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大罪の継承者達

作者: nekura
掲載日:2025/10/12

悪路慎吾の朝は、いつも胃の痛みから始まる。

けたたましい目覚ましを止め、深い溜息を一つ。「今日こそ定時で帰る…」そう誓うが、彼の勤める「株式会社デモンズ・ゲート・テクノロジー」での誓いが守られたためしはない。

ボサボサの頭と隈の目元をコーヒーで誤魔化し、満員電車に揺られる。会社に到着するやいなや、彼の「地獄」は始まる。

「おっ、悪路!テメェ、まだいたのか!」

直属の上司、赤鬼のような顔をした部長が、朝一番で顔を近づけてくる。彼の名刺には「営業部長・大威おおい あつし」とある。

「すみません、部長。今、朝礼の準備を…」

「準備じゃねえだろ!昨日言っただろうが、A社のクレーム対応はどうなったんだ!俺の顔に泥を塗りやがって!」

部長の怒号が響く。慎吾の心臓はキュッと縮こまる。いつものことだ。部長はいつも理不尽な怒りを慎吾にぶつける。

「い、一晩かけて、先方の担当者様への謝罪文と、改善提案書を…」

慎吾は震える手で分厚いファイルを手渡す。部長はそのファイルを無造作に受け取ると、中も見ずに机に叩きつけた。

ドゴォン!

通常であれば、ファイルが音を立てるだけだ。しかし、今回は違った。鈍く重い、そして不自然に大きな衝撃音がフロアに響いた。

慎吾は恐る恐る部長の机を見る。部長がファイルを叩きつけた部分の木製の天板が、僅かにひび割れている。

「…え?」慎吾は思わず声を漏らした。

「なんだ、悪路。今の音は?」部長も驚いている。彼は、自分が叩きつけた衝撃が強すぎたのだと思っている。

(私が、叩きつけられた衝撃が強すぎた、ということか?)慎吾は混乱した。

「す、すみません、部長。昨日から疲れが溜まっていて、つい手の力が抜けてしまって…」慎吾は反射的に謝った。何が起こったのか全く理解できていない。彼は、部長が怒りのあまり、彼自身の力で机を壊したのだと解釈した。まさか、その衝撃を跳ね返して、周囲の物体を破壊するほどの「無意識の力」が自分から漏れ出たなどとは、想像もしていない。

「チッ、情けねえ奴だ。まあいい。謝罪文は後で読む。とにかく今日はノルマ達成するまで帰るな!いいな!」

「は、はい!承知いたしました!」

慎吾は再び、極度のストレス下で、無意識に微量の「魔力」を発動させてしまった。彼はその事実に気づくことなく、ひび割れた机の横で、今日一日のノルマという名の「地獄の試練」に立ち向かうのだった。

そして、営業部の隅で、今日も慎吾だけは定時になっても倒れず、徹夜作業に入るのである。なぜ自分だけこんなにタフなのか。彼はそれを、「生まれつきの不運」だと信じて疑わない。


徹夜明けの慎吾は、顔に昨日の疲労と、さらにその前の疲労が上塗りされたような顔で出社した。徹夜で仕上げた大量の書類を抱え、フラフラと歩いていた彼の目の前で、清掃員が水拭きをしたばかりの廊下が光っている。

「あっ…」

疲労の極地でバランスを崩し、慎吾は滑って転んだ。書類が宙に舞い、コーヒーカップが手から離れる。

「うわあああ!」

彼は受け身を取ろうと手を突いたが、体は慣性の法則に従い床に叩きつけられる……はずだった。

しかし、彼の体は床に当たる寸前で、不自然にピタッと静止した。

慎吾は目を閉じて痛みに耐えたが、痛みは来ない。恐る恐る目を開けると、自分の体が床から数ミリ浮いていることに気づいた。そして、彼の周囲、書類やコーヒーカップが散乱する一帯だけ、重力が完全に停止しているかのように、時間の流れが緩やかになっている。

(あれ…?地面が、柔らかい…?)

彼は、自分の体が宙に浮いている事実に気づかず、ただ「床がクッションみたいに柔らかくなった」と誤解した。同時に、落下中に視界に入った書類が、ゆっくりと舞い落ちる光景を見て、「寝不足で視界がおかしくなったんだ」と判断した。

「い、いけない!書類が!」

慎吾は慌てて起き上がろうとする。その瞬間、彼の体が再び重力に引かれたようにストンと床に着地し、周囲の書類も勢いを取り戻してバラバラと舞い落ちた。

清掃員の女性が駆け寄ってくる。

「大丈夫ですか、悪路さん!?」

「あ、は、はい。すみません。大丈夫です。寝不足で…頭が揺れたみたいで…」

彼はコーヒーを床にこぼしたことに気づき、顔面が蒼白になる。

「すみません!すぐ拭きます!私がやります!」

床に散乱した書類とコーヒーを前に、慎吾は頭を下げた。清掃員の女性は心配そうに彼を見つめていたが、彼の異常なタフネスを知っているため、口を挟まなかった。

その日の午後。

昼食も取らずに資料作りに追われていた慎吾は、部長に呼び出される。

「悪路、お前、さっきの会議で部長に挨拶もしなかったそうだな!」

「え?ええと、営業部長には…」

「営業部長じゃねぇ!社長だ!社長が通りかかった時、お前、パソコンをガン見して頭も上げなかったそうだ!」

部長は怒りで顔を真っ赤にしている。慎吾の背筋に冷たい汗が流れる。社長が近くを通っていたことに全く気づいていなかった。

「もういい!お前は社会人失格だ!この会社をなんだと思っている!お前みたいな穀潰しは…存在自体が迷惑なんだよ!」

部長の心無い罵声が、慎吾の心を深く突き刺した。いつものパワハラに慣れていたはずなのに、この一言だけは、堪えた。

(存在自体が迷惑…)

心臓の奥が、冷たい氷に覆われるような感覚に陥る。

「…っ」

慎吾は、グッと奥歯を噛み締めた。その時、彼の瞳の奥に、一瞬だけ、深紅の光が灯った。

その光に呼応するように、彼の背後の壁に掛けてあった古びた営業目標のポスターが、何の予兆もなく、燃え上がった。

カッ!

火花が散り、ポスターは瞬く間に黒焦げになる。

部長は一瞬、目を丸くしたが、すぐに「なんだ!?ショートか!?」と騒ぎ始めた。

慎吾は自分の体が微かに震えているのを感じたが、目の前の出来事とは無関係だと思った。彼の耳には、部長の罵声がまだ響いている。

(…すみません。私のせいです。私が、火を出してしまいました。すみません…)

彼は、自分が部長の理不尽な言葉に対する無意識の怒りで、熱と破壊の魔力を放出したなどとは、微塵も思っていない。ただただ、自分がまた何かミスをしてしまったこと、そして、「存在自体が迷惑」と言われたことに、深く傷ついているだけだった。

「ほら、お前がぼやっとしているからだ!さっさと消火器持ってこい!悪路!」

「は、はい!すみません!」

魔王の血筋は今日も、ブラック企業の「地獄の試練」を、「ただの不運」と「自業自得」で乗り越えようとするのだった。そして、なぜか彼の周囲には、頻繁に原因不明のショートや、備品の破損が起こり始めるのだった。


ポスター炎上事件から数日後。

悪路慎吾の疲労とストレスは臨界点に達していた。社長への無礼、備品破損、そして連日の徹夜。さすがの魔王の血も、精神の摩耗には勝てない。彼は退社後、ふらふらと立ち寄った馴染みのコンビニで、衝動的に高めの缶ビールを買ってしまった。

(…いけない、明日も早いのに。でも、今日くらいは…)

ビルの裏の薄暗い非常階段に座り込み、一口。全身に染み渡るアルコールの感覚に、一瞬だけ安堵する。

その時、階段を降りてくる人物がいた。

「あれ?慎吾じゃん。こんなとこで何やってんの、ぼっち飲み?」

声の主は、天城あまぎ 麗人れいと。慎吾が学生時代に一度だけ同じクラスになったことがある、容姿端麗な男だ。現在は都内の人気ホストクラブで働く彼とは、たまに街中で偶然出会う程度だが、慎吾にとっては眩しすぎる存在だ。

麗人は、慎吾の疲労困憊のスーツ姿とは対照的に、真っ白な高級スーツを完璧に着こなしている。その整った顔には余裕の笑みが浮かび、瞳はエメラルドのように怪しく光っていた。彼は、まさしく「愛欲の魔王」アスモデウスの血を引く者特有の、抗いがたい魅力を全身から放っていた。

「あ、麗人…。いや、別に、ちょっと休憩を…」慎吾は慌ててビール缶を隠す。

麗人は階段の手すりに軽く寄りかかったまま、慎吾を上から見下ろした。

「休憩ねえ。顔色、土偶みたいになってるけど?また例のブラック企業?」

「ああ…まあ…いつものことだよ。麗人は、今日もこれから出勤?」

「そ。指名が鳴り止まなくてさ。慎吾さ、ホストやればいいのに。顔、本当は良いんだからさ。そのクマとスーツ脱げば、結構いけるって。」

「無理だよ。俺は人見知りだし、酒も弱いし、口下手だ。」慎吾は心底げんなりした顔で答える。

「ふぅん…」麗人は、慎吾の地味な外見の下に隠された、何か途方もないエネルギーを感じ取っていた。麗人もまた自身の血筋を知らないが、彼には生まれつき、人の魅力を本能的に見抜く力があった。彼は、慎吾の疲労の中に、どこか「王族」にも似た威圧感が微かに混じっているのを感じていた。

「そういえばさ、慎吾。お前んとこの部長、最近やけに機嫌悪くない?」

「え?ああ…いつも通りだよ。毎日怒鳴られてる。」

「いや、そうじゃなくて。俺、昨日その部長が店に来たからさ。なんか、わけのわからん備品の破損が続いたり、社長に目をつけられたりして、ストレス溜まってるとか言ってたぞ。『あの悪路って奴の周りはいつも不吉だ』って、慎吾の悪口ばっか言ってた。」

慎吾はハッとした。部長の機嫌が悪いのは、自分が無意識に発動させた力による現象が原因だったのか?しかし、彼はそれを「単なる不運の連鎖」だと解釈する。

「そ、そうか…俺のせいで、部長まで苦労を…本当に、俺って存在自体が迷惑なんだな…」慎吾は再び自己嫌悪に陥る。

麗人はため息をついた。

「おいおい、なんでそこで自己評価下げるんだよ。まぁ、別にいいけど。とにかく、これ。」

麗人は懐から一本の瓶を取り出し、慎吾に手渡した。真紅の、完璧なバラが描かれたボトルだった。

「これ、店で一番人気の『麗人スペシャル』ってやつ。飲んだら疲れが取れるよ。」

「え、でもホストクラブのボトルなんて…」

「違う違う。疲労回復ドリンク。お前マジでヤバそうだから、サービス。ただ、飲んだら明日、俺の店に顔出すくらいはできるだろ?」

麗人の瞳が、一瞬だけ妖しい光を放った。それは、彼が持つ魅了の魔力が、友情というオブラートに包まれながらも、無意識に発動した瞬間だった。

「…あ、うん。わかった。ありがとう、麗人。」

慎吾は断る理由もなく、そのボトルを受け取った。そして、麗人が立ち去った後、彼は言われた通り、疲労回復ドリンクを飲み干した。

その夜。慎吾は久しぶりに深く眠りについた。

翌朝。慎吾は奇跡的に定時出社した。昨日までの疲労感が嘘のように消えている。

(麗人のドリンク、効いたのかな…)

心身ともに軽くなった慎吾は、今日はトラブルなく過ごせると信じていた。しかし、彼のデスクの前に、昨日の部長とは違う、一人の女性が立っていた。

「悪路さん。ちょっといいですか。」

それは、人事部の鬼と恐れられる、冷徹な女性社員だった。彼女の手には、昨日の炎上したポスター、そして粉砕したデスクの修理見積もり、そして、一枚の「始末書」が握られていた。

「あなたの周りで起こる、一連の『不自然な事故』について、詳しく説明してもらいます。」

魔王の血筋による地味な「破壊」と「不運」の連鎖は、ついに会社の公的な追求を受ける段階に入ってしまったのだった。


人事部の鬼、こと冴島さえじま主任は、慎吾のデスクの前に仁王立ちしていた。彼女が手に持つ分厚いファイルには、「悪路慎吾関連 不自然事故報告書」と大書されている。

「悪路さん。昨日、営業部のポスターが自然発火しました。そして、その数日前、大威部長のデスクの天板が不可解なひび割れを起こしています。さらに遡れば、サーバー室で電源が一瞬落ちた際、あなただけが無傷でデータ復旧を行っている。」

冴島は、無表情で事務的に事実を読み上げる。

「これらは全て、あなたが過失による備品破損を隠蔽しているか、あるいは異常な集中力による疲労からくる幻覚症状であると判断せざるを得ません。どちらにせよ、会社に対する信頼を損なう行為です。始末書を提出し、修理代は給与から天引きとなります。」

「い、いや…!私は何も…!」

慎吾は必死に否定しようとするが、状況証拠は全て彼を指し示している。彼は、自分が無意識に魔力を発動させていたことなど知る由もない。

「すみません…私が、不注意でした…!」結局、彼はいつものように、理不尽な事態を全て自分の責任として受け入れ、頭を下げることしかできなかった。

冴島主任が去った後、慎吾は目の前に置かれた始末書と、高額な修理代の見積もりを前に、絶望に打ちひしがれた。

(もう、ダメだ…こんなに頑張っているのに。誰にも理解してもらえない。俺は、本当に、この会社、いや、この世界に必要ないんじゃないか…?)

