たとえ甘いと言われようとも
僕は作戦の第二段階に入った。自分を取り巻く風を維持したまま、外に新たな流れを生み出す。
「風の神アイレよ、我を害する者を悉く吹き飛ばせ! ウインド・ストーム!!」
呪文の詠唱が終わると同時に、突如目の前に竜巻が現れた。それはサキュバスたちにめがけ突進し、一気に目の前で爆発するように広がった。サキュバスたちは突然の暴風に対応できず、てんでバラバラに吹き飛ばされる。
「よし、成功!」
第二陣が襲いかかってきた。それも、苦も無く風で吹き飛ばし、撃退できる。サキュバスは魅了能力にかなり重点を置いているモンスターらしく、個体そのものはそう頑丈ではないようだった。
「ごめん、アオくん! そっちにセイレーンが!」
先輩の声ではっと我に返る。僕の方へ、身をくねらせたセイレーンが二体やってきていた。
「大地の神ガラテよ、我に害成す者を地面に縛り付けよ。アース・アブソープ!」
今度は魔法を変える。再び土の鎖がセイレーンを縛り付け、地に這わせた。
「鉄拳制裁!」
そこへ先輩が強烈な蹴りを繰り出す。鉄拳の「拳」はどこへ行ったのか聞きたくなるが、まあゴロがいいとかそんな感じだろう。転がってる相手なら蹴りの方が確かに楽だし……。
哀れ、セイレーンは蹴りを受けて吹っ飛んだ。壁にめりこんでずりずりと落ちていき、力なくぽちゃんと水の中へ帰る。これだけ強いなら、僕は必要なかったんじゃないかな。
「アオくん、あの上のほうのやつお願い!」
「わかりました! 先輩、左手からまた来てますよ!」
こうして僕らは協力して、道にはびこっていた集団をすっかり倒してしまった。巣にも残っているモンスターがいないことを確認し、後はみんなを呼び寄せるだけなのだが……先輩は鳥を手元に呼び寄せて、妙に寂しそうな顔をしていた。
「どうしました?」
「配信を切ってたの。ちょうど区切りもいいしね」
「なんでまた?」
「……ホントはね、モンスターだからって戦いたいわけじゃないんだよ、私も」
先輩の言葉に、僕ははっとした。
「だって、人間の都合で住み処を荒らしてるわけじゃない? 向こうにしてみれば、怒って当然だと思うよ」
「そうですよね」
「アオくんも、セイレーンが逃げた時ほっとした顔してたからさ。ああ、同じなんだなあと思って嬉しかったの」
先輩、そんなところまで見ていてくれたのか。僕は思わず、血が集まってきた顔を押さえた。
「配信だと、作り物に見せなきゃいけないから、明るくやっつけたぞー! って感じにしてるけどね。ホントは殺しちゃうと落ち込むし、逃げてくれるならそれが一番いいと思ってるんだ」
それは普通の感覚だと思う。僕たちは戦いのプロとして育てられていないから、倫理観がまだこの世界と合わないのだ。
「はい。……僕も、それと同じです」
僕が言うと、先輩は嬉しそうに肩を叩いてきた。
「みんなのところに戻ろう。三階層目のボス、倒せるといいね」
「はいっ」
僕は今までで一番明るい返事をして、先輩と共に来た道を引き返した。
「信じられない……あの規模の群れを、あんな短時間で狩ってしまわれたのですか!?」
シャーロットさんはじめ、パーティーのみんなが目をむいていた。
「ほとんど聖女様の仕事ですけどね」
「……でもごめん、けっこう逃がしたから、時間をおいたら戻ってくるかも。みんな、急いでここを突破して」
先輩の言葉を聞いて、シャーロットさんは一瞬苦い顔になった。しかし、すぐにそれを包み隠して笑顔を作る。
僕はこっそり、抱えてもらっているレックスさんに聞いてみた。
「……やっぱり、おかしいですか。モンスターを根絶やしにしない、っていうのは」
「それはまあ、聖女様のなさることですし」
「率直に聞きたいです」
僕が引く様子がないのを見たレックスさんが、ため息をついた。
