裏切る刃
「え、なんでですか?」
「ごめん、理由ははっきり言えない。何もなかったら合図するから、出てきて」
先輩は僕に申し訳なさそうにしていたが、意見を変えるつもりはなさそうだった。いかにも言い負かされそうな僕がいたら邪魔ということか、それとも横で聞いている冷静な第三者が欲しいということか。
いずれにせよ、僕はそれを承諾した。
「分かりました。でも、いくら姿を隠してても、ナインさんがいるからすぐ分かっちゃうんじゃないですか?」
「そこはちゃんと考えてあるのよ」
先輩は唐揚げを頬張りながら、いたずらっぽく笑った。
「……さて。来ましたけど、これからどうすればいいんですか?」
異世界ダンジョンの入り口で立ちつくす僕に、先輩は装備品を与えた。なぜかそれは入り口付近に隠すように置かれており、ご丁寧に魔力で封印されている。
「そこに立ってて。ちょっと時間かかるから、動いちゃダメよ」
先輩はなにやら書き付けを見ながら地面に精密な魔方陣を描いていく。一区画描いては間違いがないか確認し、じりじりと製作は進んだ。そしてついに完成すると、先輩は胸の前で両手を組む。
「惑いの神ヒジタシオン、風の神アイレ。汝ら二柱を一柱とし、かの者の痕跡を完全に消し去り給え。エターナル・エリミネーション!!」
先輩の詠唱が終わると、魔方陣から霧のようなものが立ち上ってくる。それは気流のように僕の周りをゆったりと巡回し、視界をうっすらと白い光で包んだ。
「成功したんですか?」
一応しゃべることはできるが、僕の声はひどくくぐもって聞こえた。
「うん、大丈夫だと思う」
そう言う先輩は額にうっすら汗をかいていた。体は大丈夫か、と問うた僕に先輩は苦笑いする。
「ちょっと負担大きいかな……聖者魔法だけなら適性あるんだけど、魔術師の領域まで片足つっこんでるからね。ダンジョンに入ったら、油断しないようにしないと」
先輩がここまで弱った姿を初めて見た僕は、ただただ驚いていた。
「アオくん、後は打ち合わせ通り。何を見ても魔法を使わず、ただ黙って私たちについてきて。理由は後で教えるから」
「わ、わかりました」
神妙な顔でうなずいた僕は、黙って先輩の後から魔方陣をくぐった。陣の先は、この前第四階層に作った休憩所に通じている。冒険者の顔ぶれは前と違っていたが、シャーロットさん、レックスさん、サイカさんはちゃんといた。
「まあ、聖女様」
「……久しぶり、シャーロット。どう、あれから探索は進んだ?」
「いえ。やはり、階層が深いこともあって、並みの術士や聖職者では歯が立たなくて。結局、ここから一歩も動けていないんです」
シャーロットさんは恥じ入ったようにうつむいた。
「ここを突破できるのは、母国でも王の近衛隊に入っていた者くらいでしょうな。やはり聖女様でなければ。……そういえば、アオはどうしました?」
サイカさんが言い添える。先輩がそちらに向き直った。
「アオくんは、もう来ないって。サイカには悪いって謝ってたけど、やっぱりしこりが取れないみたい」
それを聞いて、レックスさんが顔を伏せた。
「……あの時は、申し訳なかった。直接会いたいと思っていたのですが、叶いませんでしたか」
「そうね。しばらく連絡とってないから……ま、どこかの町で元気にやってるとは思うけど」
重くなった空気を切り裂くように、先輩が言った。
「他の冒険者は? 先に石を見つけた、なんていう報告はあったの?」
「それはまだ。どうやら奥に凶暴なモンスターがいるらしく、冒険者たちの死体が多数発見されております」
レックスさんが悲痛な声で答えた。
「……分かった。アオくんの魔法もないし、気を引き締めていきましょう。みんな、加護魔法をかけるからこっちに集まって」
皆が神妙な顔をして先輩の周りに集まり、通路が光で満ちた。それが消えてから、一行は行軍を開始する。
ダンジョンの左手側の道をじりじり進むと、壁や床からひっきりなしに白い手が飛び出してくる。中には出っぱなしの手もあり、それは例外なしに白骨となった死体を抱えていた。
見えるのは白骨死体だけではない。捕食されたがアンデッドになり損ねたのか、食い散らされ「生」に近い死体もちょくちょく見かけた。
「……哀れな」
それに向かって、シャーロットさんが軽く頭を下げる。周りもなんとなくそれに従った次の瞬間、ぼろぼろになり腹から腸がはみ出た死体が、にわかに起き上がった。
「なっ……」
異様な光景に皆が一瞬息をのむ中、先輩は自然な動きで拳を死体に叩き込む。シャーロットさんに噛みつこうとしていた死体は、拳の直撃を受けて肉片となりぼろぼろと崩れ去った。
「なるほどねー。元、人間であっても信用できないワケか」
「あ、ありがとうございます……」
周囲の人間が若干引いている中、先輩だけが淡々としていた。
「狭い通路で囲まれてもなんだし、さっさと奥まで行きましょ。階段近くに休憩所が見つけられればベストね」
「では、先を急ぎましょう」
しかしそれからは、大きな変化はなかった。そりゃゴーストやアンデッドはしょっちゅう襲ってきたが、先輩がいるためすぐに片付く。加護の魔法もちゃんと効いていて、魂を抜かれた冒険者もいなかった。
いったいなんだって、先輩は僕に隠れていろなんて言ったのだろうか。このままだと、難なく奥まで進めそうではあるが……。
僕が思案している間に、パーティーは小さな広間を見つけた。入り口近くに作った休憩所と似たつくりのため、ここを新たな拠点にしようとすぐに決まる。先輩が結界を張り、皆が荷物を下ろす姿を、僕は半分あくび混じりで見ていた。
──その剣が、抜かれるまでは。
白刃は空を切り裂き、真っ直ぐにシャーロットさんの喉元を狙う。一切の無駄も迷いもない動き、それはただ確実に相手の命を奪うことだけを目的とした攻撃。
「ていっ!!」
その無慈悲な刃を、空中に出てきた白い盾がはじき返した。攻撃した人間はその出現を予測できておらず、反動で後ろにのけぞり、少し高い声をあげる。
「くおっ……!」
先輩はその隙に、シャーロットさんとサイカさんを自分の後ろへ押しやった。その間にナインさんが隠密状態を解き、先輩の脇を固める。
「レックス……やっぱりここで動いたわね」
剣と盾。相反する二つの武具を構えた先輩とレックスさんが、広間の対偶でにらみ合う。今まで動かなかった冒険者たちが、じりじりと三人を取り囲み始めた。




