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第二夜 夢に遊べと病は誘う(2)

 ガルナバは、夢の都と謳われる。

 夢を叶えるために集まった多くの人々が己の理想を実現してきたからであり、その事実が大陸各地に伝播して、さらに多くの人たちが眩い幻想を胸に抱いて、この都市に訪れるからだという。

 工業区では、技術者たちの夢の結晶として最先端の技術が産声を上げ、商業区では、毎日毎日新たな商品が開発されたり商売が生まれては競争が起こり、興行特区では、夢の都の代名詞として、連日連夜のお祭り騒ぎを催している。

 では、学業区はどうなのか。

 カナンの視界を見慣れた町並みが流れていく。

 潔癖なまでに秩序的に整理された町並みは、この区画を設計した人物の性格によるものなのか、はたまた当初の計画通りなのか、そんなどうでもいい疑問にばかり気を取られる。

 舗装された道路にはごみひとつ見当たらず、等間隔に立ち並ぶ街路樹はいつも春めいた色彩を帯びていた。

 もう十月だというのに、この季節感の無さが実にガルナバらしいと言える。

 道路脇に立つ街灯は、少女形の天使が小さな水晶灯を胸元に抱き締めている、というデザインだった。

 確か数年前の芸術祭で最優秀デザイン賞をとった作品で、学業区以外にもいくつか設置されている。

「なんでぼくが漕がなきゃならんのだ~!」

 カナンは、自転車の後部座席(荷台にマットをくくりつけただけだが)に悠然と腰を下ろしたまま、クオンの悲鳴を聞いていた。

 頭上には雲ひとつない青空が広がり、燦々たる太陽光が寝起きの頭を覚醒させていく。

 カナンは、弟の小さな肩を掴みながら、つぶやくように言った。

「全部おまえが悪い」

「なんでさ!」

 クオンが、噛みついてくるのは予想通りだった。

「おまえのせいで! 夢の内容も! 昨日の勉強の成果も! 全部なくしちまったんだよ俺は!」

 大声で捲し立てながら、カナンは、なぜここまで本気になる必要があるのか自分でもわからなかった。

「そんなこと自慢するかなあ、ふつー」

「自慢なんかしてねー」

 呆れ果てた弟の態度に、カナンは、むっと顔をしかめるのだった。

 二人乗りの自転車が向かうのは、カナンとクオンが通う学校である。そしてふたりは、同じ制服を身に纏っていた。

 黒を基調としたブレザーで、背中に天使の翼をモチーフにした模様があった。その意匠は有名なデザイナーの手によるもので、女性にはその可愛らしいデザインが人気だった。

 学業区は、その名のままに学業のための教育機関が無数に存在し、常に競い合って切磋琢磨していた。

 ふたりの通う学校は、学業区五番街にあり、彼らのアパートからは自転車で飛ばして約十分といったところにあった。

 聖クラウディア学園。いわゆる高等教育の施設――ハイスクールであり、本来ならクオンほどの年齢の学生が通学するべき学校ではなかった。

 が、神童、天才児といった異名を欲しいままにする彼にとっては、飛び級など造作もないことだった。

 本気になれば大学にだって行けるのに、カナンと同じ学校に通っているのは、

「カナちゃんのいない学校なんて退屈でつまらないもん」

 そんないじらしい理由ではあったが。

 歩道を進む学生の群れに見知った顔を見つけて、カナンは、クオンの耳元で呪文でも唱えるかのように囁いた。

「体力の確保、及び速度の低下――即ち、徐行」

「なんか変な言い方~っていうか、それじゃ意味が伝わらん!」

 クオンは、口を尖らせたものの、カナンの言わんとしていることは理解したのだろう。自転車の速度を緩めて、歩道に近づける。

 同じ学校に通う女生徒の何人かが、クオンに手を振った。

 クオンが、美少女のような微笑でそれに答える。実際、長すぎる髪をポニーテールにしているのだ。男装した少女に見えてもおかしくはなかった。

「おまえの人気なんて、別にうらやましくないんだぞ」

 負け惜しみのような言葉を残して、カナンは、自転車の荷台から飛び降りた。目の前に、サラ・ブレッドのちょっと驚いたような顔があった。

「別に勝ち誇ってもないけどね~」

「わーってるよ」

 背後からの気のない言葉に返答しながら、カナンは、サラに微笑んで見せた。

「おはよ」

「おはようございます、カナンさん」

 サラも笑顔で挨拶してくる。栗色の髪の毛が、朝日の中できらきらと輝いていた。彼女には、ブレザーの天使の羽がよく似合う。やや短めのスカートから伸びた太ももが、やけに眩しい。

「今日もおふたりで。兄弟仲がいいんですね」

「そりゃあ兄弟だからな」

 答えながら、カナンは、微妙な違和感を覚えていた。

 兄弟?

