27.檻ごと抱きしめて
夜。静かな寝室に灯る、淡いランプの光が、フィオナの顔を優しく照らしていた。揺れる明かりの下、フィオナはレースのナイトドレス姿で、ベッドの上に腰掛けていた。彼女の表情は、どこか、怯えるような。それでいて、彼女自身が望んでやまない何かを、期待するような。そんな混じり合った瞳で、彼女はそっと扉の方を見ていた。まるで、嵐のような一日を終え、飼い主の帰りを待つ小動物のように。彼女の心は、レオナールの存在を、そして彼の過剰なまでの愛情を、本能的に求めていた。
「……来ない、わけ、ないですわね」
フィオナは、静かな部屋で、小さく呟いた。その言葉は、彼女自身の心に言い聞かせるようだった。呟いた直後、ふっとドアが静かに開く。彼女の予想は、いつも裏切られることなく、現実となる。
「こんばんは、フィオナ。今日も、僕を待っていてくれたんだね」
「……遅いですわ、レオナール様。政務が、よほどお忙しかったのですか?」
笑みを含んだ声で言うフィオナの表情は、どこか赤く染まっていた。彼女は、彼に会えたことへの安堵と、これから始まる「甘い時間」への期待に、胸をときめかせていた。レオナールは何も言わず、ゆっくりと彼女に近づき、ベッドの縁に膝をつく。そして、目線を合わせるようにして、フィオナの手をそっと握った。彼の指先は、フィオナの心を読み取るかのように、優しく、そして熱かった。
「……今日も、君は僕の檻の中にいてくれたんだね。君が僕を待っていてくれたから、僕はどんなに忙しくても、君の元へ帰ってきたんだ」
「ええ。でも、今夜は――その、なんだか少し、落ち着きませんわ。変なことを考えてしまって……」
フィオナは、膝の上で指を組み、恥じらうように視線を逸らす。彼女の心は、彼の存在に、完全に翻弄されていた。
「レオナール様の姿を見ると、こう……胸の奥が、ぎゅっと苦しくなって。それは……レオナール様を求めている証拠なのでしょうか?」
「それはね、フィオナ。君が“僕だけのもの”になったからだよ。君の心が、僕の存在を、深く、深く感じ取るようになったからだ」
彼の指先が、フィオナの頬に触れる。その指先は、彼女の心の動揺を、全て見透かしているかのようだった。
「……また、そうやって、甘い言葉で、わたくしを惑わせるのですか?」
「嘘じゃないよ。僕は、君に嘘はつかない。君が僕を必要とし、君が僕を求めている。その事実が、僕をこんなにも満たしてくれるんだ」
レオナールは、まるで壊れ物を扱うように、フィオナの身体を抱きしめた。彼の腕は、彼女を逃がさないという強い意思に満ちていた。
「君が自分から檻の中にいると気付いたとき――僕は、嬉しくてたまらなかった。君が、僕に支配されることを、望んでくれたから」
「レオナール様……」
「逃げなくていいんだ。僕も、君を逃がす気はないから。君が僕の隣にいることが、僕の全てだ」
フィオナは、彼の言葉に、静かに身を委ねた。
「……そんなこと、わかってますわ。もう、逃げようとは思っていませんから」
「うん。だからこそ、もっと深く、君を愛せる。君の全てを、僕の色に染められる」
囁きと共に、レオナールの唇がフィオナの髪に落ちる。首筋に、肩に、ゆっくりと、静かに――「所有」のように重ねられる口付け。それはまるで、フィオナを「檻」の内側に、さらに深く閉じ込める行為だった。
夜が深まり、揺れるランプの光の下。ベッドの上で絡めた指を見つめながら、フィオナはぽつりと呟いた。
「わたくし、知らなかったのかもしれません……本当の意味で、愛されることの重さを。イレーヌ様が、どうしてあんなにレオナール様を求めていたのか、ようやくわかったような気がしますわ」
「うん。君は、ずっと“愛されている”ふりをされてきたんだよね。君を愛していると口にする男はいても、君の全てを、愛そうとする男はいなかった」
「……でも、今は違う。愛されるほどに、逃げられないほどに、縛られてる。この愛は……重すぎますわ」
「だから、安心できるんでしょ? 君が、僕の愛から逃れられないから、君はもう、一人ではないと、安心できるんだ」
レオナールは、フィオナの言葉の裏にある、彼女の「安堵」を、全て見抜いていた。
「ええ。安心して……狂いそう。この甘い檻から、もう抜け出せない。でも……それが、嫌じゃない」
その言葉に、レオナールは小さく微笑んで言った。
「それは僕の願いだよ、フィオナ。君が“僕に狂わされること”を望むようになることが――僕の愛の完成なんだ。君が僕を必要とし、僕が君を独占する。それが、僕たち二人の、愛の形なんだ」
彼の掌が、フィオナの背中を撫で、腰を支える。
「壊すことは、もうしない。君は、僕にとって壊すには惜しすぎる、美しい花だ。でも、愛しすぎて、苦しいほどに閉じ込めることは……許されるよね? 君が、僕を愛してくれているなら」
フィオナは、彼の言葉に、静かに頷いた。
「わたくしが、“檻の中にいたい”と望んだのだから……ええ、レオナール様。どうぞ、わたくしを、あなただけのものにしてくださいませ」
ふたりは見つめ合い、口付けを交わす。熱くもなく、激しくもない。けれど、それは確かに“永遠の誓い”のような口付けだった。やがて灯りが落とされ、夜がふたりを包み込む。甘い吐息と、柔らかな笑い声だけが、しばらく寝室に微かに響いていた。
明け方。腕の中で眠るフィオナの髪を撫でながら、レオナールは小さく呟いた。
「君を閉じ込めた檻は、実は僕自身なんだよ、フィオナ。君の心を満たす場所であり、君が逃げられない牢獄でもある。君は、僕の檻の中で、永遠に咲き続ける花だ」
「……それでも、あなたがいいの」
夢と現の狭間で、フィオナが囁き返す。彼女の言葉は、レオナールの心に深く響いた。
「あなたが愛してくれるなら、檻の中で……永遠に眠っていても、かまいませんわ。あなたの愛の中で、私は幸せだから」
静かに瞳を伏せて、レオナールは、満足そうに微笑んだ。
「僕の可愛い兎ちゃん。僕の奥様。僕の……永遠。君は、僕の全てだ」
檻の中に咲いた、白い花。それは、もう誰の手にも触れられない。触れてよいのは、狂愛に囚われたこの辺境伯、ただ一人だけだった。フィオナは、彼の「狂気」を「幸福」として受け入れ、永遠に彼の腕の中に身を置くことを選んだのだ。




