25.囚われた花嫁
朝。目覚めたとき、まず感じたのは鈍い全身の倦怠感だった。まるで、長旅から帰ってきたばかりのような、疲労と、そして熱が広がるような疼き。シーツの中で身じろぎしただけで、全身の皮膚がひりつくような感覚に襲われた。
「……う、ううん……」
フィオナは、体を丸めて、シーツに顔を埋めた。
(ああ……昨日の……)
思い出した瞬間、彼女の顔は、一気に真っ赤になった。唇に、首筋に、肩に……レオナールのキスが刻み込まれた場所が、熱を帯びているかのようだった。
「どれだけ“お仕置き”したら気が済むんですの、あの人は……! まるで、私の体を、自分のものだと、証明するかのように……」
唇に、首筋に、何度も何度も、まるで「記憶の上書き」をするように重ねられた口づけの数々。触れられた肌が、未だ彼の名残を覚えている。
(わたくし、起き上がれませんわ……これじゃあ、お茶会にも行けませんもの……)
しばらくベッドに伏したまま、フィオナはじっと天井を見つめていた。彼女の心は、身体の倦怠感とは裏腹に、ざわついていた。そしてふと思う。
(あの人の、あの狂ったような“執着”。普通なら、怖くて、逃げ出したくなるはずなのに――。……なんで、嬉しかったのかしら。彼の「独占欲」が、私をこの部屋に閉じ込めてしまうのではないかという恐怖よりも、彼に「愛された」という喜びが、大きかったなんて……)
じん、と胸が熱くなる。愛された、求められた、独占された。それが……嬉しかった。彼女は、彼の狂気すらも、自分への「愛」だと、無意識に受け入れていたのだ。
「……私、どうかしてますわ。こんなにも、彼の「愛」という名の毒に、侵されてしまっているなんて……」
布団を引き上げて顔を隠す。しかし、熱を帯びた頬と、耳まで赤く染まった肌が、彼女の感情を隠しきれずにいた。
昼過ぎ。フィオナが、ようやくベッドから体を起こし、窓の外を眺めていたその時、ノックの音がした。
「フィオナ。起きてる? もう、大丈夫かい?」
「レオナール様……!」
現れたのは、淡く笑う夫の姿。政務の合間を縫って来てくれたのだろう、上着を脱いで柔らかなシャツ姿のまま、ベッドに近づいてくる。彼の瞳には、フィオナへの深い安堵と愛情が満ちていた。
「具合はどう? 昨日、少しやりすぎたかな」
「……最悪ですわ。ぜんぶ……レオナール様のせいです。私が動けなくなったって、責任、とってくださるんですの?」
フィオナは、彼の顔を睨みながら、冗談めかして言った。しかし、その声には、本音が含まれていた。
「そっか。愛しすぎちゃったからね。君が可愛すぎて、我慢できなかったんだ」
悪びれずに、心底嬉しそうに笑うその姿に、フィオナは毛布を口元まで引き上げて睨んだ。彼の言葉は、フィオナの心をさらにかき乱した。
「やっぱりドSですのね、あなたは……! 私が困っている顔を見て、楽しんでるんでしょう!」
「フィオナがあんなに可愛く甘えるから、悪いんだよ? 君が僕を求めてくれたから、僕は応えただけだ」
「甘えたのは……ほんの、少しだけで……っ」
彼の言葉に、フィオナの頬はまた赤くなる。レオナールは、そんな彼女の様子を見て、満足そうに笑った。彼はベッドの端に腰を下ろし、フィオナの髪を優しく撫でた。
「……でも、よかった。君が無事で、僕の隣にいてくれて……」
「な、にがですの」
フィオナは、彼の言葉の真意を測りかねていた。
「こうしてベッドで寝てる君、とっても綺麗で……それに……」
彼の瞳に、一瞬――光が宿る。あの、底知れぬ、狂気の影を孕んだ瞳。それは、フィオナを「独占」したいという、彼の強い欲求の表れだった。
「こうすれば、君を人の目に晒さずに済むだろう? 君を僕だけのものにできる」
「――え?」
フィオナは、彼の言葉を理解できずに、戸惑いの声を上げた。
「誰にも見せたくないんだ、フィオナ。君の笑顔も、声も、全部、僕だけのものにしたい。君が他の誰かに見られるだけで、僕は嫉妬で狂ってしまいそうになる」
柔らかく、甘やかすように微笑みながら、その内側には狂気を潜ませた笑顔で、彼は囁く。それは、フィオナを永遠に自分の「籠」に閉じ込めたいという、彼の願望だった。
「ねえ、毎日、するからね? 僕が君を愛していることを、毎日、君に教えてあげるから……」
「なっ……バ、バカぁああっっ!!!」
フィオナは、彼の言葉に、再び毛布の中に逃げ込んだ。
「いくら何でも加減というものが……っ! こんな生活、私が耐えられるわけがありませんわ!」
「ごめんごめん。可愛すぎて、ついね。でも、君が僕の愛を受け入れてくれるまで、僕はやめないよ」
レオナールは笑って、毛布から顔だけ出したフィオナの頬に口付けを落とした。
「早く良くなって。君が元気で笑ってないと、僕……また狂いそうになっちゃうから。君が僕を、狂気から救ってくれる、たった一人の存在だから」
その一言に、フィオナの心臓は跳ねた。彼の「狂気」は、彼女への「愛」と表裏一体だ。彼の「愛」を受け入れることは、彼の「狂気」を受け入れること。
(それでも……この人の腕の中が、一番、安心できる。彼の「独占欲」も、「狂気」も、全て受け入れて、彼の「籠の中の花嫁」になることが、私にとっての「幸せ」なのかも)
そんな風に思ってしまう自分に、またひとつ、フィオナはため息をつくのだった。彼女は、レオナールの甘い支配から逃れることを、すでに諦めていた。そして、その支配を、もはや「幸福」だと感じ始めていた。