 だれとだれが?

(俺は天涯孤独だろう?)

 脳内の小波は、次の瞬間に掻き消えた。明るい衝撃があったからだ。

「よっす!」

「痛っ!」

 エリザ・ベスの威勢のいい挨拶が聞こえたかと思ったら、カナンは、背中を思い切り叩かれていた。ひどい力だった。

 危うく涙がこぼれるくらいの痛みに、カナンは、頬を膨らませて後ろを見た。

「やあ、兄貴、元気ないわね」

 クオンの自転車の後ろに我が物顔で腰掛けたエリザが、カナンにひらひらと手を振ってくる。金髪があざやかだ。

 彼女がカナンのことを兄貴などと呼ぶようになったのは、ついこの間からだ。

「今朝からあんな調子なんだ」

「もしかして低血圧?」

「そうなのかも」

「学校行くより病院いったほうがいいんじゃないの? 最近の兄貴、言動がいろいろとヤバめだし」

「なんか違うよ、それ~」

「あはは、そうかなあ」

 朝からテンションの高すぎるエリザとクオンについていけず、カナンは、空を仰いで嘆息した。頭を抱えたい気分だった。

「明日病院行ってくる」

 カナンは適当につぶやくと、サラに向き直った。あのふたりの相手をするのは疲れるし、なにより時間を食ってしまう。くだらないやり取りをしている間に遅刻するのは、笑い話にもならない。

 それもいいかもしれないが。

「行きますか?」

「うん」

 サラにはついつい素直にうなずいてしまうのは、カナンが彼女に惚れているからなのだろうか。

 ふたりは歩き出して、歩調は学生たちの通学の波に身を任せるようにした。

「じゃあお先~」

 と、クオン。自転車を漕ぐ彼の表情は、幸福そのものだった。

「サラも頑張ってね~!」

 クオンの腰に腕を回してしっかりと抱きついたエリザは、その短いスカートからすらりと伸びる美脚を見せ付けるようにした。見せ付けているのは、それだけではなかったが。

 多くの学生たちが、男女関係なく、自転車で疾走するふたりをうらやましそうに見ていた。口笛を鳴らすものまでいた。

「いいのか? あれ」

「なにがですか?」

 きょとんと、サラ。

「エリザの奴、あれでもモデルなんだろう?」

「あれでも……って、失礼だと思います」

「すまん」

 カナンは、即座に謝った。口論するつもりはないのだ。

 実際、エリザは、学業の傍らプロのモデルとして活躍しており、その美貌とスタイル、着こなしの素晴らしさから十代の女性を中心に人気があった。学園内にも彼女のファンクラブが存在しており、クオンはなぜかその名誉会長になっていた。

「いいんじゃないですか。本人が幸せなら」

 サラは、微笑んでいた。親友のエリザが楽しそうにしているのを見るのが好きなのだと、以前彼女が言っていたことを、カナンは思い出した。

「そうかねえ」

「だいたい、言って聞くような素直な性格してませんし」

「案外毒舌だな」

 カナンは、あさっての方向にぼそっとつぶやいた。サラのにこやかな声が聞こえてくる。

「なにか言いました?」

 その声音の奥に潜むどす黒いなにかを感じて、カナンはかぶりを振った。そんなところも嫌いではないが。

「いやなにも。そういや、エリザの親父さん、今年のパレードに関わってたんだっけ?」

「総合演出という話を聞きましたけど」

「凄かったなあ、あのパレード」

 カナンの脳裏には、どこかの広場を行進する極彩色の一団があった。どこで見たのかは思い出せないが、確かに見た記憶がある。その場には、クオンはおろか、サラもエリザもいたはずだ。

「はい?」

「テーマは《戦乱の終わり、天の救い、人の世の幕開け》だっけ。あんな演出が出来るなんて、ほんと凄いよ」

 カナンは、ただただ感嘆するだけだった。美しい舞でも踊るかのように、空中を飛び回る天使たち。その天使に引かれて進むのは、飾り立てられた乗り物。乗り物の上で演説する市長ラザード。

 ふと、サラが足を止めた。

「カナンさん、さっきからなんの話をされているんですか?」

 サラが、困惑したようにたずねてくる。

 彼女の表情に、カナンこそ戸惑った。

「なんの話って、パレードだよ。市民の日のパレード」

 カナンは、強い口調で言った。その場には間違いなくサラもいたはずなのだ。

「市民の日は明日ですよ? 今日は十月二日です」

 サラの唇が動くたびに、カナンは、周囲の音が遠のいていくような気がした。

「え?」

 雨音が聞こえた。

 嵐が近い。


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