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いきなりダンジョン・エンカウント

 僕は意を決して、エレベーターに乗り込んだ。七階のフロアに降り立つと、視界の隅に一つだけ開いている扉を見つける。


「先輩? いと先輩?」


 中から返事はない。でも、玄関には今日先輩が履いてきた靴が脱ぎ捨ててあった。部屋を間違ってはいないようだ。


 物音もしない。僕は玄関にたてかけてあった傘を手に取り、そろそろと部屋の奥へ進んだ。玄関から一直線に廊下が延びていて、その奥が居間のようだ。奥が見通せないように、紺色の暖簾が廊下と部屋の間にかかっている。


 僕は暖簾の隙間から、こわごわ部屋をのぞいてみた。まず、部屋の中央に大の字で寝ている先輩が目に入る。気持ちよさそうに眠っていて、特に怪我はないようだ。


 暖簾の中に入っても、特に部屋が荒れている感じもしない。カーテンやカーペット、家具がブルー系統で統一されたさわやかなインテリアがあるだけだ。……あの女の子は、一体何であんな顔をして帰ってしまったのだろう?


「……先輩、僕も帰りますね。鍵、かけられますか?」


 問いかけた時、僕の耳は異音をとらえた。虫の羽音のようだが、やけに大きい。それはしかも、窓ではなく壁のほうからしていた。


「え?」


 振り向いた僕の目にうつったのは、白い壁にぽかりと開いた真っ黒な大穴。その中から、ぬうっと大きな昆虫の羽と、電気に照らされて怪しく光る複眼が見えている。


 まさか。こんなものがいるわけがない。僕の身長より大きくて黒い蜂なんて、いるはずが。


 僕の思考は混乱する。だから、目の前でその蜂の脚が先輩の体を引っかけても、とっさに動けなかった。そして、その反対側の脚で今度は自分が囚われて──ようやくもがく。


 恐怖。頭の中はその感情一色に塗りつぶされた。叫んで助けを求めようにも、喉は強張って一言も言葉が出てこない。


 あの女の子は、これを見たから逃げたのか。


 その疑問に蜂は答えることもなく、悠々と僕たちを壁の向こうへ引きずっていった。



 何かに激突することもなく、僕はなんなく壁をすり抜けて──埃っぽい洞窟の中にいた。あの動画で見た場所とは異なるらしく、洞窟の壁はほぼ四角い石で覆われ、石には何かの紋章が彫り込まれていた。


 それを覗きこむ僕に目もくれず、蜂は羽音をたてながら右へ右へと進んでいく。


「せ、先輩! 起きてますか!!」


 僕はようやく気を取り直して叫ぶが、先輩はまだ寝ているのか、ぐったりと蜂の脚に体をあずけたままだ。


 困ったことになった。先輩ならこの蜂をなんとかしてくれるかもしれない、と思っていたのに。それなら、他の人に助けを求めなければ。


「お、お願いします! 助けてください!! それが無理なら、シャーロットという人に連絡を!!」


 僕は声の限りに叫ぶ。しかし時折下にちらちらと見える人影からは全く反応がなく、しばらく行くとそれも見えなくなってしまった。


「なんだ、あれ……」


 そして僕の目の前に姿を現したのは、巨大な蜂の巣。ぼこぼことあちこちが盛り上がった丸い球体で、上部の出入り口から蜂が頭を出している。中に入ってしまったら、どんな恐ろしい目に遭うかわかったものではなかった。


「先輩!! シャーロットさん!! だ、誰でもいいから助けて!!」


 僕は見栄も外聞も投げ捨てて、子供のようにわめき、もがいた。すると次の瞬間、頭のすぐ横で轟音が響く。次いでめらめらと赤い炎があがり、焦げ臭く吐き気を催すような匂いが流れてきた。


 蜂が唸り声をあげる。それと同時に僕の体は落下し、誰かに受け止められていた。


「もう一人捕まってるぞ!!」

「逃げるぞ、追加の魔法急げ!!」


 僕の周囲では、忙しく人々が駆け回っている。弓に矢をつがえている人、その横でなにやら杖を掲げて呪文を唱えている人、剣を持ち、寄ってくる蜂以外のモンスターを追い払っている人……僕はめまぐるしく変わる万華鏡のような風景を見ながら、ようやく息を吐いた。


