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第二章① マクシミリアン隊

 マクシムとフランソワの視線が交わった瞬間、空気が凍りついた。

 船上に張り詰めた静寂が走る。先に動いたのはフランソワ。

 彼はマクシムに向けて一閃、鋭い踏み込みとともに襲いかかる。だがマクシムはその太刀筋を軽やかにいなし、すれ違いざまに反撃の間合いを探った。

 フランソワの剣は力強くも優雅だった。重厚なカットラスを猛々しく振るい甲板の中心で輝きを放つ。その一撃一撃が、見る者を魅了する殺意だ。

 対するマクシムは風のようだった。俊敏な足取り、最小限の動きでかわし、すれすれを抜ける。

 剣戟が交わるたび、金属音が波の音をかき消し、火花が宙に舞った。

 海風が戦いをあおる。だがその裏で、マクシムの内心には迷いがあった。

 ——殺せるか? 本当に、この男を。

 フランソワの猛撃を受けながらも、心の中でマクシムは何度も問い直していた。


 裏切ったのは国家の方ではないか。

 フランソワの語った信念に、ほんの一瞬でも自分は揺さぶられた。

 彼は確かに、多くの命を奪った男だ。だが、その眼差しには情があった。

 仲間を守るという、確かな意思があった。

 ——なら、なぜおれは話など聞いてしまったのか?

 すぐに攻撃を仕掛けていれば、こんな動揺は生まれなかったはずだ!


 胸の内に渦巻くのは怒りではなく、痛みだった。


 ——あれだけ忠義に厚い男を、国家の敵というだけで斬ってしまってよいのか?

 陸の世界は腐っている。それはおれも知っている。

 公平も、自由も、ただの幻想だ!

 だが、それでもフランソワを許す理由にはならない。

 国家への反逆、民への恐喝、数多の殺戮。正義はこちら側にあるはずだった。

 そう、最大の理由は——


「なにぼさっとしてるんだ、坊主!」

 フランソワの怒声とともに、鋭い蹴りが腹にめり込んだ。

 衝撃で吹き飛ばされたマクシムは、呻きながら甲板を転がる。

 一瞬、視界が揺れた。立ち上がろうとしたそのとき、襟元をグッと掴まれる。

「ここは俺たちに任せてください、隊長」

 ダヴィット・オードラン副隊長。

 人情家で感情を隠すのが苦手な彼だが、その分、人の心の揺らぎには誰よりも敏感だ。

「なぜ、こんな場面で思い悩んでいるのか、俺にはわかりません。でも、今は俺たちを頼ってください。なぜ、いつも一人で戦おうとするんですか?」

 その声は静かだが、責めるような棘はなかった。

 マクシムは力なくうなずき、よろよろとマストにもたれかかる。

 すでにフランソワは数人の隊員たちに囲まれていた。船上のあちこちで、仲間たちが逃げ場を封じている。

「これで奴も逃げられませんね。空でも飛ばない限りは」

 マルセロがどこか芝居がかった口調で呟く。

「……隊長は海軍の人間ですよね?」

「……何が言いたい」

「いえ、なんだか……あの男に同情しているように見えましたので」

「同情などしていない」

「ですが、彼を攻撃することにずいぶんと躊躇しているようでした。それに、やけに親しげに会話をしていた気もします」

 言われた瞬間、マクシムの胸の奥が疼いた。最小限の声で唸る。

「うるさい……お前に、何がわかる」

 無性に腹が立ってきた。

 今のマルセロは、まるで「自分の方が正しい」とでも言いたげだった。

 ——こいつも……後で切り刻もうか。

 そのとき、再び剣戟の音が甲板に響いた。

 フランソワが新たにグウェナエルとダヴィットと対峙していた。彼のカットラスが太陽光を受けてキラリと輝く。対する二人はサーベルを構え、静かに間合いを詰めていく。

 静寂。そして、爆ぜるように三者が同時に動き出した。

 グウェナエルが先に仕掛けた。長身から繰り出される軽快な一太刀が、風を切ってフランソワへと迫る。すかさずダヴィットが横一閃。重みのある剣が鋭くうなり、甲板に火花が走った。

