狐の嫁
そして、坂田の家に着いた。
「さあ、中で俺の嫁が待っている」
坂田は戸を開け、光達を家に招き入れた。
光は家に一歩踏み入れ、はたと立ち止まる。
家の中には女がいた。
恐らくは坂田の妻であろう。
ただその女は普通の女では無かった。
美しい女であった。
それこそ同じ女である光が見惚れるほどに。
長い髪の一本一本が艶めき、切れ長の目は妖しく、身なりを整えれば、天女だと言い張ってもおかしくないほどである。
光が誘われるように一歩踏み出そうとすると、目の前を太い腕が遮った。
「不用意に近づくんじゃねぇ」
遮ったのは大江。
「あの女、人じゃねぇ」
大江の言葉に女は袖で口元を隠し、忍び笑った。
光が手を刀に運ぼうとすると、背をとんと押され、家の中に押し込まれた。
「大丈夫。取って食やしないよ」
光が背後を振り返ると、坂田が快活に笑っていた。
押したのは坂田のようだった。
「光様、いざという時はこの綱、命に代えても光様をお守りいたします故、どうぞご安心ください」
大江が前を、綱が後ろを固める。
「警戒するなと申しても無理な話かのぅ。まあ、立ち話もなんじゃ。座ってくりゃれ」
光達は警戒したまま座する。
そして、坂田の妻は茶を用意した。
「心配せずとも毒など入ってない」
先んじて坂田がぐびりと茶を飲み干す。
「じゃあ、頂くべ」とアイだけが手を出し、茶を飲む。
他は手すら着けずにいた。
沈黙の中、ずず図と愛の茶をすする音が聞こえる。
「はあ、おいしいべ。生き返ったべ」
「そうかそうか。祖茶じゃが、喜んでいただけて何よりじゃ。どれ、もう一杯」
時に、と綱が切り出す。
「我等は坂田殿に用があってこの足柄山に来たのですが、坂田殿に会った途端、こちらにも用向きがあると申されまして、一体どのような用件でしょうか?」
坂田夫妻は互いに見つめ合い、朗らかに笑う。
「まずはその事について謝らねばならぬな」
何を、という光達の疑問を飲むように坂田の妻は茶をすする。
「実は人違いじゃ」
「人違い?」
「鬼気がしたものでな。どこぞの鬼を従えた妖怪退治をしておるいけすかない輩と間違えた」
坂田の妻は悪びれた様子も無く、茶をすすり、坂田は「悪い悪い。驚かせたか?」と再度豪快に笑う。
「この頃、あ奴がこの辺りを徘徊していると聞く。何が目的か分からんが、目ざわりじゃからな。蹴散らしてやろうと思うておったのよ」
「もしやその方とは阿部晴明様ではありませんか?」
光が身を乗り出し、坂田の妻に言い寄る。
「何じゃ?あ奴と知り合いかえ?」
「・・・命を助けられました。ある晩、四本の角を持つ鬼に家を襲われ、私以外は全てその鬼に。私も阿部様に助けられなければ、命はありませんでした」
「あ奴が人助けのぅ。どうにも想像がつかんが、立場が違えば見方も変わるか」
そう言って、坂田の妻は細い白い指を紅い唇にはわせた。
「玉藻と聞いて、お主らは分かるか?」
「確か帝をかどわかした狐の悪い妖怪だと聞きます」
「申し遅れたが、妾、名を玉藻と申す」
はたと光達は息をのんだ。
「お主らもあ奴と同じように妾を屠ろうとするか?」
見れば先程まで笑顔だった坂田も眉間にしわを寄せ、難しい顔をしている。
「いいえ」
答えたのは光。
その言葉に玉藻は満足そうにうなずいた。
「そうか。では話を続けよう。試したようで悪かったのぅ。しかし、鬼を下し使令として扱っていない時点で答えは決まっていた様なものではあったか」
一方、坂田の方はまだ難しい顔をしている。
それに玉藻が気付き、声をかける。
「何じゃ、まだ杞憂か?安心しろ、こ奴らは妾に危害は加えわせんよ」
「そうではない・・・ただ、その、お前の過去の男の話をされると少し気分が悪い」
玉藻は吹き出す。
「妬くな妬くな。ほんに可愛いお子じゃ。愛されとるのぅ、妾は」
そう言って、玉藻が坂田の頬を撫でてやる。
すると坂田ははにかむように笑むのである。
