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08.深まる独占欲、甘い支配


 春の風が心地よく吹き抜ける昼下がり。エスティネルの南庭では、色とりどりのチューリップが咲き誇り、その鮮やかな色彩が訪れる者の心を和ませていた。白いパラソルの下には、優雅なティーテーブルが設えられ、レースとリボンの愛らしいクリームピンクのドレスに身を包んだフィオナが、紅茶をくるくるとスプーンでかき混ぜていた。彼女の髪は陽光を浴びてきらめき、まるで絵画から抜け出してきたかのようだった。


 向かいには、淡いベージュのシャツ姿で穏やかに笑う辺境伯レオナール。執務の合間の短いティータイムに、ふたりだけの、甘く閉じた空気が流れている。周囲のチューリップも、二人の睦まじさを祝福しているかのようだった。


「レオナール様」


 フィオナが、まるで天気の話でもするかのような無邪気な声で呼びかける。


「ん?」


 レオナールは、視線をフィオナから離さず、優しく応じた。


「泥棒猫さん、もう来ないんですか?」


 フィオナは紅茶を一口すすると、目元をくしゃっとさせて笑った。その瞳には、かつてのライバルを思い出すような、わずかな優越感が宿っていた。


「最後までしっぽを立てて威嚇していたのに、意外とあっさり引き下がったのね。王都での“デビュタントの星”も、辺境では輝きを失うのかしら」


 フィオナの言葉には、ヴァイオレットへの皮肉と、自身の勝利を確信したような響きがあった。彼女は、レオナールの言葉と態度が、ヴァイオレットを完全に打ち砕いたことを理解していた。


 その言葉に、レオナールはふわりと優しい笑みを浮かべる。その笑みは、まるでティラミスのような、ふわふわで甘くて、溶けてしまいそうな柔らかな声音を伴っていた。


「ちゃんと、きちんと――“お断り”したからね。彼女は、これ以上ここにいても無駄だと、ちゃんと理解してくれたみたいだ」


 レオナールの言葉は、あくまで穏やかだった。しかし、その裏には、ヴァイオレットを完璧に排除したという、彼自身の満足が隠されていることを、フィオナは感じ取っていた。


「ふふっ、さすがですわね。レオナール様ったら」


 フィオナは、満足そうに目を細めた。彼女は、レオナールが自分以外の女性を徹底的に拒絶したことに、心からの喜びを感じていた。


「私以外を向いている旦那様なんて、見たくありませんもの。だから、よかったわ。誰にも渡さないもの、あなた」


 フィオナの言葉は、まるで子供が大切な玩具を独占するかのようだった。彼女の口調は甘く、しかしその瞳の奥には、確かな「独占欲」が宿っていた。


「……嬉しいことを言ってくれるね」


 レオナールが少しだけ身を乗り出して手を伸ばすと、フィオナの手の甲にそっと触れた。彼の指先は温かく、優しく彼女の肌に触れる。その仕草に、フィオナは「したり顔」で笑う。


(本当にチョロいわ、この人……)


 フィオナは、レオナールの単純さに、ある種の優越感を覚えていた。何を言っても嬉しそうに笑って、欲しいと言えばすぐに用意してくれて、甘えれば蕩けるような目で見つめてくる。まるでレオナールが、フィオナの「掌の上」で踊っているかのようだった。


(いいのよ、もっと依存して。私に夢中になって、他のことなんてどうでもよくなればいい。そうすれば、あなたは永遠に私のもの。誰にも、決して奪われない)


「ねえ、レオナール様。そっちに行っていい?」

「もちろん。君が来たいと思った場所が、僕の隣なら、いつでも。君の望む場所に、僕は常にいるよ」


 フィオナはそのまま立ち上がり、レオナールの隣にちょこんと腰を下ろす。彼の温かい体温が、ドレス越しに伝わってくる。レオナールは、フィオナの髪を優しく撫でた。


「ふふっ、言い回しが素敵。でも――ただ甘えたいだけよ?」


 そう言って、フィオナは彼の肩にこてんと頭を預けた。レオナールの肩は温かく、安定感がある。彼の腕が、自然とフィオナの腰に回された。


「ねえ、レオナール様。最近、私ばかり甘えてる気がするの。たまには、レオナール様の方から“甘えて”くれたら嬉しいな」


 フィオナは、レオナールの本質を探るように、甘い声で囁いた。彼女は、彼の「執着」をさらに引き出したいと願っていた。彼が自分なしではいられないと、心の底から思ってくれることを。


「……僕が?」


 レオナールは、少し驚いたように問い返した。彼は、常に与える側であり、甘えることなど考えたこともなかった。


「ええ。たとえば、“フィオナがいないと困るよ”って、耳元で囁くとか」


 フィオナは、レオナールの耳元で囁き、レオナールは苦笑しながらも、フィオナの誘いに乗るように、彼女の耳元に口を寄せる。彼の温かい息が、フィオナの肌に触れる。


「フィオナがいないと……僕、本当に困るよ。君がいない世界なんて、もう考えられない」


 その声は、甘く、しかしどこか切実な響きを持っていた。まるで、フィオナの存在が、彼の生きる意味そのものであるかのように。


「ふふっ、よくできました。ご褒美に、ほっぺにキスしてあげる」


 そう言って、フィオナはレオナールの頬に唇を寄せた。優しく、軽く。ほんの触れるだけのキス。それは、レオナールへのご褒美であり、同時に、彼をさらに深く自分に引き込むための、フィオナの「罠」だった。


