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第一章① ソフィー

 「整備士のジョルジュ・アルダーソンです」

 「軍医のソフィー・ド・ルノアールです」

 朝の港町、ブレスト。ここはフランス海軍最大の軍港であり、港にそびえるブレスト城は今なお要塞として機能している。

 港には第七艦艇部隊、マクシミリアン・ブーケ隊の隊員たちが整列し、その向かい側には新たに加わる二人の新参者が並んでいた。

 ソフィーは今やすっかり美しく育ち、貴族出身の女性らしい優雅な振る舞いを身につけていた。だが、孤児院時代の負けん気と強気さは彼女の芯の強さとして今も変わらず残っている。


 「今回、士官学校から輩出されたジョルジュとソフィーだ。二人ともとりわけ優秀だそうだから、初任務も問題ないだろう。それでは出港準備のため、解散!」


 隊員たちは整然と敬礼を交わし、それぞれの配置へと散っていった。ソフィーはジョルジュに軽く挨拶を交わしたのち、隊長のもとへと向かった。

 「ソフィー! 君には特に期待していますよ」

 マクシミリアン・ブーケ隊長——通称・マクシム。階級としては中尉だ。リーダーとは思えぬほど華奢で、身長もソフィーと大差ない小柄な男性だった。

 聞いたところによると、年齢はソフィーよりわずかに上らしい。

 「ありがとうございます、隊長。この部隊は隊員が少ないと聞いていますが、私も戦闘に参加するべきでしょうか?」

 このマクシム隊長。誰に対しても敬語で話す珍しい人物だが、ソフィーにとってはかえってその方が付き合いやすいと感じている。

 「軍医は貴重な人材ですから、できれば戦闘は避けていただきたいですね。ちなみに、剣術の経験はありますか?」

 「はい。訓練を重ねて、自分の身くらいは守れるようになっています」

 「そうですか。それなら安心です。でも、くれぐれも無理はしないでくださいね。もし時間があるようなら、あそこにいる衛生兵のアニータを手伝ってあげてください」

 ソフィーは礼を述べると、マクシムに言われた褐色の女性のもとへと向かい、丁寧に挨拶をした。

 「初めまして、軍医のソフィーです」

 「初めまして! 衛生兵のアニータよ。早速で悪いけど、このリストにある物資が全部そろってるか確認してもらえる? 足りないものがあれば、急いでダヴィットに伝えてくるから」

