第一章② マクシミリアン隊
「Che bella giornata……穏やかね、波はいつだって。」
甲板には異国出身の若い女が二人、そのうちの一人が呟く。
夕刻。マクシミリアン隊を乗せた艦はサン・マロ付近の沖をうろつきながら、警備隊からの知らせを待っていた。
サン・マロはかつて私掠船団たちの根城として名を馳せていた港町だ。しかし、私掠許可証が撤廃されて以降、地元民たちは海賊を庇う理由を失い、街は急速に彼らを受け入れなくなった。
今では貿易商と、休息のため立ち寄るイングランド海軍やフランス海軍の停泊地と化している。
「お目当てさんはどこに行っちゃったのかな。港にいるって聞いてたのに」
船縁に寄りかかり、陸地を眺めるのはメリッサ・カンパネッラとペネロペの二人。
よく見ると、どちらも戦闘服に身を包んでいた。
「ねえメリッサ、今日の晩ごはんって何?」
「何も決めてないよ。今日、私たち散るかもしれないからね」
メリッサが腰に下げているのはレイピア。
普段は元気印の調理係だが、隊の人数が少ないため戦闘員も兼ねている。
戦闘が近づくと、彼女はいつも少しナーバスになる。
「フランソワにうかつに近づかなければ平気。もちろん、相手が銃を持ってたら話は別だけどね」
ペネロペは相変わらず、にこにことした笑みを絶やさない。
彼女は元海賊──そんな過去を持つ彼女が今、海賊の首魁であるフランソワをどう思っているのか。
メリッサには少し気がかりだった。
「フランソワに会ったことって、ある?」
「ううん。実際に会ったことはないけど、話はよく聞いたよ。見た目はけっこうハンサムで、性格も穏やか。でも襲撃のときは、それはもうすごく怖かったって」
「……なんか、海みたいだね」
「うん。凪いでるときはきれいだけど、荒れるときは容赦ない。そんな感じかな」
メリッサにとって、海賊がどうだとかは正直どうでもよかった。ただ、当たり前のように戦死していく仲間たちの姿──その中に、自分が救えたはずの命があるかもしれないという現実のほうがずっと怖かった。
「……降参して、大人しく捕まってくれるといいんだけど」
「それだと、手下たちが暴れてくるかもね。また戦闘になると思う」
ペネロペはさらりと笑って答える。
「……にしても、あいつら、どこにいるんだろう」
風に揺れる波間で、砕けた太陽の残光がチカチカと水面を震わせていた。
その時──見張り台から、鋭い声が響く。
「十時の方向に小型ガレオン船、発見!」
甲板に飛び出したマクシムは即座に望遠鏡を構え、声のした方を見やる。
「サミュエル、船を向けて。十時の方向へ、接近を!」
舵を握るサミュエルが短く応じ、フランス軍の艦は静かに進路を変えた。
敵船はまるでこちらの動きに無関心なように、波間にただじっと漂っている。
フランス海軍の艦は慎重に舵を切り、静かに進路を変更した。
マクシムは舳先へ移動し、近くに控えていた副官リラ・シャネルに声をかける。
「警備隊の到着は待たなくていいでしょうね。先に仕掛けます」
「問題ないです。本部も『発見次第、生捕りせよ』との命ですし」
リラは淡々と答えた。その視線はすでに敵船を捉え、感情の揺らぎは見せない。
マクシムは望遠鏡から目を離さず、低く呟く。
「……にしても、妙ですね。さっきまで、あそこには船なんて影も形もなかったはずだ」
「不気味です。まるで私たちを——待ち伏せしていたようにも見えます」
リラの言葉に甲板の空気が一段引き締まる。
「ライラック。全隊に戦闘準備を。僕はもう少し、あの船の観察を続けます」
「了解しました」
彼女は踵を返し、控える隊員たちに静かに指示を飛ばしていった。
――ライラックとは、リラ・シャネルの愛称だ。
いつだったか、どこぞの風変わりな参謀官が勝手に呼び始めたものが、そのまま定着してしまったらしい。他部隊ではそれを本名だと勘違いしている者も多いが、当の本人は特に気にも留めていない。
呼びたいように呼べばいい。それが彼女のスタンスだった。
舳先にはマクシムの他に二人の姿があった。参謀官シャルル・ヴィトンと、航海士ロザリー・クレマンの姿があった。
「……隊長。あの船、やけに静かすぎます」
ロザリーが不安げに言う。
「ありがとう、ロザリー。近づいても危険は薄いかもしれませんね」
マクシムは一度だけ彼女に視線を向け、続けて隣の男を見やる。
「シャルルはどう見ます? いつものように、また奇抜な策でも?」
シャルルは肩まで垂れたオレンジ髪をかき上げ、片眼鏡をきらりと光らせて言う。
——リラをライラックと呼び始めた張本人。発想は突飛、態度は飄々。だが、その洞察力だけは部隊随一。厄介だが、切り捨てるには惜しい男である。
「んー、今回はちょっと策が浮かばないなあ。ロザリーの言う通り、私の眼でも、あの船には……誰の姿も見えない。でも、それなら……一体誰があの船を操ったんだろう?」
軽い口調とは裏腹に、視線は鋭く敵船を捉えていた。
マクシムは再び望遠鏡を構え、無言で観察を続ける。
「他の乗組員が移動させた後、小舟で逃げたのかもしれませんね。奇襲狙いでしょうか?だとしたら……」