自己肯定感は地の底へ落ち、心の奥底で、何かが冷たく硬い塊となって凝固するのを感じた。

その日の夜、慎吾は麗人に会う約束を果たすため、重い足取りでホストクラブの雑居ビルに向かっていた。

雑居ビルの裏路地。慎吾は突然、数人のチンピラに囲まれた。彼らは、慎吾が会社の金で博打に手を出したと勘違いした男たちの手下だった。

「お前がデモンズ・ゲートの悪路だな?金、返してもらうぞ、コラ!」

「ち、違います!人違いです!私はそんなこと…!」

恐怖で声が震える。争いを極度に嫌う慎吾は、逃げようとするが、腕を掴まれて引き戻される。

「逃げんじゃねぇ!」チンピラの一人が、慎吾の顔めがけて拳を振り上げた。

「やめろッ!」

その瞬間、慎吾の身体から、昨日麗人からもらったバラの香りが、ふっと鼻腔をかすめた。

——『愛欲』は『怒り』と『恐怖』の種子に水を与える。

その香りと、極度の恐怖が、彼の体内に封じ込められていた魔王サタンの血を、一瞬だけ揺さぶった。

拳が顔に迫る。慎吾は恐怖で目を閉じた。

「クソ野郎が!てめぇで金作れ!」

ドゴォン!

衝撃音。しかし、それは慎吾の顔に当たった音ではない。

チンピラが振り下ろした拳は、慎吾の顔に当たる直前で、まるで硬いガラスの壁に激突したかのように弾き返された。チンピラの腕は不自然に折れ曲がり、悲鳴を上げながら地面に倒れ込んだ。

慎吾は目を開けた。彼の顔の前には、何もない空間があるだけだ。他のチンピラたちも、何が起こったのか理解できず、たじろいでいる。

(…また、錯覚だ。あまりにも疲れているから、体が勝手に避けたように感じたんだ…)

魔王サタンの血筋が持つ『拒絶の障壁バリア』が無意識に発動したにも関わらず、慎吾はそれを自分の「反射神経」だと解釈した。

その時、路地裏に現れたのは、ホストクラブに出勤する前の麗人だった。彼は状況を一瞬で把握し、優雅な笑みを浮かべる。

「おやおや、路地裏で慎吾に手を出そうなんて、随分と無粋なお客様方ですね?」

麗人は、慎吾の周囲に残る深紅の微かな残滓を見逃さなかった。

「お前、誰だ!関係ねぇだろ!」残りのチンピラが麗人に向かって威嚇する。

麗人は、余裕綽々といった様子で、人差し指を一本立てた。彼の瞳のエメラルドの光が、一段と強く輝く。

「私?私はね、あなたたちを、今日一番にして永遠の不幸へと誘う、愛の使いですよ。」

麗人の声は、まるで催眠術のように、その場にいる全員の耳に響き渡った。彼のアスモデウスの血が、『魅了』と『誘惑』の魔力を放ったのだ。

チンピラたちは、突然、目が虚ろになり、お互いを見つめ始めた。

「…俺、あいつのこと、前から好きだったんだよ…」

「え、お、俺もだよ…!」

彼らは先ほどの敵意を忘れ、その場で愛を語り合い始めた。

慎吾は目を丸くした。

「あ、あいつら、いったい…?」

麗人は、優雅にスーツの袖を払い、慎吾の肩に手を置いた。

「さ、行こうか、慎吾。お前の体には、今、とんでもないものが目覚めかけてる。でも、このままじゃ、ただの『不運なサラリーマン』で終わる。もっと、本能に忠実にならないとね。」

麗人は、地獄の血筋を持つ者同士として、慎吾の覚醒の「種」を蒔き始めた。慎吾は、理解できない力と、ホストの友人の妖しい魅力に戸惑いながらも、否応なく「魔王の子孫」としての道へと引きずり込まれていくのだった。


麗人によって危機を脱した慎吾は、半ば放心状態で彼に連れられ、ホストクラブの個室に通された。麗人は優雅にシャンパンを注文し、さっきの出来事などまるでなかったかのように振る舞う。

「大丈夫?慎吾。やっぱり、お前の周り、変な『熱』があるぞ。無意識に何かやってるだろ。」麗人はシャンパングラスを回しながら、慎吾の顔を覗き込む。

「熱…?よくわからないんです。でも、最近、会社の備品が勝手に壊れたり、怒鳴られたときにポスターが燃えたり…全部、俺の不注意だと思っていたけど…」

慎吾は路地裏で自分の身に起きた不可視の衝撃を思い出し、混乱していた。

「不注意で壁が作れるわけないだろ。ま、いいさ。それより、ゲストを紹介するよ。」

麗人が手を叩くと、個室のドアが開き、一人の女性が豪快な足取りで入ってきた。

「おっそーい!麗人、ご飯まだぁ?私、腹ペコで死んじゃう!」

その女性は、芽衣・デラ・ハラミ(めい・デラ・ハラミ)。テレビで見ない日はない、国民的人気の大食いタレントだ。小柄で可愛らしいルックスだが、テーブルの上には既に、大皿のパスタ、ピザ、そして特大サイズのパフェが用意されている。

彼女は、「暴食の魔王」ベルゼブブの血を引く者特有の、底知れない『空腹』と、それを満たすための『驚異的な消化能力』を持っていた。本人はそれを「胃が宇宙」と称している。

「芽衣、いつもの慎吾だよ。」麗人が紹介する。

「おー!慎吾君だね!いつもテレビ見てくれてありがとー!あ、麗人、これもう食べていい?」

芽衣は慎吾に挨拶する暇もなく、テーブルの料理を猛烈なスピードで食べ始めた。パスタは一口で半分が吸い込まれ、パフェはスプーンではなく、ほぼマグカップのように口へ運ばれる。

慎吾は呆然とした。

「あの…芽衣さんは、どうしてここに…?」

「んぐんぐ…麗人とは、よく仕事の話をするの。魔王同士…あ、ごめん。タレント仲間?」芽衣は口いっぱいに頬張りながら、口を滑らせたことに気づき、慌ててごまかす。

「タレント仲間、だよ。で、芽衣には、慎吾の『不運』についてアドバイスをもらおうと思ってさ。」麗人は、慎吾の血筋に気づき始めている芽衣に目配せをする。

芽衣は、あっという間にピザを平らげ、お腹をさすりながら言った。

「慎吾君、テレビの企画で、君の会社に行ったことあるよ。『地獄の激辛ラーメンチャレンジ!』で。あのとき、君の周りだけ、やけに空気が重くて、食べても全然満たされない感覚があったんだ。…あれ、君が原因だったんだね?」

「え…?空気が重い…?」

芽衣の言う「空気が重い」とは、サタンの血筋から漏れ出る『圧倒的な重圧感プレッシャー』のことだった。その重圧は、周囲のエネルギーを押し潰すため、彼女のような『貪欲な魔力』を持つ者にとっては、食べても食べても満たされない『欠乏感』として認識されるのだ。

芽衣はパフェの底に残ったチェリーを一粒口に入れると、真面目な顔になった。

「君、エネルギーが漏れすぎだよ。君の周りで起こる不自然な事故は、君の体内で抑えつけられている膨大なエネルギーが、ストレスで勝手に放出されてるんだ。まるで、栓の閉まっていない特大ボトルみたい。」

「栓…」

「そう。その栓を閉めるか、いっそ開け放って制御するか、どっちかにしないと、いつか君自身が、その溢れる力に押し潰されちゃうよ。」

芽衣の言葉は、まるで彼の魔王の血筋を知っているかのような警告だった。しかし、慎吾はまだ信じられない。

「でも、俺はただのサラリーマンで…そんな力なんて、あるわけ…」

「あるよ!だって、今も君の周り、すごく『重い』もん!」芽衣は言った。

麗人は、この会話が慎吾を追い込んでいると判断し、締めの言葉を放った。

「慎吾。お前は、周りの人間には決して真似できないタフネスと、誰にも見えない壁を作る力を持ってる。それを『不運』や『自己責任』で片付けているから、体が悲鳴を上げているんだ。」

麗人はシャンパングラスを慎吾の目の前に差し出した。

「どうする?このままブラック企業に潰されるか。それとも、自分が何者なのかを知り、制御する道を選ぶか。」

慎吾は、自分の人生を支配する『不運』と、目の前で優雅に微笑む『魅惑』の男、そして豪快に食事を平らげた『貪欲』な女。

魔王の子孫たちが目の前にいる状況、そして自分の周りで起こる不可解な現象…。

「…俺は、自分の人生を、自分で決めたいです…!」

極度の臆病者である慎吾が、初めて見せた『拒絶』の意志。その瞬間、個室のシャンデリアが、一瞬だけ深紅に点滅した。

慎吾は、ついに、自分の血に眠る『魔王の力』と向き合う決意を固めたのだった。ただし、彼の目的は、世界征服ではなく、あくまで『平穏無事な定時退社』を実現することである。彼の地味な、そして壮大な戦いが、今、始まった。


「俺は、自分の人生を、自分で決めたいです!」

そう宣言した悪路慎吾の瞳は、疲労の隈の下で、確かに強い意志を宿していた。

麗人は満足そうに微笑み、芽衣は「おおー、食いしん坊の才能あるかも!」と的外れなコメントをした。

「よし、決まりだ。じゃあ、まずはその『栓』をどうにかしないとね。」麗人は立ち上がった。「お前がこのまま会社に戻れば、また過剰なストレスで力が暴発し、修理代と始末書が天井知らずに増える。俺たちが、お前の『定時退社』を手伝ってやるよ。」

麗人の提案は、「悪路慎吾の魔力暴走の原因である『ストレス』を根源から断ち切る」というものだった。すなわち、ブラック企業を辞めること。

しかし、慎吾は首を振った。

「辞めたら、生活できません。それに、逃げるのは嫌です。俺は、この会社で、真っ当に定時退社したいんです。」

麗人と芽衣は顔を見合わせた。魔王サタンの子孫にしては、あまりにも地味で、謙虚すぎる目標だ。

「わかったよ。じゃあ、まずは『力を使わないで定時退社する』ための、訓練だ。」麗人が言った。

翌日。

麗人から教わったのは、「『圧力』を意識的に『拒絶』すること」だった。

「お前の力は、『威圧』と『拒絶』。つまり、自分に向かってくる理不尽な圧力を、精神と魔力で跳ね返すことだ。でも、派手にやったらポスターが燃えるぞ。」

慎吾は営業デスクで、麗人の言葉を反芻していた。

その時、背後から大威部長が鬼の形相で近づいてくる。

「悪路!おい、悪路!!この契約書はなんだ!誤字脱字だらけじゃねぇか!テメェ、本当に給料泥棒だな!」

部長の怒鳴り声と唾が飛んでくる。いつもなら、慎吾は反射的に謝り、体を縮こませてしまう。

(拒絶…拒絶…!俺は、この理不尽な圧力を受け入れない!)

