第六章⑤ ルキフェル&ソフィー
真昼の太陽が、トルチュ島の港を照らしていた。白く乾いた光が石畳を焼き、遠くでは造船所の槌音が微かに響いている。
一行は船から降り、潮の香りとともに桟橋に散った。
誰もがそれぞれの思いを抱きながら、重たい余韻を引きずるように歩き出していた。
ルキフェルもその一人だった。無言で波止場を歩き出す。背中に重たい陽光と、かすかな疲労がのしかかる。その背を低く鋭い声が呼び止めた。
「ルキフェル。……少しだけ、時間をくれねえか」
足が止まる。ゆっくりと振り返ると、そこにはエドガーの姿があった。どこか翳りを帯びた目をして、だが真正面からこちらを見据えている。
「……何の話です」
声を抑えて返すルキフェル。表情には薄く警戒と倦みが混ざる。
「さっきは皆の前だったからな。……本音は話せなかった。あいつ、フランソワのことだ」
沈黙。潮風が吹き抜け、ルキフェルの暗褐色の髪をかすかに揺らした。
「お前は知ってるか? あいつが死ぬ直前まで、どれだけこの世界を変えたがってたかを」
「聞いたことはある。あの人は、世界のどこかに自由を築くと……」
「理想だけじゃねえ」
エドガーが言葉をかぶせる。その声には熱がこもっていた。
「あいつとオレは何も持たないガキだった頃から、誇りを持って戦えた。オレはあいつと闘えたのが、生きる意味だった」
ルキフェルの瞳が、わずかに揺れる。
「殺されたんだ、ルキフェル」
その一言に、場の空気がはっきりと変わった。
「国家の都合と、貴族どもの保身で、何の罪もないあいつが、獣のように追い詰められて——最後は、自ら海に身を投げた。そんなのが通る世の中で、オレたちはただ黙って生きてりゃいいのか?」
ルキフェルは眉を寄せたまま、視線を逸らさずにいる。
「……それで、何がしたい」
エドガーはゆっくりと顔を上げ、目を細めた。
「フランス海軍に、戦争を仕掛ける。全面戦争だ」
乾いた桟橋の上で、その言葉だけが重く響いた。
「それが、あの人の意思だとでも?」
「違うな。オレの意思だ」
エドガーの語気は静かだった。だが、その奥底には揺るぎない決意があった。
「だが——あいつの死が無駄にならねえようにするのは、残されたオレたちの務めだろ」
沈黙。
二人の間に、ぴんと張りつめた無音が流れる。数歩先の位置では、フェルナンドが黙って立ち尽くしていた。陽光の中、彼の金飾りのブーツが微かにきらめく。
エドガーはふっと吐息を漏らしながら、最後の一言を投げた。
「お前に強制はしねぇ。だが、お前だけには言っておきたかった。……この血は、きれいごとで流されたわけじゃない。戦争になるぞ、ルキフェル。覚悟しとけ」
それを受けて、ルキフェルは微かに眉を上げた。
目元に揺れが差す。だが、その声は変わらず平静だった。
「なら、俺は——どちらの血を流すべきか、よく考えることにします」
それだけ言い残し、彼は再び歩き出した。背を向け、真昼の熱に満ちた桟橋を、静かに去っていく。フェルナンドは黙ってその背を目で追い、そのまま帽子の庇を軽く傾けるだけだった。
──そして、波止場には、陽の音だけが残った。
陽差しが真上から降り注ぎ、桟橋の木板がじんわりと熱を帯びていた。
ソフィーは一足先に船を降り、ルキフェルを待っていた。
エドガーとルキフェルが何かを話しているのを遠目に見つめていたのだが、やがてそのやり取りが終わったらしく、ルキフェルが黙って歩き出すのが見えた。
そのまま、彼はまっすぐ歩いてくる。目も合わさず、足を止めることもなく。ソフィーのすぐ脇を、無言でするりと通り過ぎていった。
ソフィーがわずかに振り返ると、ルキフェルはもう彼女を背に、港湾の賑わいから距離をとるように、カルロータの宿がある方向へと姿を消していくところだった。背筋はまっすぐで、どこにも焦りのない歩き方。だが、まるで何かから逃げるような近づけない静けさを纏っていた。
言葉にできない違和感が、ソフィーの胸の内にぽたりと落ちた。あの後ろ姿からは確かに、どこか冷たい距離が感じられる。
ソフィーが動けずにいると、その横からやや低い声が滑り込んだ。
「おや。心配してるのかな?」
軽やかな気配と共に、フェルナンドがふと隣に立っていた。
「君の心配してる顔、なかなかいいね。もしよかったら、今度一緒に海に出てみないか?」
軽い調子で言う彼に、ソフィーはにっこり微笑みながらもさっとかわした。
「ごめんなさい。私には契約があるから」
「そうか、残念だな。でも、いつか君の笑顔を甲板で見られたらいいな。」
フェルナンドは微かに肩をすくめて、続々と集まった仲間たちの方へ視線を移した。
その時、マテオが近づいてきて少し眉をひそめる。
「あいつのこと、何か怒らせた?」
フェルナンドは肩をすくめ、にやりと笑う。
「さあ、ボクは知らないよ。」
コリンが思い出したように口をはさむ。
「あ、そういえばディッキーの店の主人のこと忘れてた!」
「もう店主は帰らせたよ。大丈夫だ」
フェルナンドが答える。ジャスパーが腕を組んであくびをしながら言った。
「おれはもう腹ペコだ。そろそろ帰るか」
皆が笑いながらも和やかな空気が流れ始めた。
フェルナンドは海賊たちが帰っていく背中に向かって、ふとつぶやいた。
「ボクは君たちと海に出たいな」
隣にいたソフィーに視線を向け、軽く問いかける。
「君も来てくれるかな?」
ソフィーは振り返らず、軽やかに答えた。
「契約があるから、残念だけど」
フェルナンドは少しだけ寂しげに笑い、潮風に吹かれて去っていった。
ソフィーはその姿を見送りながら、先ほどのルキフェルの背中と表情が頭をよぎり、心配な気持ちを胸に抱えて一行の後を追った。