 だが、フランソワは巧みだった。軽やかな足運びで両者の攻撃を躱し、反撃の刃を返す。

 甲板が船の揺れに合わせて軋み、風と波が戦いの舞台をあおる中、三者は殺気を帯びた渦の中心で激しくぶつかり合った。

 グウェナエルの動きは広く、大きい。長い手足を活かした軌道でフランソワを撹乱し、ダヴィットは隙を狙って重厚な打ち込みを叩き込む。

 二手に挟まれ、フランソワは一手も休む暇なく斬撃をいなし続ける。だが、その目には冷静な光が宿っていた。

「一度きりで終わらせると思うなよ」

 そう呟いたフランソワは船の端へと追い詰められながらも、わずかな隙を見逃さなかった。

 次の瞬間、グウェナエルの懐に飛び込むとカットラスの柄で頭部を狙い撃ち、視界がぶれるほどの打撃を見舞う。グウェナエルの体が一瞬、よろめいた。

 フランソワは間髪入れずに反転し、今度はダヴィットへ向かって突進する。

 ダヴィットも構えを崩さず応戦し、火花を散らす激突が再び起こった。

 力と技術、静と動が交錯する壮絶なせめぎ合い。だがその緊張を破ったのは——

「フランソワッ!」

 駆けつけたのは、サミュエルだった。陽に焼けた肌と金髪を揺らし、重厚な剣を振り上げる。

 助太刀に入った彼に対し、フランソワは即座に標的を切り替える。冷静な眼差しでサミュエルの剣筋を見極めながら、カットラスで応戦。海風が二人の衣を翻し、火花の雨が再び舞う。

 サミュエルの剣は獣のように荒々しく容赦がなかった。

 フランソワはその勢いを受け止めつつ、切っ先を翻しては反撃を加えていく。

 数合、斬り結んだときだった。フランソワの視線が一瞬、横にそれた。

 ——ペネロペ。短剣を手に、舞台袖のようにひっそりと構えていた彼女がついにその一歩を踏み出す。

 フランソワの動きが、ほんのわずかに遅れた。その隙を彼女は逃さない。華奢な身体から放たれた一撃は、迷いなくフランソワの脇腹を貫いた。

「っ……!」

 痛みと衝撃に、フランソワの体が揺れる。カットラスを握る指に力が入らず、膝が折れた。甲板が遠ざかる感覚とともに、彼は倒れ込んだ。

「終わりだよ」

 ペネロペの声は冷たく静かで、すべてを断ち切るような響きを持っていた。

 サミュエルは倒れたフランソワを見下ろしたまま構えを崩さない。

 フランソワの身体は激しく波打ち、傷口から血が滲み出す。

 周囲の者たちは息を呑んで見守った。

 誰もがペネロペの短剣が致命の一撃となったと、そう思った。

「しめた!」

 グウェナエルは、フランソワのギラつく眼光を断ち切ろうと斬りかかる。

 だが次の瞬間、フランソワは迷いもなく小柄なペネロペを掴み上げ、彼女を背中から甲板に叩きつけた。

「ペネロペ!」

 彼女の異変に気づいたメリッサとロザリーがすぐさま駆け寄る。

 ソフィーも動きかけるが、アニータが手で制した。

 腹に短剣を刺されたままのフランソワはその柄を引き抜くと、無造作に海へと投げ捨てた。

 そしてグウェナエルの斬撃をかわしながら、舳先を目指して駆け出そうとする。だが、その行く手に立ち塞がったのは、サーベルを構えたスザンヌとジョルジュだった。二人はフランソワの冷徹な眼差しにも怯まず、周到な動きで挟撃の体勢を取る。

