食われる足
今度ダンジョンに潜るときに、少したくましくなってびっくりしてもらいたい。そのために始めたジム通いだった。
それを聞いて面白くなさそうなのが、傍らに立つ女の子である。どうもあの夜の失態を僕が見たのが気に入らないらしく、前にもまして当たりがキツくなった。
「へえー。でも神宮寺さん、そっち方面の才能はなさそうですけどねえ?」
「それは僕もよく分かってるよ」
「……分かっててなんでやるんです、そんなコスパの悪いこと。ジムだってタダってわけじゃないんでしょ?」
その意見を聞きながら、僕は苦笑いした。コスパか。確かに、理論的に計算するなら彼女は正しい。
でも今回は、それで諦めるわけにはいかないんだ。
「先天的にダメって分かっててもさ。やれるところまでやってみたいんだよ。そりゃ、人が百できるところを十しかできるようにしかならないかもしれないけど……その十があれば、役に立つことがあるかもしれないじゃない」
自分と他人の命がかかっているのだ。後からああしておけば良かったと、後悔することだけはしたくない。
「……なんですか。神宮寺さんのくせに、最近ちょっと格好いいことも言うじゃないですか」
女の子は鼻を鳴らした。
「別に格好付けてるつもりは……」
「生意気っ」
女の子はぱしん、と僕の背中をどやしつけて去っていった。僕は痛みで再び机に突っ伏してうめく。再び顔を上げた時には、彼女はもう近くにいなかった。
「若いっていいなあ」
「いやー、大事に見守りたいですねえ」
そのかわり、周りの人たちがやたらほのぼのしている。僕は意味が分からず、周囲を見渡すしかなかった。
「……なんのことですか?」
「いいのいいの、気にしないで。式には呼んでね」
「だから式ってなんのことですか?」
僕がいくら聞いても、周囲からは生暖かい笑みしか返ってこなかった。
「なんかストレスたまるなあ……ま、いいか。その分はジムにぶつけよ」
僕はこうして、地上でも修行を開始したのだった。
あっという間に、またダンジョンに潜る週末がやってきた。僕は少しは特訓の成果が出ているのではないかと期待して、わざとノースリーブの服で先輩の家にお邪魔することにした。
「お邪魔します。……先輩、僕を見てなにか気づきました?」
「あ、今日は袖無しだね。珍しい」
先輩はそう言って、いそいそと部屋の中に入ってしまった。
「ノースリーブ以外で何か……ないですか?」
僕はしつこいと思いつつも、重ねて聞く。
「何って。そんな格好してたら、蚊に食われるだろうなあ、と思うけど」
「そうですか……」
そんな急にムキムキになるはずもない、か。成果が出るまで、もう少し頑張ろう。
「じゃ、行くわよ」
再び壁をくぐって、ダンジョンの第一層へ。そこでパーティーに連絡をとると、サイカさんが僕たちのところまで来てくれた。
「じゃ、ここからは別行動ね。アオくん、これを渡しておくから」
そう言って先輩が取りだしたのは、金属製の鳥だった。僕の手に触れると、それは羽ばたいて頭上で旋回を始める。
「これ、配信の……」
「そうよ。そっちも記録ヨロシク! アオくんのファンも結構多いんだからね」
「ええ……」
僕が困惑しているうちに、先輩はダンジョンの奥へ入っていってしまった。取り残された僕は、仕方無く「イエーイ……」と鳥に向かって手を振ってみる。正直、ひたすら虚しい。
「聖女様のまねごとなどしている場合か。始めるぞ」
サイカさんに怒られてしまった。僕は小さな師匠に向き直り、杖を構える。
「で、修行って何をするんですか? モンスターを倒すとか?」
「それはもっと出来るようになってからじゃ。最初はもっと死ぬ確率が低い修行から始めるぞ」
お、初心者コースみたいなものかな。思ったより優しい師匠で良かった。
「出てこい、使い魔」