「……ね?」

「……うん」


 そのときのレオナールの瞳は、まるで幸福だけで満たされたかのようだった。彼の顔には、心からの満足と、フィオナへの深い愛情が浮かび上がっていた。彼の琥珀の瞳は、フィオナだけを映し、そこに他の誰かの影は微塵もなかった。しかし――。


(ねえレオナール様。あなたは今、どれくらい私に夢中なの? 私のことだけ考えてる? 他のことなんて全部、どうでもいいと思えるくらいに。それとも、まだ「理性」が残ってる?)


 フィオナは、そのまま彼の腕にそっと手を絡めた。彼女の独占欲は、レオナールの「執着」を測ろうとしていた。彼がどれほどの深みまで自分に溺れているのかを。


「ねえ、あとで一緒にお昼寝もしましょう?  政務なんて後回しにして」


 フィオナは、彼の仕事を妨害することで、彼がどれだけ自分を優先するかを試していた。


「……いいよ。君と一緒なら、何だって。政務なんて、いくらでも後回しにできるさ」


 レオナールは、フィオナの頭を優しく撫でた。彼の声には、一切の躊躇がなかった。フィオナのためなら、どんなことでも受け入れるという、彼の「執着」の深さを示していた。


「ふふっ、よかった。レオナール様って、ほんとうに“私のもの”になってきた気がするわ」


 フィオナは心の中で呟く。彼女の計画は、順調に進んでいるようだった。


(このまま、あなたの世界を私でいっぱいにしてあげる。私なしでは生きられないようにしてあげる。――それが、いちばん安全だから。あなたが私から離れられないように、他の誰にも目を向けられないように)


 フィオナの心には、レオナールを完全に支配するという、冷たい決意が芽生えていた。それは、彼女自身の安全のためであり、彼女の「愛され術」の究極の目標でもあった。


 けれど、彼女はまだ知らない。レオナールが本当に「甘く微笑む」とき――その内側に、どんな深く黒い愛情が潜んでいるのかを。彼の「執着」は、フィオナの想像をはるかに超える、底なしの闇を秘めていた。




 その夜、レオナールの私室。彼は一人、書棚の奥に手を伸ばし、ある古びた木箱を取り出していた。その木箱は、埃を被っており、長い間開けられていなかったことを示していた。


 開けると、中には古い手紙の束と、粉々に砕かれた花の飾りが入っていた。手紙は、かつての婚約者候補、イレーヌ・モントレイユからのものだ。花の飾りは、彼女がレオナールに贈ったものだった。


「……君は、すぐ壊れたね」


 レオナールは、かつての「壊れた令嬢」の名を呟きながら、指先で花びらの破片をなぞる。彼の瞳には、遠い過去の記憶が映し出されているかのようだった。その表情は、昼間の甘い微笑とは全く異なり、冷徹で、そしてどこか歪んでいた。


「でも、今度は違う。フィオナは……甘いくせに、噛みつくし、逃げない。だから……面白いんだ」


 彼の口元に、ゆっくりと、しかし確かな笑みが浮かぶ。それは、獲物を手に入れた狩人の、満足げな笑みだった。掌の中で「跳ねる獲物」――それがレオナールにとって、なにより愉しい。彼は、フィオナの「小悪魔」としての本性を、誰よりも深く理解し、そしてそれを受け入れていた。


(壊れたら終わり。でも、壊すギリギリが一番甘美なんだ。君が甘えるほど、僕は深く潜る。君の全部が欲しくなる。君の心が、意識が、存在が……僕なしでは成り立たないくらいに)


 レオナールは、花びらの破片を握りしめた。彼の瞳の奥で、青白い炎が揺らめく。


 もう少し。あと少し。


 君が気づかない「その瞬間」が、楽しみで仕方ない。フィオナを完全に自分のものにするその瞬間を、レオナールは心待ちにしていた。




 翌朝、寝起きのフィオナが欠伸をしながら寝室のカーテンを開けると、庭に立つレオナールの姿があった。彼は朝日に照らされ、優雅に花の手入れをしている。その姿は、絵になるほど美しかった。


「おはよう、フィオナ。朝食は一緒にどう?」


 レオナールは、フィオナに気づくと、優しい笑顔で呼びかけた。


「うふふ、もちろん。今日はね、あなたの好きなパンケーキを焼いてあげる」


 フィオナは、彼の顔を見て、満面の笑みを浮かべた。彼女の心は、レオナールへの愛と、彼を完全に手中に収めているという満足感で満たされていた。


「それは楽しみだな」


 レオナールは、フィオナの言葉に、心底嬉しそうに微笑んだ。


(可愛い、可愛い旦那様。あなたはもう――)


 フィオナの瞳の奥で、確かな勝利の光が瞬く。


(「私だけ」のもの)


 彼女は、レオナールの「執着」を、自分の手のひらで転がせていると信じていた。だが、本当のところ、どちらがどちらの手のひらで踊っているのか、まだ誰も知らない。

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