空母大鳳
大分物が違いますが名前は「 大鳳 」です。
投稿予約済み。
5月01日05:00から5月05日05:00まで10話。
10話で完結。エピソード8話。設定など2話。
1日 05:00 06:00
2日 05:00 06:00
3日 05:00 05:30 06:00 設定が2話入ります。
4日 05:00 06:00
5日 05:00
大鳳はその役目を果たしたと言える。急速建造でなんとか間に合わせ乗組員の練度も不安なままで参加した作戦は、味方空母1隻が沈み2隻が小中破という大きな損害が有ったが敵空母3隻撃沈という戦果を上げた。
大鳳は第2次ヴィンソン案を受け急遽建造された。起工が昭和十四年八月という早さだった。予算は④計画艦の前借りと流用をしている。そのため流用された艦は建造できるかどうかわからない。
艦型は構想としてあった翔鶴級拡大船型の装甲空母とする予定であったが、試算の結果、就役が昭和十八年夏以降になることが判明。昭和十七年初頭の早期就役を目指すために装甲空母を取りやめ、基本艦型を翔鶴級とし横方向を拡大し水中防御力の向上と安定性の向上を目指した。
翔鶴級がかなりの高額の建造費であることから安く作ることになり、図面をかなり流用することで設計時間と設計費用を減らし、さらに平面を増やし曲面・曲線を減らすことで生産性を上げコスト削減をした。
このため水線長は翔鶴級と同じとなっている。機関区を始め各部水線下の配置を翔鶴級と同じとし設計期間の短縮を図った。
艦首形状で水線下は翔鶴級の研究結果を生かしたバルバスバウに、水線上は優美な曲線を描く翔鶴級と違い工数を減らすために直線的なクリッパー型にした。それでもシアとフレアは大きめに取り凌波性を落とさないようにしている。このため若干艦首が長くなり重量増になったが、艦首周辺の描鎖庫など倉庫区画の容積を増やせたので良いだろう。平面板を組み合わせたような無骨な曲面(曲線ではない)であるが、性能的には変わりないと言う水槽結果が出ていた。
格納庫は錨鎖甲板ギリギリまで前に出し容積を拡大している。このため飛行甲板も前すぼみではなくほぼ長方形といっていい飛行甲板で長さも若干長くなった。
あらかじめ工場で作った区画を溶接で接合するというブロック工法を大幅に取り入れ生産性を上げコストを下げる努力もした。
機関は十六万馬力の同じ機関を使用した。同じ容積で八缶十八万馬力を出し翔鶴同等の速力を望む声もあったが高温高圧缶の信頼性研究時間が無いのと予算が増えることから採用されなかった。
高角砲も乙型駆逐艦に計画された九八式十センチ高角砲を使わずに八九式十二.七センチ連装高角砲とした。
目立つのは艦橋だ。これまでの湾曲煙突で右下方に流すのは大傾斜時に排煙困難や海水流入の不安があり、煙突後方での高温排煙も問題となっている。そこで新式の煙突一体島型艦橋となった。煙突は外側にやや傾斜している。煙突は集合煙突でファンを使用して大気を混ぜることで冷却し高温の排気が着艦時に邪魔をしないよう配慮され、同時に排気体積を減らしているので小型に出来た。ファン故障時は排煙困難となり全力発揮出来ないが、第一戦速は可能であった。ファンは三基で二基あれば全力発揮が、一基あれば第三戦速が可能となっている。
右舷側で艦橋と煙突を合計した長さも短くなり、舷側に煙突が無くなったことから対空火器などの配置に余裕が出来た。
煙突一体島型艦橋は以前より研究されていたが翔鶴級には採用されず、この艦と隼鷹・飛鷹で試験的に採用された。不評なら以降の艦は以前に戻すことになるだろう。
大きな艦橋構造物が右舷前方に出来たことから、艦首の大型化や飛行甲板延長と格納庫拡大も有り船体前部の浮力を増し飛行甲板の一部を左舷に拡げてバランスを取っている。
水中防御は翔鶴に対して拡がった幅の分で一層増し、中間に液層防御区画を配置した。
この結果、翔鶴とほぼ同じ金額で二割増しの空母が出来上がった。艦は加賀よりも大きく日本空母最大となった。
この時のコストダウン対策とブロック工法は、以降の建艦に大きな影響を与えた。
大鳳は完成した。
大鳳公試時
