冒険のおまけ
シャーロットさんは返事を聞くと、今度こそきっぱりと踵を返した。その背中には安堵の色が漂っている。僕たちは、それが見えなくなるまでただじっとしていた。
「で、先輩。懸念が一つ残ってることを忘れてません?」
「忘れてないわよ。たぶん一番ムカついてるの、私だもん」
先輩はそう言って、冒険者たちに向かって手をあげた。
「ダンジョンは攻略されちゃったから、もう潜る必要ないって人が多いんじゃない? 余った回復アイテム買い取るわよ!」
そう言って先輩は、最初にシャーロットさんにもらっていたという金貨銀貨をちらつかせた。かなり価値のある貨幣らしく、冒険者たちがわっと駆け寄ってくる。しばらく後、僕たちは大量の回復アイテムに囲まれていた。飲み薬がほとんどで、駄菓子屋のジュースのようなカラフルな色をしている。
「さて。片っ端から飲むわよ」
「……お腹ちゃぷちゃぷになりそうですねえ……」
僕たちはそれを飲み干して、魔力と体力を回復させて第四階層へ潜った。レックスのパーティーは第四階層を踏破し、第五階層に下って様子を見てこようとしているところだった。なかなか優秀な結果である。
しかし彼の快進撃もそこまでだった。僕がありあまる魔力で階段に張ったトラップに全員が捕まったところで、怒りで拳をバキバキ言わせている先輩が立ちはだかったのだから。
「ここならある程度高度がとれるからね。今はめちゃくちゃ元気だから、何回でもフル威力の蹴りがうてるわよ」
不敵な顔で言い放つ先輩は、本当に怖かった。
僕たちは無事にレックス一味をボコボコにし、二度とシャーロットさんたちに手出ししないと誓わせた。それからようやく、現実に戻ってくる。
「お風呂……布団……」
現実文明の恩恵を受けたい、と心の底から思った次の瞬間、僕は大事なことを思い出した。
「先輩、配信ってどうなってたんですか? さすがに止めてましたよね?」
「え? ずっとやってたよ?」
「はああああ!?」
僕は素っ頓狂な声をあげてしまった。てっきり、あの偵察の時に切ってそのままだと思っていたのだ。
「まさかあんなバトルになるとは思ってなかったからさ。待機中に再開してそのまま
流れてたよ」
「それはまた……とんでもない映像がネットに流れちゃいましたね……」
反応を見るのが怖い気もしたが、僕たちは結局パソコンに向かった。視聴者たちはひとつの完結編ととらえたようで、案の定コメント欄は大爆発している。
〝今回のボス、強すぎ〟
〝全員に見せ場があって格好良かった!〟
〝シャルたんにあんな力があるなんて思わなかった。僕も守って欲しい〟
〝レックス○ね〟
〝好きな人に似てる。アオをもっと出せ〟
〝あの死体本物なの?〟
〝CGに決まってるじゃん(笑)〟
〝合体技はアツいよなあ。BGMないの残念〟
〝シーズン2はあるのかな?〟
履歴を追うのも困る状況で、時々コメントに投げ銭の報告が混じっている。結局最後までフィクションだと皆が思ってくれているようで、僕は安堵した。
「動画運営から記念に盾ももらえるみたいだよ。二つくれるかな?」
「いや、僕はいらないです……」
元気にコメント返信しながら、先輩は何やら電卓をたたき始めた。
「今回の動画も順調に伸びてるし、配当金が過去最高になりそうだねえ。アオくん、汚れちゃったスーツの新しいのが買えるよ?」
「ああ、そんなこともありましたね」
激動の体験の後では、現実世界で殴られた体験が霞んでしまっていた。いや、あれもあれで大事件ではあるんだけど……。
「なによ、その他人事みたいな態度」
「襲ってきたのが人間だったから、インパクトが薄いんですよ。でもそうか、会社に行った時がちょっと気まずいかもしれませんね」
