第四章③ ソフィー
そのうち扉がノックされ、ソフィーは重い身体を起こしながら声をかけた。
少しだけ扉を開けると、そこに立っていたのはコリンだった。
「今まで忙しくて伝えられなかったけど、あの時は助けてくれてありがとう」
小柄な少年は照れくさそうにそう言って頭を下げる。
「怪我の具合はどう? 無茶はしないでね」
「大丈夫。今も安静にしているよ」
「そう、それは良かった。何かあったら遠慮なく言ってね。傷が完全に塞がるまで時間がかかるから、仕事をするときは気をつけて」
「えと……怪我のことなら大丈夫だよ」
コリンは少し視線を逸らした。
「その、これから夕食なんだけど……よかったら、みんなと一緒に食べない?」
「喜んでいただくわ」
ソフィーが微笑むと彼の顔がぱっと明るくなった。まるで昼間の太陽みたいだ、と思う。だが同時に、こんな大人しい少年が戦場に立っていたことを思い出し、背筋が冷えた。
「コリンと言ったわね。いくつなの?」
「十五になるよ」
「十五!? ずいぶん若いのね。いつから海賊に?」
「んー……確か、二、三年前かな」
「あなたも、フランソワ直下の部下だったのよね?」
「そんなことないよ。それは」
言いかけて、コリンは口を噤んだ。
「……もうちょっと仲良くなってから話してもいい?」
「ええ、もちろん」
ソフィーはすぐに頷く。
「あなたのお友達に、忠告されたばかりだから。それより……この船はどこへ向かっているの?」
「今のところ、大西洋を横断して、カリブ海にあるトルチュ島に向かってる。そこで、しばらく羽休めをしたいらしい」
「カリブ海に、トルチュ島? 聞いたことのない場所ね」
「ずっと西へ進むと大きな大陸がある。ほら、新大陸のことは聞いたことあるでしょ?」
コリンは身振りを交えながら説明を続ける。
「その大陸の周辺には、すごく綺麗な海域があってさ。トルチュ島は、その島群のひとつなんだ。言ってしまえば……」
少し考えてから彼は肩をすくめた。
「海賊の都市。楽園。世界全般で言うなら……世界の掃き溜めってところかな」
「……なんだか、無茶苦茶な場所ね」
ソフィーに与えられていた個室は、元々は一等海尉が使う寝室だったようだ。コリン曰く食事は提督用の食堂で食事を摂ることにしたそう。ソフィーの寝室があるフロアより一つ上の階だと言うので、コリンに案内されるまま船に揺られながら食堂にたどり着いた。食堂内は割と豪華な装飾で床には白黒のタイル張りに見えるよう四角に帆布されている。
「お、やっときたか」
ジャスパーがジョッキを傾ける。そのジョッキの中身を見てソフィーは思わずギョッとした。
「まさか、真水?」
「ああ、そうだけど? うちにはとびきり器用な奴がいるから」
ジャスパーはコリンに目を向けた。
「腕は大丈夫か? 万全になったらあの仕掛けを組み立てておくれ」
「全く、心配してくれたと思ったら物作りの催促ですかい」
コリンはため息を吐きながらルキフェルの隣席に座った。
ソフィーもコリンの隣に腰掛けることにした。
「はいよ、本格的な航海の始まりを記念して豪華だ」
マテオは自身が調理した豚肉の串焼と新鮮な野菜を豊富に取り入れたスープが一人一人に配膳していく。パンはカビが生える前に食べ尽くそうという算段なのか、一つのカゴにまとめてテーブルの中央に置いた。すぐそばにはバターとチーズも置かれている。
どうやら自由に取っていく方式のようだ。
「海軍でもここまで豪華な食事は出ないだろうな」
マテオが席に着いたことを皮切りに各々が会話が繰り広げられる。
食前の祈りも無しにおしゃべりが始まったためソフィーは多少面食らった。
「それでさ」
コリンが匙を置いて、向かいに座るマテオに視線を送った。
「マテオがまた義手に傷をつけたからトルチュ島で材料を買い直して改良しなくちゃいけなくなったんだ」
「傷ぐらい気にするな。それに争った衝撃で壊れてもいないから暫くは必要ないぜ」
マテオの隣に座るニールが呆れたように肩をすくめる。
「義手で平然と剣を受け止めるの、本当にやめた方が良いよ。格好つけたいのは山々なんだろうけどね」
ソフィーはコリンの怪我した腕を観察していたが、動きに関しては特に支障をきたしていないようで安心した。
