業火の中に立ちつくす
僕とサイカさんの攻撃魔法は間に合わない。ナインさんの位置はキマイラの口と正反対だ。間もなく、先輩に灼熱の炎が吹きかかった。
「っとぉ!」
防御魔法でそれを一瞬だけ防ぎ、先輩は横手に逃れる。一秒でも躊躇していたらその全身が炎に巻き込まれていた、ギリギリの回避だ。
「よく避けた、聖女!」
その回避と同時に、ちょうど反対側にいたナインさんが山羊の首に切りつけた。小さな刃なので首を切断するまでには至らないが、黒い血が噴き出す。そして山羊の首が、嫌々をするように激しく振られ始めた。おそらくナイフに毒が塗られていたのだろう。
魔法でとどめを──と思った次の瞬間、小さなものが空中に舞い上がるのが見えた。それがシャーロットさんの体なのだと、僕が気付くまでに数秒かかる。
シャーロットさんの華奢な体から、驚くくらい大きくて凜とした声が出た。邪を払うような声と共に、彼女の腕が動いて刃が繰り出される。白い軌跡が、黒い壁に映えてわずかに僕にも見えた。
遅れて、大量の血飛沫があがる。山羊の首が根元から両断され、大きく口を開けながら宙を舞っていた。
「私とてレックスから剣を習った身……足手まといだけにはなりません!」
シャーロットさんの決意の言葉とともに、山羊の首が地面に落ちて動かなくなる。最後に残った獅子の首が、鼓膜を揺るがす声をあげた。炎熱が今度はシャーロットさんに襲いかかるが、これはサイカさんと僕が魔法で防ぐ。
ここまでは、順調すぎるくらい順調だった。──とうとう最後の炎熱の首だけが残され、僕の出番がやってきた。
杖を持つ手に嫌な汗がにじむのを感じながら、僕はじりじりと前に進んだ。幸いキマイラはシャーロットさんたちに気をとられていて、まだこちらに気付いていな
い。小さな足音すらたてないよう注意して、僕はじりじりとキメラに近付いていった。
一対三の戦いはまだ続いていた。ナインさんと先輩が攪乱し、シャーロットさんが機動力を削ぐために足を狙っている。しかしキマイラもそれは見抜いていて、容易に攻撃を当てさせようとはしなかった。剣の間合いがさほど広くないこともあり、三人はキマイラの周囲をぐるぐると回っている。
ようやく、僕は所定の位置まできた。先輩の方をちらりと見ると、全てを了解したような視線が返ってくる。
キマイラが低く吠えた。二つの頭を刈り取られても、生命反応になんら支障はないようだ。それどころか、最初に刈られた蛇の頭のところが、うっすら盛り上がりかけているように見える。
「再生能力……!」
やはりメインの獅子の首をなんとかしなければ終わらないようだ。僕は覚悟を決めて、またジワジワとキマイラに近付いていく。
歩みを再開して、ちょうど十四歩目。キマイラが突然その巨体を翻し、僕の方へ猛烈な勢いでつっこんできた。後はもう、打ち合わせ通りにやるしかない。
僕は持ってきた剣を構えた。なまくら、と言われる通り、重いばかりで全く振りやすさを感じない。──だが、キマイラとの戦いにおいては、氷よりも水よりも、この剣こそが切り札となる。
キマイラが口を開けた。風の援護がなくても、恐ろしい威力の炎の洪水。それが僕に向けて、真っ直ぐに押し寄せてくる。
「氷の神オグンよ、汝の最大の盾をかの勇者に捧げ奉らん! ラスト・グレイシャ
ー!!」
僕の体が丸焼けになる前に、サイカさんの放った氷の盾が前方を覆う。しかし、キマイラも今回は本気なようで、最大出力の氷の盾がジワジワと溶け始めていた。僕の足下に、水がひたひたと染みてきて靴先を濡らす。
「アオ、やはり無理だ!! サイカの魔力も限界に近い、お前も防御しろ!!」
ナインさんの声が響く。しかし僕は、目の前のキマイラをにらみすえた。そして、持っていた剣を放る。
「風の神アイレよ、汝、炎を切り裂き御物を送り届けん! ダスト・デビル!!」
僕が投げた剣は、魔法が生み出した風に乗って氷の盾を飛び越える。そしてそのまま、キマイラの口の中に飛びこんでいった。
「アオくん!!」
「アオ様!!」
先輩とシャーロットさんが悲鳴をあげた。氷の盾がいよいよ薄くなり、目の前で崩れ去ろうとしている。僕はさっき魔法を放ったばかりのため、詠唱に時間のかかる大きな魔法は使えない。……この状態で特大の炎を食らえば、僕は焼死は免れない。
僕はせめてもの抵抗として、小さな水の塊を身にまとって正面を見据えた。
「消えろ」
僕の狙いが当たれば生きる、外れれば死ぬ。
「消えろ、炎!!」
──その結果は、数秒後に明らかとなった。
「と、止まった……?」
先輩のつぶやきが、一番始めに耳に入る。僕はこめかみをつたい落ちる汗の感触と、サウナのようにたちこめる熱を同時に感じていた。
「何故放射を止めたのですか!?」
「それに、キマイラが苦しんでいるように見える。アオの言っていた通りになった
ぞ……」
シャーロットさんとサイカさんの声もする。僕は自分が生きていることに、ようやく実感がわいてきた。
目の前のキマイラを見つめる。唯一残った獅子の顔が大きく歪み、息をするのも苦しい様子で巨体をくねらせていた。その勢いに巻き込まれて柱が何本か倒壊し、土煙があがる。
「今がチャンスです!! キマイラを仕留めてください!!」
喉の奥から、自分でも驚くくらいの大きな声が溢れてくる。その声に弾かれたように、仲間たちが一斉に動き出した。
最初に動いたのはナインさんだった。すさまじい勢いでキマイラの足に次々と切りつけ、機動力を奪う。キマイラの足からたらたらと血が流れ落ち、石畳に溜まりを作った。
その血だまりを踏み越え、さらに追撃を加えるのがシャーロットさんだ。キマイラの死角となる後方から接近し、振り抜いた一刀で後ろ足をすっぱりと切り落とす。切られた足は遠くへ吹き飛んでいき、キマイラは大きくバランスを崩した。
そしてのけぞった巨体の上に、僕は飛ぶ人影を見る。最後の魔力を凝縮させ、得意の上空からの攻撃を繰り出そうとするその人はずいぶんと大きく……そして美しく見えた。
「先輩、いけえええええ!!」