慎吾は、心の中で強く念じた。そして、瞳に力を込め、部長の威圧を真っ直ぐ見つめ返した。

その瞬間、部長の身体が「ピタッ」と一瞬だけ静止した。正確には、部長が放つ『負のエネルギー』が、慎吾の魔力による『拒絶の障壁』にぶつかり、弾かれたのだ。

部長は、一瞬たじろいだ。「…な、なんだ?今、妙に空気が冷えたな…」

部長は理由がわからず、顔をしかめた。そして、本来なら机を叩き割るほどの大声で罵倒するはずが、なぜか言葉が詰まってしまう。

「…ええと、誤字、脱字が、多いだろうが!すぐ、やり直せ!いいな!」

部長は、いつもより三分の一ほどの声量で、覇気なく言い残し、立ち去って行った。

慎吾は震える手で、部長の背中を見つめた。

(やった…!怒鳴られなかった…!怒鳴られたけど、いつもの十分の一くらいで済んだ…!)

それは、慎吾が初めて意識的に魔力を制御し、『平穏』のために使った瞬間だった。サタンの「拒絶」の力は、周囲の圧力を物理的・精神的に跳ね返す力として発揮されたのだ。

その日の終業時刻。

「悪路、もちろん今日も残業だろ…」部長が慎吾に声をかけようとした。

しかし、慎吾は立ち上がる。彼の周りには、微かに冷たい空気の膜が張られている。

麗人から教わった次のステップ、「『辞退』を意識的に『肯定』すること」。

慎吾は丸まっていた背筋をわずかに伸ばし、毅然とした態度で部長に向き直った。

「申し訳ありません、部長。本日は、予定がありますので、定時で失礼させていただきます。」

「予定だと?おい、仕事が…」

「申し訳ありません。ですが、私の業務は本日の定時までに全て完了しております。時間外労働を拒否する権利を、行使させていただきます。」

彼の言葉は、彼の「拒絶の障壁」に包まれ、まるで法律の条文のように、部長の脳に直接響き渡った。

「ぐっ…!き、貴様…!!」部長は顔を真っ赤にして怒鳴ろうとするが、言葉が喉に詰まる。彼の口から出てくるのは、「うっ…」「げほっ…」という、情けない咳だけだった。

部長は、まるで強烈なプレッシャーをかけられたかのように顔面を蒼白にさせ、その場に立ち尽くした。

慎吾は、深々と頭を下げた。

「お先に失礼いたします!」

そして、魔王サタンの子孫は、人類史上最も地味な「定時退社」という偉業を達成したのだった。彼の背後には、咳き込みながら顔面蒼白になっている部長と、驚きに目を見開く同僚たちの姿があった。

慎吾の魔王としての戦いは、「世界征服」ではなく、「会社の支配からの解放」という、極めてパーソナルで地味な目標を達成するために、静かに始まっていた。


定時退社を達成した悪路慎吾は、会社を出た瞬間、全身の力が抜けるのを感じた。

(あれが、俺の力…?本当に、部長が咳き込んでた…)

自分のしたことが、単なる「強い意志」の結果ではないことを理解しつつも、彼は深く考えることをやめた。それよりも、定時退社後の「自由な時間」の喜びが勝っていた。

しかし、その「平穏」は長くは続かなかった。

翌日。慎吾が出社すると、フロア全体の空気が異様に重い。同僚たちは皆、腫れ物に触るように慎吾を避け、昨日の定時退社の件は誰も口にしなかった。

そして、午前十時。彼は社長室に呼び出された。

社長室に入ると、そこには社長の他に、人事部長、そして驚くことに、大威部長が頭に包帯を巻いて座っていた。

「悪路くん。座りなさい。」社長は穏やかながらも威厳のある声で言った。

「は、はい…」

「昨日の君の『定時退社』についてだ。大威部長は、君の退社直後、脳貧血で倒れ、後頭部を強打して救急搬送された。」人事部長が冷たい声で付け加える。

「えっ…!?」慎吾は絶句した。彼は、自分が「拒絶」した圧力が強すぎたせいで、部長の精神が耐えきれず、結果的に物理的なダメージとして発現してしまったのだと悟った。

「そして、その前の日。君が始末書を書いた直後、君のデスク周辺の配線がショートし、電源が落ちた。君はその後、完璧にデータを復旧させたが、なぜか君のパソコンだけは無傷だった。」社長は続けた。

社長は、まるで慎吾の能力を見抜いているかのように、静かに言った。

「悪路くん。君の周りでは、常識ではありえない現象が多すぎる。そこで、我々は結論を出した。」

慎吾はゴクリと唾を飲み込んだ。クビだ。ついに魔王の子孫である自分は、この地味な人間社会から追放されるのだ。

「君には、本社直轄の『特命プロジェクト』に参加してもらう。」

「…はい?」

慎吾の予想に反して、社長は一枚の書類を差し出した。それは、「機密情報保持契約書」と、「給与大幅アップ」の辞令だった。

「君のその『才能』を、会社の『危機管理』に役立ててもらう。一連の『事故』は、全て君の『ストレス由来の超集中力』によるものとして処理する。君の能力で、当社の『魔の顧客クレーマー』や、『競合他社の妨害』を水面下で『無力化』してもらう。」

社長もまた、慎吾の能力の「地味な破壊力」と「圧倒的な防御力」を、ビジネス上の武器として利用しようと考えたのだ。

その夜。

慎吾は、麗人と芽衣と共に、いつもの路地裏にいた。

「嘘だろ!?昇進!?あのブラック企業で!?」麗人は驚きを隠せない。

「信じられない…給料も増えたんです…」慎吾は新しい名刺を見せた。肩書きは「社長室付 特命専門職」となっていた。

芽衣は特大サイズの中華まんを頬張りながら、目を輝かせた。

「すごいよ、慎吾君!会社を潰すどころか、会社を『食い尽くす』ためのポジションを手に入れたんだね!さすがサタンの子孫!」

「食い尽くすって…俺はただ、平穏に…」

「違うよ、慎吾。」麗人が真剣な顔になる。「お前は、『拒絶』の力を使って、理不尽を跳ね返した。その結果、会社は『お前を敵に回すくらいなら、味方にした方が安い』と判断したんだ。これは、サタンの血筋が持つ『支配力』の一つの形だ。」

そして麗人は、慎吾の顔をのぞき込んだ。

「だが、お前が本当に気を付けるべきは、まだ見ぬ『四人目』だ。」

「四人目…?」

「ああ。地獄の大君主は四人いる。サタン、アスモデウス、ベルゼブブ、そして…『ルシファー』。そいつの子孫は、『傲慢』と『光』の力を持ち、最も目立つ場所にいる。俺たちの血筋を知っているかもしれないし、お前の地味な『平和』を脅かすかもしれない。」

麗人がそう言い終わるのと同時に、路地裏の奥から、まばゆいフラッシュが焚かれた。

「あら、こんなところで密談?ちょっと、カメラ目線くださる?」

そこに立っていたのは、全身を最高級のブランド品で固めた、目立つ金髪の美女だった。彼女の片手には、常に世間の注目を集める人気ファッション誌が握られている。

彼女の顔は、あまりにも整いすぎていて、人間離れしている。そして、その瞳は、まるで空の星を閉じ込めたように輝いていた。

「あなたたち、誰?この路地裏、私の『輝き』には不相応だわ。」

彼女は、魔王ルシファーの『光』の血筋を引く者だった。その圧倒的な『傲慢』と『注目度』で、慎吾たちの地味な「影の会議」は、一瞬にして打ち破られた。

慎吾の『地味な平穏』を求める戦いは、ついに、『最も目立つ敵』と出会ってしまったのだった。


路地裏の奥から現れたのは、ルシファーの血を引く女性、星影 ルナ(ほしかげ ルナ)だった。彼女は慎吾たちを携帯のカメラで撮影し、その場を一瞬でスポットライトの下に変えてしまった。

「ああ、ごめんなさい。この路地裏、今シーズン最高の『映え』スポットになりそうだから、ちょっと撮影させてもらったわ。あなたたち、影が濃くて、すごくいいわね。」

ルナの言う「影」とは、地獄の血脈を持つ者特有の『オーラ』のことであり、彼女の『光(傲慢と注目)』にとっては、これ以上ない被写体だった。

「…無許可での撮影は、やめていただけますか。」慎吾は、慣れない状況に戸惑いながらも、麗人から教わった「拒絶」の力を弱く発動させる。

ルナは一瞬、顔をしかめた。

「あら。私に『拒否』の態度を示すなんて、久々だわ。あなたのその『地味な反抗』、面白い。私、あなたのことを世間に広めてあげようかしら。『謎の地味な反抗者』として。」

ルナは、慎吾の『平穏』を最も脅かす『注目』の魔力を持っていた。

「やめてくれ!俺の地味な生活を脅かさないでくれ!」慎吾が強く拒絶した瞬間、ルナが持っていた高価な携帯電話の画面が、「パチッ」と音を立てて真っ暗になった。

ルナは目を丸くする。

「まさか…私の携帯が壊れるなんて…そんな『不運』、ありえないわ!」

「すごい、慎吾!やったね!」芽衣が感動している。

麗人は冷静に言った。「サタンの『拒絶』の力は、『傲慢』の光を遮るには最適だ。ルナ、大人しく帰った方がいい。お前の『輝き』がお前の『不運』になりかねないぞ。」

ルナは慎吾を睨みつけ、踵を返した。「覚えておくわ。『影の男』。あなたのその『地味さ』を、私が最高の『コンテンツ』にしてあげる。」

ルナが去り、路地裏に再び闇が戻った。

「麗人…今のが、ルシファーの子孫…?」慎吾は息を吐く。

「そうだ。そして、おそらく奴は、俺たちの誰よりも先に、自分の血筋に気づいている。」麗人は真剣な顔つきで言った。

その時、路地裏の入り口に、一人の女性が立っていた。彼女は濡れたゴム製の合羽を着ており、足元は長靴。潮風の匂いを纏い、手には大きな漁網が抱えられている。

「おい、麗人!またこんなとこで油売ってんじゃねえぞ!」

女性は、七海ななうみ りん。漁師であり、「嫉妬の魔王」リヴァイアサンの血を引く子孫だった。彼女の瞳は深い藍色で、獲物を見定める鋭い視線を持つ。彼女は、「水(海)」の力を支配し、「無尽蔵のエネルギー」を体現する力を持っていた。

「よ、鱗。なんでこんなとこに?」麗人が驚く。

「なんでって…お前のシャンパン、最近売れすぎだろ。嫉妬で寝れなかったんだよ。だから、漁港から直行だ。魚でも食わねえと気が済まねえ。」鱗は、持っていた漁網を乱暴に地面に置いた。中には、新鮮な高級魚が何匹も入っている。

鱗は、慎吾を見て、怪訝な顔をした。

「そっちの『地味な男』は誰だ?お前の新しいカモか?なんか、すごく『淀んで』て気持ち悪いな。」

鱗の言う「淀み」とは、慎吾の『拒絶』の魔力が、周囲の『水分の流れ』を滞らせている状態を指していた。彼女のような水に纏わる魔力を持つ者にとって、この淀みは不快な「違和感」なのだ。

「彼女は悪路慎吾。俺たちの『王』だ。」麗人は敢えて、そう紹介した。

「王?ふざけんな。こんな『貧乏くさい』男が王だと?私は認めねぇぞ。」鱗は露骨に不満を表した。彼女の嫉妬は、他者の成功や注目に対する強烈な敵意として発現する。

「王かどうかは、そのうちわかるさ。それより鱗、お前には慎吾の『力の発現』を手伝ってもらう。」麗人が言った。

「どういうことだよ?」

「慎吾の力は、『理不尽な重圧』によって発動する。お前の『嫉妬と水』の力で、慎吾の『拒絶』を引き出したい。」

麗人は、悪路慎吾の『地味な平穏』を守るため、他の魔王の子孫たちの力を利用して、彼の魔力を覚醒させようと企んでいた。

慎吾は、戸惑うしかなかった。いつの間にか、彼の「定時退社」という地味な目標は、魔王の子孫たちによる壮大な「魔力の実験台」へとすり替わっていたのだ。

「俺は…ただ、穏やかに暮らしたいだけなのに…」

路地裏には、サタンの『拒絶』、アスモデウスの『魅了』、ベルゼブブの『貪欲』、そしてリヴァイアサンの『嫉妬』、四つの魔王の血脈が、静かに交差していた。そして、彼らのすぐ近くでは、ルシファーの『傲慢』が、既に彼らを『コンテンツ』として捉え、光を当てようと準備を始めているのだった。


