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第二章⑥ マクシミリアン隊vsルキフェル

「隊長」

 低く、はっきりとした声がマクシムの耳元に届く。

 ダヴィットが彼のすぐ後ろに立っていた。視線は前方、ルキフェルとグウェナエルから一瞬も逸らさず。

「突撃命令を。……これ以上は、待てません」

 マクシムもルキフェルに釘付けになりながらも囁く。

「ええ、構いません。少し話しただけですが、彼は大変危険です」

 マクシムの言葉を聞いたグウェナエルは、目の前にいる謎の男の不気味な落ち着きに剣の柄へと静かに手を伸ばす。その動作ひとつで甲板の空気が緊張に包まれた。グウェナエルは言う。

「この場に立つ以上、お前も覚悟はあるな?」

 剣を抜く音が鋭く響いた。

 その一瞬、風が鳴ったかと思うとルキフェルが舳先を蹴って飛び出していた。

 まるで今の言葉が「合図」であったかのように。

「っ——!?」

 グウェナエルが体勢を取るより早く、ルキフェルの鋭い斬撃が横から滑り込む。ギリギリで剣を合わせて受ける。金属音が炸裂し、グウェナエルの腕が痺れた。

 ——重い。

 斬撃の威力そのものが想定以上。だがそれ以上に恐ろしいのは、間合いの読みと軌道の選び方だ。

 剣と剣が数度、鋭く交差する。

 ルキフェルの動きは剣術というよりも舞いのようで芯には重心が据わっている。身体をひねり、腰を落とし、足運びを滑らせるように繰り返しながら、手首の回転と体幹で鋭い斬撃を繰り出してくる。

 ただの力任せでも技術任せでもない。完全な融合。

 何流とも知れぬ、恐ろしく完成された型破りの武術。

 剣圧に押され、グウェナエルの足元が数歩下がる。

「この……っ、重さだけじゃない、型も読めない……!」

 すぐに、シャルルが後方から声を張り上げた。

「援護に回れ、囲め!」

 サミュエル、リラ、ダヴィッドらが動く。

 複数方向から囲もうとするが、ルキフェルの反応は早い。後方の気配を察し、振り向きざまに一人の間合いへ踏み込む。身体を低く構え、剣を下から斬り上げる。

 直撃を避けたダヴィットの顔に斬り跡が走る。血が噴いた。

 ルキフェルは跳ねるように方向転換。舳先を背に、後ろからの攻撃も視界に入る位置を選んで立つ。

 グウェナエルが再度突撃するが、剣が届く瞬間にルキフェルは体をひねって身を沈め、そのまま軸足で体を回転させて、グウェナエルの膝裏を刈るようにして転ばせた。

「っぐ……!」

 倒れた瞬間、ルキフェルの刃が喉元へピタリと突きつけられている。

「終わりだ」

 ルキフェルの声は静かだった。怒りも、激情もない。「お前では、止められない」と言わんばかりの断言だった。その目を見て誰もが悟った。

 この男はただ者ではない。むしろ、ここにいる誰よりも戦うことを知っている。

 ルキフェルがグウェナエルへ刃を振り上げようとした、その瞬間だった。背後から巨大な影が覆いかぶさる。

「捕まえろ!」

 サミュエルが吼えた。長身と体重を活かし、両腕でルキフェルの胴を締め上げる。肋骨がきしむ。肺から空気が一気に押し出され、喉の奥で音にならない息が潰れた。一瞬、指先の力が抜けて剣が宙を舞い、金属音を立てて甲板を転がった。

「今だ!」

 ジョルジュとダヴィットが同時に踏み込む。縄が空を切り、視界の端で揺れた次の瞬間。ごつり。鈍く、嫌な音がした。ルキフェルが後頭部を思い切り反らし、サミュエルの顔面へ叩きつけたのだ。

「ぐっ——!?」

 鼻梁に走った衝撃が頭蓋の内側で弾ける。視界が白く飛び、涙と血が一気に滲んだ。鼻の奥が潰れた感覚。呼吸が吸うことも吐くこともできない。腕の力がほんの一瞬、緩む。その一瞬で十分だった。ルキフェルは地を蹴り、最初に踏み込んできたダヴィットへ踵を叩き込む。肋に走った衝撃は、鈍痛ではなかった。内臓を直接殴られたような、深い痛み。