 その時、視界の隅にふわふわとした金髪が飛び込んできた。


「大丈夫ですか!?」


 シャーロットさんだった。彼女はかわいらしい顔をひきつらせ、蜂たちに向かって剣を構える。


「キラービー……まさか、こんな巨大化した変異種がいるなんて」


 彼女はきっと唇を噛み、近寄ってきた一体を斬り倒した。その剣筋は、僕には全く見えないほど速い。


 この人なら、先輩を助けてくれるかもしれない。そう思った僕は、彼女に叫んだ。


「まだいと先輩が、捕まってます。最初に炎が当たった個体です!!」

「なんですって、聖女様が!?」

「僕と同じ、脚の部分に捕まってます。意識がないので、防御がとれません。魔法で狙うなら、そこを避けてください」

「サイカ、聞きましたね! 聖女様をお助けするのです」

「はっ!」


 指示をうけて、自分の身長よりも大きな杖を持った老人が進み出る。


「猛き炎よ、その豪炎もって我らが敵を打ち倒せ! フレア!!」


 詠唱が終わると同時に、彼の杖先が真っ赤に光り、そこから炎が飛び出した。ぐんぐん上昇していった炎は、的確に足がもげた個体に狙いを定める。


 そして、着弾。煙があがり、蜂は身をよじった。……しかし、僕の時とは違い、何も落ちてこない。


「まさか、効いてない……!?」


 僕の横で、シャーロットさんも小さく息を吐いた。その顔は、心なしか青ざめている。


「体を硬化させた……でも、この短時間でこんなに強度が上がるなんて、信じられな

 い!!」

「連発すればあるいは……」


 サイカさんが再び杖に力を集め始める。さっきよりも明るく、杖先が光り始めた。


「危ない!!」


 しかし物陰から、なにか動物が飛び出してくる。とっさにシャーロットさんが跳ねたが、間に合わなかった。


 僕の耳に入ってきたのは、猛獣の唸り声。目の前にいるのは、石と同じような灰色の毛並みをした大虎だった。その虎の爪は、血で真っ赤に染まっている。


「サイカ!!」


 虎の爪は、老人の胸から腹にかけてをざっくりと切り裂いていた。みるみる石畳に血が広がり、周囲に金気くさい匂いが漂う。老人の取り落とした杖から、光が完全に消えた。


「治癒魔法!! 応急処置!!」

「はいっ!」


 控えていた騎士たちが、一斉に魔法をかける。しかしその青い光の大きさは、先輩のものとは全く比較にならない。


「やっぱりダメだ、先輩じゃないと……」

「姫様、攻撃を一点に絞って外殻を破りましょう。聖女様を放してくれれば、サイカも助かります」


 嘆く僕の横で、屈強な騎士がシャーロットさんに声をかけた。いかにも歴戦の戦士といった低くて渋い声で、僕の盛り上がった感情もわずかに落ち着く。


「そうね。化け物の足の付け根に、範囲を絞った魔法を集中させましょう。その間、ハイノタイガーたちは任せていいですか?」

「はい、承りました」


 騎士はそう言ってシャーロットさんに背を向ける。僕は足下に転がってきた杖を支えにして、なんとか立ち上がった。


「攻撃用意──放て!!」


 僕の周囲で轟音が響く。しかし、何十発の魔法でも、キラービーと呼ばれた巨大蜂を打ち倒すことはできなかった。


 蜂は忙しなく羽をすり合わせ、耳障りな音をたてる。その音を聞きつけて、巨大な巣からぞろぞろと仲間が出てきた。


「も、もうダメだ!! 聖女様には悪いが撤退しよう!!」

「サイカ爺さんだって、早くちゃんとした治癒師に見せなきゃ手遅れになるぞ……」


 周囲がざわつき始める中、騎士がシャーロットさんに視線を向けた。


「姫様」

「しかし、聖女様を見捨てるわけには……」

「おそれながら、聖女様は常人より遥かに頑丈な体をお持ちです。蜂の巣の中でも生き残る可能性がある。しかし、サイカはこのままでは死んでしまいます」

「……っ!」


 シャーロットさんは唇を噛んで、サイカさんを見つめた。


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