僕は芯までモヤシだったようです
「やはりまだ、目は狂っていなかった。かなりの才能の持ち主だ。これから師匠としてビシバシ鍛えてやるから、覚悟しろ」
「え、そういうスパルタ的なのはちょっと」
言葉が砕けてきたのはそういうつもりだったのか。僕が言いよどんでいるうちに、サイカさんは着る物を次々に出してきた。
「こんなに重ね着するんですか?」
「前はもうちょっと軽装だったが、キラービーの攻撃で儂があのありさまだったから
な。装備を強化したんだ」
金属を編み込んだ帷子のようなものから、魔力や毒を防ぐものまで。ありとあらゆる素材を体に巻き付けられ、僕はあっという間に十二単をまとったようになってしまった。
「よし、よかろう。若造、少し歩いてみなさい」
「無理ですう……」
全身をみっしりした布で取り囲まれ、立っているのが精一杯。僕がすぐにギブアップすると、サイカさんはそんなはずはないと機嫌を悪くした。
「甘えたことを言うな。いざとなったら、これを着たまま走って逃げることもあるのだぞ」
「じゃ、そのまま死にます」
「おい、若造!?」
僕がへたへたとその場にしゃがみこむと、ようやくサイカさんも冗談ではないと気付いてくれた。
「……なんて体力の無い若造だ。それでよく、ダンジョンに来る気になったな。いや、もしかしてあれは……」
ぶつぶつつぶやきながらも、彼は僕の着衣を剥いでくれる。半分くらい取り去ってもらって、ようやくまともに動けるようになった。
「あ、準備終わったみたいだね」
みんなのところへ戻ると、先輩が楽しげに出迎えてくれた。すでに出発の準備を終えていた周りの面子も、集まってきてはやしたてる。
「アオ、様になってるじゃん」
「サイカよりだいぶ軽装備だけど、いいのかい?」
「……はい、これ以上重くすると、動けないので」
僕の本音を冗談と思ったのか、まだ場がどっと湧いた。
「シャーロット。アオの隊列はどうする?」
先輩がさっそく、新しい呼び名で僕を呼んだ。
「中央付近の隊列に入っていただこうかと。前は私、後ろはレックスが守りますので、それが最も安全だと思います」
僕にも異論はなかったため、それで陣形を組み直す。周りの人いきれを感じながら、僕の初めての冒険は始まった。
──そして始まってすぐに、挫折した。
「先頭、姫様方。少々お待ち下さい。アオたちが遅れております」
「すみま、せん……」
僕は息絶え絶えの中、ようやくそう言った。
「なんだよ、だらしねえな」
「これで何度目の休憩だ?」
動けるようになっただけで安心してはいけなかった。重い服を着てきれいに舗装されていないダンジョンを行ったり来たりするのは、僕にとっては想像以上の重労働だった。
歩き始めて十分もすれば汗をびっしょりかき、さらにそこから十分もすると視界が霞んでくる。こんな状態ではシャーロットさんや先輩に追いつくことなどできず、知らず知らずの間に二人が孤立してしまっているケースが結構あった。
「大丈夫? 回復魔法かけるわ」
「身体強化の魔法もかけてあげた方が良さそうですわ、聖女様」
壁にもたれかかった僕の周りで、シャーロットさんと先輩が話し合っている声が聞こえる。僕が不甲斐ないから二人を危険にさらしているのに、嫌な顔ひとつしない彼女たちが、本当に聖女と天使に見えた。
逆に、傭兵や護衛兵たちはあからさまに苛々し始めていた。こいつさえいなければ、今日は第二層の最深部にまで行けたのに、とささやく声ばかりが僕の耳に入ってくる。当然だ。そう思う方が普通なのだ。
「あの、少しキツくても構いませんから……強めの強化をお願いします」
僕が言うと、先輩は困ったように眉を八の字にしてみせた。
「そう思ってさっきからやってるんだけど、全然まともにかからないのよ。普通は体