ルキフェルがチーズを手にしたまま、まだ話し途中のコリンに目配せをする。コリンは彼の要求を察して会話を中断し、ソフィーに目を向けた。
「今から見ること、内緒にしてね」
意味が分からないとソフィーは首を傾げたが、これから自分が見た光景に驚愕した。
コリンがフィンガースナップをすると、パチンという音とともに小さな火花のようなものが散ると人差し指の先から小さな火が灯った。
自分の幻覚ではないかとソフィーは何度も瞬きしていたが、ニールの「あっさり見せるなんてどういうつもり?」という言葉が彼女にこれは現実なんだと思い知らせた。
コリンは平然とした様子で、チーズの表面を指先に灯った炎で温める。やがてルキフェルの視線の意味を汲み取ると指先の炎をフーッと消した。
「今の、何なの?」
ソフィーはようやく声を絞り出したが、うまく言葉にできなくてしどろもどろになる。
ルキフェルは一言も交わさず溶けたチーズの表面をナイフで削って自分のパンにトロリと垂らしている。
「ラクレットチーズだよ」
コリンは悪戯っぽく喋る。
「ごめん、冗談。信じられないかも知れないけど、ぼくには不思議な力をいくつか持っているんだ。今見せたものは火を発生させる力。船の上で使うには危険だから限定的になってしまうんだけどね」
「戦いで役立ちそうだと思うじゃん? ところがコリンはね、戦闘の時は剣を振るう方が好きだって言うんだ」
ジャスパーが柔かに笑う。どうやら、自分が困惑している姿を見るのが気に入ったようだ。
「みんなは当然知っているのよね? その、魔術っていうのかしら」
「ほう、気絶はしないか。肝が据わっているんだな」
マテオは興味深そうにソフィーに目を向けた。彼は指先に炎が灯った瞬間も一人で食事を続けていた。
この光景が当たり前すぎて気にも留めていないのだろう。しかし、ソフィーの心情は少し違くて、あまりにも非現実的な現象を見て「魔術が存在する」という恐れより「なぜ魔術が使えるのか?」と興味が湧いた。ただ、正直に言うと今の状況を受け入れられなくて困惑するしかない自分もいる。
「魔術ね、やっぱりその言葉でしか表現できないかあ。ぼくにもどうしてこの力が使えるのかよく分かっていないんだ。ぼくが物心ついた頃から既に使えたと言うことしか知らないんだよ」
「ええ、もし世間に見つかったら大変ね」
その時、ルキフェルが立ち上がり一言呟いた。
「船長室にいる。何かあればノックしてくれ」
どうやら先に夕食を食べ終えたようだ。その証拠に彼の皿は綺麗さっぱりだ。
「おう、あと料理の感想があれば……」
マテオの言葉は彼には届かず、ルキフェルは食堂を出て行った。船長室に向かうには一度食堂を出て階段を上がる必要があるのだ。
ルキフェルが食堂を出て行くと、張りつめていた空気がふっと緩む。沈黙を破ったのは、向かいの席にいたニールだった。
「そういえば、ソフィーはコリンの怪我を治療してくれたんだって?」
突然話題を振られ、ソフィーは小さく頷く。
「ええ、早めに手術できて良かったわ。あとはこの子の忍耐力と、あと不思議な力のおかげで、速攻で完治したわ」
「聞くところによると、針と糸で傷を縫ったんだって?」
その言葉に、コリンが待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
「そうだよ! ほら、この通り」
そう言ってコリンは長い右袖を捲り上げる。二の腕に走る縫合の跡がはっきりと見えた。
「本当だ。綺麗に縫えているね」
感心したように呟くニールとは対照的に、マテオは眉をひそめたまま口を挟む。
「お前ら、人の身体に糸が縫われているって恐ろしくないか? 治療する側もとてつもなく勇気が要るだろうよ。海軍はいつの間にそんな技術を身につけたんだ?」
その視線を正面から受け止め、ソフィーははっきりと言葉を返した。
「いいえ、あれは私が独自に開発したものよ。早期治療と、鎮痛薬か睡眠薬が必要だけど」
「鎮痛薬……マンドレイクか」
今度はコリンが思い出したように言う。
「ぼくも初めて見て、しかも食べることになるとは思わなかったけど、海軍はそんな物まで隠し持っているの?」
「いいえ、あれは隊長が……」
ソフィーはそこまで言いかけて言葉を飲み込んだ。一瞬、食堂の空気が静まり返る。