こほんと光は咳払いし、「話をしてよろしいか?」と坂田達のノロケを断つ。
「私は親の仇の四本の角を持つと言う鬼をこの手で討ちたいと思っている。ここに来たのもそこにいる坂田殿がもしや鬼ではないかと思っての事」
「ほう、これが鬼かと?どれどれ、では角が無いか探ってみようか?」
玉藻は坂田の頭をわしゃわしゃといじくりまわす。
「それはもう良いのです。実際に会って坂田殿はおそらく私の仇ではないと分かりましたから」
「そうか。それは残念じゃの。ついでに全身むいて丸裸にしてやろうと思ったのに」
「男の裸なんか見ても嬉しくねぇ」
と大江がぼやく。
「そうか?なかなかに良い体をしておるぞ。我が夫は。妾などはしょっちゅう見惚れていて、誰かに見せたいほどなのじゃが。物は試しじゃ。どれ一目でよい。見ていけ」
「勘弁してくれ」
大江は頭を抱えた。
そして、坂田にも「止めておけ」と言われ、玉藻は「そうかぁ」とうなだれる。
「話を戻させていただきます。坂田殿、玉藻殿、御二方は四本の鬼について何かご存じではないですか?」
綱は居住まいを正し、真剣な瞳をさらす。
「さて鬼の角は一本、もしくは二本が常。四本の角を持つ者など聞いた事がない」
聞いた事はないが、もしやと玉藻の言葉は続く。
「その四本の鬼、鬼以外の者かもしれぬぞ」
「それはどんな妖怪ですか?」
何か心当たりがあるのかと光は期待する。
「妖怪ではなく、人間の仕業だとしたら?」
あまりのことに呆気にとられる光。
それはあり得る事なのだろうかと、綱に視線を送っても、肝心の綱も動揺して目が泳いでしまっている。
大江達に関して言えば、アイまでもが神妙な面持ちで光を見ていた。
「鬼ならばどんな残虐な事も合点がいくが、人間の所業ならば納得はいかんか?」
「それは・・・」
言い淀み、そして答えは淀みの中に埋没した。
「少なくとも妾の中のあ奴ならば、その方が合点がいく。ただそちだけを生かした理由だけは分からんが」
「では、四本の角を持つ鬼は存在しないと」
「そうではない。もちろん妾が知らぬと言うだけの事かもしれぬ。四本の鬼の様な霞を掴むよりも容易く掴めそうな道理があるだけの事」
光の口の中にはざりざりとしたものがあり、吐き出そうにも口にいつまでも残っている。
まるでそのような後味の悪さがあった。
「私は四本の角を持つ鬼を探してみたいと思います」
「そうか・・・見つかると良いのぅ」
「はい。ありがとうございます」
そして、光達は坂田達の家を後にした。
「どう思う?」
去っていった光達の残香にすがり、坂田は玉藻に声をかけた。
「どう、とは?」
「分かっているだろうに。先程の話、きな臭いとは思わんか?」
「確かに。都では何やら不穏な事が起こりつつあるやもしれぬな。物騒な事じゃ」
「そうは言いながらも顔がにやけておるぞ」
おや、と玉藻は恥ずかしげに顔を隠す。
そして、すっと腰を浮かし、少し用を足しに行くかのように気軽に玄関の戸を引いた。
「行くのか?」
「大丈夫。妾は昔の男に会いに行くのではない。ただの興味本位じゃ」
「そうではない。今の都は危険ではないのか?」
「妾は妖狐ぞ。多少腕も立つ。それはお前も良く知って・・・」
「愛する女が危険な所へと行こうと言うのだ。心配してはおかしいか」
「お前という男は」
「行くなとは言わん。だが、必ず戻って来い」
「あい分かった。そちらも妾が居ぬ間に浮気などせぬようにな」
「それこそ安心しろ。俺の愛は大樹の如き、容易く揺るぎはしない。折れる時はこの命もろともに」
玉藻はその答えに満足したように笑み、家を出た。
「さて、今日は何故にこんなにも客人が多いのか」
坂田は玉藻が出払った玄関を見てやる。
そして、
「入ってくるといい」
と声をかけた。
ガタリと戸が開き、男が一人顔を出す。
それから深々と頭を下げた。
「失礼。卜部と申す」