 「任せたわ」と、アニータはウィンクをひとつしてその場を駆け出していった。ソフィーは手元のリストとにらめっこしながら、積み荷の中身を一つひとつ確認していく。


 我らが敬愛するフランス国王は、非常に強い正義感を持った人物である。

 十数年前に前王が崩御し、新たに即位した若き国王は王宮内でも珍しいほど善悪の判断がはっきりしていると評判だ。

 三年前、私掠船団の許可申請に関する規則を改正し、それを非合法化した。

 彼が「悪」と見なしたものはすべて排除、撲滅の対象となる。

 国王のモットーは、犯罪者の抹殺と諸悪の根源を破壊すること。

 彼の目に映る海賊とは、まさに悪の権化。

 もはや人間として扱ってすらいないのかもしれない。

 フランス人気質からすれば少々極端にも見えるが、この若き国王の真っ直ぐすぎる正義は瞬く間に民衆の支持を集めた。

 たとえ自分たちが極貧にあえいでいたとしても、彼らにとって新王は「希望の光」に映るのだ。

 かつては嘲笑と憎悪の対象でしかなかった聴衆の面前での処刑も、今では違う。

 見物客たちは国王を称える歌声を上げ、悪の断罪の瞬間に歓喜を爆発させる。

 ——それが彼らにとっての「正義の証明」なのだ。

 この民衆の熱狂は、軍の上層部にも無視できない影響を及ぼしている。

 今なお海軍総司令部のスローガンは明快だ。

 海賊撲滅。その方針のもと、各部隊が次々と海へと送り出されていく。


 さて、ここで話を海軍の構造に戻そう。

 フランス海軍は第一から第九まで、役割別に九つの艦隊部隊を抱えている。

 そのうちソフィーが配属されたのは第七艦艇部隊。

 この部隊の主な任務は、海賊の討伐および捕縛である。


 近年、海賊たちの活動はますます活発になり、国家としての威信もかかっている中、第七艦艇部隊は今や最前線の戦闘任務を担っている。

 そして、その第七艦艇部隊の中に「マクシミリアン・ブーケ隊」がある。


 その名の通り、マクシミリアン・ブーケ――マクシムが指揮をとる海上治安のための実戦部隊だ。

 マクシムは士官学校を出て間もなく、異例の若さで隊長に抜擢された。

 形式上は「彼の優秀さを生かすため、精鋭を集めた部隊」とされているが——実際は少し違う。

 彼の部隊に集められたのは確かに優秀ではあるものの、いずれも何かしらの問題を抱えた隊員たちだった。

 たとえば、女性であること。

 他部隊でトラブルを起こし、謹慎処分を受けていたこと。

 外国出身であること。あるいは家柄や素行の悪さ。

 そんな「厄介な人材たち」が各方面から押しつけられるようにして配属されてきたのが、マクシミリアン部隊の実態である。

 言われてみればマクシムの部隊は女性比率が高く、隊員数も他部隊と比べて圧倒的に少ない。だが、彼らを知る者は皆、こう言う。

 扱いにくい連中をマクシムはなぜかまとめ上げてしまう、と。


「あ、いたいた。君が僕の後輩にあたる人?」

 仕事を終えた直後、小麦肌の物静かそうな青年が声をかけてきた。落ち着いた物腰に、前線慣れした空気を纏っている。

「僕はマルセロ・ロペス。前線で負傷者が出たら応急処置に行く。君は船内で待機していてほしい」

 指示は簡潔で感情が乗らない。

「……あの、今回の任務内容って何なんですか?」

 ソフィーは思わず口を挟んだ。

「海賊と戦うことになるとは聞いたんですが、皆さんなんだか殺気立っているようで」

 マルセロは一瞬だけ目を細めたが、すぐに平然と答える。

「聞いてないのか。これは総司令部から直々に下された任務でね。内容は──大海賊フランソワの生捕だ」

「大海賊フランソワ?!」

 緊迫した内容にそぐわない快活な声が飛んできて、ソフィーは思わず肩を震わせた。

 声の主は整備士兼戦闘員のジョルジュ二等兵。士官学校時代からの同期だ。

「あのフランソワと戦うんですか? 彼、今どこにいるんです?」

 身を乗り出すジョルジュに、マルセロは淡々と答える。

「サン・マロに停泊しているらしい。たぶん、度重なる悪行で少し疲れている頃じゃないかな」

「でも……」

 ジョルジュは視線を漂わせ、言葉を選びながら続けた。

「彼の率いるフランソワ海賊団って、我が国の私掠船団のひとつだったんですよね? かつての盟友を討つってことじゃ──」

「盟友なんかじゃない」

 マルセロがきっぱりと言い切った。

「国家が彼らの犯罪行為に理由をつけて合法化して、都合よく利用してきただけだ。駒としては非常に優秀だった」

 淡々とした声のまま続ける。

「だが、いつまでも海で自由にのたうち回っていては困る。──それでも、やつらは『裏切られた』と喚くのだろうけどね」

「……でも」

 なおも食い下がったのはジョルジュだった。

「フランソワ海賊団が暴れているのって、そのせいなんじゃないですか? 今まで国に尽くしてきたのに、急に『用済みだ』って言われたら……誰だって納得できないと思います」

「──その話、どこで聞いた?」

 マルセロの声が僅かに低くなる。

「まさか、隊長から?」

「いえ」

 ジョルジュは即座に首を振った。

「士官学校時代からの噂です」

 一瞬の沈黙。だがマルセロは追及せず、ふっと息を吐いて近くの木箱に腰を下ろした。

「……ふーん」

 内心ヒヤヒヤしていたソフィーだったが、マルセロはどこか事務的に言い切る。

「僕たち第七艦艇部隊は、いわば掃除屋だよ。英雄にはなれないが、その代わり手を汚す。それだけさ」

 マルセロの淡々とした口調にソフィーの背筋が凍る。隣で熱心に聞いていたジョルジュも、気づけば顔色を失っていた。

「そこまでだ、マルセロ。新人を怖がらせるんじゃない」

 鋭い目をした長身の男が剃刀のような峻厳さを纏って三人の輪に入ってきた。スラッとした体型に見えるが、どこか風邪知らずの頑健さを感じさせる。鋭い目の奥で光るラピスラズリの瞳がひどく印象的だった。

