えば同時並行で進めていた二つの準備はどちらも期限までに完了したのだった。

 万事うまく事が運んだように思って一人ほくそ笑んでいた私が唯一の誤算に気付いたのは、授業を休みにして最後の準備を行う日として当てられた本番前日のことだった。

 クラスの出し物である喫茶店はクラスメイトに任せていたせいで殆ど感知していなかった私は本番前日になって、準備されていたのがただの喫茶店ではないことを知ったのだ。

 ホームルームや休み時間にそれとなく話題には上がっていたものの、報道部のことで頭が一杯だったせいで殆ど聞いていなかったのがいけなかった。

 言い訳するようだけど、今回の文化祭で強く印象に残るような物を発表できれば来年の新入生を報道部に誘致できる可能性は大いにある。

 実際、受験する高校の見学も兼ねて文化祭に来る中学生は多い。

 だから、そうした中学生たちに報道部をアピール出来れば新入生は入れ食い状態、そんでもって部員数も鰻登りでめでたく正式な部活動として認定される。

 という一連のプランに執心するあまり、私はクラスの出し物の方に殆ど気が回っていなかったのだ……今では反省している。

 そのせいで、クラスの出し物は私のろくに知らない所で計画が進み、細部が煮詰められ、報道部の準備を終えた私がクラスの前日準備に顔を出した時には全てが遅かったのだ――。

 そんなここ最近の日々を思い出しながら、私は恥ずかしさに耐えかねて、手に持った円形のお盆を持ち変えて太ももを隠す。

 いつもと違ってレースのカーテンに架け変えられた窓ガラスに自分の姿が映る度に、私は顔から火が出る思いだった。

 この出し物の主旨を思い出して、私は誰にも気づかれないように心の中だけでため息をつく。

 前日準備に顔を出した私の前には見事に清書された企画書が生徒会へと提出される寸前の姿で置かれていたのだ。

 ――ヨーロッパの服飾文化を調査・研究し、それをクラスの出し物である喫茶店という形態を兼ねて発表する。

 企画書に書かれていた大まかな建前はこんな所だ。

 今ひとつ意味を掴みかねていた私に畳まれた布が差し出されたのはその時だった。

 受け取った私は畳まれたそれを開いて愕然とした。

 黒地のワンピースに白いエプロンドレスがセットになった服。

 これがメイド服というものであることくらい私にだって判る。

 クラスのひょうきん者が言い出したのにみんなが賛同し、気が付いたらメインになっていたという経緯を私は後から聞いた。

 私以外にもこの格好で店番をするクラスメイトがいるというのに、まさか曲がりなりにもクラスの実行委員である私がそれに乗らないのはいくらなんでもしらけるだろう。

 そして本番当日の昨日と今日、私は渡されたメイド服を着る羽目になったのだった。 

 こんな時は自分のノリの良さや、ある意味で常識的な所が恨めしいとすら感じる。

 しっかし……本当にモノは言い様よね。

 私は苦笑と共にぼやきたくなるのを抑えて作り笑いする。今の私はメイドさんなのだから。

 企画書にはもっともらしく書いてあるが、本物のメイドさんとは違ってスカートの丈がかなり短いせいで恥ずかしいことこの上ない。

 と、これだけ胸中で文句を言っていても客が来れば即座に笑顔で声をかける自分に苦笑しもする。

 もしかして、私……実は結構、楽しんでるかも?