「——っ!!」

 声にならないまま肺が痙攣する。身体が浮き、甲板に背中から叩き落とされた。息が戻らない。

 次に迫ったジョルジュへ、ルキフェルは視線すら向けなかった。一歩。身体を捻る。掌が走る。肘が入った瞬間、世界が反転した。顎の奥で衝撃が爆ぜ、脳が揺れる。歯が噛み合わず、舌を噛んだ。

 太極拳。力を受け流し、崩し、倒す。

 ジョルジュは呻き声を上げる暇もなく、背中から甲板に叩き伏せられた。衝撃で肺の空気が抜け、視界の端が暗く滲む。

 ルキフェルは即座にジョルジュの手から縄を奪い取る。緩みかけた羽交締めの中で身体を反転。縄が空を裂き、次の瞬間には呻くサミュエルの腕と胴を無慈悲に絡め取っていた。

「な——」

 声にならない気づいた時にはサミュエルの身体は甲板に押し倒され、逆に拘束されていた。胸が圧迫され、息が浅くなる。鼻腔を満たすのは、血と塩と木の匂い。視界の端で星が瞬く。だが、ルキフェルの呼吸だけは驚くほど静かだった。

 シャルルが一歩、前に出た。いつもの軽薄な笑みは消え、片眼鏡の奥で瞳だけが冷たく光っている。腰から引き抜かれたのは細身のレイピア。刺突に特化した、殺すための剣だった。

「……本気でいくよ、グウェン」

 声は低く、冗談の余地がない。

「言われなくてもだ」

 グウェナエルも体を起こし、サーベルを構え直す。喉元に刃を突きつけられた感覚がまだ皮膚に残っていた。呼吸が浅くなる。だが、構えは崩れない。

 二人同時に踏み込む。左右からの挟撃。間合いも角度も完璧だった。だが、ルキフェルは迎え撃たなかった。剣を振らない。斬り合わない。ただ避ける。レイピアの刺突が空を切る。サーベルの刃が甲板を叩き、火花を散らす。その刃と刃の隙間を、ルキフェルは水のようにすり抜けていった。近い。だが、触れられない。

「……っ、当たらない!」

 シャルルが歯噛みする。腕に走る焦りが刺突をわずかに鈍らせた。

 ルキフェルは後退しながら視線を落とす。先ほど、甲板に落とした自分の剣。

 次の瞬間、彼は地を蹴って身体を低く沈めた。まるで獣が腹を擦るような低姿勢で甲板を滑る。指が柄を掴む刹那、カットラスが唸った。振り上げられたのではない。流れに乗って身体ごと回された。

 そこから先は剣術ではなかった。円を描く足運び。腰を軸にした回転。剣は腕で振られず、体幹から放たれている。

 中華剣術。斬るためではない。重心を崩し、視界を削り、恐怖を植え付ける動き。

「——っ!」

 最初にシャルルの腕が裂けた。レイピアを突き出した瞬間、前腕の内側を浅く切り裂かれる。皮膚が開き、血が滲む。力が一瞬抜けた。

 続けざまにグウェナエル。踏み込んだ脚の外側。脛をかすめる一閃。致命傷ではない。だが、足裏の感覚が狂う。踏み込むたびズレる。

「くっ……!」

 シャルルのレイピアが弾かれ、金属音とともに軌道が狂う。

 グウェナエルのサーベルも振り抜くたびに距離を失っていく。

 翻弄されている。二人同時にそれを悟った。

「挟むぞ!」

「分かってる!」

 声を合わせ、左右から同時に踏み込む。今度こそ、逃げ場はない。——はずだった。

 その瞬間、ルキフェルの姿がふっと消えた。

「——なっ!?」

 視界から、完全に。次の瞬間。ごつん。鈍く、硬い音。

 シャルルとグウェナエルの額が互いの勢いを殺せないまま、正面からぶつかった。頭蓋の内側で星が弾ける。

「っ……」

「ぐ……」

 声にならない呻き。二人の身体がほぼ同時に崩れ落ちた。膝から甲板へ。視界が揺れる。平衡感覚が消える。その前にルキフェルは立っていた。剣を下げ、肩の力を抜き、息一つ乱さず。

