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第五夜 夢の墓標(1)

 頭上には曇天があった。重くのしかかるような空はいまにも泣き出しそうに見え、輝かしい夢というよりも、恐ろしい悪夢の光景に近い。

 周囲に広がっていたはずの町並みは、嵐のような爆撃によって徹底的に破壊されていた。まるで戦争でもあったかのようであり、実際のところ、戦争といっても過言ではないのかもしれない。

 天使と悪魔の闘争。

 爆撃の嵐は止んでいる。状況を確認するためではあるまい。相手とて、こちらの無事を認識しているはずだ。最も忌むべき敵対者が眼前に立ち塞がっているという事実を、完全に把握しているはずだった。

 それでも、その眼で確認しなければ気が済まないのだ。

「面倒な性分だな」

 カナンは、だれとはなしにつぶやきながら、それは自分も同じなのかもしれないと思った。結局のところ、肉体を持てば、みずからの耳で聞き、己の目で見たものしか信じられなくなるのだ。

 人間と同質の血と肉を得た時点で、感覚も思考も緩慢にならざるを得ない。

 だが、それは仕方のないことだ。

 カナンは、自身の肉体を見下ろした。少年の姿を模した肉体が纏う真紅の外套は、さながら陽炎のように揺らめき、彼の実体さえも捉えがたいものにしていた。都市を灰塵に帰すほどの爆撃を防ぎ、彼と彼の保護対象を守りきったのは、その外套に秘められた力にホカナラナイ。いまや失われたはずの七王の力、その片鱗。燃え盛る炎のような真紅の装束と外套がその証だった。

 煉獄の紅蓮と呼ばれる。

 その呪われた力のおかげで、彼の肉体は愚か外套には傷一つさえついていなかった。《聖躯》がもたらしたのは、夢の都の崩壊という皮肉めいた事態だけだ。

(が、それさえもユメマボロシと成り果てる)

 胸中でつぶやく。これが誰かの見ている夢ならば、そうなるだろう。元通りとなるのか、はたまた別の都市が作り上げられるのかはわからないが、一瞬のうちに作り直されるだろう。

 夢見るものを叩かねば、事態を収束させることはできない。

「その姿は……!」

《聖躯》を通して聞こえる力天使の声は、まるで割れ響く歌声のようであり、耳を塞ぎたくなるほどの騒音だった。廃墟と化した街の上空で、幾重にも反響する。熱気渦巻く空の上に、音波を遮るものなどないというのに。

 いや、と、彼は胸の内でかぶりを振る。あるのだ。遥か頭上を覆い尽くす見えざる天蓋が、四方彼方に聳え立つ分厚い隔壁が、確かに存在している。それが《封印都市》なのだ。

 ここは《封印都市》ガルナバ。夢の都などではありはしない。

「煉獄の紅蓮!」

《聖躯》の叫び声には、感情が揺れていた。過去の記憶、恐怖でも喚起されたのだろうか。激しい怒りと嫌悪に満ちた叫び声は、彼の耳朶に心地よく響く。

「ふむ……」

 紅蓮の業火のように燃え立つ外套を閃かせながら、彼は、前方を見やった。目を細める。 

 熱気逆巻く視界に浮かぶのは、《聖躯》と呼ばれる巨大な構造物である。全長数十メートルを優に越すそれは、兵器の概念を超えていた。対悪魔殲滅兵装の呼称は伊達ではなく、分厚い装甲に覆われた巨躯、無数の砲頭、四本の腕に四つの武器、三重のエンジェル・リング――どれをとっても、ただの力天使であった以前とは比べようのないものだった。

 そして、力天使――エリザールといったか――が独自の裁量で運用するには、あまりにも強大な力だ。神勅もなければ加護もないにも関わらず顕現している。あるのはただ、

(夢の力か……)