「グウェナエル。船室で寝てるかと思ったよ」

 マルセロの言葉にグウェナエルが肩をすくめる。

「アホか、戦闘前に寝るほどバカじゃない」

 その間もソフィーは必死に震える手を押さえていた。二人のやり取りはほとんど耳に入ってこなかった。

「……大丈夫か、ソフィー?」

 先に気づいたのはジョルジュだった。覗き込むようにして、少し声を落とす。

「さっきから、ずっと震えてるぞ」

「へ、平気よ」

 ソフィーは無理に口角を上げた。

「だ、大丈夫」

「そうか?」

 ジョルジュは納得しきれない様子で眉をひそめたが、すぐに小さく息を吐いた。

「……無理すんなよ」

 そして、ふっと話題を切り替えるように視線を前方へ向ける。

「それよりさ」

 顎で示した先には、先ほど割って入ってきた長身の男がいた。

「あの人、すごい人らしいよ」

 ソフィーもつられてそちらを見る。

「あの、存在そのものが剣みたいな御方は──グウェナエル・ブランシェさん」

 どこか誇らしげにジョルジュは続けた。

「軍籍は無いらしいけど、役割的には操舵手。でも戦局を読む目と、前線での指揮の才能は部隊随一なんだってさ。……ボクも、会うのは初めてなんだけどね」

 その時、マルセロと会話を終えたグウェナエルは、ソフィーの前で足を止めた。一瞬だけ。ほんの一瞬、値踏みするような視線が彼女を貫く。鋭い。だが、敵意ではない。獲物を見る目とも、部下を見る目とも違う、どこか愉しげな色を帯びた視線だった。

「お前ら、何をコソコソ話してる」

 グウェナエルの低い声が落ちた次の瞬間、彼はなぜかソフィーに向かって聞き慣れない言語で話しかけてきた。


“Ciao, dolce gattina, la tua bellezza è come l’alba dopo una lunga notte.”


 意味はわからない。けれど言葉が通じないのをいいことに、からかっているのだけはその冷ややかな微笑みで察しがついた。

「……?」

 ソフィーが言葉を探すより先に、グウェナエルはあっさりと話を切り替える。

「──冗談はさておき」

 冗談に見えないんだけど。

「やることがないなら、武器庫にでもいくか? 自衛用にナイフくらい持っておいた方がいい」

 グウェナエルの言葉にマルセロは小さく鼻を鳴らし、興味を失ったように踵を返した。

「……」

 ジョルジュもそれに続こうとそっと後ずさる、が。

「おい、ジョルジュ」

 ぴたり、とグウェナエルの声が飛んだ。

「どこに行くつもりだ?」

「い、いえ……ペネロペの元へ行こうかと……」

「……あいつは一人で平気だろ」

 淡々とした否定。そして、グウェナエルはジョルジュをじっと見据えた。

「それより、お前」

 彼は一呼吸おいて、ニヤリと笑った。

「銃の腕がピカイチだって聞いたが?」

「……誰がそんなことを……そ、そんなわけないじゃないですかあ」

 ジョルジュは平静を装っているつもりらしいが、明らかに動揺している声だった。

「じゃあ、確かめるか」

 そう言ってグウェナエルは腰から銃を外した。使い捨て、かつ一発装填のフリントロック式。どこか投げやりな仕草でジョルジュに放る。

「俺のを使っていい。船の縁に置いてある瓶を撃て。……安心しろ。俺はどうせ使わない」

 ジョルジュは銃を受け取り、眉をひそめた。不安を隠しきれないまま深く息をつく。

 ——やるしかない。

 撃鉄を起こし、コック・ポジションへ。船縁に置かれた瓶へ、照準を定める。引き金。乾いた銃声。次の瞬間、琥珀色の液体とともに瓶の破片が弾け飛んだ。照準から破裂まで、ほんの三秒。沈黙が広がる。

「……」

 グウェナエルが小さく頷いた。

「お見事」

 感情を削ぎ落とした、個性のない声だった。

 「グウェン! 弾を無駄にするなよ!」

 遠くから叫ぶ男の声も無視して、彼は静かに続けた。

 「──噂通りの腕前だな。だが、船上での銃撃は危険だ。流れ弾が味方に当たれば洒落にならん。なるべく剣を使え。剣が苦手なら俺が鍛えてやる」

 今度はソフィーに向かって腰の短剣を放り、ソフィーは慌てながらもなんとか受け止めた。

 「それはお前にやろう。俺もたぶん使わない。敵が乗り込んでくるかもしれんから、護身用に持っておけ」

 冷たいはずの金属が、グウェナエルから渡されたことで妙に体温を帯びている気がする。

 その時、長い金髪をひとつに束ねた男がやってきた。背が高くがっしりした体格で、部隊内でもっとも海の男らしい雰囲気を漂わせている。

 「グウェナエル。熱く語ってるところ悪いけど、そろそろ出航するってさ。君たちが乗らないと僕は操舵できないんだ」

 「悪いな、サミュエル。──お前ら、行くぞ」

 グウェナエルの凄みに、ソフィーとジョルジュは逆らえなかった。いや、そもそも先輩だ。逆らえるはずもない。

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