第一夜 夢の都の白昼夢(2)
エリザ・ベスは、カナンの記憶通り金髪の美女だった。ショートの金髪が眩しいくらいに輝いていた。カジュアルなシャツにパンツルックで、サングラスをカチューシャかなにかのように頭の上に乗せている。
サラ・ブレッドもまた、カナンの頭の中にあった情報通りだった。栗色の長髪はストレートで、化粧は控え目に見えた。淡いピンクの上衣と白のロングスカートが、清楚なイメージを与える。
「で、わたしの相手はどっち?」
と、開口一番にエリザ。彼女は、この四人の中でもっとも背が高かった。一番低いのは、最年少のクオンである。
「そりゃあ――」
「ぼくかな?」
カナンの言葉を遮ったのは、クオンだった。カナンが驚いて弟を見ると、彼は悪戯っぽくエリザにウインクを飛ばしていた。
「あはは、いいね! いい感じよ、少年!」
エリザが手を叩いて笑う。クオンの臆面もない態度が気に入ったらしい。
「ぼくはクオンだよ、エリザ」
どこか不服そうでいて、満更でもない表情を浮かべる弟を見て、カナンは、肩を落として嘆息した。すぐ左から、
「わたしじゃ不満ですか?」
サラは悲しそうなまなざしだった。
カナンは、慌てて答えた。
「いや、そういうことじゃなくて――」
言い訳がましくなるのを否定出来ない。
「なんか、あいつの将来が怖くて怖くて」
「可愛い弟さんじゃないですか?」
おずおずと、サラ。
「ま、それは認めるさ」
実際、そうだろう。クオンのような弟なら、だれだって欲しがるかもしれない。働き者で、家事全般を軽くこなし、頭もよく、運動神経もいいし、いつだってあっけらかんとしているから一緒にいても疲れない。口の悪さも、クオンにとっては愛嬌になるだろう。
カナンがそんなことを考えているうちに、前のふたりが歩き出した。つられて、後列のカナンとサラも歩き始める。
「やっぱり、今日はパレード?」
「そ。パレードがよく見れる特等席があるんだ」
「?」
前列のふたりが盛り上がるのは無視して、カナンは、ふと後ろを振り返った。強い視線を感じたのだ。
噴水の傍にひとの姿はなく、獅子の石像が佇んでいるだけだった。
「どうかされました?」
「いや、なんでもない」
言って、前に向き直ろうとしたカナンの視界の端で、獅子の石像がにやりと笑った――
「!?」
もう一度振り返るが、獅子の石像に変化は見られなかった。
(気のせいか……)
ただの錯覚だろう。毎晩毎晩飽きもせず徹夜しているから、そんなくだらない幻想を見てしまうのだ。言い知れぬ不安をそんな結論で打ち消して、カナンは、小首を傾げるサラに微笑みかけた。
「ほんとになんでもないよ」
「そうですか……?」
サラも背後を振り返ったが、なにもなかったのだろう。怪訝な表情で前に向き直る。髪が揺れて、芳しい花の薫りがした。
市民の日のパレードは、直轄区の中心たる市庁舎を出発して、まずは北の商業区へ。それから西、南、東の順に四っつの区画を逆時計回りに行進する。大都市だ。ゴールの市庁舎にたどり着くころには夜も更けているだろう。
もっとも、ガルナバは眠らない。
真夜中だろうと、お祭り騒ぎに興じるものも多い。
「ぼくらのように、ね」
「あはは、わたしまで仲間にしないでよ」
馬鹿笑いしながらクオンの背中をばしばしと叩くエリザに、カナンは、呆気にとられていた。弟が幸せそうな表情なのも不思議ではある。
「エリザって、元々ああいう性格なんですよ。お店では澄ましているみたいですが」
とは、サラ。
「知り合いだったのか。同じころに着たからちょっと不思議だったんだ」
「はい。学校で同じ教室なんです」
四人がいるのは、商業区中央駅にほど近い場所に建つ雑居ビルの五階、カナンの知人が経営する飲食店の一室だった。
《天の扉》と名付けられたその店は、東西のさまざまな料理を取り扱っていて、味もまずまずだろう。個室制で、ガラス張りの部屋からは、中央駅前を見渡すことができた。
「ここからなら市長の顔まではっきり拝めそうね」
エリザが、満足そうに笑う。
市長を中心とするパレードが商業区を行進するときは、決まって中央駅前の広場に止まって軽い演説を行うのだ。
そのため、この時期になると中央駅近辺の飲食店などは予約ですぐ一杯になった。
カナンが、この《天の扉》の一室を予約できたのもたまたま偶然に過ぎない。友人だからといって、先客の予約を取り消してもらうなんてことはありえないのだ。店の信頼に関わる。