一瞬だけ言葉を切り、低く付け足す。
「……接近すべきじゃなかったかもしれない」
彼らはすでに全員、戦闘服を着用し、海軍支給のサーベルを帯びている。緊迫した空気が甲板に充満し、誰もが口をつぐんで次の展開を見守っていた。沈黙を破ったのはマクシムだった。
「……違います。奇襲を仕掛けるつもりも、逃げる気配もない」
「どういうこと?」
シャルルが眉をひそめてマクシムを見やる。
シャルルはロザリーに一度目をやり、差し出された望遠鏡を受け取ると、倍率を上げて覗き込んだ。
──その時だった。
水面をはさんで対峙する船の、船尾。そこに、確かに “それ”はいた。
たった一人。典型的な海賊船長の装い。だが、どこか気品を纏い、鋭い眼差しでこちらを見下ろしている。背を伸ばし、黒いコートを翻し、まるでこちらの到着を待っていたとでも言わんばかりの、静かな笑み。
風が吹いた。茶髪がなびく。波が打つ。空気が張り詰める。──そして、甲板の誰もが、声にならぬ威圧感を感じた。
マクシムはゆっくりと、望遠鏡を下ろし、眼光を鋭くした。
「……ようやく、決着の時だな」
そう呟いたその声は、低く震えていた。
「大海賊フランソワ。──本人が、そこにいる」
隊員たちが次々と海賊船に飛び乗っていく様子を、ソフィーとアニータは緊張した面持ちで見つめていた。特にソフィーは、初陣に臨む同期のジョルジュを見つけ、不安が拭えないでいた。
対するフランソワはというと、まるで散歩前の一杯かのように酒瓶を仰ぎ続けている。
命を狙われているにもかかわらず、その顔には余裕すら漂っていた。
威圧感こそあるが、そこに見栄や気取りは一切ない。本物の勢いある男の気迫がそこにあった。
「どうか、無事に帰ってきて…」
「相手はあの男一人のようね。でも、それでも十分すぎるほど手強いわ」
アニータは眉をひそめ、フランソワを鋭く睨みつける。ソフィーは胸元のネックレスを握りしめ、静かに祈る。
その時だった。マクシムの声が甲板に響き渡る。まるで、裁きの号令のようだった。
「大海賊フランソワ! 貴様は長年この海を荒らし、陸に生きる罪なき民を恐怖に陥れ、多くの命を奪ってきた! 我らは国王陛下の信念を体現し、祖国の正義を示すために来た。貴様のような異端は、この手で裁き滅ぼす!」
マクシムが剣の鋒をフランソワに向けたその瞬間、隊員たちは一斉に剣を抜き構えた。
すると、フランソワは静かに呟く。
「その悪を生み出したのは……お前たちの国じゃないのか?」
ゆったりと腰を下ろし、酒瓶をあおる。そして、自らの象徴でもあった海賊帽を脱ぎ、甲板に置いた。日焼けした肌に陽を浴びた茶髪が揺れる。艶すら感じさせるその姿は、ただのならず者ではない。
「七年だ。俺たちはこの七年、国家の命で汚れ仕事をこなしてきた。他国の船を襲い、命を懸けて戦い……それでも貢献してきた。フランスのためにな」
マクシムが距離を詰め、声を低くして問いかける。
「許可証を剥奪されたあとも、なぜ海に残った? 陸に戻れば安全だったはずだ」
フランソワは酒瓶を静かに床に置き、遠くを見るように語り出す。
「陸は……腐ってる。俺もそうだったが、俺の部下たちは皆、陸に裏切られ、傷つき、そして逃げてきた。過去も、身分も、血も——全部捨てて、ようやく手にしたのが『自由』だったんだ。けれど、その自由にこそ秩序が必要だった。だから俺は、彼らを仲間として育てた」
「……自由、ですか」
マクシムは小さく、誰にも聞こえぬほどの声で、別の言語で囁いた。
「あなた方は皆、決まって『自由』という。だが僕は、その生き方を否定するほど立派な人間ではない」
マクシムは剣の柄を更に強く握りしめ、唇を噛み締めた。この男を目の前にするたび、自分の器の小ささと惨めさを痛感する。それだけではない。どこか、焼け付くような——名もなき劣等感が胸に突き刺さってくる。
「貴方はずいぶん部下から慕われているようだ。部下を全員逃がすあたり、貴方は一人一人を人間として見て、愛している」
「愛か、その通りだ。いや、そんなの当たり前だ。みんな俺が育てた、ちょっとデカイ息子みたいなものだ」
「……貴方がそんなだから、人に恵まれているんだな」
マクシムの声には、ほんの僅かに刺すような棘が混ざっていた。
フランソワの背後に浮かぶ三つの影。
あの夜、雨の中で剣を振るっていた目をマクシムは忘れていない。
「俺一人の力じゃない。お前にだって、後ろで控えている仲間達がいるだろう?」
フランソワの言葉にマクシムは一瞬だけ微笑み、けれどその表情はすぐに剣のような鋭さを取り戻した。
——なぜ、この男はあいつを選んだのか。
「……大海賊フランソワ、貴様にチャンスを与えよう。いまなら間に合う。我々に降伏したまえ」
フランソワは人を幸福にするような笑みを浮かべ、残りの酒を一気に飲み干した。瓶を床に置き、ゆっくりと立ち上がる。
「降参なぞ、するもんか」
床に突き刺していたカットラスを引き抜き、まるで舞台の開幕を告げるように高く掲げた。
「マクシミリアン隊、総攻撃!」
火蓋は切られた。容赦はしない。




