陰陽交ざりて、闇深まる
「改めて思うと変な奴らだな」
先行する光達の背を見て、大江は呟く。
「ん?何がだべか?」
「さっきの狐んとこで言ってただろ。鬼を下して使役するって話」
「ああ、光の恩人の話だベな」
「何故光達は俺達を下し、使令としないんだろうな。これまで隣にいることに違和感を感じなかったが、普通に考えればおかしいんだよな。この状況って奴は。光は鬼が怖くねぇのか。いや、そうじゃねぇか。俺達を無理やり従わすのは本意じゃない。それとも単にやり方を知らない。なあ、どうだと思う?」
問われて、隣にいたアイは自信満々に胸を張る。
その答えに大江は少し期待し、
「それはきっと愛だベ」
すぐに落胆した。
「お前の頭の中はそれしかねぇのか?」
「そうだべー。オラの頭の中は綱様への愛でいっぱいなんだベぇ」
真剣に悩んでいるのが馬鹿らしくなる。
少しその真っ直ぐさがうらやましいとも思うが。
「そうか。お前に少し真面目な話をしようとした俺が悪かったな」
ぐだぐだ考えていても始まらない。
今はただ光の仇討ちの事を優先すればいいかと大江は思う。
成り行きとはいえ大江の父の止めを刺したのは光だ。
光はその事に後ろめたさを感じているのではないのか。
そうも大江は思う。
いや、後ろめたさを感じているのは大江の方だろうか。
仇討ちという暗い目的ではあるが、ただ真っ直ぐに突き進むその姿は何もない大江にはまぶしく映る。
あんなにも小さき背が、と大江が見てやるとその歩みが止まった。
何事かと光達の視線の先をたどると、光達に向かい歩を進める人影があった。
「おや、これは珍しい」
その姿がはっきりと視認できる距離でも光は信じられないと目を疑うのだった。
「阿倍清明様!」
「おや、私の名を知っているのか?」
「はい。いつぞやは私が鬼に襲われた際、阿部清明様に助けられました」
「ふむ」
阿部は光達一行をなめまわすように眺め、
「では、その鬼らが源の家を襲ったお主の親の仇と言う訳か?」
「いえ、そうではありませんこの者達は私の仇討ちを手助けしてくれている者達で。まだ父の仇の鬼は・・・」
「危険だな」
「はい?」
「危険だと申しておる。そのように鬼を共に連れては夜もおちおち眠れんであろう。どうだ、私がその者達を預かり受けよう」
まるで大江を物のように扱う阿部に光は呆気にとられたが、仮にも命の恩人。
どうしたものかと逡巡していると大江が前に出た。
「てめぇ。さっきから聞いてたら勝手な事ばかりぬかしやがって。誰が光の親の仇だ?てめぇは俺を何だと思ってんだ?」
「鬼だろう。忌む者、禍事の象徴。そして、下す者」
「・・・この。一発殴ってやる」
「止めないか。大江。従者なら従者らしく共に光様の言葉を待つものだ。しゃしゃり出るな」
「誰が従者だ!お前と一緒にするな」
綱なりに大江を諌めたつもりだったが、火に油を注いだようだ。
「アイ!」
「分かってるべ。あいつの玉をつぶしてやるべ」
「アイさん!」
「おう。そうだったべ。玉は下品だったんだベ」
ピコピコとアホ毛を揺らし、アイは玉をどういう風に言ったらいいかと悩む。
「アイさんも大江も落ち着け、何をそんなに怒っているのだ?阿部様に失礼であろう」
「そんなもの知るか。あいつが光の恩人だろうと、いけすかないものはいけすかねぇんだ。だって、あいつからは・・・」
光はそんな大江達のやり取りを見て、くすりと笑う。
「申し訳ないのですが、大江達を阿部清明様にお譲りできません。あの者達はやはり私の仲間なのです」
ふむ、と阿部は腕を組む。