 リラが短く息を吸った。それだけで十分だった。

「いくよ」

 低く放たれた一言で甲板の空気が切り替わる。

 リラ、ロザリー、ペネロペが同時に動いた。三人ともサーベルを抜き、互いの死角を埋めるように間合いを分けて前に出る。その背後で、メリッサが投擲用ナイフを構えた。刃先は定まっている。役割も、順序も、理解している。連携だ。だが。

「……女か?」

 ルキフェルがぽつりと呟いた。翡翠色の瞳が三人をなぞる。値踏みでも侮蔑でもない。

「海軍は女まで戦場に送るのかよ」

 感情の起伏のない声。ただ、事実を確認しているだけの響きだった。

 ペネロペが歯を食いしばる。

「黙れ!」

 三方向から同時に斬撃。だが——当たらない。

 ルキフェルは剣を大きく振らなかった。受け、流し、かわす。最小限の動きで、三人の攻撃を外側へ逸らしていく。踏み込んだはずなのに距離が縮まらない。刃が届くはずの瞬間に、そこにいない。

「……おかしい」

 ロザリーが思わず呟いた。

「間合いの読みが……常識と、違う……」

 その声が届いたかのように、ルキフェルが一瞬だけ彼女を見る。その刹那。メリッサがナイフを構え直した。

 ——投げられない。

 視線が合った。翡翠色の瞳が真正面から射抜いてくる。

 獣に睨まれた小動物のように身体が固まった。指が震え、刃先が揺れる。

「っ……」

 恐怖。理屈ではない。本能が「投げるな」と命じていた。

「……手荒な真似は、したくないんだがな」

 低く、静かな声。次の瞬間、ルキフェルはペネロペの腕を取っていた。斬撃を受け止める動作の延長。引き寄せるでも掴むでもない。流れに乗せる。

「な——!?」

 足が浮いた。視界が回転する。ペネロペの身体がそのまま宙を舞う。投げられた先——縄を解いたばかりのサミュエル。

「ぐっ!?」

 衝突。鈍い音とともに、二人がもつれて甲板に倒れ込んだ。

「ペネロペ、サミュエル!」

 ロザリーの叫び。その一瞬の注意逸れ。致命的だった。足元を払われる重心が消え、視界が反転する。

「っ——!」

 背中が船縁に叩きつけられた。肺の空気が一気に吐き出される。息が入らない。立ち上がれない。ルキフェルはすでに次を見ていた。残るのはリラ。狙いを定めた、その瞬間。

「——離れろ!!」

 咆哮とともにダヴィットが突進した。全身の体重。長身の勢い。真正面から、ルキフェルを捕らえる。腕を絡め、胴を締め上げる。そのままマストの柱へ。

「このまま——!」

 衝突の寸前。ルキフェルの身体が持っていかれる。だが。

「……甘い」

 拘束されたまま地を蹴った。次の瞬間、マストを蹴り上げた。柱を壁のように使った壁宙。突進で持ってかれた反動で身体が舞って拘束がほどける。

「な——」

 ダヴィットが呆然と目を見開いた、その視界の中でルキフェルの身体が空中で鮮やかに翻る。ほとんど音もなく着地。そして、回し蹴り。太極拳の動き。腰から放たれた一撃が腹部を正確に捉える。

「がっ——!」

 息が潰れる。ダヴィットの身体が宙を舞い、背中と頭がマストの柱に叩きつけられた。どん、という鈍い音と共に身体がずるずると沈んでいく。甲板に静寂が落ちた。誰も動けない。

 ルキフェルだけが立っていた。剣を下げ、呼吸一つ乱さず。まるで、最初からこうなると分かっていたかのように。

 ソフィーは息ができていないことに気づいて、ようやく小さく息を吸った。指先が冷たい。足が震えている。甲板の中央で起きているのは、戦闘というより、制圧だった。怒号も叫びもすでにない。

