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〇・八六

作者: ペンタコン

 最初に鳴るのは、いつも通知音だった。登校の電車が駅に滑り込むころ、ポケットのスマホが小さく震える。校内AI〈Iris〉が〈総合〉板の“文化祭プロジェクト班”を更新して、三つの名前が同じ枠に並ぶ——合唱企画班。陸、葵、そしてボク。ボクだけ“ヘルプ(技術)”の文字が追記されている。手伝い役。悪くない位置だ、とそのときは思った。ボクたち三人は、何かにつけて同じ班や当番に寄せられる。掃除当番、図書委員のシフト、体育祭の用具係。たぶん、これまでのログに合わせてIrisの重み付けが少し傾いているのだ。合理的で、少し冷たくて、切ない判断だ。


 ホームルームで担任が言った。「先に通知した通り、今年は全員合唱でいく。歌わない・歌いにくい人は当日裏方で参加。本番までの役割分担は班ごとに回す」。黒板には班の一覧。合唱企画班(楽曲と計画)、舞台・照明班(立ち位置とキュー)、PA・録音班(マイクと伴奏出し)、衣装・小道具班(リボンと譜面ファイル)、広報班(ポスター、チラシ)、記録・SNS/リスク管理班(撮影と注釈運用)、会計・購買班(備品と印刷)。Irisはその横で、提出期限と連絡の矢印を静かに点滅させていた。


 朝のホームルームが終わってすぐ、一時間目の教室は、チョークの粉と濡れ雑巾の匂いが混ざっている。窓の外は薄い雲、体育館からはバスケットボールの音。Irisの画面には、小さく今日のタスクが並ぶ。


《合唱班A-3:譜面印刷→伴奏データ作成→発表練習》

《共通話題:合唱・サッカー・雨》


 共通話題というぎこちない言葉にボクは笑いそうになる。誰が雨の話で距離を縮めるんだろう。たしかに外は降り始めていたけれど。


 そして昼前、SNSにスクショが回った。


《互換度86%(陸×葵)》


 誰かがIrisのダッシュボードを切り取ったのだ。よく見ると小さく「※課題達成推定速度です」と注釈があるけれど、指で拡大しないと読めない程の文字だ。数分のうちに、数字は“相性”という言葉に意味を変え、教室の空気を少しだけ賑やかにした。変換は人の方が速い。

「やっぱりさ、あの二人ってお似合いだよね」

 隣の席の女子が前の席の友達に囁くのが聞こえた。別の席では、男子たちがにやにやと目で笑い合っている。ボクはどちらにも加わらず、ただタブレットに表示されたIrisの画面を眺め、タスクの順番を意味もなく入れ替えることで、表情が動くのを防いだ。

 渦中の陸と葵は、そんな動揺を気にも留めず、涼しい顔をしている。陸が「なんだそれ?」と笑い飛ばし、葵が「効率の話でしょ」と冷静に受け流す。

 廊下に出ると、班の仕事がもう始まっていた。照明班は舞台の紙に色鉛筆で光の矢印を描き、PA班はマイクの本数を数えている。衣装班がリボンの色見本を回し、広報班はラフスケッチの文字の角度で揉めていた。記録班は校内SNSのガイドラインに「※注釈を切り取らない」を追加して、会計班は見積書の写真を撮る。全員合唱に向かって、それぞれの手が別の角度から同じものを支えている。

 放課後、音楽室に集まる。伴奏のMIDIデータを作るのはボクの役目だ。構成は、陸が指揮、葵が冒頭四小節だけソロ、その後は全員合唱。間奏で男声・女声の掛け合い、最後は全員ユニゾン。Irisのソフトにコードを打ち込むと、まっすぐなピアノの音が流れる。陸が指で二拍を切り、葵が吸う息がそこにぴたりと重なり、そして発声する。A=440の音叉みたいに、まっすぐで、気持ちのいい一致。鼓膜の奥が少し熱くなる。これは嫉妬だと分かるくらいには静かな熱さだった。

「もう一回、最初から」と葵。

「ね、四分休符って……このワカメみたいなやつ?」陸が譜面の端を指でつつく。

「ワカメじゃないからそれ。食べらんないから」葵が肩で笑う。「はい、四拍で入るよ。せー……」

「四拍? 二つ数えるだけじゃ足りない?」

「足りなくはないけど、数える前に息を合わせるの。……ほら、こう」 葵が陸の手首の上で、軽く四拍を切ってみせる。陸は「なるほど」と言いながら、わざと大げさに息を吸って葵に小突かれる。

 二人の笑いが同じ高さで弾んだ。窓からの午後の光がその笑いを薄く照らす。ボクの胸が、きゅっと痛くなる。眩しい、と思った。嫉妬と同居できる種類の眩しさだ。ボクはメトロノームをほんの少し遅くして、曲の端を整える。手を動かしていると、気持ちは落ち着く。画面の右上は沈黙したままだ。何か数値が出れば、冗談の種にできるのに。何も出ないから、ボクの胸だけがざらついている。


