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第五夜 夢の墓標(2)

「あっけないものだな」

 リリスは、後方から響いてきた爆音を受けて、すぐ後ろの少女を振り返った。黒いワンピースの少女は、鼓膜を劈くような爆音に耳を塞いでいた。

ふたりが立っているのは、工業区と直轄区を隔絶する長大な門の手前だった。《聖躯》の攻撃対象がこちらからカナンへと移ったのを見逃すリリスではない。彼女は、少女とともに目的地を目指していた。

《聖躯》と《悪魔》の戦いに見とれている場合ではない。元より、結果のわかりきった勝負だ。そんなものに興味はない。

「カナン……」

 か細い少女の声は、なぜか爆音にもかき消されずリリスの耳に届いた。きっとこの世界が夢だからだ。疑問にもならない。

 彼女の視線を追うと、遥か遠方で《聖躯》の巨体が爆炎に飲まれ、完膚無きまでに破壊されていくのが見えた。紅き衣の《悪魔》の後ろ姿は、リリスの胸中に幾許かの感傷をもたらしたが、それも一瞬のことに過ぎなかった。感情の揺らぎよりも目的が優先され、心は是正される。

「彼が勝った。ただそれだけのことだ。君は君の目的だけを考えろ」

 少女に告げて、リリスは、門へと向き直った。前方には、直轄区と呼称されるガルナバの中心区画と、工業区や商業区などの周縁部を分かつ長大な城壁が横たわり、たったひとつの巨大な門は既に開け放たれていた。まるでこちらを迎え入れるために開かれたかのようだが、そうでもあるまい。

「はい」

「行くぞ」

 リリスは、少女の手を取ると、再び駆け出した。

 門の向こう側に広がっていたのは、直轄区の純白の町並みだった。立ち並ぶ白亜の建物は、それら自体が輝いているかのように眩しかった。いや、実際輝いているのかもしれないが。

 頭上は晴れ渡り、さっきまで鉛色の空だったとは信じられないが、信じる必要もない。ここは夢の世界だ。なんだって起こり得たし、天候が激変することくらいどうということはないといっていい。

 完璧に整備された道路には、傷や汚れなどひとつとして見当たらず、それは周囲に立ち並ぶ高級住宅にも同じことが言えた。磨き抜かれた白亜の建物たちが、この区画を格調高い空間へと押し上げている。

「夢の都というだけのことはあるか」

 リリスは、人気のない通りを進みながら、呆れるようにつぶやいた。見事なまでに高級そうな建物が乱立しているところをみると、直轄区とは名ばかりの高級住宅街なのかもしれない。

「このまま真っ直ぐでいいのか?」

 リリスは、前方に林立する高層建築物を見遣りながら、少女に問いかけた。

「はい。この先に進めば、きっとなにかが……」

 とはいうものの、彼女にもなにがあるのかはわかっていないのだろう。自信なさげな声音がすべてを物語っている。それでも前に進むしかない、とでも言いたげな表情ではあったが。そして、いまは、彼女の持つ特異な可能性に賭けるしかないのも事実だ。

事態を打開し、状況を一転させるためとはいえ、そのようなものに縋るしかないのは腹立たしかったが。

「夢を終わらせるために?」

 どこからともなく聞こえてきたのは、リリスにとっては懐かしくも忌まわしき存在の声だった。叫ぶ。

「クオン=シオン!」

 不意に、リリスの視界の真ん中――広い道路の中央に、大きな扉が出現した。唐突に、扉だけが現れたのだ。その古びた両開きの扉は、硬く閉ざされているように見えた。まるですべての存在を拒絶するようなそんな不穏な力を感じて、リリスは目を細めた。足を止め、少女を庇う。

「やあ」

 扉の裏から、ひょっこりと顔を出したのは、黒髪の少年だった。少女と見まがうほどの容姿は、美しいというよりは可愛らしいといったほうが適切だろう。見た目には十代半ばくらいなのだが、それの生きてきた時間を外見で判断するのは端から間違っている。姿形などいくらでも変えられるのが、目の前のそれであり、工業区にいる彼なのだ。

 そして、ここは夢の国だ。リリスですら自在に変身できるかもしれない。望むならば、どのような存在にだってなれるのかもしれない。それは多くの者にとって甘美な誘惑であろう。しかし、みずからの存在に誇りを持つ彼女にしてみれば、理解し得ない感情だった。