 あるのは、倒れた人間と立っている一人の男だけ。

「……」

 アニータが無意識にソフィーの腕を掴んでいた。爪が食い込むほど強く。

「見ちゃ……だめ」

 そう言いながら、アニータ自身も目を逸らせていない。恐怖は視線を縛る。剣を振るたびに血が出るわけでもない。叫び声が上がるわけでもない。それなのに、何か壊れていくのが分かった。

「……あれは……人、なの?」

 ソフィーの喉から漏れた声は、自分のものとは思えないほど掠れていた。少し離れた場所で、マクシムは動けずにいた。命令を出す立場にいる。それでも、一歩が出ない。

「……人は」

 喉の奥がひどく乾く。

「人は、あそこまで恐ろしく、なれるのか」

 激情ではない。狂気でもない。あれは理解しすぎた者の静けさだ。剣を振る理由も、倒す順番も、次に誰が来るかも。すべてを見通したうえで淡々と動いている。敵意ですら必要としていない。それがマクシムを縛りつけていた。

「……くそ……っ」

 その声にマクシムははっと顔を上げた。

 ジョルジュだった。肩を押さえながら、ふらつく足で立ち上がる。血が、頬を伝っている。それでも目はまだ死んでいない。

「……やらせるかよ……!」

 サーベルを構える。構えは甘い。息も荒い。それでも、踏み込んだ。

「うおおおっ!!」

 ルキフェルは避けただけだった。大きな動きはない。剣を振り上げることすらしない。すれ違いざまに、カットラスが一閃する。ざり、と乾いた音。ジョルジュの前髪が宙に散った。遅れて頬に赤い線が浮かび、肩口の制服が裂ける。