それを察したのか、ジャスパーがわざとらしく咳払いをして話題を変えた。
「そういえば、ルキフェルは船長室にいるってね」
「うん。あそこには書物がたくさんあるみたい。どうやら、この船は元々東へ向かう予定だったみたい」
コリンの言葉に、ニールがゆるく頷く。
「東ねえ。昔から交流は多いけど、特に最近は貿易関係で活発だよね」
「東へ向かう探検隊。どの国へ向かうつもりだったのかは知らないけど、秘密裏に行われたものだったらしい」
「へえ……」
コリンの言葉にマテオはジョッキを傾けながら、肩をすくめた。
「この船にそんな秘密があるとはな。まあ、オレたちは西へ向かっているけどな」
ジャスパーはジョッキの水を飲み干し、椅子から立ち上がる。
「さて、おれはそろそろ夜の航行をするか。マテオ、忙しくなければ夜食を持ってきておくれ」
「ああ、今夜も持っていくぞ」
ジャスパーが食堂を出たのをきっかけに散り散りとなった。ソフィーはギャレー(キッチン)でマテオの手伝いをしてから船医室に向かい、薬品や包帯など治療道具の確認を行った。長期的な航海を想定してか備蓄など十分あることが分かるとホッとしたが、彼らの戦闘力を全面的に信じるなら自分の役目はないだろう。ソフィーはベッドに腰を下ろし、日記にペンを走らせた。
コリン
少々斜に構えた海賊。簡潔に言うと彼は魔法が使える。
ジャスパー曰くとても器用らしいが、詳細は不明。
今度、少し聞いてみよう。いかんせん、自分の目が信じられなくなっているからだ。
その後、自分が見たことを全て、ありのままに書き記した。
描き終わって自分の文章を何度も読み返したが、やはり自分の目が信じられなかった。
深いため息と共にソフィーはベッドに沈んで瞼を閉じればある記憶が呼び起こされる。
隊員を新規募集していると聞き慌てて申し込んだのが最初だった。
トゥーロンにて昇進に必要な資格を早めに取得するのに精一杯で何を話すか全く決めていなかったが、幸いにも部隊隊員の質疑応答のみだったようだ。
相手は第七艦艇部隊の部隊長——マクシミリアン・ブーケ。会うのは実は二度目だ。
「随分久しいね。あの時は、災難だったね」
あの日のやり取りは、忘れもしない。今でも彼の声が耳に残っている。
「ソフィー・ド・ルノアールくん、君はパリにある割と上流貴族の出にも関わらず出身がノルマンディー地方となっていますが、その理由は話せるでしょうか?」
当然聞かれるだろうと想定していた。
血筋主義のこの世界で、自分が元々は孤児で田舎から出てきた者だと聞けばどんな反応をするか目に見えていた。士官学校の一部の教官からは拒絶されているのだから、この人もきっとそうなのだろう。
「隊長。出自とか血筋って、そんなに重要でしょうか?」
この問いかけに、隊長は面食らったようで暫く口を開かなかった。
ソフィーが慌てて謝罪をしようとしたその時、隊長は穏やかに微笑んだ。
「そうですね、余計な詮索は野暮というものです。申し訳ない」
そう言った隊長は髪を耳にかけ、左耳に付けた黒ずんだイヤリングを見せびらかした。
「そんな僕も、本当は世間から讃えられるような人間じゃないんです。それでも部隊を持つぐらいには伸し上がった。君も、自分の実力を認められたいと思っているんじゃないですか?」
「ええ、常日頃から思っていることです。私は、自分が求められるところで自分の存在意義を見出したいのです」
「うん、その気持ちよくわかります」
ちゃんと対面したのは初めてなのに、こんなに心が通い合うことがあるのかとソフィーは感動していた。この人ならついていきたいと思えるほど彼に魅せられていた。そう思っていた矢先、隊長が手を差し出して告げた。
「ソフィー。あなたが士官学校時代から僕は君に目をつけていたが、あの日のこと、そして今この瞬間、僕は君と一緒にいたいと思っています。僕のことはマクシムと呼んでも構いません」
ソフィーは思わず目を丸くしたが、隊長は構わず続ける。
「ソフィー、僕たちはまるで兄妹のようですね。死と隣り合わせの世界だけど、僕は貴女に生きていてほしい、何故かそう思わせられる」
差し出された手を握り、マクシムと見つめ合ったところで暗転した。