「疑問は残りますよ。殺し尽くした方が、明らかに道中の危機は減る。取り逃したモンスターが恨みを持って戻ってきて、全滅したパーティーなど数え切れないほどありますから」
「そうですか……」
この世界に暮らす人たちにとっては、モンスターは自分たちの使命を脅かす敵でしかないのだろう。結局僕たちが甘いことを言っていられるのは、生活が他にあって、殺さなくても生きるのに支障がないからだ。
「まあ、あの方は特別ですからね。我々の小さな思考を押しつけると、かえって聖女の力がなくなってしまうかもしれませんし」
レックスさんはそう言って苦笑した。
「僕もそうなんですよ。……聖女様とはちょっとした知り合いなので、考え方が似てるんだと思います」
こう言い返すと、会話の相手が少し困っているような様子になった。
「戦わないってことじゃないです。でも、こういう考え方を持っている人間もいる、って言いたかったので」
自分の考えを貫くためには、モンスターを逃がしても仲間を守り切る実力と実績が必要だ。今は、まだ奇妙な顔をされても仕方無い。こいつは変な奴だと思われている方が普通だ。
「……私たちは、シャーロット様がご無事で、本懐を遂げられるのを何よりの目的としております。それだけは、お忘れなく」
「はい、分かってます」
僕は神妙にうなずきながら、ダンジョンの奥へ移動していった。
「ここが、第三層最深部……」
道を最後まで行き着くと、大きな部屋に出た。ちょうどコンサートホールのように奥側……階段のある側が低くなっていて、そこになみなみと水をたたえた池がある。階段は池の真上の岩壁に、ぽっかりとその入り口を開けていた。
僕たちが今いるのは、劇場の二階席のように、岩壁が張り出した場所だった。角度がついているので、下からはよほどじっくり見ないと人がいることはわからない。確かに、下の様子をうかがうには絶好の地点だ。
「いるね……」
「あれが第三階層のボス……」
てっきりセイレーンかと思いきや、ぐるぐると池の中を泳ぎ回っているのは、巨大な魚人というべきモンスターだった。
全長二十メートルはくだらない蛇状の下半身、そして丈夫そうな鱗に覆われた上半身にはたくましい六本の腕がついている。その腕には全て無骨な長剣を持ち、侵入者をなます切りにしようと待ち構えていた。
「……魔法が得意なモンスターが多いんじゃなかったでしたっけ、第三階層……」
「奴はマーマン。体術も魔法も両方使える。だからこそ、長なんです」
唯一遭遇しているレックスさんが、声を低くして言った。
「よく見れば、周りにセイレーンもいるなー……あいつ一体だけなら、こっそり階段へサイカを送れると思ったんだけど」
そうだ。サイカさんさえ送れれば、魔方陣を張ってもらって第四階層への道が開ける。そうなると、作戦は自然に一つしかなくなっていた。
「ナイン。サイカを護衛し、我々がマーマンを引きつけているうちに第四階層へ。残りの冒険者を連れていくことを許可します」
「かしこまりました、シャーロット様」
ごく少数の精鋭部隊が編成され、後は全て退避となった。もちろん、僕と先輩は前者に配属される。
「さて、どうやってあいつの息の根を止めるか……」
「どっちにしても水中じゃ不利だ。なんとかして、池から引っ張り出さないと」
「あの巨体じゃ、縄をかけて引くってわけにもいかないな。魔術師の炎で、池を蒸発させられないか?」
「いや、それは無茶じゃないかと……」
矛先がこちらに向いたので、僕はどぎまぎしながら答えた。
「あんな量の水を蒸発させる熱を出したら、その前に僕たちは全員死んでますよ」
「そうねえ。いくら身体強化したところで、熱でタンパク質が変性するのはどうしようもないし……」
「タンパク?」
「う、ううん。こっちのこと。アオくん、続けて」
余計なことを口にしてしまった先輩が、あわててこっちに話を投げてきた。
「それに、殺してしまう前提で話が進んでますけど、それもどうでしょう……」