路地裏の片隅で、魔王の子孫たちによる異様な「会議」が開かれていた。

「いいか、慎吾。お前の『拒絶の障壁』は、発動に『強いストレス』と『明確な拒否の意志』を必要とする。だが、鱗の力は、お前を『無意識に不快にさせる』。これなら、お前の能力を安定して引き出せるはずだ。」麗人が冷静に説明する。

「私、慎吾君が拒否するたびに、美味しい魚、いっぱい食べられるかな?」芽衣がキラキラした目で尋ねる。彼女は既に、鱗が持ってきた新鮮な魚に夢中だ。

「さっさとやろうぜ。こんな淀んだ空気、一秒でも早くどうにかしたいんだ。」鱗は露骨に不満そうな顔で、慎吾を睨みつけた。彼女の周囲の空気は、既に微細な水滴を含み始めている。

「じゃあ、いくぞ、貧乏くさい王様。」

鱗は、その場で大きく息を吸い込んだ。彼女の瞳の藍色が深く沈む。

「お前のその『地味な平穏』が、心底気に食わない。なんで、才能もないくせに、俺たちと同じ血筋を持つんだよ!消えろ!お前の存在自体が、私の獲物の邪魔だ!」

鱗の罵声は、部長の怒鳴り声とは比べ物にならない、魂を抉るような『嫉妬』と『敵意』を伴っていた。

同時に、鱗が放ったリヴァイアサンの魔力が、路地裏の空気を変えた。周囲の湿度が急激に上がり、慎吾の身体に、水深数百メートルにいるかのような、恐ろしい水圧がのし掛かる。

「ぐっ…!」

慎吾は思わず膝を突いた。全身の関節がきしむような感覚。呼吸が浅くなり、目を開けているのもつらい。彼の周りのアスファルトは、その重圧で、まるで深海の砂のように沈み込んでいる。

(これが…嫉妬の力…!全身が、押しつぶされる…!)

麗人が冷静に声を上げる。「慎吾!これはただの『水圧』じゃない!お前が求める『平穏』を邪魔する『世界の理不尽』だ!拒否しろ!お前は、この圧力に屈しない!」

「平穏…!俺の定時退社は…!」

慎吾は、自身の唯一の目標である『地味な平穏』を、この理不尽な重圧が押し潰そうとしていることに、怒りを覚えた。

(俺は…誰にも、俺の日常を奪わせない!)

彼の内側で、何か硬いものが弾けた。彼の心臓の奥底から、冷たい、しかし確固たる『拒絶』の力が湧き上がる。

彼の身体を中心に、周囲の『水圧の壁』が、「キィン!」という耳鳴りのような音を立てて、弾かれた。

「なっ!?」鱗が驚きの声を上げる。彼女が放った強力な水圧が、慎吾の身体から半径一メートルだけ、完全に無効化されたのだ。

慎吾は立ち上がった。全身から汗が噴き出しているが、水圧は完全に消えている。彼の瞳は、一瞬だけ深紅に輝いていた。

「俺は…あんたの『嫉妬』も、会社の『パワハラ』も、拒否する。」

彼の放った言葉は、もはや臆病なサラリーマンのものではなく、『支配者』の意志を帯びていた。

「くそっ!このっ!」鱗は再び力を込めようとするが、慎吾の周囲にある冷たい拒絶の障壁は、彼女の魔力を受け付けない。

「そこまでだ、鱗。」麗人が間に入った。「成功だ、慎吾。お前は『無意識』ではなく、『明確な意志』で『拒絶の障壁』を張れるようになった。」

芽衣は、その場に散乱した魚を手に取り、嬉しそうに言った。

「すごーい!慎吾君の力が上がった瞬間、魚がすごく新鮮になった気がする!」

(※芽衣の『貪欲』の魔力は、生命エネルギーを感知するため、一時的に周りの生命活動が活性化したように感じたのだ。)

慎吾は、自分が手に入れた力に戸惑いながらも、確かな手応えを感じていた。これで、明日の会社での理不尽な重圧も、跳ね返せるかもしれない。

「ありがとうございます、麗人、芽衣さん、鱗さん。」慎吾は深々と頭を下げた。

鱗は、悔しそうに顔を歪ませた。「チッ、貧乏くさいくせに…でも、この負けた『悔しさ』が、また私を強くする。覚えてろよ、慎吾。」

その頃、人気ファッション誌の表紙を飾るモデル、星影ルナは、六本木の高級ペントハウスで、壊れた携帯電話を苛立たしげに見つめていた。

「あの『地味な反抗者』…彼の周りの『影』が、私の『光』を遮った。あれは、ただの不運じゃない。…フフフ。面白い。地獄の王族が、日本のブラック企業で何をしてるのかしらね?」

ルナは、既に慎吾の地味な戦いを、最高の『コンテンツ』として世界に配信する準備を始めていた。慎吾の「定時退社」という地味な目標は、魔王の子孫たちを巻き込む、壮大な「王座争い」の序章へと、確実に進んでいた。


翌朝。悪路慎吾は、いつになく爽やかな顔で出社した。疲労はまだあるものの、昨日の訓練で得た自信が、彼の背筋を僅かに伸ばしていた。

彼の新しいデスクは、大威部長から遠く離れた、窓際の目立たない一角にあった。新しい名刺—「社長室付 特命専門職」—は、社内で一種の「触れてはいけないもの」として扱われていた。

午前中、彼は社長室に呼び出され、最初の「特命」を命じられた。

「悪路くん。君に頼みたいのは、当社のシステムに不正なアクセスを繰り返している『魔のハッカー』の無力化だ。」社長は、タブレットに表示された暗号化されたログを見せる。

「彼は、当社の重要情報に手を伸ばそうとしている。しかし、君のその『強力な拒絶反応』—我々はこれを『無意識のセキュリティフィールド』と呼んでいる—を使って、物理的に『アクセスを拒否』してもらいたい。」

社長が要求したのは、慎吾の魔力を、システムへの『防御壁』として使うことだった。

「方法か?簡単だ。ハッカーがアクセスを試みる時間帯に、君に最も集中力とストレスがかかる作業をしてもらう。」

その作業とは、「誰もが嫌がる、一年分の営業部内の備品管理の棚卸し」だった。

「この雑務の山を前にした君の『絶望』と『拒否』のエネルギーが、ハッカーのアクセスを弾き返す最高の防壁となる!」社長は目を輝かせる。

(つまり、俺の『苦労』が、会社の『盾』になるのか…)

慎吾はため息をつきながら、山積みの備品管理書類に向かい合った。彼の周りに、目には見えない冷たいセキュリティフィールドが展開されていく。

その日の午後。慎吾は棚卸しに没頭していた。理不尽な業務に対する「こんな仕事、早く終わらせて定時で帰りたい!」という強い拒絶の意志が、魔力となってオフィスを満たしていた。

その頃、彼の勤めるビルの外。

星影ルナは、最新鋭のドローンを操作していた。彼女は、慎吾の地味な日常を『最高にエモいコンテンツ』として撮影し、世界に配信しようと計画していた。

「地獄の王族が、ただの備品管理に『絶望』している。なんてアンバランスで美しいコンテンツ…!」

ルナのドローンは、慎吾のオフィスの窓の外に近づいた。

『特命専門職の悲哀』というタイトルで、ライブ配信を開始するルナ。視聴者数は瞬く間に数万人に跳ね上がった。

ドローンが、窓ガラス越しに慎吾のデスクを撮影しようとした、その瞬間――

慎吾のデスクから放たれた『拒絶のセキュリティフィールド』が、ドローンの電子機器と衝突した。

バチッ!

ドローンは小さな火花を散らし、制御を失ってビルの壁に激突し、粉砕した。

「ああああ!私の特注ドローンが!」ルナは悲鳴を上げた。ライブ配信は突然途切れ、コメント欄は炎上した。

「…まただ。あの男の『影』が、私の『光』を破壊したわ。」ルナは怒りに震えながらも、その現象の『異常なまでの地味な確実性』に興奮を覚えた。

一方、オフィスでは。

「ふう…。ようやく終わった。」慎吾は、疲労困憊になりながらも、一年分の棚卸しを終えた。

その瞬間、社長室から飛び出してきた人事部長が、興奮した顔で慎吾に駆け寄った。

「悪路くん!やったぞ!ハッカーのアクセスが、君が作業を終えるのと同時に完全に遮断された!これだ!君の『セキュリティフィールド』の力だ!」

「は、はあ…」慎吾は、自分の『地味な苦労』が、会社の危機を救ったという事実に、ただただ疲労を感じるだけだった。

その夜。いつもの路地裏。

慎吾は麗人に事の顛末を報告した。

「…つまり、俺の『拒否の力』は、『理不尽な電子機器』にも効くってことか。」

「そうだ、慎吾。」麗人は満足そうに頷く。「そして、お前がドローンを壊したおかげで、ルナの『光』は一時的に引っ込むだろう。だが、あの女は諦めない。お前の『地味さ』を世界に晒すことが、彼女の『傲慢』を満たすからな。」

その時、慎吾のスマホに、一通のメッセージが届いた。

差出人は、七海鱗。

『明日、漁港に来い。海の理不尽を味わわせてやる。お前の地味な力じゃ、『深海の怒り』は拒否できねえぞ。』

慎吾の次の試練は、オフィスビルの防衛ではなく、大自然の「理不尽」との戦いになることを予感させるものだった。彼の『地味な平穏』を求める戦いは、海へと舞台を移そうとしていた。


翌日。悪路慎吾は有給休暇を取っていた。漁港へ向かうためだ。

(有給だぞ。まさか、有給休暇を使ってまで、俺の平穏は脅かされるのか…)

重い足取りで漁港へ着くと、七海鱗が巨大な漁船の上から彼を睨みつけていた。

「遅いぞ、王様。さっさと乗れ。今日の訓練は『潮の理不尽』だ。」

慎吾が漁船に乗り込むと、漁港の隅で、ぼろぼろのレインコートを着た一人の青年が、防波堤にもたれて座っているのに気づいた。彼は、慎吾を見るなり、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「あっ、慎吾先輩!やっぱりここでしたか!」

「え?君は…出雲いずも りく?!」

そこにいたのは、慎吾が学生時代に唯一、心から親しくしていた後輩だった。彼は当時から「何もしたくない」が口癖で、卒業後も定職に就かず、日本中を放浪していると聞いていた。

陸は、「怠惰の魔王」ベルフェゴールの血を引く子孫である。彼の周りには常に、全てを「どうでもいい」と思わせる、抗いがたい『怠惰の空気』が漂っていた。彼の目標は、『究極の無為』である。

「陸、なんでこんなところに?」

「へへ。この漁港、日当たりが良くて、風通しも絶妙なんです。『サボる』には最高の場所で。それに、最近、先輩の周りが『すごく疲れた匂い』がするって聞いて…」

陸の言う「疲れた匂い」とは、慎吾が魔力を使うことで発生する『エネルギーの消耗臭』のことだった。

鱗はイライラして叫んだ。「おい!勝手に船に乗るな!あんた誰だ、この『淀み』に寄生する『無気力な奴』は!」

「あーあ。喧嘩は疲れるんで、やめてくださいよ、鱗先輩。先輩の『嫉妬の匂い』は、『安眠』の邪魔になるんです。」陸は、鱗の魔力にさえも動じない、究極のマイペースを発揮した。

「じゃあ、いくぞ、悪路!」鱗は怒りを無視し、容赦なく船を出した。

漁船が沖に出ると、海は穏やかだったが、鱗は容赦なく慎吾にリヴァイアサンの力を叩きつける。

「受けろ!大自然の理不尽を!お前の地味な壁で、この『海の憤怒』が止められるか!」

鱗が怒鳴ると同時に、波が荒れ狂い、船体が激しく揺れる。海面から、巨大な水圧の塊が慎吾めがけて襲いかかった。

「くっ!」慎吾は再び、全身に水圧を受ける。

(このままでは、また部長みたいに、誰かを物理的に傷つけてしまう!)