 彼は口の端を歪めた。ようやく理解したのだ。このくだらない夢の正体にたどり着いた。あまりに安易で安直な答え。遥かに遠く、限り無く近い。

「なにがおかしい!」

「なにを恐れているのかと思ってな」

「なにも恐れてはいない!」

 間髪を入れずに投げ返された天使の言葉が帯びた熱量に、カナンは、むしろ冷ややかな面持ちになった。激情ほど天使に似つかわしくないものはない。故に告げるのだ。

「そりゃあ、そうだろう。おまえたち天使は、なんの感情も抱く必要はない。恐れも、憎しみも、悲しみも、怒りも」

 カナンは、外套を翻した。《聖躯》の全砲門に力の集中を認識したのだ。嵐のような砲撃が来る。

「《悪魔》の世迷言など!」

《聖躯》が、叫んだ。すべての砲口が火を噴き、止めどない力の奔流が放たれる。轟音と閃光が、大げさではなく世界を震撼させる。

 吹き荒ぶ破壊の嵐の中で、しかし彼は眉ひとつ動かさない。破壊的な爆撃の雨は、彼の肉体を傷つけることもない。先と同じだ。全身を覆うように展開した陽炎のような防壁が、砲撃の尽くを受け止め、無力化している。《聖躯》による砲撃程度では、防壁を打ち破ることはできないだろう。

 それだけでは留まらない。

「道理だな。所詮は力無き《悪魔》の戯言。無残な夢の残骸に等しい」

 外套より発散される熱波が、敵の攻撃を防ぐよりもむしろ破壊していく。防壁の向こう側に炎の花が咲き乱れ、目に痛いくらいあざやかな光景を描き出す。爆音の乱舞で聴覚がいかれたとしても仕方がないだろう。

「其は《憤怒》。煉獄の紅蓮。狂おしき怒りを紅蓮と燃やし、激情さえも焼き尽くす」

 彼は、無意識に放出している力を制御すると、悠然と構えた。空中。重力による支配からは、既に解き放たれている。

「その程度!」

《聖躯》が、叫びとともに繰り出してきたのは、巨大な剣による斬撃だった。長さにして十メートル以上はあるだろう波形の刀身は、淡い光を発しながら大気を切り裂き、彼へと襲い掛かってくる。

陽炎の霊印の剣グリムグラス、ね」

 彼は、脳裏に浮かんだその兵器の名を口にして、左手を掲げた。

「西方大陸の地妖どもが全身全霊で作り上げた対巨人兵器だろう?」

 発熱する大剣は、カナンに到達する前に動きを止めた。動けなくなったのだ。カナンが掲げた左手の袖から伸びた炎の渦に絡みつかれ、進むことも引くこともままならなくなっていた。

カナンは、囁くように言った。

「そんなもので俺を殺すなどというのは、《悪魔》を見くびりすぎだろう」

 剛剣が、圧壊する。熱量と圧力に耐え切れなかったのだろう。大剣の破片が虚空に散乱したが、大半が炎の渦に飲まれて溶解していった。

「わかっているわ」

《聖躯》の冷笑は、こちらの実力を見くびっているからだろうか。あるいは、夢の中で自分に敵うものなどいないとでも信仰しているのかもしれない。

(違うな)

 彼は、《聖躯》の右手に握られていた投槍がいつの間にか消えていることに気づき、考えを改めた。グリムグラスによる斬撃は、陽動。

(本命は……)

 頭上を仰ぐ。三叉の投槍の分裂したひとつが、明確な殺意とともに、こちらに向かって降ってくるところだった。無論、それだけではない。背後と、下方からも鋭利な殺気の接近を感じた。

「それでも、駄目だ」

 彼は、まるで指揮でも執るかのように両腕を振るった。真紅の外套が熱を帯び、膨張する。それこそ紅蓮の業火となった外套の袖が、幾重もの軌跡を描いて彼の周囲を朱く染め上げていく。

貫くものクラウセファーも、所詮は、巨人が天軍に対抗するために製造した兵器に過ぎない」

 頭上へ伸びた紅蓮の螺旋が紅き投槍に絡みつき、背後で渦巻いていた獰猛な炎は、飛来した投槍を叩き落して、砕けた破片を燃やし尽くした。下方より上昇してきた投槍もまた、真下へと展開した猛火に飲まれ跡形もなく消え失せた。

 彼は、それでもなお攻撃が止まないことは予期していた。不意に、視界が純白で塗り潰される。強烈な電熱を帯びた衝撃が、彼の肉体を揺さぶり、痛覚を激しく刺激した。

「輝天光杖――グヲールニール!」

 カナンは全身を焼き尽くすほどの電熱の嵐の中で、軽く舌打ちした。白く染まる視界では、相手を視認することも許さない。外套も装束もずたぼろにされ、原型を失っていく。が、元より形などあってないようなものだ。どれだけ綻びようとも、即座に縫い合わされる。