「ならば仕方あるまい。力ずくで奪うとしますか」
人型の紙の依り代を地面に放ると、そこから二体の鬼が現れた。
光達は現れた鬼達に驚き、ついで放たれる臭気に袖で口元を押さえた。
「鬼の死臭がしやがる」
大江が言葉をつなげた。
各地を転戦してきたのだろう。
その鬼達には多くの傷がある。
しかし、その傷は放置され、化膿し、虫が沸いてしまっている始末であった。
かつての大江の父のように理性を失い、ざんばらんの髪を振り乱し、よだれをたらし、牙をむき、爪を立て、闘争本能を光達に当てつけていた。
ぼろきれをまとい、首に付けた金環だけが、浮いて見える。
「お待ちください。何故このような・・・」
「必要だからだよ。もうこいつらもガタが来ていてね。そろそろ替え時なのだよ。他の手持ちの鬼は弱すぎてどうにも頼りない。それに比べて、そこの鬼達は活きが良くて、なかなかに見どころがある」
「光。もうこんな奴と話をしても無駄だ。俺は我慢ならねぇ」
「しかし・・・」
「止めろ。大江。控えろ、光様の立場を考えろ」
「綱。お前はあいつらを見て何も思わねぇのか?」
見るも無残とはこのことである。
そして、その哀れな鬼達を平然と操る男も常軌を逸しているとしか思えない。
「僕にはあちらの鬼の姿の方が普通だった。だから、あまり驚きはしない」
「てめぇ!てめぇもあいつと同じか?お前も俺にあんな姿になれって言うのか?」
「違う!そうではない。普通だったと言って・・・」
綱に掴みかかる大江であったが、すぐに横やりが入る。
「これ以上の戯れは無用。頂こうその鬼達を」
阿部が使令の鬼達を動かした。
反応したのはアイだった。
一陣の風となって駆けてきたアイを使令の鬼の腕が迎え撃つ。
穿つ地面。
アイの姿はそのまた奥、相手の懐に。
地面に突き刺さった腕を拠り所に体を飛び上げ、顔面を蹴り上げようとした。
が、アイの足は方向を変え、肩口を蹴り上げ、宙で弧を描きその場から離脱する。
「ぐおおおぉぉぉぉ」
使令の鬼達がうめきを上げた。
顔を押さえ、その指の隙間からは矢が生えている。
双眸にえぐる矢。
「何だべ?」
アイ、そして光達は矢の飛んできた方向を見上げる。
そこには一人の男が弓を構えていた。
「そこにおわすは阿部清明様とお見受けする。某、碓井貞光と申す者。ご助力いたす」
「私の使令を射ておいて、助力とは片腹痛い」
阿部の頬を矢がかすめる。
「すみませぬ。某、弓の腕に少々難がありまして。お許しを」
阿部は碓井を睨みつけるが、碓井は気にした様子も無く矢をつがえる。
「大丈夫。今度は外しは致しませぬ」
「ふん。いらぬ邪魔を。興が削がれたわ」
と阿部は背を向けた。
碓井はそこを容赦なく射る。
だが、使令の鬼が身を呈して守りに入った。
鬼の体には矢は通じない。
ちっ、と思わず碓井から舌打ちが漏れた。
大江が逃がさずとばかりに金棒を振り下ろすが、土煙を上げるだけ。
そして、土煙が晴れた後、そこには阿部達の姿はなかった。
呆然と光達は阿部のいたところを見つめていた。
ひょいひょいと碓井が崖を飛びおり、光達の下に寄ってくる。
「貴方様は?」
「先程名乗ったはずだが・・・碓井貞光と申す」
「何故碓井殿は阿部様に弓引くのです。あの方は宮仕え、朝廷の拝命受けて各地の妖怪変化を治めていらっしゃる方です。いわば、朝廷に弓引くも同じ事」
「世の中知らぬ方が良い事もある」
割って入っておいてその言いぐさはないだろうと、少しムッとする。
しかし、相手に敵意が無いとみて光は安綱には手をかけなかった。