慎吾は力を込めるが、広大な海が相手では、オフィスのような小さな空間とはわけが違う。彼の『拒絶の障壁』は、水の流れを完全に止めることができず、少しずつ圧迫されていく。

「無理だ、慎吾先輩。そんなに頑張ったら疲れますよ。」

その時、船の隅で寝そべっていた陸が、ぼそりとつぶやいた。

陸のつぶやきが、慎吾の魔力と衝突した。ベルフェゴールの『怠惰の魔力』は、慎吾の『拒絶の意志』を『無力化』させようと働きかける。

「ああ…もういいか。全部どうでもいいや…。」

慎吾の心の中で、『抵抗することへの疲労』が、一気に膨れ上がった。力が抜け、『拒絶の障壁』が弱まり始める。

「やめろ、陸!お前のその『怠惰』は、慎吾の『戦う意志』を殺す!」鱗が焦って叫んだ。

「大丈夫ですよ、鱗先輩。先輩は『頑張りすぎ』なんです。」陸は、のんびりした口調で答えた。

慎吾は、意識が朦朧とする中で、陸の顔を見た。

(頑張りすぎ…?ああ、そうか。俺は、拒絶するために、必死で頑張っていたんだ…)

その瞬間、慎吾は悟った。『拒絶』とは、力んで抵抗することではない。

(俺は、『この理不尽を受け入れない』。ただ、それだけだ。)

慎吾は、全身の力を抜いた。「拒絶」の意志だけを、静かに海に向ける。

「…私は、定時で帰る。」

彼の『地味な目標』が、『究極の拒絶』として発動した。

彼の周囲に張られた『拒絶の障壁』は、先ほどまでのような固い壁ではなく、水すら通さない静謐な空間へと変わった。水圧の塊は、その空間に触れると同時に、何事もなかったかのように、霧散した。

「なっ…!消えた!私の力が…!」鱗が呆然とする。

「…あーあ。先輩、見つけちゃいましたね。『楽な道』を。」陸は、残念そうに溜息をついた。

麗人が船に備え付けの無線で状況を聞き、興奮した。「見事だ、慎吾!それがサタンの『真の拒絶』だ!力で対抗するのではなく、『無関心』と『絶対的な不許可』で、全てを跳ね返す!」

慎吾は、海原を見つめていた。彼の『平穏』は、いまだ波風にさらされている。だが、彼は、『理不尽』を退ける術を、また一つ手に入れた。

「次は…」慎吾は静かに言った。「あの傲慢な光を、どうにかしないと。」

彼の次の目標は、彼を『コンテンツ』にしようと企む、ルシファーの子孫、星影ルナとの対決だった。その戦いは、「静寂」と「光」の、最も地味で、最も目立つ戦いになることを予感させた。


漁港での訓練を終えた慎吾は、確かな手応えを感じていた。『拒絶』とは力みではなく、『平穏への強い意志』がもたらす『無関心という絶対的な防御』であると理解したのだ。

その夜、慎吾、麗人、芽衣、鱗、そして陸の魔王の子孫たちは、都内の寂れたカラオケボックスの個室に集まっていた。芽衣はテーブルの上のスナック菓子を全て平らげ、鱗は出されたお茶に不満を漏らし、陸はソファでぐったりと寝ている。

「さて、次の問題は『光』だ、慎吾。」麗人がシャンパンではなく、ただのウーロン茶を飲みながら言った。

「星影ルナの力は『傲慢と注目』。お前を世間に晒し、お前の地味な平穏を破壊しようとする。彼女の攻撃は『物理的な理不尽』ではない。」

「俺の『拒絶』は、精神的な攻撃にも効きますか?」慎吾が問う。

「効く。だが、彼女の『注目』は、世界の『好奇心』という名の巨大な水流だ。それを全て拒否すれば、お前の存在は『世間から消えてしまう』かもしれない。」

「消える…それはそれで平穏なのでは?」陸が寝たままつぶやいた。

「いや、慎吾は会社勤めだ。『社会的な存在感』をゼロにしたら、給料も特命専門職の地位も失うぞ。」麗人は即座に否定する。

「チッ、面倒くせぇな。光が嫌なら、深海に引きずり込めばいいだろ!」鱗がイラつきを隠さない。

「その必要はないわ。」

個室のドアが開き、そこに立っていたのは星影ルナだった。彼女はパーティーのドレスのような華やかな衣装を纏い、個室の薄暗い蛍光灯すら、スポットライトに変えてしまうほどの『光』を放っていた。

「やっと見つけたわ。『影の男』。あなたのその『地味さ』、最高の『孤独』をテーマにしたファッションフォトに使うわ。」ルナは、既に最新型のデジタル一眼レフカメラを構えている。

「やめてください、ルナさん。」慎吾は立ち上がる。

ルナはシャッターを切る。彼女の『光の魔力』が、『強制的な注目』として慎吾に降り注ぐ。それは、「世界から注目を浴びろ、目立て、隠れるな!」という、ルシファーの血が持つ『傲慢な命令』だった。

普通の人間なら、この『注目』の光を浴びれば、顔が赤くなり、手足が震え、冷静な思考能力を失うだろう。

しかし、慎吾は、『拒絶の意志』を静かに展開した。

「俺は、目立ちません。」

彼の周りの『拒絶の障壁』は、ルナの放つ『光』の粒子を、全て吸収し始めた。

ルナのカメラのファインダーの中で、慎吾の姿は、まるでネガフィルムのように、徐々に暗く、輪郭がぼやけていく。彼の存在感が、『静かなる無関心』によって、『世間の視界から消去』されようとしていた。

「な、何よこれ!?私のカメラが、あなたの『影』に負けている…!」ルナは焦る。彼女のレンズは、慎吾を『被写体』として認識できなくなっていた。

「私を『コンテンツ』にしようとするあなたの『傲慢な意志』を、拒否します。」慎吾は、一切表情を変えずに言った。

「くそっ!」ルナは怒りに任せて、シャッターを連打する。

その瞬間、慎吾の『拒絶』の力が、ルナのカメラの電子部品に直撃した。

『バチバチッ!』

高価な一眼レフは、レンズが焼け焦げたような音を立て、動かなくなった。

ルナは震える手でカメラを落とした。彼女の『傲慢』が、『地味な破壊』によって、二度も阻止されたのだ。

「あなた…!私の『光』を、『無』に帰す気なの!?」ルナは、初めて恐怖の色を浮かべた。

「違います。私はただ、『平穏』を求めているだけです。」

ルナは、慎吾の瞳の奥に、自分の『光』が届かない、深淵の闇を見た。

「…ふふ。わかったわ。『影の王』。あなたの勝ちよ。でも、『地獄の王座』は、私のような『光』が座るべき場所。その『地味な平穏』が、いつまで続くか、見物させてもらうわ。」

ルナは怒りを含んだ笑みを浮かべ、個室から立ち去った。

慎吾は、ソファに座り込んだ。麗人は拍手した。

「見事だ、慎吾。お前は『平穏』を、『絶対的な無関心』によって守りきった。」

「…疲れました。」慎吾は、どっと疲労を感じながら、陸の隣で静かに目を閉じた。

「あーあ、先輩。頑張りすぎですよ。次は、『何も拒否しなくても平穏になる道』を探しましょうよ。それが一番楽ですから。」

陸の『怠惰の誘惑』が、疲弊した慎吾の心に優しく語りかけていた。慎吾の次の戦いは、『努力して平穏を守る』ことの是非を問う、最も地味で、最も内面的な戦いになるだろう。


星影ルナとの対決後、悪路慎吾の疲労はピークに達していた。物理的な重圧や、精神的な光の攻撃を『拒絶』し続けた結果、彼の魔力は安定したものの、精神力は極限まで削られていた。

翌日。慎吾は疲労感を隠しながら出社したが、社長から「君のセキュリティフィールドのおかげで、ハッカーが完全に活動を停止した。見事だ!」と称賛され、さらに新しい特命を与えられた。

「次は、長年にわたる『社内の派閥争い』だ。君の『圧倒的な無関心』で、その『不毛なエネルギー』を吸い尽くしてほしい!」

(俺の『無関心』が、派閥争いを終わらせる…?)

慎吾は、自分の『平穏』への志向が、会社の『平和』に貢献しているという事実に、奇妙な虚しさを感じた。

その日の終業後。慎吾は、麗人たちとの集合場所へ向かう途中で、公園のベンチで寝転がっている陸を見つけた。

「陸。こんなところで寝ていて、風邪ひくぞ。」

「あー、慎吾先輩。大丈夫ですよ。この風、『労働意欲』を削ぐには最高なんです。」陸は、のんびりした声で言った。

「陸、聞きたいことがあるんだ。俺は、『拒絶』することで平穏を得た。でも、そのたびに疲れる。『頑張って平穏を守る』ことに、意味はあるのか?」

陸はゆっくりと起き上がり、慎吾を見た。ベルフェゴールの血を引く彼の瞳は、優しく、そして全てを諦めたような光を宿していた。

「先輩、頑張るから疲れるんですよ。ベルフェゴールの道は、『究極のサボり』です。」

陸は続けた。「先輩は、『理不尽を拒否しよう』と頑張っている。でも、拒否するエネルギーさえも無駄です。本当に平穏なのは、『最初から理不尽を存在させない』ことです。」

「理不尽を存在させない…?」

「はい。つまり、『理不尽が起こる可能性を、事前に全て排除し、何も起こらない状況を維持する』。それが、最も怠惰で、最も完璧な平穏です。」

陸は、慎吾のスーツの裾を軽く引っ張った。

「先輩。明日、会社を休んで、僕と一緒に旅に出ませんか?『究極の何もしない旅』。そこで先輩の『サタンの力』を、『最も楽な道』で使う方法を見つけましょう。」

陸の『怠惰の魔力』が、慎吾の全身を包み込む。その力は、疲弊した慎吾にとって、抗いがたいほどの甘い誘惑だった。

「休んで…旅に…」慎吾の心は揺らぎ始めた。特命も、昇進も、全てがどうでもよくなってきた。

(…もう、疲れた。いっそ全てを放り出して、何もしない生活を送りたい…)

その時、慎吾の脳裏に、大威部長の咳き込む姿、ルナの燃えたカメラ、鱗の悔しそうな顔が、次々とフラッシュバックした。

(ダメだ。俺は、この平穏のために、戦うことを選んだんだ。)

「悪い、陸。その誘いは受けられない。」慎吾は、陸の怠惰の誘惑を、静かに拒否した。

「あーあ。残念です。」陸は、少しだけ寂しそうに笑った。彼の『怠惰の魔力』は、慎吾の強い『意志』によって、完全に跳ね返されたのだ。

「でも、先輩。一つだけヒントです。『最も怠惰な拒否』は、『事前準備』ですよ。理不尽が起こる前に、平穏を『絶対的な既成事実』にするんです。」

陸はそう言い残すと、再びベンチに寝転がり、すぐに静かな寝息を立て始めた。

翌朝。慎吾は定時出社した。社長から命じられた派閥争いの仲裁業務—それは、両派閥の意見を吸い上げ、公平な落としどころを見つけるという、極めて面倒で消耗する仕事だった。

しかし、慎吾は、昨日の陸の言葉を思い出した。

(『事前準備』で、『理不尽が起こる可能性を排除する』…)

慎吾は、すぐに両派閥のキーマンたちのデスクへ行き、笑顔で挨拶をした。そして、派閥争いとは全く関係のない、部署全員が関わる「地味で面倒な事務作業」を、「特命専門職の権限」で、「公平に、かつ大量に」割り振った。

彼らの『拒絶の障壁』が、派閥のキーマンたちに、「この面倒な作業から逃れることは不可能である」という『絶対的な現実』として伝わった。

結果、両派閥のキーマンたちは、『派閥争い』という『不毛なエネルギー』を、『山積みの事務作業への不満』という、『共通の敵』に向けることで、一時的な休戦に入った。

その日、会社に『不毛な論争』は起こらず、全員が『地味な作業』に追われ、『静かな平穏』が訪れた。

慎吾は、『怠惰の王道』を逆手に取り、自分の『平穏』を確立する方法を身につけた。彼の戦いは、『攻撃』でも『防御』でもなく、『環境の調整』という、最も地味で、最も強力な領域へと進化していた。

しかし、彼の平穏は、新たな脅威に晒されようとしていた。彼の『特命専門職』という地位、そして『給料の大幅アップ』という事実は、リヴァイアサンの『嫉妬』を、再び呼び起こすには十分な材料だった。


悪路慎吾は、「地味な事務作業の波で派閥争いのエネルギーを相殺する」という、極めて地味ながらも革新的な手法で社内の平穏を一時的に手に入れた。彼の特命専門職としての評価は急上昇し、給与明細の数字はさらに跳ね上がっていた。

しかし、彼のこの「成功」が、次の試練を呼び寄せることになった。

その週末。慎吾が住む古びたアパートの玄関前に、びしょ濡れの女性が立っていた。全身を濡らした合羽姿の七海 鱗である。彼女の瞳は、激しい感情で濁った深い藍色をしていた。

「悪路慎吾。てめぇ…出世したそうだな。」

鱗の声は低く、怒りに満ちていた。

「鱗さん…どうしてここに?」

「どうしてだと?お前の会社の給与明細、雑誌のゴシップ記事で見たぞ!『年収激増の謎の地味社員』だってよ!くそっ…!あんな貧乏くさいツラして、俺たち漁師が命懸けで稼ぐ額を、デスクに座ってるだけで手に入れやがって!」

鱗のリヴァイアサンの『嫉妬』の魔力が、アパートの周囲の水気を操り始めた。空気が急激に湿り、アパートの壁を伝う雨水や、周辺の排水溝の水が、まるで意思を持った濁流のように、慎吾の玄関めがけて集まり始める。

「てめぇのその『地味な成功』が、心底気に食わねぇ!俺の『怒りの濁流』で、お前のその『汚い金で買った平穏』を、根こそぎ洗い流してやる!」

鱗が怒鳴ると、集まった水が巨大な水塊となり、アパートの玄関ドアを打ち破ろうと構えた。

(まずい。このままでは、アパートの住民に迷惑がかかる…!)