基準排水量 三万五百トン
公試排水量 三万五千トン
満載排水量 三万八千トン
全長 二百五十八メートル
水線長 二百五十メートル
水線幅 三十.五メートル
飛行甲板長 二百五十五メートル
飛行甲板幅 三十三メートル
機関出力 十六万馬力
推進器 四基
速力 三十一.七ノット
航続距離 九千五百海里/十八ノット
舵 主舵一枚 副舵一枚 前後配置
装甲 翔鶴に準ずる
エレベーター 三基
着艦制動装置 十基 許容着艦重量五トン
遮風柵 二基
搭載機数 常用 八十四機 補用 十二機
兵装 八九式十二.七センチ連装高角砲 八基
九六式二十五ミリ三連装機銃 十六基
高射装置 四基
機銃指揮装置 四基
電波探針儀 21号電探 一基
22号電探 二基
水中聴音機 零式水中聴音機 一基
速力は船体の幅、特に船体前部が浮力確保のため拡がり翔鶴級のような高速船型ではない。そのため計画速力も三十二ノットとされ、公試ではほぼ計画値に近い速力を発揮した。
着艦制動装置は十四試艦攻に合わせ、許容量を推定最大着艦重量五トンを上回る六トンに強化された。
カタパルトの設置空間は備えているが、性能が足りず装備していない。
搭載機数は、格納庫拡大による純増である。補用機は部品配置にも気を遣い、より短時間で組み立て可能になるような配慮もされた。
高射装置と機銃指揮装置は二基一群として射撃管制を行うが、竣工時に機銃指揮装置が間に合わず三連装機銃八基は銃側照準であった。
電探は伊勢・日向に試験搭載された電探と同じ物。電探は艤装委員長の大佐が各部を走り回り説得に成功。装備された。聴音機も最新を求めて駆け回った。
大鳳は昭和十五年十一月十八日、進水式を行った。
竣工は昭和十六年十二月十四日。開戦から六日後のことである。
公試期間は、異例の大型艦橋を右舷に持つ大型空母であることから搭載重量の変化による旋回時の傾斜や注排水能力の確認と大重量に耐える新型着艦制動装置の確認に時間を取られ、艦隊編入は昭和十七年二月一日となった。
艦隊編入後も一筋縄ではいかなかった。公試前に錬成中だった搭乗員が機体ごと減っていた。現実でも書類上でも有るはずの航空機が定数無いのである。同じく母艦搭乗員も揃わない。その影響で格納庫の搭載機数確認や発着艦機能確認に手間が掛かり公試期間が長くなった事に影響している。
開戦さえ無ければ揃っていたが、開戦してしまった事で勝手に前線部隊へ移動させてしまい最新鋭空母大鳳への配備を減らしてしまった連中がいた。大問題になり謹慎・譴責と2階級降等の後、後方に戻されることのない最前線勤務の処分が下った。その連中は出世の目が無くなった。出世のために自分の欲で戦時戦力を混乱させたのだ。それで済んだのがかわいいくらいだった。
それでも努力の末、昭和十七年三月一日には零戦四十六機、九六艦攻四機、九六艦爆三機が搭載されることとなった。三月中旬には少し増え零戦五十二機、九六艦攻五機、九六艦爆六機であった。本来なら零戦二十四機、九七艦攻三十二機、九九艦爆二十八機が搭載されるはずだった。
搭乗員も定数は揃わなかったが機体数の九割は確保出来た。
訓練を積み、昭和十七年四月には艦攻と艦爆はともかく、艦戦は七十機集めることが出来た。母艦搭乗員も各地の航空隊と交渉し確保した。
大鳳が艦隊編成で難儀したのは同型艦が無いことで、同等の艦で編成している一航戦からは練度差が、二航戦も練度鎖と速度差が不安とされ断られた。結果、単独で第三航空戦隊を編制。
なんとか戦闘に参加出来る程度の練度となったことから、珊瑚海海戦で痛手を負った第五航空戦隊のかわりにミッドウェーに連れて行かれた。
既に図面の時から別物にしてしまいました。元の装甲空母構想は使っています。セーフかな。
予算を使われた艦は何でしょうね。
>乗組員の練度も不安なまま
当時の日本海軍基準では
>以降の建艦に大きな影響を与えた。
特に開戦後建造が始まった艦や開戦前起工でも急速建造された艦は艦首や艦尾が優美な曲線では無くなるという事例が多発。
全体的に工事期間の短縮が出来てしまいました。就役までの時間が短くなります。