 スザンヌが先に斬りかかり、ジョルジュは船の揺れを見計らって距離を詰める。

 フランソワは荒々しくカットラスを振るい、素早い身のこなしでスザンヌの一撃をかわす。だが次の瞬間、ジョルジュが銃を構え、引き金を引いた。銃声が轟き、弾丸はフランソワの右肩を撃ち抜く。顔を苦痛に歪めながらも彼はなお冷静さを失わず、剣を握る手に力を込める。

 リラとシャルルが連携して彼に迫る。だが、フランソワは痛む肩を抱えながらも鋭くカットラスを捌き、リラの美しい斬撃を受け止めた。その隙を狙ってシャルルが斬りかかろうとしたが、一瞬の隙を突かれ、フランソワの肘がリラとシャルルの鳩尾を正確に打ち抜く。

「リラ! シャルル!」

 ダヴィットが叫び、二人は苦しみながらも歯を食いしばって立ち上がる。グウェナエルも視界がチカチカとした痛みの中、再び構えを取り直した。

「これで終わりだ!」

 グウェナエル、ダヴィット、サミュエル、ジョルジュ——四人の剣が一斉にフランソワへと突き刺さる。刃が抜かれると同時にフランソワの身体が船の甲板へと崩れ落ちた。しかし、彼はなおも立ち上がる。