慎吾は、目の前の『巨大な嫉妬と水圧』を、『拒絶』しなければならない。しかし、彼の魔力は防御には使えるが、攻撃には向いていない。

「やめてください、鱗さん!周りに人がいます!」

「うるせぇ!お前のその『地味な正義感』も、気に入らねぇんだよ!」

水塊が玄関ドアめがけて迫る。その時、慎吾は陸から教わった『最も怠惰な拒否』の真髄を思い出した。

(拒否するのではない。理不尽が起こる可能性を排除する!)

慎吾は、『拒絶の障壁』を、自分のアパート全体を守るために『広げる』ことをやめた。代わりに、彼の『拒絶の意志』を、『目の前の水塊そのもの』に集中させた。

「私は、この水塊が『存在すること』を、拒否します。」

彼の静かな、しかし絶対的な意志が、サタンの魔力となって発動した。

水塊は、慎吾の『拒絶の障壁』に触れた瞬間、「ゴボッ」という奇妙な音を立てて、急激に体積を失い始めた。

鱗の魔力は水を操るが、慎吾の魔力は、その『存在』そのものを拒否する。結果、水塊は『水』としての『存在意義』を失い、瞬時に蒸発し始めたのだ。

鱗の『嫉妬の濁流』は、玄関ドアに届く前に、音も無く、全てが空気中の水蒸気へと変貌した。

鱗は、両手を突き出したまま、愕然とした表情で立ち尽くした。

「嘘だろ…私の水が…『無』に…?」

慎吾は、疲れ果てた表情で鱗を見た。

「鱗さん。私は、あなたの『嫉妬』を、『無駄な努力』として処理しました。もう、お引き取りください。」

彼の言葉は、無駄なエネルギーを嫌うリヴァイアサンの子孫にとって、最も屈辱的な一撃だった。

鱗は、敗北を悟ったかのように、地面に漁網を叩きつけた。

「くそっ…!本当に、地味なくせに、ムカつく強さだ…!」鱗はそれだけ言い残し、水蒸気が立ち込める路地へ消えていった。

慎吾は、ドアにもたれかかったまま、大きく息を吐いた。彼の『拒絶の魔力』は、『嫉妬の濁流』さえも無効化する力を得たのだ。

その夜、アパートの自室で。

慎吾は麗人から連絡を受けた。

「やったな、慎吾。鱗の『嫉妬』を『無』に帰したか。それは、サタンの『空虚』の力の片鱗だ。全ての存在意義を否定する力。」

「でも、その力を使うたびに、俺は疲弊するんです。」慎吾は答えた。

「だからこそ、慎吾。お前は次の段階に進む必要がある。」麗人の声が真剣になる。

「次の段階…?」

「ああ。地獄の王族の最終目標は、『支配』だ。だが、お前は『平穏』のために戦っている。お前が真に平穏を得るには、『お前の平穏を脅かす存在』を、『攻撃』ではなく、『コントロール』する必要がある。」

「コントロール…」

「そうだ。お前が今、最もコントロールすべきは、『お前の給与明細』を世間に晒した、『注目と傲慢』の女王だ。」

麗人の言葉と共に、慎吾のテレビにニュース速報が流れた。

『人気ファッションモデル、星影ルナが、自ら設立したIT企業と、株式会社デモンズ・ゲート・テクノロジーとの間で、資本業務提携を発表。』

「ルナが…!?」

慎吾の顔が青ざめた。ルシファーの『光と傲慢』が、ついに彼の『地味な職場』を舞台に選んだのだ。

彼の地味な戦いは、『社内の特命』から、『企業間の戦い』という、さらに大きな、そして最も目立つ舞台へと、引きずり出されようとしていた。


株式会社デモンズ・ゲート・テクノロジーのフロアは、異様な緊張感に包まれていた。テレビのニュース速報から一夜明け、人気モデル兼IT企業CEOの星影 ルナが、資本業務提携の挨拶として、本社にやってくるというのだ。

「悪路くん!君の特命だ!」社長が興奮した声で、慎吾に指令を出した。「ルナCEOは、我々の技術に興味を示している。特に君の『セキュリティフィールド』を高く評価しているようだ。彼女の『傲慢な好奇心』から、君の能力の秘密を『絶対に拒否』し、守り抜くんだ!」

慎吾は、胃の痛みに耐えながら、うなずくしかなかった。彼の『地味な平穏』の舞台であるオフィスに、『最も目立つ敵』が乗り込んでくる。

正午。エレベーターのドアが開いた瞬間、オフィス全体がまばゆい光に包まれた。

ルナは、まるでファッションショーのランウェイを歩くかのように、白いスーツとダイヤのアクセサリーを身にまとい、自信に満ちた笑みを浮かべて登場した。彼女の周りには、テレビカメラと数人の取り巻きが従っている。

「これが…私の『影の王』が働くオフィスね。最高に『地味』で、最高に『エモい』わ。」ルナの声が、オフィス全体に響き渡る。

彼女は、社長や役員の挨拶もそこそこに、一直線に慎吾のデスクへ向かった。

「見つけたわ。『影の男』、悪路慎吾さん。私、あなたの『無関心』が放つ『負のオーラ』に夢中よ。あなたの能力を、私の会社の『最高のコンテンツ』にしない?」

ルナは、慎吾の顔に、高性能の小型カメラを向けた。彼女の瞳は、『傲慢な好奇心』と『注目』の魔力で、強く輝いている。

『光の魔力』が、慎吾の全身に降り注ぐ。それは、「全てを晒せ、秘密を明かせ、目立って輝け!」という、ルシファーの血が持つ『自己顕示の命令』だった。

慎吾は、体中の細胞が「目立ちたい」と叫び出すような、激しい不快感に襲われた。

(ダメだ。ここで『拒否』したら、彼女のカメラも、彼女自身も傷つけてしまう。そして、『地味な秘密』が世間に漏れてしまう!)

慎吾は、陸の『怠惰の教え』を思い出した。

(『最も怠惰な拒否』は、『理不尽が起こる可能性を排除する』こと。)

慎吾は、自分のデスクに置かれた、山積みの『地味な特命書類』に目を向けた。

「ルナCEO。申し訳ございません。」慎吾は、一切の感情を排した、平坦な声で答えた。

「私は現在、『社内の派閥別備品管理レポートの極秘検証』という、極めて高度で地味な特命の真っ最中です。あなたの『撮影』は、『業務の公平性』を著しく損ないますので、『極めて遺憾ではございますが、丁重に拒否』させていただきます。」

慎吾の『拒絶の意志』が、彼の言葉に乗り、周囲に展開される。それは、『地味な業務の絶対的な重要性』という、『論理的な障壁』となってルナの前に立ちはだかった。

ルナは、思わずたじろいだ。

彼女の『傲慢』は、『世間の注目』や『華やかさ』には有効だが、『地味で退屈な現実』や『煩雑な事務手続き』といった『理不尽な怠惰』には、極めて弱い。

ルナの周囲の『光の魔力』が、慎吾の『地味な業務の重圧』に触れた瞬間、「ゴゴゴ…」という奇妙な音を立てて、急激に輝きを失い始めた。

「な…何よこの『退屈な重さ』は!?私の『光』が、この『地味な業務の山』に吸い取られていく…!」

ルナの顔が、わずかに青ざめる。彼女は、『自分の輝き』が、『地味な業務』という名の泥沼に引きずり込まれそうになっているのを感じたのだ。

「申し訳ございません。このレポートは、社長命令による特命であり、期限厳守です。あなたの『興味』は、『機密情報保持契約』に違反する可能性があります。」

慎吾は、『拒絶の障壁』を、『会社の規則』と『事務手続きの煩雑さ』という、最も地味で、最も強固な盾に変えていた。

「くっ…!こんな『非生産的な地獄』に、私の『輝き』を無駄にできるか!」

ルナは、敗北を認め、カメラを下ろした。彼女にとって、『退屈』こそが最大の敗北なのだ。

「わかったわ、悪路慎吾。あなたの『地味な防御』は見事よ。でも、私は諦めない。『地獄の王座』は、『地味』なあなたにはふさわしくないわ!」

ルナは、憎々しげに言い放ち、再び『光のオーラ』を全開にして、オフィスから去っていった。

慎吾は、ぐったりと椅子に座り込んだ。『平穏』は守られたが、彼の体力は限界だった。

その夜、路地裏。

「見事だ、慎吾。お前は、ルシファーの『傲慢』を、ベルフェゴールの『地味な怠惰』で完封した。お前はもはや、ただの『拒絶』の王ではない。『平穏の支配者』だ。」麗人が感嘆する。

「疲れただけですよ…」慎吾はため息をついた。

その時、慎吾の携帯に、ルナからの奇妙なメッセージが届いた。

『悪路慎吾へ。次は、『あなたの平穏な日常』を賭けた『光の舞台』よ。私の提携会社が、あなたたちのオフィスで『大々的なPRイベント』を企画するわ。あなたの『影』が、この『最高のスポットライト』に耐えられるかしら?』

慎吾は悟った。ルナは、彼の『地味な防御』を突き崩すため、彼の職場全体を『究極の注目』が降り注ぐ『舞台』に変えようとしているのだ。

慎吾の次の戦いは、『地味な日常』を、『華やかなイベント』という名の『魔王の舞台』から守り抜く、究極の「裏方」の戦いとなる。


星影ルナの資本提携、そしてオフィスでの『大々的なPRイベント』開催のニュースは、慎吾に新たな絶望をもたらした。

(『地味な防御』が、『究極の派手さ』で押しつぶされる…!)