「——っ!!」

 痛みが来る前に恐怖が来た。次の瞬間、ルキフェルの脚が回る。旋風脚。視界が横倒しになる。

「が——っ!」

 顔面に走った衝撃で、ジョルジュの身体が甲板に叩きつけられた。息が肺から強制的に吐き出される。

「ジョルジュ!!」

 ソフィーが思わず一歩踏み出した、その瞬間。

「だめです」

 低い声。フードを被った女がいつの間にかそこにいた。

 スザンヌだった。彼女はソフィーの肩を静かに掴む。力は強くない。けれど、動かせない。

「行ったら……殺されます」

 その声には感情がなかった。ただ事実だけがあった。

 ルキフェルは倒れたジョルジュの傍に屈んだ。荒い息。焦点の合わない目。

「……悪いな」

 謝罪だった。ジョルジュにしか聞こえない、低い声。

 ルキフェルは腰に巻いた赤いバンダナを解く。布がするりと空気を切る。

「……お前のとこの隊長が」

 ジョルジュの背後に回り、喉元に布を回す。

「さっきからずっと動かない」

 力は強くない。だが、逃げられない位置を正確に取っている。

「なら」

 締まる。呼吸が奪われる。

「無理矢理にでも、この場に立たせる」

 ジョルジュの喉から、ひゅ、と掠れた音が漏れた。空気を吸おうとしても肺が応えない。視界の縁が暗く滲み、音が遠ざかる。

「……っ、ぁ……」

 その苦しげな声が甲板に落ちた瞬間だった。

「やめろ!!」

 怒鳴り声が雷鳴のように響く。マクシムが反射的にサーベルを引き抜いていた。考えるより先に身体が動いていた。

「やめろ、ルキフェル!!」

 一歩、踏み出す。二歩目で、もう止まれない。

「部下を解放しろ!!」

 声が裏返る。

「——おれが、許さない!!」

 その言葉を聞いた瞬間、ルキフェルの口元がわずかに緩んだ。

「……ようやくだ」

 低い声。待ちわびていた者。ルキフェルはジョルジュの首に回していたバンダナをふっと緩めた。

「——っ、は……っ!!」

 空気が一気に流れ込み、ジョルジュが激しく咳き込む。肺が悲鳴を上げる。だが、安堵する暇はない。

 次の瞬間、ルキフェルの手がジョルジュの襟元を掴んだ。軽い。まるで荷物のように。

「邪魔だ」

 そう言ってジョルジュの身体は横薙ぎに投げ飛ばされた。鈍い音。背中が船の縁に強く叩きつけられる。

「ぐっ……!!」

 息が詰まり、声にならない呻きが漏れる。身体が折れ曲がり、そのまま甲板に崩れ落ちた。生きている。だが、身体が痺れて動けない。

「ジョルジュ!!」

 誰かの叫び。その直後、シャキンと澄んだ音が鳴った。

 ルキフェルがカットラスを引き抜いた音だ。赤いバンダナを足元に落とし、ゆっくりと刃を構える。翡翠色の瞳がまっすぐにマクシムを捉える。逃げ場はない。言い訳も、猶予も。

「じゃあ」

 ルキフェルが静かに言った。

「次は、お前だ」

 マクシムは唾を飲み込んだ。剣を握る手がわずかに震えている。だが、もう下がれなかった。自分が出なければ、また誰かが壊される。

「……引きずり出された、か」

 マクシムは一歩、前に出る。甲板の中央で二人の剣が向き合う。

 遠くで雷鳴が轟いた、その直後だった。

 ルキフェルは倒れ込む隊員たちの間を蛇のように走り抜ける。次の瞬間、もうマクシムの目前にいた。カットラスが振り下ろされる。

 反射的にマクシムは剣を受け止めた。金属音が炸裂し、衝撃が腕を貫く。足が甲板に沈み込む。

 重い。一太刀ごとに削られる体力。剣を合わせるたびに、戦意そのものを押し潰されていく。

「やはり……異国の武術が融合している」

 太極のようにしなやかに。中華剣術の型を土台に、死角だけを正確に突く剣筋。日本剣術に通じる間合いの読みと揺るがぬ体軸。すべてが噛み合っていた。

 やがてマクシムの剣が弾かれる。

 甲板の端、荒い息を吐きながらジョルジュが制服の内側に手を伸ばした。

 銃だ。援護しようと銃を構えた、その瞬間。

「やめろ!」

 ダヴィットの怒号が飛ぶ。

「その角度じゃ、流れ弾が隊長に当たる!」

「構うな!」

 マクシムが叫び返した。

「僕ごと撃て、今すぐだ!」

「隊長ごと!? そんなの無理ですって!」

 躊躇するジョルジュの声を切り裂くように別の声が重なる。

「撃たないなら、私がやる!」

 ロザリーだった。護身用の銃を懐から引き抜き、迷いなく引き金を引く。

 銃声が響き、弾はルキフェルの額を掠めた。

 新しい傷。一筋の血が頬を伝って落ちる。

 ロザリーは役目を終えた銃を投げ捨てた。

 一瞬、ルキフェルがマクシムから距離を取り、再び鍔迫り合いが始まった。

 その隙を見て、ジョルジュは歯を食いしばった。銃をコック・ポジションにする、その瞬間。

「ジョルジュ、やめ——」

 シャルルの声は最後まで届かなかった。

「やめられるか!!」

 ジョルジュが叫ぶ。

「仲間を、海軍を……何だと思ってるんだ、こいつは!!」

 銃口がルキフェルに向けられる。

 ——パンッ!!

 鋭い銃声が空気を切り裂いた。だが、撃ったのはジョルジュではない。

 衝撃とともにジョルジュの腕から銃が弾かれ、甲板を跳ねて海へと消えていく。

「……っ、何!?」

 誰もが音の主を探した、その時。風に乗って甲板の縁から声が落ちてきた。

「あぶねー。怪我させずに武器だけ狙うの、難しいんだよ」

 誰もが振り向いた先。船の縁に腰を掛け、だらしなく服の前を開け、髪を無造作に垂らした美男子がいた。片肘を膝に乗せ、右手の銃口からまだ細く煙が立ちのぼっている。ニヒルな笑みを浮かべ、彼はぼそりと呟いた。

「仲間を傷つけんなって言ってんだよ、坊や」

 甲板の緊張が一気に変わった。

 ルキフェルは表情ひとつ動かさず、それでも美男子にだけ目をやって小さく頷いた。

 それは、言葉のいらない「ありがとう」だった。

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