坂田がいることはないにしても、彼と同じように僕に反感を持った人はいるはずだ。急に張り切って仕事をし出して、高いスーツを着て。二度とあんな目に遭いたくなければ、その逆をやればいいのは分かっていた。
「……お金の使い道は好きにすればいいよ。神宮寺くんが頑張って得た物だしね」
僕の複雑な表情を見抜いた先輩が、低い声で言った。僕はそれに、ゆっくり微笑みながらうなずく。
「はい。週明けの僕を、楽しみにしていてください」
それから僕もコメント返信に加わり、その晩は先輩の家に泊った。次の日に二人でピザを爆食いし、カロリーと脂肪で腹をぱんぱんにしてから別れる。僕はそこから、踵を返してある場所に向かった。
そして迎えた月曜日。起きた僕は洗面所の鏡に向かい、傷口に貼ったガーゼを取り替えた。傷はふさがり始め、新たに肉が盛り上がってきて淡いピンク色をしている面積が増えている。
「よし」
その経緯を確認してから、僕は新しく買ったスーツに着替える。ネクタイを締め、鞄を持っていつもの電車に乗った。
「おはようございます」
意識して、大きめの声で挨拶をする。先に来ていた矢田さんが、声に反応して振り返った。その彼女の顔が、途端に呆れた感情を宿したものになる。
「……またそんな立派なスーツ着て」
「新調したんだよ。前のは血と泥でダメになっちゃったから。あ、ちゃんと貯金で買ったよ?」
「そういう問題じゃないんですよ。前、それで大変なことになったのにまた同じようなことをやってる神経が信じられない」
鼻を鳴らす矢田さんを見て、僕は笑った。
「それはそうなんだけど……でもさ、僕がどんなスーツを着ようと、会社から止められるデザインじゃない限りは、僕の勝手じゃない?」
矢田さんはわずかに表情を和らげる。僕はさらに続けた。
「他人の感情とか思考は、結局僕じゃどうにもならないからさ。それだったら、どう思われようがやりたいようにやってみよう、って思ったんだ」
色々あった。そして本当に死にかけた。先輩と一緒に異世界ダンジョンに潜っていれば、こんなことは今後も起こるのだろう。だったら、現実世界で他人に遠慮している時間がもったいない。
嫉妬するならすればいい。恨むなら恨めばいい。僕は僕の道を行く。
──お金より何より、その確信が持てたことこそが、僕にとっての最大の収穫だった。今では本心からそう思う。
「おはよー。お、神宮寺くんはまた一張羅を買ったの?」
僕と矢田さんの間に沈黙が落ちたタイミングで、先輩が出社してきた。僕に目をとめた先輩は、わずかに笑う。
「天ヶ瀬先輩! またバカなことしてるって、はっきり言わないと分からないんですから。甘やかさないでくださいよ」
「いいじゃん。かっこいいし、スーツに文句つける奴の方がおかしいんだから」
やはり先輩は僕を分かってくれていた。さっきの笑みはそういうことだ。だったらもう、僕に怖い物は何もない。
「朝っぱらからどうしたんだい、矢田くん。大声で」
「あ、課長! またスーツが格好良くなってて──じゃないっ!!」
他の面子も出社してきた。矢田さんも次第にトーンダウンし、朝礼が始まる。それが終わると、僕は新規契約先に持っていく資料を机の上に出して、最終チェックを始めた。
「具合はどうかね」
「……はい、大丈夫です。行ってきます」
「武運を祈ってるよー!」
僕は先輩に手を振り返す。
異世界と現実、双方を行き来し、それを配信する奇妙な生活はしばらく続くのだろう。ありがたいことに配信の人気は続いているけれど、色々面倒くさいことが起こるのは間違いない。
それでも、きっとこの人がいる限り、僕は大丈夫だろう。理屈ではなく、本当にそう思いながら、僕は社屋を飛び出した。