その夜、路地裏に集まった魔王の子孫たちも、この事態に頭を抱えていた。

「ルナの狙いは、『地獄の王座』ではなく、『注目度と富の完全な独占』だ。」麗人が冷静に分析する。「彼女は、お前の職場を、自分の『輝き』の舞台に変えることで、お前を『目立ちたくない』という弱点で追い詰めようとしている。」

「イベントなんて来たら、仕事どころじゃねぇだろ!俺たちの生活が台無しだ!」鱗が、嫉妬のあまり持っていた空き缶を握り潰した。

「あー、イベントなんて、準備が面倒ですよね。僕、『一番面倒な事態』を、『一番楽な方法』で排除する方法を知ってるんですけど。」陸が、静かに目を開けて言った。

その時、路地裏に、黒塗りの最高級車が静かに滑り込んできた。

車から降りてきたのは、若くして世界最大のIT企業を率いる社長、金城かねしろ ざいだった。彼のスーツは、一目でわかる特注品。その瞳は、全てを値踏みし、支配するような『富と欲』の光を宿していた。

彼は、「強欲の魔王」マモンの血を引く子孫である。彼の周りには常に、『成功と金銭』のエネルギーが渦巻いており、本人はそれを『経済の効率』と呼んでいた。

「ごきげんよう、麗人、鱗、そして…『静かな王』。」財は、慎吾を一瞥し、その存在感の薄さにわずかに興味を示した。

「財、なんでお前がここに?」麗人が警戒心を露わにする。財とルナは、ビジネス界の二大巨頭として常に激しく対立していた。

「簡単なことだ。ルナの『無駄に目立つPR戦略』が、私の『効率的な富の拡大』の邪魔になるからだ。特に、彼女が『デモンズ・ゲート・テクノロジー』という、『不毛な企業』に資本を注入し、『非効率なイベント』を開くのは、『経済的な悪手』だ。」

財は、慎吾に向き直った。「悪路慎吾さん。あなたの『地味な防御』は、非常に『効率的』だ。私は、あなたの『平穏』を買い取らせてもらいたい。」

「買い取る…?」慎吾は戸惑った。

「そうだ。私はあなたの『特命専門職』という地位を維持させ、ルナのイベントを『最も地味で、最も合理的』な方法で潰すための、『資金とリソース』を提供する。その代わり、あなたは私の『富の領域』を脅かす、ルナの『傲慢な光』を排除する。」

「つまり、『富の王』が、『地味な王』に、『地味な任務』を、『最大の効率』で達成させるための『資金援助』をするってことか?」麗人が皮肉っぽく笑った。

「その通りだ。非効率な敵は、効率的な資金で潰す。それが、私の『マモンの王道』だ。」財は断言した。

慎吾は、巨大な『富の力』が、自分の『地味な目標』をサポートするために動くという事実に、頭が追いつかなかった。

「私に…そんな大金を扱うことはできません…」慎吾は遠慮する。

「金銭に『拒絶』の力を使うな。それは『富の理不尽』だ。」財は鋭い眼光で慎吾を見た。「受け取れ。そして、ルナのイベントを『地味な失敗』に終わらせろ。」

慎吾は、その圧倒的な『富の圧力』に抗うことができなかった。

そして、PRイベント前日。

ルナが用意した華美な舞台装飾や、数百人の観客を収容するための準備が、デモンズ・ゲート・テクノロジーのオフィスで進められていた。

ルナは高笑いしていた。「これで、あの『影の男』の『地味な平穏』は粉砕されるわ!」

その時、金城財の会社の名前で、デモンズ・ゲート・テクノロジーの全社員に、一通の業務連絡が届いた。

『緊急業務命令:明日開催のPRイベントは、『セキュリティ上の脆弱性評価』を兼ねた『極秘の全社研修』として位置づけられました。全ての社員は、イベント開始30分前から、『特命専門職の悪路慎吾』によって割り振られた『極めて地味で、かつ難解な事務作業』を、『監視下で、ミスなく遂行』することが義務付けられます。』

この命令により、全社員は『イベントを楽しむ』権利を奪われ、『地味な作業』という名の『絶対的な業務』に拘束された。

そして、イベント当日。

ルナがスポットライトを浴びて登場したが、観客席にいるはずの社員たちは、全員が顔色一つ変えずに、デスクで書類と格闘していた。彼らの周りには、慎吾が放つ『業務の絶対的な重要性』という名の『拒否の障壁』が張り巡らされていた。

ルナの『光の魔力』が、社員たちの『地味な作業』に降り注いだが、彼らの『拒否の意志』は、『給与と評価』というマモンの『富の魔力』によって裏打ちされ、揺るがなかった。

「な…何よこれ!?誰も私を見ていない!この光が、地味な作業に負けている!?」

イベントは、『史上最も静かで、最も退屈なPR』として、大失敗に終わった。

慎吾は、デスクで書類を睨みつけながら、『地味な防御』が、『富の力』によって増幅されたことを理解した。彼の『平穏』を求める戦いは、『地獄の王族』たちの『魔力』と『社会的な影響力』を巻き込み、さらに複雑な局面に突入した。


ルナのPRイベントは、悪路慎吾の『地味な拒絶』と、金銀財の『富の効率』のタッグによって、大失敗に終わった。ルナは、世間から「史上最も退屈なCEO」と揶揄され、その『傲慢な光』に初めての傷がついた。

しかし、ルシファーの子孫であるルナの『傲慢』は、敗北によって消えるものではない。それは、『復讐』という新たな形で、より強く輝き始めた。

その夜、慎吾の携帯に、ルナからの挑戦状が届いた。

『悪路慎吾。次は、あなたの『給料』が続く限り、『平穏』は許さないわ。私の会社が、あなたの会社に、『無駄に豪華で、無駄に非効率な業務』を、『飽和攻撃』する。あなたの『地味な抵抗』が、『非効率の泥沼』に沈むのを見せてあげる!』

翌朝。デモンズ・ゲート・テクノロジーのオフィスに、ルナの提携会社から、山のような「業務委託契約書」が届いた。

その内容は、「最新技術を一切使わず、手書きと捺印のみで処理する」「必要性の低い豪華な接待」「参加必須の、長時間にわたる無意味な会議」など、『会社の効率』を著しく損なう、『究極の非効率業務』のオンパレードだった。

「悪路くん!これはひどい!」社長は顔面蒼白だ。「この業務を全てこなせば、我が社の『生産性』はゼロになる!そして、『残業地獄』で、君の『平穏』は完全に破壊される!」

慎吾の『拒絶の障壁』は、『理不尽な命令』には有効だが、『契約に基づいた合法的な非効率』には、直接作用しにくい。

(『合法的な非効率』こそ、俺の『平穏』の最大の敵だ…!)

その日の夕方。路地裏に集結した魔王の子孫たち。

「チッ、ルナの奴、今度は『怠惰』と『貪欲』を同時に攻撃してきたな。」麗人が苦々しく言った。

「あの書類、全部手書きなんて、考えただけで疲れる…先輩、やっぱり旅に出ましょうよ…」陸がソファでだらけている。

「私、あの豪華な接待の食事が全部食べたい!でも、あんな無駄な業務、胃が受け付けない!」芽衣が葛藤している。

財は、冷静沈着に言った。「『非効率』は、私の『富の領域』に対する最大の冒涜だ。悪路慎吾。この問題は、『拒絶』だけでは解決しない。『貪欲』と『強欲』の力を、『最も効率的』に使う必要がある。」

財は、慎吾に、二つの策を提案した。

1. ベルゼブブの『貪欲』を利用する。

2. マモンの『強欲』を、罠として使う。

「まず、芽衣。あの『豪華な接待』だが、『契約上、食べ残しは許されない』という条項を『地味に』追加する。そして、芽衣には、その『無駄な接待料理』を、『業務』として全て平らげてもらう。」

「え!?私、接待の料理を全部食べられるの!?」芽衣は目を輝かせた。「それなら、『非効率な業務』が、『最高に効率的な食事』に変わる!」

次に、財は慎吾の耳元で、『強欲の罠』を囁いた。

翌日。ルナ側から送られてきた『無駄に長時間な会議』が開催された。慎吾は、会議室に入ると、すぐに『拒絶の障壁』を展開する。しかし、今回は『拒否』ではなく、『会議の絶対的な目的』を定めるために使った。

「本日は、ルナCEOの提携会社様よりいただいた『無駄な業務委託』の『費用対効果』を、『厳密な財務規定』に則って、『一円単位で検証する』という、『地味で、絶対にミスが許されない作業』を目的とします。」

慎吾の放つ『業務の重圧』は、会議を『財務検証』という、『最も退屈で、最も厳格な場』へと変えた。

ルナ側は、『華やかなPR』を期待していたため、『財務検証』という『非効率な重圧』に、精神的に耐えられない。

その会議の席で、財が遠隔で仕掛けた『マモンの罠』が発動した。

会議中に流された『財務資料』の中に、ルナの会社の『地味な税務上のミス』を暗示する、『一円単位の誤謬』が紛れ込ませてあったのだ。

この『一円のミス』が、『強欲な富の魔力』を持つ財と、『地味な業務の重圧』を放つ慎吾のコンビによって、『巨大な税務上のリスク』として認識され始めた。

ルナは、顔面蒼白になった。『傲慢な光』は、『地味な金銭トラブル』を最も嫌う。

「な、何よこれ!こんな『貧乏くさいミス』、私とは関係ないわ!」ルナは声を荒げた。

「いえ、ルナCEO。この『一円の誤謬』が、『富の効率性』を大きく損ないます。『マモンの王道』に反する行為です。」財の会社の法務担当者が、静かに告げる。

ルナは、『非効率な業務』で慎吾を追い詰めようとした結果、『最も効率的な富の王』の罠にはまり、『地味な金銭トラブル』という、彼女のプライドが最も傷つく事態を引き起こしてしまった。

ルナは怒りに震え、その場で全ての業務提携の**『無効』を宣言した。

その夜。慎吾は、胃の痛みが全くないことに気づいた。彼の『地味な平穏』は、『貪欲』と『強欲』の魔王の力を、『地味な業務』へと転換することで守られたのだ。

「慎吾、お前は本当に恐ろしいな。」麗人が、感嘆の声を漏らした。「『地獄の王族』の最も強力な力を、『定時退社』と『平和な業務』のために、完璧に制御している。」

しかし、慎吾の地味な戦いは終わらない。『嫉妬の王』である鱗は、慎吾の『強欲な成功』を、決して見逃すはずがないのだ。そして、彼の次の試練は、彼の『給与』ではなく、彼の『存在意義』そのものを問う、最も内面的な戦いになるだろう。


ルナの仕掛けた『究極の非効率業務』を、『貪欲』と『強欲』の力を借りて乗り越えた悪路慎吾。彼の『地味な平穏』は再び守られたが、彼の「成功」は、七海 鱗の『嫉妬』を、かつてないほどに増幅させていた。

数日後の夕方。慎吾が一人で残務整理をしていると、オフィス全体が急激に冷え込み、空気が重くなった。

「悪路慎吾。てめぇ、また『不当に金儲け』したそうだな。」

鱗が、私服姿でオフィスに立っていた。その手には、巨大なクーラーボックスが抱えられている。彼女の周囲には、濃い水蒸気が立ち上り、まるでオフィスのカーペットが濡れているかのように見えた。

「鱗さん!ここは会社です。すぐに帰ってください!」慎吾は、同僚に見つかる前に事態を収拾しようと、低い声で『拒絶の障壁』を張る。

「うるせぇ!お前の『拒否』は、もう効かねぇぞ!」

鱗は、クーラーボックスの蓋を開け、中から大量の氷を取り出し、オフィスの床に乱暴に叩きつけた。彼女のリヴァイアサンの魔力が、オフィスの空調システムと、その場の『水分の流れ』を完全に支配し始めた。

「私は、お前の『存在価値』そのものを、『冷たい現実』で否定してやる!」

鱗が怒鳴ると、オフィス全体が急激に水没していくような感覚に襲われた。氷は瞬く間に溶け、床を覆う水面が、慎吾の腰の高さまで迫ってくる幻覚を、彼に見せる。

「お前は、自分の力で何も生み出してない!俺たちは命懸けで魚を獲る!芽衣は命懸けで食う!麗人は命懸けで客を魅了する!お前はただ、『理不尽を拒否して、金をもらってるだけ』の『空虚な存在』だ!」

鱗の言葉は、『嫉妬』の魔力となって、慎吾の『自己肯定感』を打ち砕く。

(そうだ…。俺は、誰の役にも立っていない。ただ、『不毛な仕事』を拒否し、『地味な存在感』を売っているだけだ…)

慎吾の『拒絶の障壁』が、一気に弱まり始めた。『存在意義の否定』という、最も内面的な攻撃は、彼の『平穏』の土台を揺るがした。

「立て、慎吾!」その時、麗人の声が携帯から響いた。「鱗の『嫉妬』は、お前の『虚しさ』を餌にしている!それを拒否しろ!」

「疲れるだけですよ…」陸の『怠惰の誘惑』が、慎吾の心を支配しようとする。

慎吾は、半ば水没したオフィス(幻覚)の中で、絶望に打ちひしがれた。

しかし、その時、彼はある一点に気づいた。

目の前で怒り狂う鱗の瞳が、彼の給与明細を、一瞬たりとも見ていないこと。彼女が見つめているのは、彼の『給料の額』ではなく、彼の『楽な成功』という、『不確かな概念』だけだった。

(違う!俺は『虚無』じゃない!)