 翌朝、教室の空気が昨日よりもざわついていた。葵を標的にした短い切り貼り動画がSNSに流れたのだ。文化祭とは関係のない、去年の体育祭の映像や授業中の何気ない発言を繋ぎ合わせたもので、悪意があるかと問われれば、ないと答える者もいるだろう。ただ、言い方の角度、切り取られた表情、テロップの付け方、そのすべてが、彼女を少しだけ滑稽に、少しだけ傲慢に見せるように巧妙に編集されていた。発火点は、きっと昨日の《陸×葵 86%》のスクショだ。あの数字が、二人に向けられる視線の性質を変えてしまった。嫉妬や好奇心といった、普段は隠されている感情の蓋をこじ開けたのだ。動画は瞬く間に拡散し、「ウケる」「ちょっと調子乗ってるよね」といった無責任なコメントが連なっていく。

 陸も葵もさすがに言葉はなく、机に向かい顔を伏せている。

 ボクは理科準備室に駆け込み、アクセスログのルートを追う。初動三十分・拡散ピーク二時間。生徒会に技術担当として所属するボクは、Irisに管理者権限で入ることが許可されている。監査画面には次の一文が静かに並んでいた。


《Iris\_Log 09:12 互換度とは課題達成推定速度。情緒的関係性は推論外。》


 所定の場所に、正しく配置された正しい注釈。ただし小さすぎるのだ。小さいから見落とされ、好きなように誤読される。

 どこから燃えたのか、痕を拾って束ねる。スクショの切り抜き。注釈が切り捨てられた痕跡。拡散を実行した最初の三人。ボクは息を止めたり吐いたりしながら、証拠の束を作った。これをプリントアウトしてクリップでまとめAIで経緯を要約する。デジタルの情報を紙にすると、やることが少しだけシンプルになる気がする。

 昼休み、生徒会室のドアの前で立ち止まる。ノックの回数を数える。三回。ドアが開いて、先輩が顔を出す。

「藤川か。どうした?」

「すみません、お昼時に。これ、いま校内で回ってるデマの出どころに関するログとレポートです」

 ボクは手元のプリントの束を差し出した。先輩は怪訝な顔をしながらもそれを受け取り目を通し始めた。彼の表情が、徐々に険しくなっていく。

「……なるほど。拡散元はこいつらか。よく突き止めたな」

「ヘルプなので」

「ヘルプ?」

「文化祭の……」

 先輩は曖昧にうなずいた。

「わかった。助かるよ。これは生徒会で預かって、すぐに顧問の先生にも回す」

「お願いします。あと、Irisの注釈は先頭に大きめに表示するのが良いと思います」

「分かった」

 廊下に出ると、心拍が少しだけ遅くなっていた。Irisの画面には小さな文字が一つ増える。


《Iris\_Log 12:40 注釈のフォントサイズをあげて先頭表示:申請中》


 その日の放課後は、空がやわらかく晴れた。雨は上がって、アスファルトから薄い匂いが立ちのぼる。音楽室の窓を開けると、廊下の向こうで陸が手を振った。

「湊、今日、テンポ二つ上げていい? オレ、サッカー部だからさ」

「なんだよ、それ」

 葵が譜面を胸に抱えて、少し笑った。視線が重なる。ボクは笑い返す。意外と笑顔は簡単に作れるものだ。


 本番前日の放課後は、役割分担の区分がいちばんはっきり見えた。パートリーダーが音取りの最終チェックをして、舞台・照明班は立ち位置のテープを貼り直す。PAは伴奏の出だしのレベルを合わせ、広報班がプログラムを折り、衣装班は落ちかけたリボンをピンで留める。記録班はSNSの配信設定で注釈を先頭に固定して、会計班はレシートを並べる。Irisは全体の矢印をまた少し滑らかにした。班の役割はここまでだ。本番は歌うことに抵抗がある数名の生徒以外ほぼ全てが合唱に回る。ダイレクトメッセージで呼び出され、生徒会顧問に絞られていた三人も教室に入り、静かに合唱の列に加わった。


 文化祭の本番、舞台袖はひんやりして、客席のざわめきだけがあたたかい。照明の光が床に四角い湖をつくって、その境目に立つと、音が少し違って聞こえる。ボクは二人のところへ歩いていって、短く言った。

「デマ、止まると思う。これ、経緯を要約したもの」

 証拠の束をAIに一枚に要約させたものを葵と陸に手渡す。生徒会向けに作成したものとは別バージョン。名前はぼかした。もちろんもう知っているだろうけれど。葵はうなずき、陸はいつもの調子で「助かったよ」と言う。その“いつも通り”が、今日は少しだけ胸に刺さる。刺さること自体、悪くない。ちゃんと気持ちがある証拠だから。

「でも、どうしても言っときたいことがある」ボクは一度だけ息を吸う。「ボク、いま二人に嫉妬してる。しんどい。だから今日は前に出ない。ヘルプに徹する」

 すごくみっともない言葉だと思った。二人と目を合わせることができない。葵の「うん」と言う声が届く。冷たくも、優しくもないフラットな声。どのみち傷つくのだから、その声の音色を素直に受け入れよう。陸が肩を軽く叩く。その力加減が、今の距離を教えてくれる。