 胸中で自問しながら私が声をかけた客は、前にCDを貸してくれた漫研の女の子だった。

 昨日と今日で彼女は何かにつけて私のクラスの喫茶店に通っている。

 どうやら、彼女のお目当ては克也らしいのだ。

 ちなみに克也も実行委員なだけあって、当然のことながら私と似たような格好をさせられている。

 もっとも、似合っているかどうかは判らない私と違って克也はかなり似合っていた。

 私がメイド服であるのに対して克也はベストやスラックスで纏めて執事の格好だ。

 やはり見た目が良いと何を着ても似合うんだろうか。

 漫研の彼女と克也の出会いは三日前にさかのぼる。

 本番三日前には報道部の原稿を仕上げた私は、製本作業をしている漫研にお邪魔して機材とスペースを少し貸してもらって自分の製本作業も終わらせた。

 私と克也が学校で一緒にいる表向きの理由と言うのは、彼が報道部に入ったからということになっていたのだ。私自身、すっかり忘れていたけど。

 それを思い出した私はこれ幸いと克也にも準備を手伝ってもらうことにしたわけで、この時に私はかねてより会わせてみようと思っていたあの子に克也を紹介した。

 智久と決着をつけてからの克也は少しずつであるが、私以外の人とも付き合いを持つようになっていった。

 今まで他人との関わりを拒絶している印象しかなかっただけに、この前の昼休みに彼が自分からクラスメイトに話しかけていた時には周囲の人間全員に驚かれていたようだけど。

 だから、私もさほど心配しないで漫研の友達と会わせてみたのだが、結果は私の予想を遥かに超えていた。

 主人公が扱うメカがカッコ良いだの、ごく普通の女の子だと思われていたヒロインの意外な出自が明らかになる中盤までの伏線が巧すぎるとか何とか――。

 私が主題歌を着信音にした例のアニメの話で二人は随分と盛り上がっていたようだ。

 克也がもう自分の心を抑えつけてまで他人を拒絶しなくても済むのも、私以外に新しい友達ができるのも私としては嬉しい限りだった。

 克也の新たな一面も発見できたし、もっと彼を知ることもできたのだから良い事だらけだ。

 でも、このまま克也がそっちの趣味にディープなハマり方をするんじゃないかと内心で恐々としていたのは本人も含めて内緒にしておく。

 そういう経緯で漫研の彼女は克也がお気に入りなのだった。

 彼女いわく、顔立ちが良くてちょっとぶっきらぼうな所が例のアニメの主人公にやたらと似ているらしく、それも大きな理由のようだった。

 入口近くに立って店番をしていた私は、さっきも彼女が私たちの喫茶店に入店する前に、教室のドア横でわざわざメガネを外してから入るのを見た。

 共通の話題があるという点では彼女も同じなのだ、うかうかしてたら鈴美どころか彼女にも追い越されてしまうかもれないのだ。

 私は密かに気合を入れ直しているのをおくびにも出さずに彼女へと話しかけた。

「いらっしゃい。克也でしょ? ちょっと待ってて、すぐ呼んでくるから」

「いいの。ここで都築くんをゆっくり待たせてもらうから」

 もう既に彼女の目線は他のテーブルで接客している克也に固定されていた。

 熱に浮かされたように顔はボーっとしているクセに、克也の動きにだけは俊敏に反応し、角度は勿論一秒の誤差もなく彼の動きをトレースしているようにすら見える。

 このまま放っておくのも何なので、何か話題は無いかと頭を捻った私はふと気になっていたことを思い出した。

「そういえばさ、克也と一緒に盛り上がってたあのアニメなんだけど……結局、最終回ってどうなったの?」

「真桜ちゃん、知らなかったの? 戦いが終わった後でね、ヒロインの誕生日を工作員の主人公が祝いに来てくれて、それで二人が気持ちを確かめ合って結ばれるんだよ」

 私は間を持たせるだけのつもりだったのに反して、うっかり彼女の何かに火をつけてしまったようだ。

 いつもはおっとりした彼女が急に別人のように饒舌になったのに驚きながら、私は忙しく動き回る克也に目を向けた。

 過去と決着をつけた克也は一つの旅を終えた。

 そして、今度は新たな旅の一歩を踏み出したのだ。

 それがまるで自分の事のように嬉しかったのを私はきっと忘れないだろう。

 付けくわえておくと、店番の交代で空いた時間は全て報道部の店番に充てた。

 何せ、私以外に部員がいないのだからいたしかたない。

 交代時間が一緒の克也にももちろん手伝ってもらったが、そのおかげでメイドと執事が店番をしているという報道のイメージを色々な意味で覆すことになったのは言うまでも無い。

 来年の部員獲得に向けて、今回の文化祭で私は報道部が誤解されていないことをただ祈るばかりだった。

 結局、私が克也を取材したことは原稿としては書いたものの、発表せずにラップトップPCのハードディスクにしまったままだ。

 だから、何だかんだで売れ行きが好調な私たちの部誌にはデートスポットの情報やオススメの店などの情報で紙面が埋まっている。

 唯一、それらしい記事があるとしたら誰もが知ってそうな都市伝説の場所に関するページと都市伝説に関するコラムくらいだ。

 きっと、写真付きで載せたところで誰も真実だとは思うまい。

 それに、この記事はいつか私が自分でも納得の行く一人前のジャーナリストになった時の為に取っておくことにしたのだ。

 その代わり、私はこれからも真実を追い続けていくことに決めた。

 やっと私にも一緒に夢中になってくれる相棒が出来たことだし。

「真桜」

 呼ばれて振り返った前で、私が愛用するカメラが克也の手の中で作動音を鳴らした。

「ちょっと……準備できてない顔を撮ったわね! しかも……こんな格好の時に!」 

 笑う克也からカメラをひったくると、私は今しがた撮影された写真を確認する。

 悔しいけど……ブランクがあったクセに私より上手いかもしれない。

 アングルも良ければブレてもいない写真は、とても不意打ちで撮ったとは思えない。

 頬を膨らませる私に克也は少し照れたように言った。

「ま、いつもも良いけど今日のも可愛いと思うぜ」

 たまには良いコト言うじゃない。

 普段は見れないような克也の照れた顔も見れたし、彼の褒め言葉に免じて許してあげるとにしますか――ただし条件付きで。

「ありがと、今回は許してあげる。ただし、今すぐ報道部に入部しなさい!」

 今度は私に不意を突かれて驚く克也に向けて、私は悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 まずは克也を正式な報道部の部員として加えて部員数を二人に増やす。

 それが、一つの取材を終えた私の次なる仕事だった。

 


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