サイカさんが両手を合わせて拝むようなポーズをとると、地面に白い霧が漂い始めた。その霧は徐々に寄り集まって、最終的には小さな白い蛇となる。
「わあ、可愛い」
爬虫類でも、僕の掌くらいのサイズだと恐怖は感じない。くねくねとうごめく蛇は、僕のあげた歓声に気付いたように鎌首をもたげた。
「シャアッ!!」
次の瞬間、蛇の頭部が僕の胴体サイズまでふくれあがる。そして大口をあけ、僕の足をがっぷりくわえこんでしまった。
「わ!? な、何これ!?」
僕はパニックになって蛇を引きはがそうとしたが、吸い付く力が強すぎて全く外れない。締め上げられて、足の血行が徐々におぼつかなくなってきた。
「集中せい、弟子よ。今たれ流しになっとる力を、自分の中に集めるようにイメージ
してみろ」
「ち、力!?」
確かに自分の周囲に目を向けてみると、薄い緑のもやが体の中心から溢れ流れているのが見えた。これがもしかしたら、僕の漏れているという「力」なのか。
「外に出さない……外に出さない……」
色々なイメージを試してみた結果、体の中心に大きな掃除機がある、というのが最もしっくりきた。強力な掃除機は、僕の体から漏れ出している緑のもやを全て吸い込む。足のことはできるだけ意識から追いやり、ひたすらそのイメージに努めた。
「……あ」
気付けば、足はすっかり軽くなっていた。さっきまで必死に食らいついていた蛇は、欠伸をしながら僕の足下でとぐろを巻いている。サイズも掌大まで戻っていた。
「どういうことですか?」
「この蛇は、魔力を食って成長する使い魔だ」
サイカさんが寄ってきたモンスターを打ち倒しながら言った。
「お前の体から魔力が漏れ出していると、それに反応して食らいに行く。つまり、余計な魔力があるほどこいつは凶暴になるわけだ」
蛇が側にいても全く反応しないくらいになれば、第一段階完了ということらしい。それならそれと、早く言ってくれればいいのに。
「……また意識をおろそかにしおってからに」
「うわああああ!!」
再度食われた。今の僕では、少しでも油断するとダメらしい。足の痛みをこらえながら、僕はかろうじてサイカさんに聞いた。
「これって初歩の修行なんですか? もう少し痛みの少ないのって、ありません?」
サイカさんは無言で、もう一匹黒い蛇を出してきた。その蛇の口の中には、鋭い牙がびっしりと生えている。
「他というとこいつしかおらんが、こっちでやってみるか?」
「いいえ! 僕、白蛇大好きです!!」
師匠に口答えはするものではない。僕は大人しく、白蛇と一緒に修行に励んだ。
「……ふむ。だいぶ安定してきたな」
僕のイメージングが形になってきたのは、それから一時間後のこと。時間は、金属の鳥の腹に時計がついているので、簡単に分かった。永遠に思えた時間だったが、思ったより短くてびっくりした。
「これでみんなと合流できますか!?」
意気込んで質問したら、杖で膝の裏を叩かれた。
「思い上がるな。戻るのは実戦訓練を経てからだ。ついてこい」
そう言ってサイカさんは、すたすたと歩き出す。そしてある曲がり角で、ぴたりと足を止めた。
「向こうを見てみろ」
視線の先に、ゆっくりと道を進むオークの姿がある。体格は僕たちの倍ほども大きく、腕などまるで丸太のようだった。
「魔法であれを倒してみろ。使うのはなんでもいい」
僕はそろそろと杖をオークに向かって差し出し、小声で呪文を唱えた。
「フレイム!」
杖から火球が飛び出し、オークの脳天を直撃する。オークは声も出さずに絶命したのか、そのままどさりと倒れ込んだ。……そこまでは想定内だったのだが。
「い、痛い痛い!! 蛇、痛い!!」
さっきまでおとなしかったはずの白蛇が、また僕の足に容赦なく噛みついている。引きはがそうと必死になっている僕に向かって、サイカさんがため息をついた。
「やっぱりこうなったか」