 出番の合図。陸は指揮台へ、葵は前列のセンターへ、クラス全員が所定の立ち位置に広がる。ボクは袖に残って、音を出さない拍手をする。今日の拍手は、一〇〇%自分への拍手だ。

 ステージの音が始まる。最初の和音が空気を押し広げ、客席のざわめきが一段落する。前奏のあと、葵のソロがスポットライトに浮かび、そのすぐ後ろから全員の声が重なる。歌詞の意味が前に出すぎないように、でも控えめすぎないように、クラスの声はよく混ざる。陸の手の合図にあわせて男声・女声が掛け合い、最後はユニゾンにほどけていく。途中、中央の葵の吸気が少し早くなるのが見えた。緊張か、照明の熱か。音は一瞬だけ揺れて、すぐに戻る。ボクは袖の見えないところで同じリズムを追う。


 演目終了。舞台裏の廊下に空気の山ができる。通り過ぎる人の肩が触れていく。その波の中で、Irisの画面が小さく震えた。


《Iris\_Log 14:03 注釈の先頭表示:二年生に適用済み》


 教室に戻ると、机の上に小さな付箋が置いてあった。細い字で「ありがとう」とだけ書いてある。誰の字かすぐに分かる。丁寧で小さな文字。付箋をノートの最後のページにはさんだ。ヘルプという言葉は便利で、少し残酷だ、と思う。便利な言葉には、たぶん棘がある。


 放課後の校庭は、夕方の色が広がって、サッカー部の声が遠く聞こえる。陸の声かどうかは分からない。声は集まると似てくる。ボクは靴ひもを結び直しながら、この何日かを巻き戻してみる。三つの名前が同じ枠に並んだ朝。数字が恋に翻訳された昼。注釈の文字を大きくした午後。袖で手を合わせた夕方。ぜんぶ一つに合わせると、静かな一日になった。


 翌週、Irisのトップ画面に、小さな三角のマークが追加された。注釈の文字を畳んで置くことができるようになっている。きっと誰かが要望を出して、誰かが承認したのだろう。ボクの仕事ではないけれど、関係がないわけでもない。タップすると、画面の余白が少し広がった。

 授業の合間、陸が廊下で手を振る。

「昼、弁当一緒でいい?」

「いいよ」

 ベンチに座ると、風が紙ナプキンをめくった。陸は唐揚げを一つ差し出して「今日もヘルプよろしく」と笑う。ボクは受け取って、曖昧にうなずく。葵は少し遅れてやって来て、麦茶のボトルを置いた。三人で食べる弁当は、騒がしいのに心が静かになる。こういう時間が僕らの生活の大半を占めてくれればいいのに、と思う。

「ねえ」と葵が言う。「あの、注釈のやつ。最初に見えるようになって、よかった」

「うん」

「わたし、最後までちゃんと読んでたつもりだったけど、たぶん小ささに甘えてた」

「小さいものは見落としやすいからね」

 会話はすぐにまた唐揚げの話に戻る。大事な話は短くて、長いのはたいてい無駄な話。その配分が心地いい。


 午後の授業、黒板の前で先生が笑いながら「Irisに頼りすぎないように」と言う。クラスの誰かが「はーい」と答える。Irisの画面には、また小さな文字が増えていた。


《Iris\_Log 15:20 参照:Irisは並べ替えるだけ、選択は人間の裁量。》


 たぶん、先生が書いたのだろう。注釈が増えた。増えて、少しごちゃごちゃしてきた気がする。そういうもんなんだろうと思う。また何かあったときに、今度は別の誰かが改善してくれるかもしれない。


 帰り道、昇降口の脇に傘が一本あった。持ち主は分からない。雨はもう止んでいる。ボクは柄を軽く拭いて、傘立てに戻した。誰かがいつか雨の日に助かればいい。助けたことを誰も知らなくていい。そういう種類のヘルプも、たぶんある。

 ポケットの中で、スマホが一度だけ震えた。Irisからの更新だ。


《Iris\_Log 17:40 共有:注釈の先頭表示、学校全体に適用》


 スマホを胸ポケットに戻す。通知に振り回される日々がまだまだ続く。

 〇・八六という数字を横目に、ボクは〇・〇〇の場所に佇む。拍手の音は出さない。音のない拍手は、案外ちゃんと届く。届く相手は、もちろんボク自身だ。

ChatGPT 5 Thinkingにテーマを与えて物語の骨子を作り、全体を練って4000文字程度の下書きを作り、これをGemini 2.5 Proに渡して8000文字に膨らませました。

ChatGPTで作った4000文字の方が良かったので、こちらを叩き台とし、Geminiで作らせた文章の中から気に入ったところをうまく馴染むように当てはめていき、時系列におかしなところがないか整理しつつ語調を整えて一つの物語としました。

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