「それとこれを言いに来たのだが、このまま鬼を連れて歩くつもりなら、すぐにでも都から遠く離れるのだな」
「それはどういう意味なのです?」
「先程知らぬ方が良いと言ったばかりではないか」
そして、何も語らぬとばかり光達に背を向けた。
「私は都から遠く離れるつもりなどありませぬ。私には親の仇を討つと言う使命がある。親の仇が千里先にいようと言うなら走りましょう。しかし、都にいるとうのならここを離れる訳には行きません。そして、仇を討つため大江達の力は必要です。だから、大江達とも離れません」
「貴公の親の仇は都の近くにいるのか?」
「分かりませぬ」
「では、これを機に遠方も探ってみるのも・・・」
「嫌です」
何が何でも我を通そうとする光に対し、碓井の心根は折れそうであった。
遠方の鬼の話でもすれば、そちらに向かうであろうか。
しかし、今更。
疑ってかかるだろう。
「語らねばならんか?」
「ぜひとも」
碓井は嘆息を吐く。
「近く凶事がある」
「それは一体?」
「先程の阿部清明が謀反を起こそうとしていると我等は見ている」
「まさか?!阿部清明様が」
光は綱の顔をお互い信じられないと見合った。
大江はさもありなんと納得の様子。
アイは特に興味がないようだ。
「しかし、謀反といえども既に阿部清明は朝廷の中で確固たる地位を持ち、与する者も多い。事は穏やかに進み、いつの間にか朝廷は奴に乗っ取られているであろうよ」
「そこまでおっしゃるのなら阿部清明様に関する確かな証拠が御有りなのですしょうか?あるのならば、ちゃんとした手順を踏んで断罪すればよいではありませんか?」
綱としても性格に難ある御仁だとしても謀反は考えにくい。
差し出がましいようだが、一言添えた。
「表立って動けぬ理由は先程貴公が言ったではないか」
と碓井は光を見た。
朝廷に弓引くと見られてもおかしくないと言う事か。
「とは言え、我等とて手をこまねいて何もしていない訳ではない。阿部が妖怪退治にかこつけて、下し、自分の戦力を増強するのを妨害し、あわよくば先程のようにどさくさにまぎれて屠ってしまおうとしている」
やっている事は山賊とたいして変りないし、どさくさにまぎれてとは、どうにも碓井の方が悪人に見えてくる。
「奴がここに来たのも妖弧を我がものにしようとの腹。もちろんそちらも手を打ってはいるが、ここきて鬼二匹も増やされては正直我等としても痛いのだ」
碓井はそう言って大江とアイを見てやる。
大江にしてもアイにしてもそう容易く阿部の下に下る気はない。
その気概がにじみ出ているのか、計らずとも碓井にも伝わった。
「兎角、気をつける事だ。事が凶に傾けば、貴公達と敵として相見える事もあるやもしれん。出来れば避けたいものではある。では、これにて某は退散するとしよう」
気をつけられよと、もう一度言葉を繰り、碓井は立ち去っていった。
光にとって、阿部は命の恩人である。
妖怪退治をしているものが、鬼を見て、退治しようと言うのも道理ではあるが、問答無用と言うのは光には納得いかなかった。
それに先程の碓井の言葉。
全てを鵜呑みにする気は毛頭ないが、それでも猜疑心を抱かせるには充分であった。
親の仇の四本の角を持つ鬼を討つ。
それで事は成就するはずであった。
しかし、四本の角を持つ鬼そのものが阿部の言葉に端を発しているのだ。
故に親の仇討ち自体揺らぎつつあった。
玉藻の『人間の所業ならば納得はいかんか?』という言葉がそそのかすように光の耳の奥をくすぐる。
ようよう闇は深まりつつあった。