「この首……誰にも渡さない!」

 血に濡れた体を引きずり、フランソワは舳先へと走り出した。

「しまった、生け捕りにしなければ!」

 サミュエルの声に反応してグウェナエルが追う。だが、一歩及ばず。

 フランソワは高らかな笑い声と共に、海へとその身を投じた。

 白波が立つ海面が彼の姿を飲み込む。

 静まり返った船上に残されたのは静寂と、血の気配だけだった。

「……くそっ」

 血に染まった波を睨みつけ、グウェナエルは悔しげに唇を噛みしめた。

 傍らに落ちた、大海賊フランソワの帽子——今やただの遺品となったそれを足蹴にし、彼は海へと蹴り落とした。

「どうされます? 隊長」

 低く抑えた声でそう尋ねたのは、副隊長のダヴィットだった。

 戦友としても、長年背を預けてきた相棒としても彼の視線には隠しきれない心配が滲んでいる。

 マクシムは一瞬だけ目を伏せ、それから短く息を吐いた。

「……あの怪我じゃ、そう長くはもたない」

 言葉を選ぶ余裕はなかった。

「船は爆破して帰還する。これ以上の危険は避けよう」

 声は平静を装っていたが、わずかに震えていた。


 ——海賊は、海に生き、海に死ぬ。


 きっと彼は、それを望んだのだろう。本当なら生け捕りにして、民衆の面前で処刑すべきだった。

 それが叶えば、海軍への信頼も国王の威光も確固たるものとなったはずだ。……だが、その理想は儚く消えた。

「……隊長」

 ふいに、少しだけ強い調子で声をかけたのはリラだった。

「血、出てますよ。口」

 その一言で、マクシムはようやく自分が唇を強く噛みすぎていたことに気づく。口元に指を当てると、確かに指先が赤く染まった。

「……失礼しました」

 ハンカチで軽く口元を拭いながら、どこか後輩らしい調子で頭を下げる。

「いえ」

 リラはすぐに首を振った。

「気にしないでください」

 だが次の瞬間には表情を引き締め、いつもの副官の顔に戻る。

「帰りましょう。本部に報告しなければなりません」

 その言葉に頷きかけたマクシムだったが、ふと何かを思い出したように彼女の腕を軽く制した。

「ああ、待ってほしい」

 視線が鋭くなる。

「まだ片付いていないことがある。……少し、腹立たしいことも」

「今度は、どうされたのですか?」

 困惑を滲ませたリラの問いにマクシムは何も答えず、海賊船の甲板へと目を向けた。

「敵が、まだ残っています」

 淡々とした声だった。

「彼の始末が先です」

 その視線の先に立っていたのは、無言で成り行きを見守っていたマルセロだった。意図を察したグウェナエルが即座にマクシムの前へ出る。

「どういうことです? これは……!」

 一方で、マルセロは相変わらず不遜な態度を崩さない。目つきの鋭い上官を見上げ、舐めるような笑みを浮かべる。

「ちなみに僕は、海賊に加担していませんよ?」

 肩をすくめて続ける。

「それに、僕は軍医です。……まさか、この場で僕を処刑するつもりですか?」

 マクシムは一瞬だけ、何かを量るように彼を見つめた。その沈黙が答えだった。

「ああ」

 低く、感情を削ぎ落とした声で言う。

「おそらくな」

 次の瞬間、グウェナエルが動いた。マルセロの胸元を掴み、そのまま乱暴に突き飛ばす。

「——っ!」

 勢い余ってマルセロは甲板に尻餅をつき、一同から思わず声が漏れた。

 誰もがその場に立ち尽くし、言葉を失う。

 遠くから様子を見ていたソフィーも何が起きているのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

「……マルセロ」

 マクシムは短剣を引き抜きマルセロを無理やり立たせた。そして、彼の背後から冷たい刃が彼の首筋を撫でた。頸動脈に当てられたそれは、この手を引けば簡単に命を奪える位置にある。

「僕が……何をしたっていうんですか?」

「貴方は、僕たちの計画をどれほど知っているのですか?」

 マクシムの声はかつてないほど冷たく、低く、氷のようだった。その声にマルセロの背筋が凍りつく。しかし、彼はなんとか平静を装っていた。

「ああ、そのことですか。いや、その汚いイヤリング……どこかで見た記憶があってね。それで調べていくうちに、辿り着いたんだよ、真相に」

「なるほど。つまり君は、僕の秘密に気づいてしまったわけだ。そして王党派の君は、それを告発しようとしていた——違うか?」

 マクシムは語気を強める。

「それに、さっきのあの態度は何だ? 君が士官学校時代から僕を好ましく思っていなかったのは知っていたが、それで僕に勝ったつもりか? 自分のことを醜いとは思わないのか?」

「いいかい、政治観の違いを抜きにしても、忠告しておくよ。君がやろうとしていることは……恐ろしいことだ。僕は最初から、君の何かが歪んでいると感じていた。これは、同期としての忠告でもある。計画は、今すぐやめた方がいい」

「そうか。君の言うことは、まあ……一理ある」

 マクシムは一度だけ、あっさりと頷いた。そして、冷たく突き放すように告げた。

「だが、秘密を知ってしまった以上……君には、死んでもらう」

 剣を強く振り上げ、頸を掻き切ろうとしたその刹那、グウェナエルがすっと手を差し出して制止した。

「隊長、そのまま殺すなんて、勿体ない。どうせ殺すなら……マストに括りつけて、海賊船ごと爆破してしまいましょう」

「は? 冗談じゃない……!」

 マルセロが反発するも、マクシムは彼を一瞥しただけで踵を返し、船へと戻っていった。

 後に残されたグウェナエルとシャルルが、さっさとマルセロを拘束し、海賊船のマストへと縛りつけた。

「隊員たちよ、この裏切り者はこれより処罰される。彼は海賊に情報を売り渡した。私に嫉妬するあまり、私を嵌めようとさえしたのだ」

 マクシムの声が甲板中に響き渡る。

「よって、この裏切り者は、海賊船と共に爆破する。火薬の準備を!」

 隊員たちは息を呑んだ。顔を背ける者、眉をひそめる者もいた。

「一体、何がどうして……?」

 ソフィーは混乱していた。フランソワとの激戦の直後、勝利の余韻に浸るはずの場面で——味方同士が裏切り、憎しみ、処刑しようとしている。

「……怪我人がいるか確認しましょう」

 冷静な声でそう言ったのはアニータだった。

「軍医はあなたしかいないのよ。早く治療を」

 ソフィーは口を開こうとした。言いたいことはたくさんあった。でも、声にならなかった。

 こうしてマルセロの絶叫と共に火薬に火が走り、海賊船は爆炎に包まれた。

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