「これで終わる!」

《聖躯》の勝ち誇った声が、彼の意識を休息に凍てつかせた。電熱による痛みはあるが、それを遥かに上回るものが彼の頭を痛打した。湧き上がってくるのは、冷ややかで厳かな怒り。数多の熱線となって肉体の表層に現れ、装束の綻びを縫っていく。

「なにが終わるというんだ?」

 視野が広がっていく。眼前には、《聖躯》の巨躯が在った。まさに目と鼻の先。電熱の嵐に曝されている間に接近してきたのだろう。そして、彼の小さな肉体は、その巨大な右手の内にあった。どうやら、握り潰されようとしているらしい。

 彼は、その冗談のような状況の中にあって、笑みひとつこぼさなかった。危機感もなければ、恐怖もない。あるのはただ、純粋な怒りだ。目の前の力天使だけに対する怒りではない。このくだらない夢を構成するすべてへの怒り。なにもかもを焼き尽くす煉獄の業火のような怒りが、彼の意識を紅く染め上げている。

「おまえ如き端役天使が俺を終わらせる? 笑わせるな」

「笑いたければ笑えばいいのよ。どうせ、終わるわ」

《聖躯》が、彼を掴んだ手に力を込めた。容赦ない圧力に人体を模した肉体が呆気ないほど簡単に押し潰されていく。全身が情けないほどの悲鳴を上げるが、彼は、冷ややかに《聖躯》を見ていた。死に至るほどの痛みさえ、怒りによって塗り替えられる。

「言っただろう? 天使はなんの感情も抱かなくていい、と」

彼は、続ける。《聖躯》の頭部――仮面に覆われた顔を見据えたまま。

「天使は夢を語ってはならない。天使は夢を謳ってはならない。天使は夢を紡いではならない。天使は夢を望んではならない」

 全身が粉々に砕かれるほどの圧力と痛みの中で、それでも彼は言葉を発し続ける。恐れるものなどなにもないのだから、止めようがない。

「天使は、機能でありさえすればいい。歯車でありさえすればいい。端末でありさえすればいい。自我も意思も必要ない。夢など、不要の極みだ」

 唐突に、カナンを握り潰そうとしていた《聖躯》の右腕が吹き飛んだ。全身にかかっていた圧力が消え去り、包み込んでいた掌は、カナンが両腕を動かしただけで外れた。激痛は残っている。全身の骨という骨がばらばらになっていたとしても、不思議ではない。

《聖躯》の仮面の向こうで、力天使が愕然とするのがわかった。なにが起きたのかわからなかったのだろう。対象を手中に収めて、注意が疎かになっていたに違いない。でなければ、あの程度の攻撃など防げたはずだ。そのための盾であるはずなのだから。

「夢を見たけりゃ、地獄に堕ちろ」

 彼の宣告とともに、真紅の外套が爆炎となって広がった。一瞬にして天を埋め尽くした紅蓮の猛火は、暴虐の嵐となって猛り狂う。破壊の奔流。幾重もの螺旋を描きながら、《聖躯》の巨体へと殺到する。怒涛の如く。

「落ちて」

 驟雨しゅううの如く降り注ぎ、波濤の如く打ち寄せる破滅的な業火が、《聖躯》の巨体を蹂躙していく。

「墜ちて」

 対魔法装甲が傷つき、歪み、打ち砕かれる。剥がれ落ち、溶解し、破壊が加速する。爆炎が爆炎を呼び、轟音が深紅の空に響き渡る。天使の悲鳴は聞こえない。連鎖的な破壊音が、彼女の絶叫すらかき消したのかどうか。

「堕ちてしまえ」

《聖躯》が崩壊を始めるのに、さして時間はかからなかった。要塞じみた兵器の最後にしては呆気なかったが、圧倒的な火力を前にすれば、なにものであれ、あきれるほど簡単に沈むものだ。相手が悪かったのだ。

 カナンは、凶悪なまでの炎の中で、嘆息するように告げた。

「そうすりゃ愛してやるよ。おまえの夢見る心も、すべて」

《聖躯》が、爆散する。

 曇天を掻き乱すほどの爆発光が、《聖躯》の最後を盛大に飾り立てた。


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