そして、エリザやサラを誘えたことは奇跡だった。もし、彼女らとデート出来なかったなら、カナンはクオンと兄弟ふたりでパレードを観覧しなければならなかったのだ。
カナンの想像するに、それはあまりにぞっとしない絵面だった。
「はっきりくっきりしっかりさっぱりね!」
こんな妙なテンションの弟と二人っきりなど、悪い冗談にもならない。が、そうなる可能性もあったことを考えると、無計画に予約などするべきではないと、いまさらながらに思うカナンであった。
「こんなお店、初めて入りました。なんか緊張しますね!」
と、サラ。そわそわと落ち着きなさげに室内を見回している。さっきまでの清楚なお嬢様のイメージとはかけ離れた、子供のようにきらきらとした瞳だった。
広い一室だ。大人でも十人くらいなら余裕で入ることが出来るだろう。古めかしい調度品の数々は、この部屋に高級感を与えることに成功している。
もっとも、古今東西の古物や雑貨をなんの目的もなく集めた感じもあり、かなり混沌としていた。まるで、興行特区を一部屋にまとめたような、そんな印象すらある。
「趣味は悪いけどな」
天井を翔るかの如く吊るされた龍の彫像と、それを取り巻く小さな天使たちの像を見ながら、カナンは、ぼそっとつぶやいた。見るからに高価なその龍の像の手足に掴まれた水晶から、淡い光が降り注いでいる。主張の少ない穏やかな光は、部屋の雰囲気によくあっているだろう。
四人がけのテーブルは、パレードがよく見えるようにという配慮からか、ガラス張りの壁際に配置されていた。テーブルクロスに描かれた幾何学模様が美しい。料理はまだ前菜も運ばれていないが、すぐに来るだろう。グラスに注がれた水すらも輝いて見えたなら、重症だろうか。
「そう? 結構いいと思うよ」
エリザが、隣のクオンの頬をつつきながら、カナンに言う。どうやらクオンのことを本当に気に入っているらしい。
「異論なーし」
幸福そのものの表情を浮かべるクオンが、カナンにはどうも小憎たらしい。
「わたしも、別に悪趣味だとは想いませんが……」
遠慮がちに、サラ。カナンを気遣ったのだろう。その事実が、カナンを余計にへこませた。
「俺はただ天使が嫌いなだけさ」
カナンは、ひとり嘆息した。特に理由があるわけでもない。天使をモチーフとしたものを見ると、無性に壊したくなるのだ。自分でも、その原因がわからなかった。記憶の中の空白部分にその答えが描かれているのかもしれないが、いまはそんなことを考えている場合ではなかった。
「はーい」
クオンが返事をしたのは、カナンが沈思黙考――というほどのものではないが――している間にドアがノックされたからだろう。ドアが開かれ、黒と白が入り混じったような独特の制服を身に纏ったウェイターが、テーブルに前菜を並べていく。
その長身のウェイターと、カナンの目が合った。
カナンの視界が歪む。
世界が軋む音が聞こえた――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「カナン、こんなところで油を売っていたのか……」
(うげ、厄介な奴に見つかった)
目の前にいつものような半眼でこちらを見下すように佇む女を認めて、カナンは、心底嫌そうな顔をして見せた。相手にまったく効果がないことも承知だったが、そんな態度でも取らないことにはやりきれない気がした。
「リリス……」
「なんだ? また有給休暇でも申請する気か? そんな人間社会的な権利がおまえにあるわけがないだろう」
あきれ果てた顔で、女。長く流れるような銀髪が目を引くが、彼女の特徴はそれだけではない。整った顔立ちは同性さえも惹きつけて止まず、エメラルドグリーンの瞳に見つめられたものは、呼吸することすらままならない。突き出たバスト、ウェストからヒップへ至る美しい曲線は、天に祝福された究極の肢体のひとつなのかもしれない。そのだれもが息を呑むような肢体を出し惜しみするかのように、身に纏う黒装束に隙はない。
リリス=ラグナガーデン。その仰々しい名を、彼女自身気に入ってはいないらしい。
「そうじゃないさ。ただ、ひとがいい気になって夢を見てたんだ。無理やり起こされれば、誰だって――」
カナンは、リリスと視線を交わすのを嫌って、顔を背けた。暗い室内。様子はわからないが、雨の音が聞こえた。そういえば、嵐が近いという報告を受けていたことを思い出す。
「夢? おまえが?」
リリスが、嘲笑う。なにもかも知っているような口調だ。いや、実際すべてを知っているのだろう。それがカナンにはやりきれない。
「《悪魔》の見る夢など、ただひとつだろう?」