力にも幅があって、セーブしてる分の力が必ずある。それを引き出すことを身体強化、って呼ぶんだけど」
「つまり、魔導師様には体力的な伸びしろが全然ないってことか?」
「……率直に言うと、そうなるわね」
先輩が答えると、レックスさんがあからさまにがっかりした顔になった。
「強化も無理って、どれだけひ弱なんだよ……」
「どれだけ魔法が強くても、これじゃなあ」
周りからの期待は、今度こそゼロになりそうだった。やっぱり、ろくに運動もしたことがない僕がダンジョンなんて、早すぎたんだ。
「待って、みんな。あの魔法の力は、いずれ必ず役に立つはずです」
顔を伏せていた僕の耳に、シャーロットさんの凜とした言葉が響いた。
「これから先、階層を進んでいけば必ず、純粋な力だけではどうにもならない時がく
るでしょう。レックスほどの戦士でも、超えられなかった壁があるのです」
「それはそうですが……」
「姫様のおっしゃることが正しい」
レックスさんが重々しく言った。
「足腰が立たぬというなら、私が担いで行けば済む話。なに、彼ひとりくらい軽いものですよ」
呵々と笑う姿に、反論の声は次第に小さくなっていった。
「じゃ、話はまとまったわね。レックス、悪いけどアオくんをよろしく」
「護衛騎士として、必ずお守りいたします」
そう言うなり、レックスさんは僕を丸太のように抱えあげ、肩の上に載せた。僕は「ひえええ」と情けない声をあげ、なすがままにされる。
「では、出発しましょう。第二層最深部は、ハイノタイガーよりさらに凶暴なクロノタイガーの縄張りです。壁や仲間を背にして戦い、絶対に敵に背後をとらせぬこと。良いですね?」
「はいっ!」
一同はゆっくりと進み始めた。今回は遅れる者がいないため、歩みは順調である。間もなく、大きな広間に出た。がらんとした空間の奥に、下へ伸びる階段がちらりと見える。
「……そこを降りれば第三層、なんですね?」
「降りられればの話ですが」
レックスさんは広場の後方に僕を下ろした。横に、サイカさんが移動してくる。僕たちの上に、すっとドーム状のバリアがかかった。
──戦いが、始まる。その証拠に、広間の天井で何かの影が動いているのが見えた。
次の瞬間、先輩が地を蹴って飛ぶ。さっきまで先輩が立っていた場所に、巨大な黒い塊が落下してきていた。
先輩はくるりと振り向き、その塊に強烈な回し蹴りを叩き込む。吹っ飛んだ姿でようやくそれが虎型なのだと知れた。モンスターは壁でしたたかに背を打ち、昏倒する。
しかし、その気絶した仲間を踏み越えるように、何十、ヘタをすれば百を超える個体がするすると壁を降りてきた。
「な、なんであんなことが……」
「クロノタイガーの足裏は特殊。わずかな窪みでもひっかける強靱な爪と、岩に張り付く特殊な肉球を盛っている。奴らは天井付近に潜み、獲物がやってくると群れで頭上から急襲してくるのだ」
サイカさんが唸りながら言うと同時に、僕たちの上にも虎が落ちてきた。
「うわああ!!」
「みだりに動くな! 壁が破れたら本当に死ぬぞ!」
前方にまろび出ようとしていた僕は、サイカさんの一言ではっと我に返った。よく見ると虎はバリアを破れずはね返り、こちらを見て低く唸っている。
「そ、そうか……この中にいれば、とりあえずは安全……」
「魔導師、魔法使いは耐久力が弱い上、呪文の詠唱に時間がかかる。だから戦いの始
めは、こうやって仲間が守ってくれるのだ」
僕は杖を握りしめながら、落ちてくる虎をじっと見つめた。
「……詠唱の準備ができたら、どうするんですか」
「このまま放つと、バリアの中でまともに攻撃がはね返る。だから敵が近くにいないタイミングで、防御を解いてもらい魔法を放つのだ。味方との連携が重要だぞ」