慎吾は、マモンの血を引く財から受け取った給与明細を、濡れたデスクの上から持ち上げた。

「鱗さん。俺は『金』をもらっています。」

慎吾は、サタンの『拒絶』の力を、『現実の物理的な証拠』に込めた。

「俺の給料は、この会社の『特命専門職』として、『セキュリティフィールド』という、『具体的な業務』に対して支払われています。この『紙』と、『銀行口座の数字』が、俺の『存在価値』を『物理的に証明』しています。」

彼の『拒絶の障壁』は、『給与明細』という『現実の契約』を核として、再び展開された。

「あなたは、俺の『存在意義』を否定しようとしている。しかし、それは『株式会社デモンズ・ゲート・テクノロジーとの契約』という、『最も地味で、最も強固な現実』への『不当な介入』です。」

慎吾の『拒絶の魔力』が、鱗の『嫉妬の魔力』と衝突した。鱗の放つ『水圧の幻覚』は、『紙に印刷された給与明細』という『動かぬ証拠』の前に、完全に無効化された。

鱗は、再び「ゴボッ」という音と共に、水圧が霧散していくのを感じた。

「嘘だろ…!私の『嫉妬』が、ただの『紙切れ』に負けた…!?」

「あなたの『感情論』は、『契約書』という『地味な現実』には勝てません。」慎吾は、一切の同情なく言い放った。

鱗は、激しく床を蹴った。

「…覚えてろよ、悪路慎吾!てめぇのその『地味な合理性』を、いつか必ず、『激情』で破壊してやる!」

鱗は、濡れたままオフィスを去っていった。オフィスの冷たい空気は、すぐに通常の温度に戻った。

慎吾は、再び『平穏』を守ったが、その疲労は計り知れない。

その夜。路地裏に集まる魔王の子孫たち。

「見事だったよ、慎吾。お前は、マモンの『富の現実性』を、サタンの『拒絶』と融合させた。『地味な平穏』は、『強固な契約』によって守られることを証明したな。」麗人が感心する。

「ですが、次は…」慎吾は、再び胃を押さえた。「ルナが、『地獄の王族』の存在を、世間に晒すかもしれません。」

ルナは、『地味な防御』には敗北したが、その『傲慢な好奇心』は、『地獄の王族』たちの『地味な日常生活』という、最高の『コンテンツ』を求めることをやめていない。

慎吾の『地味な戦い』は、『個人的な平穏』を守る戦いから、『地獄の王族全体の秘密』を守る、『裏方の戦争』へと発展しようとしていた。


七海鱗の『嫉妬の濁流』を、『契約という現実』で蒸発させた悪路慎吾。彼の『地味な平穏』の防御力は、もはや『絶対』の領域に達しつつあった。しかし、彼の成功は、ルシファーの子孫である星影ルナの『傲慢な好奇心』を、最後の破滅的な一手へと駆り立てていた。

その夜、慎吾の携帯に、金銀財から緊急の連絡が入った。

「悪路慎吾。最悪の事態だ。ルナが、彼女のIT企業が持つ『極秘のビッグデータ』と『マスメディアへの影響力』を全て使い、『地獄の王族』の存在を世間に晒す準備をしている。」

「何ですって!?」慎吾は驚愕した。

「ルナは、俺たち五人の子孫の『異常な活動パターン』をAIで解析し、『我々が持つ魔力』が『七つの大罪』に対応しているという結論に達した。彼女の狙いは、『地獄の王族の秘密』を『究極のコンテンツ』として世界中に配信することだ。」財の声は、かつてないほど焦っていた。

「『王族の秘密の暴露』は、『地獄のルール』に反する。俺たちの平穏が崩壊するだけでなく、最悪、世界の秩序そのものが崩壊しかねない。」麗人が、重い口調で付け加えた。

慎吾はすぐに『拒絶の障壁』を張ったが、『既に集められた情報』や『メディアの報道』といった『既成事実』は、物理的な攻撃のように簡単に『拒否』できない。

「どうすれば…!?」

「慎吾先輩、頑張って阻止しようとするから疲れるんですよ。」ソファで寝ていた陸が、体を起こした。

「陸の言う通りだ。ここは『力で拒絶』するのではない。『秘密の価値』そのものを『無意味化』するんだ。」財が言った。

財は、ルナの『光(注目)』に対抗するため、マモンの『富の魔力』と、ベルフェゴールの『怠惰の魔力』を融合させた、『究極の防御策』を提案した。

1. ルナの『コンテンツ』を『極限まで地味に、かつ大量に』拡散する。(怠惰の利用)

2. 『秘密の情報』を『商業的な価値のないゴミ』に貶める。(富の利用)

翌日。ルナは、自身の運営する『光のメディア』で、『地獄の王族の末裔、七つの大罪の秘密を公開!』という、史上最大の予告を打った。

その直後、金城財の会社の名前で、世界中の『地味な匿名ブログ』や『誰も見ないフリーサイト』に、大量の「地獄の王族に関する情報」が、『極めて地味な、箇条書きのテキストデータ』として、『全て無料』で『際限なく』ばら撒かれた。

その内容は、「サタンの子孫はブラック企業で働く臆病なサラリーマンである」「ベルゼブブの子孫は大食いの才能がある」など、真実ではあるが、『ゴシップ』として面白みに欠ける情報ばかりだった。

これらの『情報』は、陸の『怠惰の魔力』によって、『検索結果の底辺』に、『無駄に大量に、際限なく』積み上げられた。

そして、財の『富の魔力』が発動した。

「ルナの『傲慢なコンテンツ』の価値は、『情報の独占性』にある。しかし、『同じ情報が既に、何の価値もなく、無料で、誰でも手に入る状態』になれば、彼女のコンテンツは『商業的な価値』を失う。」財は、冷徹に語る。

ルナが、満を持して『地獄の王族の秘密』の配信を開始した。

しかし、結果は惨憺たるものだった。

視聴者たちは、「ああ、この話、もう昨日の夜に『誰かのツイッター』で見た」「内容が地味すぎて、読むのが疲れる」「結局、サラリーマンが定時で帰りたいだけの話かよ」と、『怠惰』と『無関心』を表明した。

ルナの『究極のコンテンツ』は、既に『商業的な価値のない、地味なゴミ情報』へと成り下がっていたのだ。彼女の『光の魔力』は、『富と怠惰』によって、『世間の無関心』という名の『影』に覆われた。

「なぜ…!この『究極の真実』が、誰にも響かないの!?」ルナは絶叫した。

慎吾は、オフィスで静かに書類を整理していた。彼の『地味な平穏』は、『仲間たちの魔力』と『地味な情報拡散』によって、完全に守られたのだ。

その夜。路地裏。

「お前の『平穏』を求める意志が、結果的に『地獄の秘密』を守りきったな、慎吾。」麗人が、誇らしげに言った。

「全ては、皆さんの力と、陸の『怠惰』のおかげです。」慎吾は、心から感謝した。

しかし、慎吾の戦いはこれで終わりではない。彼の『地味な平穏』は、他の魔王の子孫たちの『強い魔力』に依存することで、成り立っている。

「次なる試練は、『孤立』だ。お前が、『誰の力も借りず』に、この『地獄の王族』のリーダーとして、『自分一人で平穏を勝ち取る』ことだ。」麗人が、慎吾の瞳を真っ直ぐ見つめた。

慎吾は、深く息を吸い込んだ。彼の『地味な戦い』は、いよいよ『最終段階』へと入ろうとしていた。彼の最終目標は、『定時退社』という名の『絶対的な平穏の確立』である。


魔王の子孫たちの連携により、ルナの『秘密の暴露』の試みは、『地味な情報過多』によって無力化された。しかし、悪路慎吾の胸には、麗人の言葉が残っていた。「お前一人で平穏を勝ち取る」。

慎吾は、自身の『平穏』が、常に他者の『強力な魔力』に依存していることを理解していた。真の『絶対的な平穏』とは、誰にも、何にも脅かされない『自立した平穏』でなければならない。

その日、慎吾は、最後の「特命」を社長から受けた。

「悪路くん。君の『防御』は完璧だ。だが、この度、我々デモンズ・ゲート・テクノロジーは、『完全な遠隔勤務体制』へと移行する。君の『セキュリティフィールド』は、『物理的なオフィス』ではなく、『全社員の自宅のネットワーク』を、『常時、地味に』守り抜いてもらいたい。」

この命令は、慎吾にとって『究極の平穏』を達成するための『最終試練』だった。会社から離れ、他の魔王の子孫たちとも物理的に隔離された『孤立した環境』で、『広大なネットワークの理不尽』に一人で立ち向かうことになる。

麗人、芽衣、鱗、財、陸、それぞれから、励ましのメッセージが届いた。

麗人アスモデウス: 『誰も頼るな。お前の『拒絶の意志』こそが、最高の『魅力』だ。』

芽衣ベルゼブブ: 『お腹が空いたら、頑張らないでデリバリーを頼むこと!栄養補給も大事な業務だよ!』

リヴァイアサン: 『チッ…負け犬になるなよ。お前の『不当な成功』を見届けるのが、俺の『最後の嫉妬』だ。』

マモン: 『資金は無尽蔵だ。ただし、『最小限の効率』で使え。』

ベルフェゴール: 『何もしないのが一番楽ですよ、先輩。でも、『平穏のために頑張る』のも、悪くないかも。』

そして、慎吾は、一人、自室のデスクに向かい合った。

彼の目の前には、『全社員の自宅PCのネットワークログ』という名の、『地味で、広大で、終わりの見えない理不尽』が広がる。

この『デジタルな海』には、ウィルス、不正アクセス、そして『社員自身の無意識のミス』という、無数の『不確定な理不尽』が潜んでいた。

慎吾は、深い瞑想に入った。

(拒否ではない。防御でもない。支配でもない。)

彼の『拒絶の意志』は、『全社員のネットワーク』の隅々にまで、『極めて地味に、かつ静かに』浸透していった。

それは、『全社員のネットワーク設定が、自動的に最もセキュリティの高い、最も退屈な状態に固定される』という、『地味な改変』だった。

社員たちは、なぜか『動画サイトで業務と無関係な動画を見ようとすると、接続が非常に遅くなる』、『機密情報を私的なメールに添付しようとすると、自動的にファイルが暗号化される』、といった、『地味で、煩わしい、しかし論理的な不便』に直面し始めた。

慎吾の魔力は、『ネットワークの理不尽な自由』を、『業務の絶対的な秩序』へと『静かに矯正』していたのだ。

『サタンの拒絶』は、『秩序の確立』という、最も地味で、最も絶対的な支配へと昇華した。

これにより、社員たちは『理不尽なミス』を起こす機会を奪われ、慎吾の『セキュリティフィールド』は、『何事も起こらない』という『究極の平穏』を達成した。

その三ヵ月後。

悪路慎吾の給与は、世界最高の水準に達した。特命専門職の地位は不動のものとなり、彼の自宅のデスクには、一切のトラブル通知が届かない『静寂』が満ちていた。

そして、彼は、『定時』になると、きっちりPCの電源を落とし、静かにリビングに向かった。

「今日も、『平穏』だったな。」

彼の『地味な戦い』は、『絶対的な勝利』を収めた。彼は、『地獄の王族』の血を引きながら、『地獄の理不尽』を退け、『人間社会の地味な平穏』を、『究極の効率』と『絶対的な拒絶』で勝ち取ったのだ。

その頃、世界の裏側で。

星影ルナは、『地獄の王族』の秘密を追うことを止め、その『地味な効率』に感化され、『世界で最も退屈だが、最も収益性の高いITサービス』を立ち上げていた。

七海鱗は、漁獲量が異常に安定し、『嫉妬』を抱く暇もないほど『合理的』な生活を送っていた。

金城財は、慎吾の『平穏のモデル』を応用し、『世界で最も無駄のない経済圏』の構築に着手していた。

そして、出雲陸は、『何もしなくても、勝手に世界が平穏になる』という、『究極の怠惰』を達成した慎吾の近くで、最も気持ちよさそうに寝ていた。

悪路慎吾は、『地獄の王座』に座ることなく、『地味なサラリーマン』として、『地上の王座』——すなわち『絶対的な平穏』——を手に入れたのだった。

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