「ひさしぶりだね、リリス」

 昔と変わらぬ調子で手を振ってきたクオン=シオンに、リリスは、あざやかな笑みを投げ返しながら右手を掲げた。エンジェル・リングが即座に術式を構成し、魔法の完成を待ち焦がれる。

「我が右腕は汝を貫く」

 すらりと伸びたリリスの右腕が、鮮烈な白銀の光を発した。銀光は、爆発的に膨れ上がると、クオン=シオンに向かって収束していく。

「容赦ないね」

 白銀の光に曝されながらも、クオン=シオンがにっこりと笑ったのをリリスは見逃さなかった。銀色の光芒がクオン=シオンに直撃し、爆裂する。轟音が鳴り響き、衝撃波が周囲の道路を抉った。しかし、扉には傷ひとつつかない。

「いまのは……?」

 少女が驚くのも無理はなかったが、リリスは、説明する気にもなれなかった。手応えはあった。先の魔法は間違いなくクオン=シオンに到達し、その肉体を徹底的に破壊しただろう。だが。

「さすがは死の天使」

 軽い拍手とともに聞こえてくるのは、クオン=シオンのあいも変わらず不愉快な声であり、リリスは、再び必殺の魔法の構成を始めた。嘆息などはしない。わかりきっていたことだ。

「悪魔と見れば、例え旧知の相手でも問答無用に滅殺魔法。素敵だね」

 心の底から愉快そうに歌うクオン=シオンの姿は、扉の上にあった。扉の枠に腰を下ろして、こちらを見下ろしている。

 リリスは、掲げていた右腕を頭上に持ち上げた。告げる。

「我が指先は汝を切り裂く」

 リリスは、右手の五指を開くと、そのまま斜めに振り下ろした。発光する指先が、五本の光条となってリリスの視界に弧を描く。

「素晴らしい殺意だ」

クオン=シオンがうっとりとつぶやいた瞬間、彼の体が切り裂かれて、その五体がばらばらになった。もはやただの肉塊と化して落下するクオンの体から噴出した鮮血が、雨のように降り注いで扉の周囲を赤く染め上げる。しかし、それでも扉だけは無事だった

「やはり、君は素敵だよ。リリス。だからカナンも君を気に入って――」

「我が掌は汝を潰す」

 再び扉の影から姿を見せたクオン=シオンに対し、リリスは間髪を入れず必殺の魔法を叩き込んだ。右手を翳し、開いていた掌を強く握り締める。

 クオン=シオンの華奢な体が、周囲からの強大な圧力によって、ぐしゃりと潰された。まるで、透明な巨人の掌に握り潰されたかのようだった。血飛沫が飛び散り、扉の周囲をさらに凄惨にしていく。

「――そう、だからぼくは君が気に入らないんだ。きっとね」

 と、扉にもたれかかるようにして、クオン=シオン。周辺に転がっていたはずの彼の死体は、跡形もなく消え去っている。血の跡も、だ。

 リリスは、ここにいたってようやくため息を浮かべた。無駄に力と時間を費やしただけに過ぎないという事実に、あきれざるを得ない。

「……なぜ、わたしの前に出てきた? クオン=シオン」

「ようやく話をする気になったかい? 嬉しいな」

 クオン=シオンの言葉は、ある意味本音なのかもしれない。リリスはうんざりとしながらも、相手の返答を待った。攻撃したところで意味がないことはいまさっき証明したばかりだ。

「ま、君に用があるわけじゃない。無論、カナンにもね」

「この娘か」

 リリスは背後を振り返った。碧眼の少女は、事態を飲み込めずに困惑していた。

「ピンポンピンポン♪ 大正解♪」

 拍手喝采といった調子のクオン=シオンに対し、リリスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるだけだった。苛立たしいが、どうすることもできない。その事実が、リリスの怒りをさらに増幅するのだ。

 いわゆる、悪循環という奴だろう。

「いったい、なんなんです? わたしは……」

 意を決して声を上げた少女に、クオン=シオンが微笑を浮かべた。少女のような外見を持つ化け物の微笑みは、さながら天使の微笑だった。

「君は自分の正体が知りたいんだろう? 自分が何者で、なんという名前だったのか、知りたいんだよね?」

 クオン=シオンは、すっと扉から背を離すと、右手でその門扉を叩いた。

「答えは、この扉の先にある」


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